はてなキーワード: 機会損失とは
大学までは地方都市ですくすくと育ち大学に入るときに東京に来た。
以来数十年東京で暮らしているのだけど、大都会東京を活用できてるとはとても思えないまま生きてきている。
まず東京とそれまで暮らしてきた地方都市とで、あまり違いが感じられなかった。自分がこれは東京だからこそかもなと感じる事ができたのは
・美術展
この3つくらいだ。どれも文化的なものであってこれらは本当にすごいなと思った。ライブや展覧会などは育った地方都市に住んでる地元の友達がわざわざ東京まで見に来る事なんかもあり、そのときは「いいなあ電車ですぐ行ける距離じゃん」と羨ましがられ、確かになと思った。
東京でしかやらないミニシアター系の映画というのも多い。自分は興味の対象がそれくらいなんだけど、いわゆる文化的な催しというのは東京だととにかく数が多い。
ただそれくらい。そういうのにどっぷりハマるほどの興味もなく、あったらあったでいいよね程度のありがたみしか感じられていない。
結局のところ、東京のメリットというのは仕事上の機会損失が少ないというのが(恐らく)一番大きいんではないかと思う。
東京に出てきた時からさして目標も野心もないまま細々と生きてきた自分にはそういった事にもほぼ無関心。
こうなるといよいよなんで東京にいるの?という事になる。そうは言っても仕事の面で東京がやりやすいのは間違いないだろうし、住みたい田舎があるわけでもない。ただなんとなく流れの中で住み続けているだけで、そのために毎朝満員電車とか、高い家賃とか払って、そのくせ週末の休みは家でダラダラするか近所の喫茶店で過ごしたりするだけ。
知り合いに仕事のランチから夜ご飯から休みの日の予定まで見事に東京を活かしきっている人がいて、その人の事が本当に羨ましい。もし東京じゃなかったら生きていけないと言う言葉に嘘はないと思う。それくらい東京を愛している。自分は生まれ育った地元と東京、どちらも同じくらいどうでもいい。
「東京」というタイトルの曲がたくさんある。でもどの「東京」も自分にはピンと来ない。
謝って済む問題は世の中にはほとんどない。子供が親にした小さないたずらぐらいだ。
レンタルDVDの返却期限を過ぎたら謝っても許されない。延滞料金さえ払えば反省の態度を示しても示さなくてもいい。
お店のものを盗んだらそれを返して謝っても許されない。その間の機会損失や警察の捜査に協力する時間的損失は必ず発生する。盗まれなかった世界線に行くことはできない。
謝ることで罪悪感を薄めてすっきりしたいだけだ。だったら初めから悪いことするな。守れない約束をするな。そうしなければその罪悪感も生まれなかったってわけでね。
そしてささいなことでもひとたび謝ればすべての非を認めるということだ。
そんなに悪くないのにその場を収めるためという軽い気持ちで謝ってしまったら、焼き土下座を求められ、財産を奪われ、子々孫々にいたるまで無限に責任を追及されても文句は言えない。
店だって廃棄させずに売り切る方が得なのに、機会損失をより嫌って過剰供給をしているのは戦略があるからだ
原価と売れる見込み個数をあらかじめ計算した価格設定にしておき、廃棄分は廃棄してもともと、一本でも見込みより多めに売れるとラッキー、という商売をしてるので、現状ですでに儲けに最適化されてるわけだ
しかし、資本主義的には正義でも、資源として感心できることではない
と、すると、どうすべきか?
もともと廃棄されるものなので、タダ同然で廃棄食品を購入することができるはずだ
人が美味しく食べれる物を、人が食べない、という点に関してはもったいないのかもしれないけど、地球上の資源ロスの視点なら全く無駄がない
スーパーは恵方巻きの利益が最適化、飼料メーカーは原価がタダ同然で入手できる、牧畜業は飼料が安くなって嬉しい、消費者の我々も、季節イベントを楽しめて、肉は値下がりする
みんな幸せ
俺は納得していない。誰か論破してくれ。
でもそれだとサングラスも視野角が狭まって危険性が増すだろう。何故禁止しない?
音が聞こえずに運転するのは危険だ。それはわかる。とてもわかる。
しかし何故車は窓を開けない?開けてないと音が聞こえないぞ。危険だぞ。
ましてやカーオーディオをかけながら運転など言語道断だ。救急車両の音も聞こえづらくなる。危険だ。大変危ない。
このあたりをすっきりさせてくれないと、自転車でイヤホンをつけるのが危険と言われても全く納得できない。
ようするに批判者は、何も考えず空気で批判しているだけにしか思えないので、俺がイヤホンをつけることを
止めることが出来ない。誰か俺を納得させてくれ。
リスクと便益のトレードオフだからね。危険性だけ見るなら車も自転車も廃止すべきじゃ。毎年どんだけ人が死んでるか。
わかる
みんな真面目に答えてくれてありがとう。とても嬉しいです。
ちなみに、車・バイクの免許を持っていてそっちにも乗ってます。
カーステ聞きながら助手席の嫁と会話したりしながらも、これはおかしいなーと思ってる。
車と自転車を比較するのは、そもそも車のほうが危険だろう。死者数がそもそも違う。自転車が加害者になって歩行者が死ぬのって年間20人くらいだろ。全然スケールが違う。殊更危険が叫ばれすぎているように思う。
http://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/41-2-03.pdf (22ページ参照)
どう考えても車のほうが危険で、自転車は他者が危険というよりはむしろ自分が死ぬリスクが増えるからイヤホンは辞めておけっていうように思える。これなら納得できる。
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音楽を聞きながら運動しないでいると肥満による健康リスクが上がって、むしろ寿命は縮む。
退屈も嫌だしな。
オーディオブックで学べない人生の機会損失による危険性も上昇する。所得が下がると寿命は縮む。
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>自分は自動車、自転車、バイクすべて日常的に乗っているので以下考察。
納得です。ありがとう。
これ、車にも同じ事を言いたい。窓を開けて運転すべきだと!
>教習所では基本的に視覚情報からの認知、判断で安全確保できるように訓練を受ける。
>これは正解っぽいが、元増田はどう思ってる?
少し納得できるんだけど、やはり車のほうが加害リスクは超絶に危険なので
車には免許があるんだからと同じ扱い以下なのは納得しかねる。本当に危険な事よりも危険に見える事を世の中が重要視しているようにしか思えない。死者数で言えば少なくとも数十倍以上加害しうる危険な運転が免許があるから、十分で自転車こそ気をつけろは納得感が薄い。
自転車のイヤホンごときを注意するなら、統計上物凄く危険な車の運転はもっと細心の注意を払うべきだ。
本音を言うとカーステも規制する必要はない。同時に自転車のイヤホンも規制する必要はない。リスクよりも便益が勝るからだ。
思考停止のこういう奴こそ、社会の害悪。根源を問わずして正しい道は見えてこない。ソクラテス的な常識を問うそもそもの問をしない奴がいるからこそ、勝てもしない戦争はするしブラック労働は止まらない。
小学3年生の息子がyoutubeにあるゲーム攻略実況の動画をいろいろと見ているようだ。いや、かなり見ているのかもしれない。ゲームについていつの間にかめちゃくちゃ詳しくなっている。
うちはそこまで自由奔放にゲームができる環境にはしていない。どちらかというと「ゲームは1日1時間」という神の教えを受け継いだルールを定めており「ゲームはやるべきだが他のこともやるべき」というスタンスで生活している。
そんな中で、私がゲームしてると息子が横から「あっ!その先に行くと○○があるよ!」とか、「左の方にいるアイツを倒すと△△がゲットできるよ!」などと教えてくれる。すべてゲーム攻略実況動画で得た知識だ。ほんとめちゃくちゃ詳しい。とても細かく教えてくれるので、よくそんなことまで知ってるなと感心しきり。自分が持っていないゲームやプレイしたことのないゲームのこともかなり知ってる。
「ハッハッハ詳しいなあ 記憶力いいなあ 我が子は天才かな?」ぐらいに思っていたが、次第にその容赦のないアドバイス 言葉を変えるとネタバレラッシュがちょっといろいろとまずいこともある気がしてきたので説明をした。
まさか小学三年生に、相手が望まないネタバレが人体に与える影響について語る日が来るとは思ってもいなかったが、今後の彼の人生をより円滑で円満なものにするために「ゲームは自分で謎を解くのが楽しいから答えが先に分かっちゃうと面白さが半減するし、それを嫌がる人もいる」とか「聞かれたら教えてあげればいいけど、聞きたくない人もいるかもしれないから気をつけること」などと説明し、本人も理解したようだった。
気になるのは、彼が自分でプレイしたことのないゲームに関してまで答えを知ってしまっていることだ。そしてやった気になっている風にも見受けられる。以前、youtubeで見たゲームが面白そうだから欲しいとしぶとくねだられたので、小学生的なノルマを課しその報酬として購入してあげるという取引きをしたところ、彼は努力してそれを達成したのでスライムランチャーというゲームを買ってやった。
しかし見ているとそこまで夢中になっているような感じでもなく、結局、スライムランチャーを一番プレイしているのは私であった。毎晩寝る前に牧場を整備し自動化しデコり、翌朝その成果を息子に報告した。息子はすごく嬉しそうに聞いてくれた。
それはそれでいい。とても幸せなやり取りだと思う。ただ、なんというか得体の知れないモヤモヤがどうしても拭えない。
息子を見ているとなんだか「ゲームは誰かがプレイしているのを見るもの」という価値観がデフォルトになっているように感じる。それが、私が持っている感覚に相反するものなのでどうしても気になる。
私はこれまでの人生、たくさんのゲームを自らプレイし、たくさんの感動を得てきた。それが他人のプレイ動画で代替できるものだとは、到底思えない。そして、それを息子に伝えたい。価値観の押し付けは良くないのは分かっている。私の価値観はとても古臭くカビの生えた根性論なのかもしれない。
でも。
あの感動をダイレクトに味わえないのは、せっかくの人生における重大な機会損失な気がして仕方がない。
どうしたもんか。mn3
LINEはSNSというよりもはやライフラインに近いので、初めての試み。
リセット癖と一括りにすると、メンヘラだのなんだのと言われそうなので
しかしながら想像以上にメリットだらけだったので記念カキコします。
比較的マメにバックアップを取っていたほうだったので、電話帳も継続していた。
TOでメールのやり取りなどもうしないであろう後輩や、「ただの」クラスメイトも含まれていた。
15年も経てば、違う持ち主の番号になっているものもあるだろう。
今まで見直しをしてこなかったがために、LINEの表示名(電話帳登録名)とLINEの登録名が異なるものもちらほら。
お前、誰だよ。
今回やりなおすにあたってのルールは2つ。
これで、ある程度の数に絞れるだろうと踏んだ。
結果、500人を超えていたリストは40人にまで減った。
ああ、その場ののりでQRコードをささげたような、
街コン関連で1回だけ顔をあせただけの他人以上の他人とか、「知り合いかも?」に延々登場していたやつらも消えた。
これだけでもかなりすっきりだった。
もう一生会わないだろうよ。あばよ。
これ、自分も含めて再調整。
花子だけ見て旧姓もでてこねぇような希薄なやつはもう友達じゃないという乱暴な仮説により全部統一。
長ったらしくなることもなく非常にすっきりした。
新姓のほうがよくわかんないだよね。
顔写真載せてたりタイムラインに誰かわかる投稿しているやつは1000歩譲ってまだよしとする。
でもタイムライン投稿ゼロ+犬だのカフェだの無難なプロフィール画像のやつ。お前はだめだ。
誰かバレたくないがためにわざとだったり、
本当にお前誰なんだよ。
今回のリセットで、こいつらも一掃された。
これはー、、ついでだね完全に。
LINEで「限られた人」とだけつながっていればいいという精神状況になったとき、
インスタが非常にあほらしくなった。
なんで個別で連絡も取らず会いもしないやつにストーリーとやらで現在地を共有してたのか。
そりゃーね、
だって指を上下に動かせば、タイムライン上で情報が入ってくるんだもの。
でもね、それってなんだか寂しくない?って思い始めた。
どうしても大事な友達だったら、会って目を見てしゃべりたいけど、
だから、消すことにした。
消してみたら、意外と平気なんだよ。
1個1個事例を思い出すと、ちょっと寂しくなるけど案外覚えてない。
…まあ仕事で情報収集しないといけないから、また作ると思うけどね。
急に話が戻るけど。
この1週間、いろんな人にあった。
今までは、会えるだけでよかった。
帰省して、今までと同じように関係が壊れていないことを確認して、満足して帰る。
でも今回は初めて違和感があった。
久しぶりに酒を酌み交わしながら、「人の」話をしてる。
「○○と△△が付き合ってるらしい」
「××は仕事ができない」
それさー、今話してどうなんの?
違和感を覚えつつ相槌はすごく興味ある風にする私。
でもね、すっごく興味ないことに気づいてしまったの。
今までそんな感覚になったことがなくて、自分でもびっくりしたよ。
田舎は情にあつく都会は冷たいって、おせっかい度でいえばそうだよ。
現状の文句や妬みを言うなら、行動しなよ。
そんなこと考えてたらさ、どうでもよくなったの、インスタのストーリーとかね。
実感したよ。
しばらくこっちでがんばるからさ、また会いたくなったら会おうよ。
そんなこと思いながら、駆け足で新幹線に乗った。