はてなキーワード: 権威とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yamazaki410623/status/1362701476942913537
これがバズってるが、1つ大きな視点が抜け落ちてる。
一部男子校を除いて、吹奏楽部の部員構成は女子>>男子であり、女子生徒が部長やったり、各パートのリーダーを務めたりしている。
つまり、女性中心の組織は「ヤバい」ということになってしまう。
もちろん顧問や指導者の権威が強すぎるというのもあるが、それを支持し、組織のヤバさを加速させているのは女子部員たち、つまりその場にいる「女性」なのである。
あながち間違っているとは言えないけども、えらい大学のえらい先生が賛同・推進している社会運動だからという箔付けとしてその人が扱われているのなら許容されがたい擁護だろう。能動的に利用していなくても、ただの活動家の一人としてではなくえらい先生が運動もやっていると見られるのも含む。
あまたの先達が作り上げた学者への信頼感を利用し、学者なのだから当然、いま手に入り得るデータなどはできる限り使った上で導き出した結論として正しいものとして運動に参加しているのであろうと思わせている以上、運動では不都合を隠しても学問の場ではそういったことをしていないから許される、とはなるまい。
全然ダメ。一般人が研究者の言葉に耳を傾けるのは研究にもとづく理論的背景があるのだろうと信頼しているからなので。
その説得力の根拠が、博士号であり、大学などの研究機関に所属しているという肩書なのだから。
なので、社会運動をするときは研究者として知られる名前や肩書を使うべきではない。
たとえば香山リカは、本業の名前と一般向け活動の名前を切断しており上野よりいくらか誠実であるものの、それでも絶対に精神科医という権威付けは外さない。それが大衆の耳目を集めるために有効だとわかっているから。
茂木健一郎やツイッターで見かける弁護士など、浅い思いつきで放言しているのを見かけることがよくあるが、それがやりたいのならお願いだから別名で肩書を伏せてくれ。
上野千鶴子を筆頭に、研究者としてはやらないことを研究者の肩書でおこなうことは、アカデミアや博士号の一般人からの信頼を地に落とす行為に他ならない。
日本国憲法前文の全文貼っておくね。
これがウイグル問題について、ネトウヨガーとか言っちゃいけない理由のすべて。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
百回ぐらい読んだけれど、どこにも
日本人にはいくら何を言ったってどうしようもない話で、そんなのに熱心だからって、それはただひたすら世界平和を祈るような話で、何程も現実を変えない
とか冷淡であっていいなんて書いてない。
むしろ熱心に関わるべきだし、積極的に外交手段を用いて助けるべきなのだと書いてるようにしか読めない。
えーとえーと……グイウル!
とか言ってるひと。
ネトウヨに「ウイグル問題はどうなんだ」と言われたときに、すぐに「そんなもの許せるわけがないだろう!」と断言してくれよ。
お願いだから。
こんなあからさまな人権問題について、なんでネトウヨの挑発ってことにしてしまうんだよ。
おかしいだろ。
御苑とかいてギョエンと読むのがなんかまだ受け入れられてないので、間をとってギョ苑と書く
ギョ苑、目的地の近くにあり、暇な時間もあったので、わりとついでというか、なんとなくって感じで行った
まず思ったのが、なんつうか、デカい
由緒ある日本家屋?日本風建築?、だいたい砂利道があるイメージなんだけど、その砂利道がアホみたいに広い
なんだろう 普通の感覚だと、学校のグラウンドのトラックくらいの幅の砂利道だとけっこう広いなと思うんだよ
ギョ苑の砂利道、グラウンドそのものみたいな幅で、長さにしてもグラウンド5個分くらい連なっている レベルが違う
素人目には面白さがわからん、典型的な古い建物ですね、OK!という部分ももちろんあるんだけど、なんかデカくて明らかに荘厳な部分がところどころあった
今日全然人いなくてなかば貸切みたいな状態だったのも効いてるかもしれん
特に良かったのが、なんやっけ、紫宸殿(変換できたから多分コレや)
どういう場所なのか知らんが、建礼門っていうなんか名前聞いたことある有名くさい門から直結で、間取り的にもエエところにあるので、本丸みたいなモンなんだと思う
右近の橘と左近の桜とかいって木が2本植えてあるのがボスっぽくてカッコ良かった
月華門と日華門ってのが左右にあるのもかなりいい RPGの文脈なんだよな
紫宸殿を臨む広場は基本立ち入り禁止で、端っこからちょろっと見してもらえるだけなんだが、だからこそ砂利が綺麗にならされていて、えもいわれぬ迫力があった
ギョ苑、良かったですよ
日本史全然しらず、感受性も弱い俺が行って感動する場所があったということは、マトモな人がいけばもっと感動するだろう
学問というものに幻想を持ってる人は多いと思うけど、実は学問って権威主義なんですよね。むしろ、学問とは権威を守るためにあるものと言ってもいいし、権威を守れなかったら学問が学問でなくなるんですよ。
そもそも学問というのは、もともとは宗教の「信者の疑問に答える」という役割を突き詰めた先にあったもので、絶対的な宇宙の真理を探求するもの「ではない」んですよ。(ただ、みんながそう「である」と信じることに意味があるだけで。)
まあ社会学方面については、だからこそ権威の失墜の危機にもう少し真面目に向き合った方がいいんじゃないの?とは思うけど、例えば政治家を辞めさせたいなら代わりに誰を応援するか考えるのは当たり前のことで、無政府主義が新たな権威に取って代わるわけないよね。
そのとき「学者さんが言ってるから正しいんだ!」式の思考停止は害悪でしか無い
こういった状況を防ぐにはもっともっと学者の権威を無くす必要がある
社会学ってそもそも近代社会の自己言及のための(早い話が自画像を描くための)学問で、特に戦後は近代社会を支えていた文化制度や権威をあの手この手で批判して骨抜きにするために戦ってきた。
おかげでかつてのような圧倒的な支配力を誰も持てなくなったし、社会の風通しは大分良くなった。その点で功績はあるけれど、その武器として採用した社会構築主義があまりにも使い勝手が良すぎたもんで、それに甘えて研究レベルも下がっていったし、それ自体を人を支配するための武器に使いたがる社会学者が増えすぎたと思う。
そもそも、欧米の理論は欧米の近代社会を批判するための、向こうの権力関係や文脈を前提としたものだから、そのまま日本に持ち込めるようなものではない。そこら辺をかなり日本の社会学者は都合よくごまかしていると思うし、学問的誠実さにも疑問を感じている。
データサイエンスやゲーム理論、歴史学と組んでいる領域は構築主義の汚染がそれほどでは無いからまともな研究者が多い。
だから社会学全体が叩かれる必要なんていうのはないけれど、一部の領域の構築主義に依存しすぎる体質はディシプリンレベルから考え直さないともうどうしようもないと思う。
なので反省して自己批判する必要は大いにあるけれど、謝る必要はさすがにないだろ。逆に謝れと言う奴は一体何にどのように謝る必要があるのかを明確に説得力のある形で言わないとそれこそ不誠実なんじゃないか。
正直、社会学叩きって哲学者(というか東浩紀関係者)叩き、パクリデザイン叩きと地続きに見えるんだよね。数理化しづらい学問及び仕事が権威を振りかざして暴れてる光景に人々が「その権威、ホンマに正しい?」と
何度も言ってるけど、「社会学と哲学は真理の探求や再発見を目的とした学問じゃないことが問題」なんですよ。
これが科学なら議論に参加するまでの難しさとか成果を示すことによって「この人達が偉い・大金使って研究してるのは納得できる」んだけど、哲学や社会学で大衆を納得させるのむずいもん
もちろん、社会学でもちゃんと統計に基づいて「これおかしくない?」とか、「こういう問題をちゃんと取り上げて世の中をアップデートしたよ」って言えるような人はいるけど、テレビのコメンテーターとそう変わらんことしか言ってない人については…まぁ…ね
だから個人的には哲学は歴史学や倫理学の一部ぐらいにランクを落としたほうがいいし、社会学も民俗学、経済学、心理学のどっかでいいんじゃないかな?と正直思う。
これを国で例えると、国なら不法行為を取り締まるのは基本警察。一部の法律だけは公取・麻取・労基署・国税庁・消費者庁あってややこしく見える感じ
「ややこしく見える」は控えめな言い方で、これが学問だと「哲学者が倫理学や世界史など周辺の学問を学んでないとしたら、そいつはなんだ?」って話だし、社会学が狭い領域のことに影響を受けてその背景をもっと根深い学問(歴史的な観点、人間心理の観点など)から説明できないとしたらそれもそれで…
お国で言うと特に犯罪が多かったり被害額が多いモノを警察とはまた別の部署を作ろうって話になるのは納得できる。
でも、社会学や哲学ってそれは独立した学問として存在するほど重要性が高かったり、それ専門の仕事を作る必要があるものか?と言われると…っていうのが、世論からみた感じなのでは?
言ったこと全部覚えといても揚げ足取りだとか、逆にこっちが言ったこと覚えてなくて言われても文句言えないからね?そのことをあんまりわかってない人がこの言葉を使うんだ
俺だって重要なことは時間かけて説明したり、何度も言ったりする。
でも聞かないやつは出てくる。
そういう時にはキレないでほっとく。
もう、言ったんだから私は知らん。
考えがあるかも知れんし、やりたくないかもしれない人に説明しても無駄だから
なぜ会話しないか考えなくていい。
私は言った。
もう終わった。
必要性に気づいたらまた聞きに来たらいい。
必要性に気づかないか、とくに困ってなかったから私の話を流したんでしょ。
伝わってるからいいよ
私は変わってるかもしれない。
ただ、世の中に「自分の意見や命令を他人に絶対に聞かせないといけないこと」はすごく少ないんだ。
言わないといけないと考える人は支配欲が強いか優先順位がつけられないんでしょう。
知らんけど
誰も得しないというか「お互いにそう言われないために振る舞うことでコミュニケーションコストが高くなる」と思いました。
相手にやられても文句言えないし、嫌なことまで覚えられるリスクができるし
責任ある立場の人ならまだしも普通の人同士で前にあれを言ったこれを言ったとお互いで覚えていて指摘し合うっていうのはすごく大変だから