小学3年生の息子がyoutubeにあるゲーム攻略実況の動画をいろいろと見ているようだ。いや、かなり見ているのかもしれない。ゲームについていつの間にかめちゃくちゃ詳しくなっている。
うちはそこまで自由奔放にゲームができる環境にはしていない。どちらかというと「ゲームは1日1時間」という神の教えを受け継いだルールを定めており「ゲームはやるべきだが他のこともやるべき」というスタンスで生活している。
そんな中で、私がゲームしてると息子が横から「あっ!その先に行くと○○があるよ!」とか、「左の方にいるアイツを倒すと△△がゲットできるよ!」などと教えてくれる。すべてゲーム攻略実況動画で得た知識だ。ほんとめちゃくちゃ詳しい。とても細かく教えてくれるので、よくそんなことまで知ってるなと感心しきり。自分が持っていないゲームやプレイしたことのないゲームのこともかなり知ってる。
「ハッハッハ詳しいなあ 記憶力いいなあ 我が子は天才かな?」ぐらいに思っていたが、次第にその容赦のないアドバイス 言葉を変えるとネタバレラッシュがちょっといろいろとまずいこともある気がしてきたので説明をした。
まさか小学三年生に、相手が望まないネタバレが人体に与える影響について語る日が来るとは思ってもいなかったが、今後の彼の人生をより円滑で円満なものにするために「ゲームは自分で謎を解くのが楽しいから答えが先に分かっちゃうと面白さが半減するし、それを嫌がる人もいる」とか「聞かれたら教えてあげればいいけど、聞きたくない人もいるかもしれないから気をつけること」などと説明し、本人も理解したようだった。
気になるのは、彼が自分でプレイしたことのないゲームに関してまで答えを知ってしまっていることだ。そしてやった気になっている風にも見受けられる。以前、youtubeで見たゲームが面白そうだから欲しいとしぶとくねだられたので、小学生的なノルマを課しその報酬として購入してあげるという取引きをしたところ、彼は努力してそれを達成したのでスライムランチャーというゲームを買ってやった。
しかし見ているとそこまで夢中になっているような感じでもなく、結局、スライムランチャーを一番プレイしているのは私であった。毎晩寝る前に牧場を整備し自動化しデコり、翌朝その成果を息子に報告した。息子はすごく嬉しそうに聞いてくれた。
それはそれでいい。とても幸せなやり取りだと思う。ただ、なんというか得体の知れないモヤモヤがどうしても拭えない。
息子を見ているとなんだか「ゲームは誰かがプレイしているのを見るもの」という価値観がデフォルトになっているように感じる。それが、私が持っている感覚に相反するものなのでどうしても気になる。
私はこれまでの人生、たくさんのゲームを自らプレイし、たくさんの感動を得てきた。それが他人のプレイ動画で代替できるものだとは、到底思えない。そして、それを息子に伝えたい。価値観の押し付けは良くないのは分かっている。私の価値観はとても古臭くカビの生えた根性論なのかもしれない。
でも。
あの感動をダイレクトに味わえないのは、せっかくの人生における重大な機会損失な気がして仕方がない。
どうしたもんか。mn3
いいんじゃねーの。 自分の時はスマブラでみんなが一位以外は交代ってのをやってたけど、その中でも「俺はいいよ、見てるほうが楽しいもん」って言う子がいたし。 でも、その子の家...
そのままでいいと思う。自分で得られる情報には限りがあるから、人から情報を得て有効活用できる人間は社会で活躍できると思うよ。
ゲームをしてない子供がクラスの話題についていけなかった、というのと全く同じように今の小学生はyoutube見てないとクラスの話題についていけないんだよね 老害にならないようにある...
これ、「ゲーム」を「野球」に変えたら何の違和感もなくなるだろ。そういうもんだよ。
ぶん殴ればいいだろ YouTube見たら
ios12にしてスクリーンタイムを設定する。
評論家みたいに見て論評するのはうまいが自分ではやらない人っていうのは世の中に沢山居るしそれが極まって本当に評論家になる人もいるし、これといって問題ないのでは?