はてなキーワード: お荷物とは
個人向けコンピュータメーカーとして成功していたが、いろいろあって創業者が追い出される。
創業者はゲームメーカーのアタリの家庭用コンピュータ部門を買収し、コモドールに牙を向く。
優秀な開発者たちが創業者について行ったため、コモドールは経営が傾く。
しかしamiga社を買収し、このamigaはウゴウゴルーガに使われるなど
クリエイター向けに一定の地位を築くが、Windowsの時代になって倒産。
世界初のゲーム機と名高いPONGを発明し、ビデオゲーム産業を生み出す。
もともとはヒッピー文化の自由な企業だったが、映画会社のワーナーの傘下になりスーツ族の文化に一変。
かの有名なアタリショックを引き起こして会社もボロボロになる。
アーケード部門と家庭用コンピュータに分社化し、後者はコモドールの創業者に売却。
かの有名な映画会社。
アタリを買収して駄目にする。
AOLに買収され、『AOLタイムワーナー』になるが直後にドットコムバブルが弾けてAOLがお荷物に。
タイムワーナーを買収したAOLはたった2年でAOL部門に格下げ。社名がタイムワーナーに戻る。
パソコン通信サービスとして始まった、世界最大のインターネットプロバイダ。
ドットコムバブル絶頂期にタイムワーナーを買収し、世界最大の企業複合体になる。
しかしバブル崩壊で業績が低迷。タイムワーナーの一部門に成り下がり、売却される。
インターネットが世に普及した頃に圧倒的なシェアを持っていたポータルサイト。
Googleに押されて影が薄くなった頃にMicrosoftに買収を持ちかけられるが拒否。
その後も低迷が続き、アリババとYahoo! JAPANの株を管理するだけの会社とYahoo!事業を行う会社に分離。
Yahoo事業を行う会社は米国No1シャアの通信キャリアベライゾンに売却。
なんか、この増田 そもそも女性の言う「男らしさから降りる」って何? とか「男らしさから降りる」ってことについて話題になってるので、弱者男性の当事者から見た「男らしさから降りる」の定義を考えたい。
なお、増田の当事者性を示すと、独身、低収入、氷河期、障害者、交際経験無しなので、十分と言えると考える。
いわゆるレディファースト、重い荷物を持つ、デートの費用を負担するなど、父権主義的、騎士道精神的な行動を行わない。
これは、SNSで「フェミ騎士」とか「チン騎士」と言われるような、フェミニストの主張を擁護し、他の男性を(時に過剰に)批判するような姿勢を含む。
「宇崎ちゃん」や「月曜日のたわわ」といった、フェミニストとオタクの利害が鋭く対立する問題がある。このようなときに、妥当な交換条件や、譲歩を得られないままに、一方的に譲歩しない。
相手が、一方的な譲歩を求め、政治的な力で圧力をかけてきた場合は、弱者なりに反撃する。それは、例えば暇空茜にカンパするといった手段などが考えられる。
ただでさえ、弱者男性の分け前は少ない。だから、私たちから奪うことは許さない。
これは、「男女共同参画」に大きな予算がつき、貧困女性の支援から、エリート女性のクォータ制まで政策課題として推進されるのに対して、男性の自殺問題など「ガラスの地下室」が一向に顧みられない状況も含む。
しかし、そもそも弱者男性は女性と異なり顧みられない存在、どうでもいい存在、社会のゴミ、お荷物なので、助けてくれと言っても無駄だ。だから、社会に対する非協力、拡大自殺と呼ばれるような暴力で無理やりにでも「社会問題」にするしかない。
だから、まず、例えば家族を養うなどの男らしさを放棄することが考えられる。一家の大黒柱が、いきなり仕事をやめるのは、男らしさの否定である。あるいは、別居に伴う婚費の支払い、婚費の負担に耐えかね調停で不利な条件を飲む、その後の養育費の支払い負わされるといった例が珍しくないが、資産の処分や退職、自殺といった焦土作戦は非常に男らしくないだろう。
結婚していない弱者男性の場合は、社会の中でただでさえ少ない分け前しかもらえない中で、責任を負うことなどできない。むしろ、そもそも責任を負わせてくれることもない。だから、非社会的に振舞い、責任を回避し「お荷物」になり続けるしかない。
某SNSを作った方が、エロチキンレースについてぼやいているのを見て思ったけど、金にならないの?
完全に分けてエロい方にエロ広告とかなら金になりそうな気もするけど。
高コストで危険ばかりでかいならオタクってSNSの巨大お荷物じゃん。
以下コピペ
↓
>あと、その、こう沢山のsnsが出てきてえいちな画像だとかを投稿してbanの基準を探るような、チキンレース行為については本気でやめてください。
>決済代行などの方に一晩でサービスがバンされるくらいのリスクがある行為です。下手すりゃ訴訟もんになりかねないくらいの話ですし。そういう人が増えるほどどこも運営の基準線を上げるだけ、です。
>やりきれなくなるんですよ。超高コストなうえにビジネス目線で言うと受け入れる理由などまっったくない部分なんです。受け入れているところにも影響する話だから本気でやめてくださいね…
年収もそこそこあるホワイト大企業で2回休職してしまった30代前半です。ちなみに大手電機メーカーです。
ソフトウェア系の研究開発の部署にいますが、業務では全然ソフトウェアを書いておらず、スキルが全然身につかなかった。
8年間何をしていたんだろうなと思います。合わせると2年近く休んでいて、いまは中堅になってるはずがまだ2、3年目という感じです.周りも任せられることが増えているし、優秀な後輩は増えるし劣等感がひどいです。
世の中にまだないような数年先のテーマ性に取り組めたりもしています。でもそういうのって市場価値には必ずしもつながらないようです。企画段階やプロトタイプレベルの検証がほとんどで、一般的なソフトウェアの業務レベルの品質のことをしていない。企画を練ったり上を通したり検証しているとスピードがでない。大企業だからでしょうか。
検証は大事というけれど、追加工数や予算が維持より大きく得られることはほとんどないから、意味がない気がしてくる。
なにより入社して世の中に何も出せていないから、達成感がひとつもない。成長している実感もない。期待値がそれなりにあった大学院生の頃と比べると人としての価値も落ちていると思っている。30代でスキルもないし、これから成長はしないと思われるだろうな。
成長できないのも自己責任かもしれません。もっと休みの日やサービス残業で、開発すればいいのかもしれないのですが、もうそんな元気はありません。会社だとセキュリティもめんどくさくて開発意欲が削がれます。家に帰るとすぐベッドです。
転職も考えています。スキルがない30代、学歴もたいしたことがない、なにより休職経験があることから全然書類選考も通りません。エージェントが問題なのかなと思ってもどのエージェントを使っても一緒でした。薦められた会社から受けているんですが、自分に見合ってないんでしょうか。そうなると大幅に待遇は下がるんですが。
2回の休職から結婚もできないなと諦めています。モテる方でもないので、マッチングアプリをしても30人に1人くらいしか2回目に会える子がいませんでした。まだ休職経験のカミングアウトもしてないのに。世間的にも年収もあるほうだし、見た目も普通だと思うけど余程人として面白くないのかな。それとも東京の男性のレベルは高いのかな。
最近も、夜に死にたくなったり、朝に体が動かなかったりしています。
みんな周りの人も結婚してきているし、周りには優秀な人が多いので相談できる人はほぼいません。自分も優秀で仕事ができたり、プライベートが充実していたりすればいいのになと思います。
甘えと言われるのでしょうが、弱者にとって生きるのは辛いですね。能力主義というか、資本主義というか、今の世の中の仕組みはそうなってるなと感じます。
休職してるときはどんどん貯金が減っていって、お金がないつらさを知ることができました。社会的に成功している人は信用があればいいとか、諦めずにいまからやってみればいいといいますが、落ちこぼれていると何もやる気がなくなります。信用なんて一部の有能な人しか得られないでしょう。
失敗しても歳を取っても多少やり直しがきく世の中になってほしいです。自己責任論もきついですね。自分が失敗してみてみに沁みました。私がうつ病になったのも自分が弱いせいなとかもしれないと思うと、体が動かなくなります。やり直しも効かないし生きる希望がありません。
こういう無趣味な人って、つまらない人生送ってて虚しくないのかな、何が楽しくて生きてるのかなと傲慢な見下し方してたけど、仕事や日々の日常生活を問題なく粛々と過ごしてるなら生き物としてはその方が超優秀なんだなと最近は思うようになった。
自分は生活する上で趣味にばかり時間やコストを割き、いつも趣味の事で頭がいっぱいで仕事もミスばかりのグズで、プライベートでもすぐに趣味に逃げようとするため自堕落的な生活を送ってる。
人間として生物として前者の無趣味人間より遥かに劣ってるのに、何で以前の自分は無趣味の人達をバカにできたんだろうかと思う。
もちろん世の中には仕事も日々の生活も全て完璧で、その上で趣味を楽しみまくって人生を謳歌してる人もいるだろう。逆にこれといった趣味もなく仕事もろくにできず生活もだらしない人もいるかもしれない。
とにかく言えるのは世の中においては趣味を楽しめる人より仕事や生活で社会をスムーズに循環させる人の方が正義だ。
結局のところ何が言いたいのかというと、他人に迷惑をかけず社会のお荷物となっていないのであれば趣味なんて無くたっていい。
30代。子供ができた。
当然、仕事や勉強に費やせる時間は以前より減らざるを得ない。若手と比べて体力も仕事に費やせる時間も圧倒的に足りないわけだ。
一方、仕事では当然若手より大きな成果と大きな責任を期待される年齢だ。これから出世して行くか、そうでないかの分かれ道にもなる年齢だ。
そこで成果が出せないとどうなるか。上からは詰められ下からは蔑まれ。窓際まっしぐら。
毎日保育園に行きたくないと泣く子供を置いて仕事に行くが、子供に誇れるような成果や仕事をしているわけではない。はっきり言って会社ではお荷物社員だ。
親から電話が来る。母が倒れて入院したらしい。今後は介護も必要になるかもしれない。そうしたら仕事はどうなる。もう失敗を挽回できる機会はやってこない。
それでも金のために仕事を辞めることはできない。
自分が納得できるような仕事に出会えれば良いのだろうが、30年も生きてきてそれができていないのだから、劇的に何か変わるわけではないんだろう。
20代の時死に物狂いで働いていれば、こんなことにはならなかったんだろうか。
みんな自分の親や社会制度に育てられたんだろ? 逆に育てる側としても責務を果たさないと不平等じゃないのかね。
子育てしないんだったら別の方面で社会にアウトプットしないとお荷物ですよ。後世に残る研究業績を残すとか、たくさんの雇用を生む企業をつくるとか、普通人の何倍も納税するとか。
いい年して子供作らず、自分の食い扶持だけ稼いで満足してる奴は社会にとっては居候。人権はないといっていい。
子供をつくるかはたしかに個人の自由で、政府・行政が指図するものではないが、そこに自分の主張をしていいのは充分な社会貢献をしている奴だけだぞ。
末代までの恥という言葉があるが、子供のないやつはその「末代」そのものだ。
ちなみに俺は年収4000万あるが、税金・社会保険で2000万もっていかれるうえ、子供4人いるので生活はカツカツです。でも満足。子供大好き。
こんにちは、ニートです。躁鬱と自閉症を患っています。まともに働けないというか、もう会社の方が「頼むから来ないでくれ!」という感じなので、働いていません。工場で言えば不良品・不合格品です。工場ならそのまま処分されておしまいです。しかしありがたいことに、この世には障害年金という制度がありまして、このお陰で自由に使えるお金を確保できています。両親からも衣食住を施されており、生き長らえさせてもらっています。
経済的には社会のお荷物以外の何物でもありません。真面目に働いてきたはずの両親の負担にもなっています。生きててすみません。しかし、生まれてきてしまったからにはそう簡単には死ねないわけで、どうにか死なないで済む理由を考えています。例えば、人間の価値はお金だけで決まるものではない、みたいなことはどこかの宗教家やリベラルな人たちが言っていそうです。ですが、そんなことを言ったって、僕のような人間を目の当たりにしたり、このような文章を読んだりすれば、「こんな奴に税金使う意味あるの?」という気持ちが湧いてくる人も少なくないでしょう。僕もそう思ってしまいます。ですので、もっと直接的でわかりやすい、自分が生きている価値のようなものがあると生きやすいなあと思います。
そんなものが果たしてニートにあるのかというと怪しいところですが、心当たりがないわけではありません。それは僕の彼女のことです。いえ別に俺は彼女いるから幸せだぜ細かいことは気にならんぜリア充だぜということではないです。だいたい僕は薬でちんぽが勃たず、勃っても中折れしまくり、ついでに三次元にあまり性的な興味を覚えないので、セックスで射精したことがありません。今の彼女以外に付き合ったこともないので実質童貞です。リア充どころではありません。いえそういう話ではなく、もうちょっと内面的な話になります。
彼女は鬱病などを患っています。付き合い始めた当初、彼女は希死念慮が強く、酷く落ち込んでしまうことが何度もありました。本当に死んでしまうのではないかと思いました。しかし、辛抱強く話を聞いて、一緒に悩む内に、少しずつ生きる元気が湧いてきたらしいです。まだすっかり元気になったわけではなく、ちょっと前にも死にたいと言って駅のホームに向かっておりました。そういう時は僕もいっしょに駅に向かい、苦しみを共有しようとします。僕は躁鬱なので、鬱の人の気持ちがいくらかわかるというのもあるかもしれません。躁鬱でよかった〜。こういうことを繰り返す内に、彼女は徐々に前向きに生きられるようになってきたようです。どんな人であれ、一人の人間の自殺を止めるというのは、それなりに価値があることなのではないかと思います。
他にもあります。例えば、仕事とは何のためにするのでしょうか。ドラッカーによると、会社とはお金儲けのためだけではなく、顧客にサービスを提供するためにあるものらしいです。とすると、その会社で働く人もやはり、お金のためだけでなく、お客さんに何らかのサービスを提供するために働いていることになります。ではそもそも顧客にサービスを提供して何がしたいのでしょうか。たぶんですけど、それはお客さんを幸せにするためでしょう。人は人を幸せにするために働いているんです。そうだったらかっこいいなあと思います。僕は働けないですけど。
しかし、人を幸せにするというのは、何も会社だけができるものではないはずです。もちろん、会社という組織を作り、大勢で力を合わせる方が、個人が行うしょぼい善行などよりも、遥かに力強く、よりたくさんの人に届く価値創造ができるでしょう。また、経済とは個人の欲望を全体の利益へと変換する強力なエンジンであり、お金という代えがたい報酬を提供することができる会社は、より大きな社会貢献ができるでしょう。会社と平凡な個人とではできることの規模が違いすぎます。だから普通の人は、働いた方がより多くの人を幸せにできると思います。残念ながら僕は普通未満の人間なので、まともに働くことはできませんし、というか「お前と一緒に働くとか金をもらってもやりたくない」とか言われる始末なので、働くことによって人を幸せにすることは難しいです。しかし、もしこういう文章を読んで、ああ働いている俺はこんなアホよりは価値あるわ働いてる俺エライ、と自己肯定感を高めてくれれば、間接的に社会の役に立っていると言えるかもしれません。また、インターネットの多様性をわずかに広めることができるかもしれません。もしかしたら誰かがおもしろかったとか、アホだなこいつwとか、何らかの感想を持ってくれるかもしれません。それはお金にはなりませんが、しょうもないながらも何らかの価値を生む行為であることは確かでしょう。
あとは僕はネットで人を集めてフリーゲームを作ったりもしました。サクッと遊べるゲームで、ありがたいことにいくらかバズったりもしました。この活動はそこまで組織だってはいませんでしたし、お互いに手弁当で作ったゲームなので、会社のような強い価値創造ができたとは思いませんが、燻っている個人に活躍の場を作ったり、誰もが自由に遊べるものを作ることで、インターネットを少し豊かにすることができたのではないかと思います。
働く目的が人を幸せにするための価値創造なのだとしたら、規模の大小はさておき、僕も多少はそれをできているかもしれません。働いていないなりに社会貢献ができていたらいいなと思います。
と偉そうなことを言っていますが、僕はそんなしょぼい活動などよりも真っ先にやらねばならないことがあります。それは両親を幸せにすることです。家族の形はいろいろでしょうが、少なくとも僕は両親にかなりお世話になりましたし、今もお世話になっていますので、恩返しはせねばなりません。世話になっている両親すら幸せにできないで何が価値創造だという話です。
で僕に何ができるかというと、それはやはり自立することだろうと思います。それも経済的自立です。いえ現実問題としてそれはかなり難しいわけですけれども、僕のような奴でも何とか働けるところは全くないとは言い切れません。今は就労移行支援施設に通いながら、とりあえず障害者雇用でバイトできるところがないか探しているところです。よいところが見つかったら嬉しいです。もしあなたの職場に僕が来てしまったら、大変申し訳ないのですが、とてもお世話になってしまうかと思われます。今のうちに謝っておきます。すみません。
僕は人間の歩留まり率のようなものを考えることがあります。何%かはわかりませんが、経済的価値を生み出すことが難しい人間は出てきてしまいます。工場なら不良品はポイして終わりですが、人間をポイすることはあまりよくないことだと思います。少なくとも寝目覚めのよいことではないでしょう。僕もその何%かに入っている人間なので、できればポイされるのではなく、何とか意味のある人生を送れるようにできたらいいなと思っています。
僕と似たような境遇にある人たちは、自分は生きる意味があるのかとか考えることがあるかもしれません。社会のお情けで申し訳ない顔をしながら日陰で生きてろと言われたら、そうするしかないかもしれません。僕も現実社会ではそうしています。でもまあこんな匿名のインターネットでくらいは、人を傷つけない限りは好きに振る舞ってもバチは当たらないだろうと思いますし、あと僕はインターネットがわりと好きなので、インターネットが自分にとって居心地のよい場所になってくれたら嬉しいです。