はてなキーワード: 権威とは
一部の社会学者グループが学問的に仮説を立てて調査したりフィールドワークをするより、社会運動に理屈をつけて他者に学者の権威を持って、自己の支持する価値観を啓蒙主義や政治的正しさの名の下、押し付けていたり、他人の価値観を糾弾して排除する、活動家まがいの行動をしている問題について全く触れられていないのですが。
政治活動の自由や言論、表現の自由はあるとは言え、やり方が高圧的でかつアンフェアに見えるために反発されているのではないでしょうか?
社会学者が、それを怠って、学問の権威が地に落ちたのだから、その問題は学問全体で取り組まなければいけない。
その前で取り組んでいればよかったけれど、全然学問で取り組まなかったでしょ?
ニセ社会学者を徹底して批判しなかったことが現状の悲劇なので、偽物を駆逐しないといつまで経っても信頼は回復しないよね。
ニセ科学として生きるか、それとも本物の学問に戻るのか、社会学は岐路に立ってるわけで、ぜひ偽物と戦ってほしい。
批判者を黙らせるぐらいの真実を見せない限り、信頼は回復しないよ。
どうするの?
ペストに関しては、14世紀の、当時を生きた人々が使ったと思われる言葉は「黒死病」です。この言葉とは違い、「コロナ禍」という言葉からは"現在の状況はコロナウイルスのパンデミックであり、それを私たちは理解してるんだぞ"というある種の傲慢さを感じます。いい例をありがとうございます
次のご質問ですが、感染症の権威が発する「コロナ禍」からは先述の傲慢さを感じ、私は非常に不快に感じます。またそれに迎合し無神経に同じ言葉を使う一般人は言うまでもありません。引用元は、"「コロナ禍」という言葉をつい使ってしまうということは理解できる"ということを書いたつもりでした。わかりずらく、申し訳ありません
ワクチンを打つといっている人も9割9分はワクチンの安全性を自分で精密に確かめたわけではなく、「ワクチンは安全ですから打ってください」と言っている(「ワクチンは危険です」とは言わない)政府・医学会・マスコミその他の権威的な人々を信用して打つと決めているわけです。
ごく一部の政治家や医者やニュースが「ワクチンなんて要らない、信用できねーよ」みたいなこと言ってても、政府・医学会・マスコミの大半がグルになって無理矢理ワクチン打たせる合理性は無いだろうと判断して、じゃあワクチン打つかってなってるわけ。
内心で男のオタクをバカにしてたって自分たちの趣味が高尚で素晴らしいと思っていたって一向に構わないんだけど。それを権威に認めて貰って、晴れて公然と「どレイシストでセクシストで人間の屑の男のオタクども!」と屈辱したくてしたくて仕方がないのが本当に醜い。独立した立派な自分たちなんていう自己認識と全く違って権威に対する依存が強いんだよ。
BL好きの趣味が世間的にはバカにされたり批判されたりするのが許せない!っていうのをどうにかしたいと思った時に、『真の悪』である男のオタクを人身御供に差し出す事によって、我々は、真の悪に敏感でありそれを批判している!BLは男のオタクどもとは違うって事で浮かび上がりたいと思っているのってどうかしてない?
ペストによる禍いを「ペスト禍」と呼ぶのと同様に、コロナによる禍いを「コロナ禍」と呼ぶことに何の問題があるというのか。
まぁテレビを始めとしたメディアや偉い先生方、発言力のある方々がこのような言葉を使って2020-2021年の特殊な状況を批評するので一般人もこの言葉を利用するのは理解できるし、また語呂もよく使いやすいとは思うのですが、とにかく腹が立ちます。
「コロナ禍」という言葉を用いて物事を批評するには、権威が必要だと主張したいのか? 権威の無い人は物事を批評してはいけないのか?
つまり、現在進行形の、まぁ多くの人が困っている状況について貴方は何様の目線で批評を下しているのですか?と、感じるのです。
https://anond.hatelabo.jp/20210126012231
こっちの歴史の流れをざっと説明しただけでこんなに反響があるとは思わなかった。
後で書くように、そちらとは現代の情勢がいろいろ違うのでレスポンスが遅くなってしまった。
まず、いろいろとツッコミが並んでるけど、そちらの世界線とは前提が違うからこそ西軍が勝ったわけで、そちらの物差しであーだこーだ言われても困る。
それから、ツッコミの中にそちらの世界の悪いところを全部抜いた世界だ、みたいなのもあったけど、こっちはこっちで悪いこともある。
せっかく興味を持ってくれたみたいなので、少しだけ補足しておこうと思う。
ちなみに、歴史修正主義者の悪質な書き込みだというような反応もあったけど、相手にしないでね。彼(?)のいうことも全部が全部間違いというわけではないのだけれども、彼(?)のようにいまだに野蛮な武士を崇拝するカルトがごく少数ながらこちらの世界にもいて、そちらのネトウヨと同じようにネット上でだけいろいろと騒いでるというだけのことなので。
それから、はてな記法は使えないので見づらいかもしれないのは勘弁。
じゃあ少しだけ前の記事に補足して失礼することにしようかな。
・石田三成について
前に書いた通り、そちらとは前提が違うので関ケ原の戦いも徳川家康と石田三成の戦いというわけではなかった。というわけで石田三成はこっちの世界ではそれほど目立った存在じゃない。関ケ原の戦いで勝利に貢献したのは間違いないけど、1607年に出家してからはどうなったかよくわからない。
・天皇について
小早川秀秋や豊臣秀頼が関白になったのだから、当然その時代には天皇はいた。これは間違いない。しかし、その後商業が発展していくにつれて国民代表議会から「なんで我々の収入から税金を彼らに支出しなければならないのか」という不満が高まっていった。天皇は何もしない・生み出さないわけだから。しばらくの間は国民代表の議会と貴族代表の議会との間でせめぎあいが続いたけど、APS設立後しばらくして天皇は退位した。今も天皇の子孫というか、天皇家みたいなものはあるけど、「だから何?」という程度の扱い。
関東平野が何で開拓されてないのか?というツッコミもあったけど、こちらは良くも悪くも商業中心なので、いちいちそんなくだらないことはしない。前にも書いた通りここに至るまでの前提が違うので、自然的な条件も違う。周辺の標高の高い山(名前があるのかは不明)が頻繁に噴火して灰まみれだし、あんなところを開拓する価値なんてこれっぽっちもない。それでも関東に住んでいる・住んでいた人はもちろんいる。こっちはリベラル化していったと話したけど、当初はそっちの世界でいうところの古典的リベラルであって平等主義的リベラルではなかった。というわけで、関東に住んでいる・住んでいた人に対する差別はひどいものだった。そちらの世界ではとあるアルピニストの野蛮人が外国で子猫を射殺した挙句、それをとがめた友人の脚をも撃ちぬいたという痛ましい事件があったらしいけど、こちらでは19世紀半ばころまで、関東平野に猟銃を持って出かけていく人がたくさんいた。何をしていたかは説明するまでもないと思うのでご想像にお任せする。関東地方の人間は「バン」(坂東の別称?)とか「アズマ」(東日本の別称?)とか「エビス」(これはよくわからない)とか言われて蔑まれ、わざわざ関東から連れてこられて顔にこういう差別用語を焼き印されたり、20世紀の後半くらいまで就職すらできないということもあった。今でもお年寄りがこういう言葉を使って顰蹙を買うことがある。
もちろん、他の連合国家にも差別的な構造はある。そっちの世界と同じように研究は進んでいるけど、やはり周縁部の人に対する中心部の人の態度は冷たい。これは増田も心を痛めてる。
・今の社会について
こちらは母系社会で、近代ヨーロッパの父系主義と激しく対立したこともあった。というか今も対立している。ヨーロッパの人に言わせれば、ふしだらだとか家族像が理解できないとかそういうことらしい。ヨーロッパの人はそこまで潔癖なのかというとそれもよくわからないし、言いがかりなんじゃないかと思わなくもない。こちらでは割と早い時期に子どもを作って働く人が多い。大学に行く人はあまりいない。大学まで行かないと就けない仕事はそこまで多くないので。そっちの世界はどうでもいい仕事をするためにわざわざ大学に高いお金を払って行かなきゃいけないっていうのは本当にかわいそうだと思う。しかもそこまでして就職してもつまらない仕事して不味いご飯食べて結婚もできないって本当にかわいそう。しかもそっちは昔のヨーロッパの真似と武家社会の慣例をミックスしてめちゃくちゃな家族制度つくって、父親にも母親にも訳の分からない責任がのしかかってるんだよね、本当にかわいそう。あんまりかわいそうを連呼すると反感をかいそうなのでこのくらいでやめます。こっちはこっちで子どもがたくさんいて大変だし。
こちらは原発がなく、火力発電と風力発電がメイン。原子力はほとんど理論研究で、これを発電やら何かに応用する研究は全然ない。それと関係があるかどうかはよくわからないけど、そちらほど技術は発展していない。スマホもない。いろいろ反応があったのになかなか返答できなかったのはこういう事情がある。しょっちゅう停電するし、ネットはいまだにPCに回線をつながないとできないし、1人1台所有するのはちょっと厳しい。まあスマホみたいな小さい画面でネットして何が楽しいのかよくわからないけど、もう少し発展したらこちらでも同じようなものができるのかな。ネットの速度はADSLと同じくらい。今これを書いているPCは妻の母のもの。起動に3分くらいかかる。メモリは500メガ。時々接続が勝手に切れる。ちなみにこれを書いてるときも2回切れた。うっかり更新ボタンを押してしまって書いたデータも消えてしまった。
そっちの世界の人ってほんとに首都とか中心がどこなのかとか、権威的なものが好きなんだね。ちょっと理解に苦しむけど、今の首都は京都や大阪じゃない。APS設立当初は広島が首都だったけど、そっちでいうところの日本海側の方が便利ということで首都機能は福井にある。これもこっちの人間からすると「だから何?」なんだけどね。何から何まで福井に集まってるわけじゃないし。そっちの首都は昔江戸だった東京ってところなんでしょ。東京って変な地名だよね。笑える。あんなところに1000万人も密集してるとか信じられない。どうやって暮らしてるの?ブタ小屋にでも住んでるの?あ、失礼。あんまりバカにするとまた怒られちゃうね。こっちの前提が違うのと同じようにそっちの前提も違うんだもんね。ネットの接続が切れたりしてイライラしてたみたい、ごめん。
学位論文を先日書き上げたのだが、論文最後にある「参考文献」の欄でケチを付けられた。
その教授いわく、参考文献欄で取り上げた文献は必ず本文で引用しなくてはいけないとのこと。
え?それって俺ルールじゃないの?
だって、この分野の概要を示した文献とか、この論文に引用する必要は無いけど、参考にはなる文献だよね?
そもそも、あなたの話って「参考文献」じゃなくて「引用文献」と書いた場合の話ですよね?
そういうことを聞いたら、「そういうものだからそうすべき」とだけ言われて、日本語論文のピリオド+カンマもそうだが、アカデミックな謎ルールに閉口してる感じ。
いや、別に学位取れればいいから最終的には治すんだけど、論文審査は俺ルールという権威を押し付ける場じゃないと思うわけですよ。
その外的権威は自分だ!だから自分のいうとおりにしろ!という人間が多くてねぇ。さらに、自分を外的権威とすることができて他人を騙して金をせびれるようになればそれで食っていける。
だからこそ、距離をおいて冷静に判断できる本やネットで学ぶべき。かつ、霊魂やスピリチュアルや先祖やあの世に絡めているのはまがい物だと述べてる。
無論マインドフルネス自体の科学的検証も色々されているが、根源的な脳の疲労がオンデマンドで測れない以上、ふわふわとした存在で有り続けるのは仕方ないなとも思う。それでもなんとか関連研究者は頑張ってるが。
脳の疲労を10秒ぐらいでオンデマンドで測れるようになれば、マインドフルネスと、それこそ心理学大きく変わるんじゃないかと思う。
いわく専門外の人の見聞を広めるためにわかりやすい表現にしたーーーー・・・
いやいやまず君が専門外の人じゃん?それ大学も編集も出版社も知ってるよね???
そしてそんな本を無批判に有り難がる自称読書家の意識高い()方々や
呆れて専門家を信じなくなる(酷い場合は反知性主義になる)方々
うーーーん地獄ですわ
日本だけじゃなくて海外の本でもそういう本が売れたりするからもうなんだかねって気持ちになる
もちろんこういった本が完全に無価値ではないけどね?
本というまとまった情報があれば前提の共有が出来るし、正しくない情報や偏った見識が含まれていてもプロの手が入った読み物なので読みやすい
けど本来、権威(アカデミア)をありがたがるのは、研究や試験や論文の評価の作業(数字やまとめに妥当性があるかなど)を省略出来るからなんだよね
売るために専門外の領分に踏み込んで雑なこと(正しくないこと)書いても許されるなら
保育園生の増田さん(6歳)や自宅警備員の増田さん(28歳)が書いても全然かわらなくないっすかね?って言うお気持ち