はてなキーワード: 間抜けとは
>(長いですが、目を通していただければ嬉しく思います。)
なんでお前の、稚拙で、間抜けで、不快で、的外れで、無意味で、不快で、傲慢で、不快で、冗長で、他人に独善を押し付けるだけの不快な文章に目を通さなきゃいけないの?
それがとにかくなによりも一番むかつく。
なんでお前はこんな駄文を、糞文を、ダメ文を書いていて情けなくならないの?死にたくならないの?なんでお前は死んでないの?なんで死なないの?なんで生きてるの?なんで頸動脈を切らないの?なんで首を吊らないの?なんで崖から身を投げないの?なんで線路に飛び込まないの?なんでお前の糞のような思想をこっちは押し付けられなきゃならないの?なんでお前は他人に糞のような思想を押し付けるの?
ブログで書こうと思ったが、HageX氏の事件についても触れるので増田にする。
それとこんな長い文章を書くのは初めてなので、だいぶとっ散らかってると思う。まずはそれをご容赦願いたい。
この事件に関する言及で最初に読んだのが青二才氏のブログだった。
イジリはやる相手を見極めな~、みたいな論調で、最初の三行だけ読めばいい内容だと思った。
どうでもいいが、青二才氏のちょいちょい入る自分褒めってすごいな、って思う。悪い意味で。
それで「あーイジリは良くないよね」って思ってたんだが、青二才氏を諫めるブロガー界隈がえらい反発してた。
あざなわ氏のが一番過激だった印象。
HageX氏が「いじったのが悪い」って有責性を求めるような青二才氏の論調に大いに引っかかった模様。
それももちろんあるのだが、自分は「イジリが招く尻馬に乗っかるイナゴたちが悪い=イジリよくない」みたいな印象だった。
イナゴが乗っかってくるからイジリ止めましょうね、っていうのもおかしな話だが
乗っかってくるイナゴのもたらす憎しみの連鎖効果を真っ先に連想したので、そこまでは意識が及ばなかった。
誰がやったことであれ、というか知名度が上がれば上がるほどイナゴは寄ってきて、ただ炎上を渡り歩くだけの燃えイナゴも多数いるので、それらに見つからないためにイジリを控えたほうがいい、みたいな一般論だったのかな、と。
イジッてたから襲撃されてもしょうがない、というのは青二才氏の飛躍で。
オマエも弄ってんじゃねーか、と反論されたらぐうの音も出ないんだから雑だし脇が甘すぎるよな、とは感じた。
ただここまでで思ったのは、
どうも青二才氏含むブロガー界隈の人と、ごく最近ブログ始めただけの自分との間に意識の差がデカいんじゃないか? という疑問。
どの辺が理由だろうか、と考えてみたんだけど
短文投稿サイト隆盛以前と以後で、ネッツに対する意識が分かれてるんじゃないかと。
青二才氏と言えども長文で自分の考えをまとめて発信する能力はある(論旨が時々トンチンカンでも)。
いっぽうで、短文投稿サイト → ブログになった自分の経験からすると
長文でものを書く習慣が絶望的に薄いので、論旨が雑になるのがザラ。
ここまで読んでいただいてもだいぶ明らかだと思う。自分としてはある程度整理した上なのだが・・・
その辺ははてなブロガーの人たちも納得してくれるんじゃないだろうか?
新参って青二才氏のレベルにも達してない青二才以下の雑な認識の人びとが多いって。
(こういうことを書いて青二才氏の目に留まったらまた増長しそうなんでアレだが、自分も含めてじっさいそう思う)
青二才氏がアレでもまだギリギリ相手してもらえているのは「バカなりに話が通じる」という最低線はクリアーしているからで、短文投稿サイトからブログに移ってきた人はその最低線にすら達してないから、青二才以下でも放置されてる、というところがあるんじゃないかな…と。
青二才氏はそれでも話が通じるから諫めるけど、それ以後、短文投稿サイトから移ってきたようなのはあまりに雑過ぎるので相手にする気が起きない、みたいな。
青二才氏を馬鹿にしつつも、「それより下」のブログもけっこう観測範囲に上がってきてませんか?
それらが増えたの、短文投稿サイトのピークアウトと重なってる、みたいなところありませんか?
青二才氏以上に雑にHageX氏の有責性を責める論調のブログがうじゃうじゃ湧いてきたのを見てそう思った。
はてなブロガーが期待してるような民度はもはやネットにはない。
とりあえず乗っかりやすい論調、マウント取りやすい論調に乗っかって強い言葉を吐くだけの蟲たちの寄り集まって作る蟲毒。
「いじり」というのは皮相な見方しかできない、そうした短文投稿サイト(ツイッターでもはてブでも)で練り上げられた雑でシンプルかつ間抜けな人々にとっては絶好の好物だった。
HageX氏も、ブロガーも、訴えたい、伝えたい内容はどうでもよくてただ炎上の熱が欲しいだけの蟲たちがもはやネットではマジョリティ、ということを痛切に感じていなかったのではないか。
そういう雑すぎる人たちがブログを主戦場とするあまり、視界に入ってなかったんではないか、と。
青二才氏ですらも。
もはやそういう基本すらも崩壊しているのが、短文投稿サイトが席巻した後の、今のネッツ空間なのではないかしら、と狭い観測範囲ながら思う。
最後に。
個人的な経験では、はてブよりツイッター・FBの方がクソみたいな罵詈雑言飛んでくる確率高かった。はてなを基準だと思っていると、世の中をよりマシな方向に誤解するかもしれない(少なくとも自分はそうだった)。
どうでもいいことを買く、
日本人はやばいと思う。生きる力を失って、どんどん弱っていっている。
戦後、自らを悪役と教え込まれ、信じ込み、自分たちを否定する文化を持ち続けていた日本人。島国故に外敵を身近に持たなかったためか、国民はぼんやりと平和ボケしている。日本にミサイルが、核弾頭が、飛んでこないとどこかで思っている。でも、いつ飛んできてもおかしくない状況が
、、実はうっと続いている。国は絶対の存在ではない。なくなるときにはなくなるのだ。
日本人はどんどん間抜けになっている。500年技この国は残っているのだろうか。日本文化は正しく継承されているのだろうか。
http://blog.lalamiamor.net/entry/2018/06/13/115748
上を読んで、なんだか暗い気持ちになったというか、途中で苦しくてやめてしまった。
こういう問題はあらゆる病気、障害に起こって、例えば私は歯が異常に柔いらしくひどい虫歯に年中なるんだけども(前の虫歯が次の虫歯を引き起こして治療が間に合わない)そんな軽い問題すら、それによって起こる金銭的な問題を誰かが保証してくれるわけでないし、それをもってして私を怠惰な人間と判断する人がいるという障害を生み出す。すくなくともこんな状態で誰かといちゃいちゃするつもりもないので恋人はできないし、口臭を気にする人とは話すことも許されない。私のポケットにはミントタブレットと口臭予防薬が常備されている。すべての歯をセラミックに直すとしても、そのお金をどこから捻出するのか。私は私の口臭を気にしないような、ぶっとんだ人たちと仕事をするしかなく、今はそれを受け入れて何とかしのいでいるけれど、それに耐えられる精神力を持たなかったときは、本当に儲からないような仕事しかできなかった。実は、この口臭というのは、うまくごまかす方法があって、それはタバコを吸うということだった。タバコの強いにおいに紛れれば私の口臭は誰も気にしないという算段で、これが実際あたったわけだが、こんな話はどうでもよい。
つまりは、障害に対する解決策はあるのだという話で、これが語ってしまえばごまかしだとしても、運用上は確かにうまくいったりするのである。で、それを実現するのに、ひとりで何とかなればよいが、そうでないときは、他人の助けを得なければならない。この助けというのは全力でなくてよい。
たとえば私の場合、口臭を気にしないという態度でいてくれればいいのだ。実のところにおいの問題は例えばインド人のヘアオイル臭にもつながってくる問題で、相手の臭いを気にしないというだけで海外の文化理解にもつながる行為である。あるいは体質的にげっぷが出やすくなっているだとか、そういう人にも助けになる。それくらいでいいのだ。もちろんどうしても気になるのならそれでいい。そうであれば、嫌な顔をしない、というのでもいいのだ。それもむつかしければ、そういう人にネガティブな感情を抱かないというのでもいい。それも無理であるのなら、ただ近寄らないでほしい。
よきサマリア人のたとえはよくできていて、教えの内容としてもわかりやすいし、みんながうっすら幸せになる。簡単に言えば、あなたは救える範囲で救えばよいのだということで、その範囲は自身で決めてよいのだ。しかしこれは、ある人にとっては厳しい教えになるかもしれない。逆に言ってしまえば自分でできる範囲を認めなければならないからだ。それは弱さや責任を認めるということである。
例えばカップルが路上で痴話げんかを起こしていて、それが暴力につながりそうな場合、あなたはどうするべきか、力の強いであろう方を殴って倒す?警察に通報する?それとも見なかったことにする?いずれもあなたの置かれている状況においてできる範囲であれば問題ない。しかし、その結果は誰もしらない。その結果殺人罪で起訴れることになろうと、カップルのどちらかが死のうと、あなたはできる限りのことをしたのだ。それ自身を何人たりとも責めるべきではない。
より言ってしまえば、善きサマリア人により善くなるよう求めるというのは、みんなが大好きな言葉で言えば呪いである。
口臭の話にもどって申し訳ないが、口臭に関する知識を得たとしても、本人の口臭は改善しないし、ある人の臭いに対しての嫌悪感は薄れない。それはわたしが納豆をどんなものか理解しても苦手なのと同じだ。口臭が出る人間がいるのであれば、当然口臭が嫌いな人間もいるのである。それは認めなければならない。もっとも必要なのは口の工事をするためのお金で、お金を与える非営利団体があったり、そこに寄付する人があればよいのだ。多くの人は、なんとなくな気持ちで100円を寄付すればそれでうまく回るはずである。でもそれはむつかしい。世の中にはなんとなくで100円寄付するほど余裕のある人間は少ないからだ。しかし、それすらしょうがないことなのだ。
口臭の例えがピンとこないのであればホモオダホモオ問題だってそうだ。ああいう、ゲイの記号化は問題だといっても、実際そういうゲイがいたときに、それはホモオダホモオ的ゲイの否定につながる。あれについては、単純にああいうゲイでない人もいるのに、そういうステレオタイプを適用されるのが不快であるという表明で十分だったのである。つまり必要なのは、ホモオダホモオ的ゲイ以外のゲイについて知るガイダンスだった。いや、その考えすら疑う余地はあって、もっと単純に私はそういうゲイではないという表明かもしれないし、私はホモオダホモオ的見た目であるがゲイではないという表明かもしれない。いやいや、それすら疑う余地があって、もっともっと簡単に「なんかちがう」という言葉だけですんだのかもしれない。私たちは常に傲慢の気がある。いやいやいや、その傲慢の気という考えも、より善きサマリア人を求める姿勢なのかもしれない。いやはや、これはずいぶん苦しい考えで、善きサマリア人のたとえにもどれば、実際はここまで悩んで発話する必要はないのだと思う。すでに私たちは苦しいのだから。
とにかくできる範囲でいいのだ。一神教の話を持ち出してなんだが、捨てる神あれば拾う神ありだ。私たちは結果にコミットしなくてよい。神である必要はない。できれば拾う人でありたいという気持ちで十分なのだ。だってそれで機能する社会というシステムがあるのだから。
私たちは社会には所属しているが、私自身が社会ではない。その社会だって枠組みでしかない。
私たちは、個人で人を助け、それが無理ならば、社会というシステムに乗っかって人を助け、それが無理ならば、なんだろう、もっと大きな仕組みに従って助ければよい。それが善意であるし、その姿勢が大事なのだと思う。むしろ問題なのは、善きサマリア人に対してもっともっとと求めてしまう気持ちだったりする。その気持ちはわかる。わかるのだが、できるのであれば、その気持ちはしまっておくほうが、きっと苦しみは少ない。
だから私たちは、望むべき助けがある場合に、他人を責めるのでなく。助けるっていいね!と提案すべきなのだ。しかし、この文章も押しつけがましく。その実行は本当にむつかしいこととしか言いようがない。
ちなみに重くなってしまうかもと思って表明しなかったが、私は発達障害でバイセクシャルでパニック障害もちで何より口が臭い。プライドが高く臆病で死ぬこともできない間抜けで、今もゴミだらけの部屋の隅っこで体育座りをしてキーボードを打っている。それでも、誰かに助けてもらったり、親切にしてもらうことがあるから、こんな安い、なんの助けにならない文章を書いているのだと思う。これが私の醜くつたない処世術なのだ。
てめえはド間抜けだろうが
DMMから退会した。1020円分のポイントがあったので1002円でアダルトグッズをふたつ買って、今日商品が届いたから早速退会した。8円分のポイントは気にしないことにする。
アダルトグッズ、まあ、つまりオナホールを買った。こいつをどのように料理しようかと思って、アダルトサイトを物色することにした。エロいイラストを見ておちんちんをこってりソース和えにしたかったのだ。ローションは粉で準備していた。風呂を二回ローションで埋められる量の粉だ。後は手を動かせばとんでもない快楽の報酬が与えられる。私はさながら数ある罠をくぐり抜けて聖杯を前にしたインディ・ジョーンズだった。そして正確に描写すると、誘惑にことごとく引っかかった間抜けな大学生だった。
エロいイラストを見る前に、私はSafariを有効にしなければならなかった。「インターネットなんて馬鹿馬鹿しい記事しかないごみ溜めだから、見る必要はない」と30分前にiPhoneからWebブラウザを一掃していたのだ。まずは道を整備しなければならなかった。もちろん、私と魅惑の肌色を結ぶ道だ。設定項目からSafariを検索すると、2件のヒットがあった。
よく考えずに私はどちらも有効にした。どちらかが正しいのだから、どちらも実行すればいいのだ。
期待通り、Safariが戻ってきた。だが、Safariを開くと見慣れないブックマークが展開された。
などなど。なんだろうと考える間もなく気づいた。
それは3年前にバックアップを取ったブックマークだった。多くのサイトをブックマークしていた私は、今日のようにインターネットの世界が急に嫌になってWebブラウザを非表示にしていたのだ。その決意は3日も持たなかったが、ブラウザを消す前に不安になってブックマークをiCloudへ保存していた。完全に忘れていたが、特徴的なフォルダの名付けを見て思い出した。
69番野手がエロいやつだった。シックスナインという体位がとっても淫靡な行為だと思っていたので、69。なんで野手を付けたのかは分からない。別に野球にはまっていたわけでもないから、謎のネーミングだ。もしかすると、野手ではなくて69番の手と読むのかもしれない。そうそう、シックスナインというものを互いにオーラルセックスし合う体位としか知らなかった私は、そのとき手をどこに置くのか興味があった。足、腰、お尻、どこだろう。どこであれ、寝ながらシックスナインするのなら片方の手もしくは片方の人は相手の体の下に手を回さなければいけないと考えていた。現在はもう少しシックスナインに対する知識を深められている。まあ、そんなことはどうでもいいだろう。
69番野手を開いて、当時見ていたサイトにアクセスした。昔のまんまだ。運営への報告、好きな作品について、雑談しよう!、なに食べた? ああ懐かしい。まずは雑談板で「へいよー。古巣のみんな、元気―?」そう書き込もうとして、おかしなことに気づいた。何も変わっていない。それどころか私の書き込んだ跡さえ相変わらず残っている。んん? なんだこれ。
おかしいと思って、運営報告板を見た。2014年10月で運営からの報告が途切れている。ああ、ここは終わっていたんだと思った。もう運営が去って投稿者もいなくて知らない間にゴーストタウンと化していた。なんだか心に隙間風が通った気がして、ハッピーにエロいイラストを見ることができなくなった。仕方がないからダウナー系を探し、丁度よい雰囲気のイラストを見つけたので当初の目的を果たすことにした。
あ、うっ、おおー。くるぅ。
みたいな感じで私は達した。実を言うと我慢できなくてイラストを探している最中からオナホールへローションを垂らしておちんちんへ装着済みだった。ゆったり動かしているうちにローションが乾いてきたので唾を足していた。どのくらいの量か興味ある人がいるかもしれないが、自分のカウパー氏腺液の量はプライベートな情報だから教えられない。
ここで私のオナホ―ルの基準を書いておこう。よいオナホールは絶対におちんちんに屈しない。よいローションがその役割を果たす。むしろよいオナホールはおちんちんを通して私たちに確かな存在を示す。おちんちんはオナホールに包囲され、隔離され、もはや抵抗の余地なしと知ると白旗を挙げて降伏する。というようなことを現実で言うとドン引きされるからここで書いている。
まあ別に何があったわけでもない。くだらないことが昔あって、今もくだらないことをやっているということ。
はあ……僕はスレを閉じた。
いつからだろう。
レッテルを貼って勝利宣言をし、マウントを取ったと勘違いして藁人形に釘を打ち付けてはゲラゲラと笑い合うだけの能無ししか居なくなった。
残念だ。
私が愛していた頃のネットは無くなった。
考えてみれば当たり前だ。
今やネットをやるのに必要なのはスマホショップでスマホを買うことだけ。
カプラで繋いでいた時代や、検索エンジンではなく相互リンクで世界が構成されていたあの頃にはもう戻らないのだろう。
アンダーグラウンドゆえのモラルの低さは合ったが、ネットにつなぐという行為に要求される最低限度の知性によりIQが60を下回るレベルの人間が紛れ込む可能性を警戒する必要はなかった。
今のネットには狂人ではなく純粋に思考力がないだけの支離滅裂な日本語を足りない脳みそで必死に繋げるのに精一杯で発言に一貫性をもたせることなど微塵も出来ていない連中がどこにでも紛れ込んでいる。
恐ろしいのは、そういった間抜けと一緒になってアホ踊りをすることを楽しむことがネットの正しい使い方だと勘違いした輩の多さである。