はてなキーワード: 車輪とは
もと南海の電車からホームに降り立つと、千頭駅にはたくさんの親子連れがいた。
妻と、4歳の娘と、1歳の息子と、チケットがとれてから、楽しみにしていたトーマスに会える日だ。
子供だけではなく、大人が見ても、このトーマスはテレビから飛び出した等身大のヒーローだ。大きさだけのハリボテではない。ホンモノなのだ。
トーマスの種車はC11-227。かつてはテレビドラマや映画で大活躍。裸の大将(雁之助の再放送)をよく追いかけていたのを覚えている。
正面にはトーマスの顔をつけ、ライトブルーに化粧をして、動輪までしっかりカラーリング。
大ベテランが子供の前で大活躍する姿をみて、Eテレの幼児番組、みいつけた!のワンワンと中のチョーさんを思い出してしまった。
千頭駅では機回りをした後で転車台で方向転換。ちゃんと顔を新金谷方面に向けるためだ。周りには子供も大人も集まっている。
転車台にのって、係員が人力で回すと、トーマスも汽笛を鳴らしてアピールする。
ぐるぐるっと向きをかえ、止まるかと思ったら、あれあれ、まさかのファイブフォーティ。魅せます、トーマス。一回転半まわって転換完了。
駅構内はイベント会場に整備され、パーシー、ヒロに、方向転換を終えたトーマスが並ぶと、地方私鉄の構内とは思えない華やかさになった。
トーマスの汽笛に合わせて、他の列車も汽笛を鳴らす。効果音ではない。本物だ。
新金谷駅の売店で買ったお弁当をベンチで広げ、子供たちの声を聞きながらお昼ご飯を食べる。ホームに入る風は山岳ローカル駅の風だ。
ただ、駅全体に子供の声があふれている。混んではいるが、人道的な混み方だ。ちょっと並べば、トーマスの前で写真も撮れる。
トーマスは発車直前まで写真撮影に応じている。煙突からは煙が出ている。発車が近くなると、黒い煙が増えてきた。
小型タンク機関車とはいえ、1,600mmの動輪径は子供の身長の倍。ホンモノのトーマスは、車輪の大きさも圧倒的だ。
みんなが並んでいるその前を再びゆっくり走り出し、再び客車に連結。
鉄道界の老老介護、最後尾の補機、電気機関車E10-2に感謝の黙礼をする。
そして、7輌の客車なかほどのスハフに乗り込む。
青いモケットのボックスシートに、トーマスのシートカバー。そして、所々にJNRマーク。
娘は、窓が開く、扇風機があると大喜び。昔はみんなこれだったと喉まで出かかったが、トーマス号とは関係の無いこと。
千頭駅から新金谷駅まで1時間強。途中の鉄橋や通過駅ではみんなに手を振ってもらえる。
特急となっているが途中の駅に止まらないだけで、各駅停車の電車と所要時間はほぼ一緒、のんびり走るのだ。
だから、手を振ってくれる人の顔がよく見える。子供はもちろん、大人も年寄りも、みんな笑顔だ。
白レンズを構えたおじさんもお兄さんも、客車が通過するころにはシャッターチャンスはすぎたとみえ、ニコニコしながら手を振る。
本命はこの後のC56-44かもしれないけど。
大井川にかかる鉄橋は見晴らしも良く、遠くから手を振る人もみえる。
吊り橋の上から手を振ってくれる人もいる。
茶畑のおばさんも手を休めて両手を振っている。
新金谷駅に着くと、車両基地の機関庫に入っていくトーマスがみえた。
子供と近くまで歩いてみると、もと近鉄電車や他の蒸気機関車とならんで、トーマスがみえた。
肌着、おむつ、哺乳瓶(母乳育児でも買いましょう、ケイツーシロップを飲ませます)
その他もろもろ
その時必須のものとは別に、ゆりかごを購入することを検討してください。
なんとなくではないかもしれません、理由はあるかもしれません。
でも往々にしてその理由はわからず、抱っこしてあやすことになるでしょう。
別に泣かせておいてもいいのです。
泣かせておく育児もあります。自分はむしろちょっとくらい泣かせておく方がいいと思ってます。
でも家事をするとき、食事をするとき、赤ちゃんが泣いていると気が散ってしまいます。
そんな時にゆりかごがあるといいのです。
昨今はカタカナで呼ばれています。ベビーラック、ハイローチェア、バウンサー。
ハイローチェアは高さ調節ができて椅子にもなるベビーラックです。
けっこう高さがあって、水平に揺らすことができます。
お昼寝はできるので、ベビーベッドより優先度が高いと思います。
高さ調節はできず床に近い位置ですが、代わりにコンパクトです。
また、ハイローチェアと違い子供の動きでもゆるやかに動きます。
どちらを選ぶかは好みです。
電動のハイローチェアもあります。2人以上赤ちゃんがいるのなら別ですが、揺らすのは大変ではないので手動でいいと思います。
それ以外でも泣き止まないことがありますが、揺らせすぎないようにしてください。
商品にも揺らすのは何分以内にしてくださいと記載があると思います。
諦めて泣かせておくことも検討してください。
チーターっていう言葉がある。動物じゃなくて、オンラインゲームなどでツールを使っている人を指す言葉のほう。
最初この言葉を見たとき、動物の音で認識していたような気がする。セーターと同じアクセント。新語だって分からなかったから当然なんだけど。
でも、しばらくしてからチーターって表記が新しい意味を現す言語であることに気が付いた。なるほど、「チート」が擬人化(でいいのかしらん)して「チーター」になってるのねって感じ。
どういうふうかっていうと、「チー」と「ター」双方にアクセントを置いた発音。童貞と似たようなアクセントになると思う。
当時はそれほど意識していなかったのだけれど、つい今しがた、ふと二つの言葉を誤認しないよう無意識のうちに音を変えていたのかもしれないなあって思った。
人間ってすごいな。日本語って面倒くさいもんなって、ちょっとばかり感心していたのだけれど、まてよ、例外もあるじゃないって結構すぐに思い直した。
「きりん」である。アフリカのサバンナに生息している野生動物、十二国記にも登場した想像上の生き物。この二つはどちらも平坦な音を用いて認識していた。車輪みたいなアクセントで。
夜間と薬缶は違う。マウス(動物)とマウス(機械)は同じだった。像と象も同じ。あとはあんまり思い浮かばなかった。疲れちゃった。あとで同音異義語のサイトでも見てみよう。
人は同音異義語を特別音を変えて覚えているようにはなっていないのかもしれない。いや、案外と認識の上では音を変えて覚えているのかもしれない。
日本語の同音異義語は多様な気がするから、ちょっと調べてみると面白いのかもしれない。面倒だから多分しないけど。
チーターという言葉は、どうして認識の中で音を変化させたのか。
動物と人っていう違いがあったせいなのかもしれない。あるいは「ドラマー」っていう音と似ているからなのかもしれない。チーターはチートを擬人化しているからそう認識したのかも。
あとあと根本的な疑問になるけれど、他の人は「チーター」を「チーター」という音で本当に認識しているのかしらん。
チーターもチーターもセーターみたいに発音してもおかしくはないはずだし。
日々新出する言語の音ってどうやって共有されていくんだろう。テキストだけじゃなかなか更新されないのがむつかしいところだと思った。
人と会話しなければだめね。
たったいま、痴漢に遭った。
近所の女友達とこの時間まで2人で飲んでて、お互い徒歩で家に帰れる距離だから、飲み終わって「おやすみ〜」といつものように解散。
家まであと3分位の距離。歩いてたのはトラックも車もひっきりなしに走る大通り。飛び出したら死ぬなっていうくらい、猛スピードでみんな走ってる。
この時間だから人はほとんど歩いてなくて、油断してた私がいけなかった。
後ろからきた自転車を避けようと、歩道の端にそれた瞬間、ブレーキ音とともに「ガシッ!」とお尻を鷲掴みにされた。男の指が尻の割れ目に食い込んだ感覚がした。気持ち悪かった。
痴漢に遭った人の体験談で「怖くて声も出なかった」というけど私はとっさに声が出た。なぜか「Fu*k you!!!!!!!」と道路中に響き渡るバカでかい声で叫んだ。
自転車痴漢野郎はシャーーーッと車輪音をたてて立ちこぎで逃げ去って追いかけるのは無理だったけど、曲がった角めがけて走った。
角に着いても自転車痴漢野郎の姿はとっくに見えなかった。どんだけこぐの速いんだよ。つーか、逃げ去るくらい弱気から痴漢なんかするんじゃねえよ。次あったらまじでこ●す。玉という玉を握りつぶす。
五臓六腑が煮えくり返りそうな怒りがわいてきたんだけど、冷静になったらいきなり虚しくなった。
これだけ怒っても逃げたやつの顔も分からなければ、痴漢された証拠すらない。
大声で叫んでやったと思ったけど、聞こえた人は誰もいない。
これから先の人生、痴漢に遭った事実を知っているのは世界で私と、クソ自転車痴漢野郎の2人だけ。
悔しい。悔しくてたまらない。行き場のない怒りと虚しさと物悲しさで体が震える。いまでも震えてる。なんであんなやつのために私の貴重な細胞が震えなければならないのだ。
じゃあどうすれば良いのか。
警察に電話する?不審者情報として流してもらう?たしかにパトロールはしてくれるかもしれないし、自転車痴漢野郎がその情報を見ていたとしたら危機感じて他の人にはしなくなるかもしれない。
でも、通報したところで「そんな時間に女1人で歩いてたあなたが悪いです」と言われるのは目に見えてる。そりゃあ悪いよ。でも露出度は極めて低い、身体のラインなんて一切わかりそうもない服装だった。それでも痴漢に遭ったあなたが悪いですと言われるのかもしれない。
気弱なクソ自転車痴漢野郎。逃げたお前は恥そのものだが、結果としてそれはお前の勝ちだった。無意味に叫ぶこと意外、なにもできずにこうして匿名ダイアリーに書き捨てるしかない私の負け。
清く正しく真面目に生きていたところで、卑しくも逃げて生き延びて得する人がいる。
明日からの私の人生には、夜中に自転車痴漢に遭ったという汚点だけが人知れず残る。
一方でお前は「姉ちゃんのケツ触れてうまく逃げられたぜラッキー」とか大したことない幸運を感じて明日からの人生送るんだな。
学生 「はい。救世主です。弾丸よりも速い無敵の車輪ペインキラーです。」
面接官「・・・で、そのペインキラーは当社において働くうえで何のメリットがあるとお考えですか?」
面接官「いや、当社にはメタルを理解してくるような輩はいません。それに普通のカラオケで耳に危害を加えるのは犯罪ですよね。」
面接官「ふざけないでください。それにセンチネルって何ですか。だいたい・・・」
学生 「誰もが恐れる男です。死の番人とも書きます。名盤背徳の掟に入ってまして、これは・・・」
面接官「聞いてません。帰って下さい。」
学生 「あれあれ?怒らせていいんですか?歌いますよ。ペインキラー。」
童貞問題の本質はやはりこれしかない。いまだに男に対して、男らしさが求められていること。
だから私は常々言っているのだけれど、世の中の男達は男らしさを思い切って捨ててみればいいのだ。
男女平等を目指す社会が始まって70年が経過しているのに、現在も男らしさの価値観は消えていない。
女性を抑圧する考え方と、男性に過度の責任が負わされる考え方は、車輪の両輪のような関係だからだ。
恋愛や結婚において、男は女をリードしなければならない。結婚指輪を贈るのも男から女に対して。
告白やプロポーズも男から女にすることが求められる。逆に女から男にアプローチすることは、はしたないとみなされる。
もっと言えば、男には女以上の経済力や甲斐性が求められる。これが男性差別だと批判される社会にならないと、男女平等は不可能だ。
「女らしく」「女のくせに」と言う言葉がセクハラになるように、男に男らしさを求めること自体もセクハラになるのだ。
2007年の男女雇用機会均等法改正において、女性から男性に対するセクハラも禁止されている。
童貞いじりしている奴らは、価値観が10年は遅れていると批判されても文句は言えない。
はあちゅうの童貞いじり問題が意外と深刻だった理由もここにある。
はあちゅうの経歴を調べてみたが、慶応大学卒業後に電通に就職している。そして今はオピニオンリーダーの一人として活躍しているらしい。
そもそも男女平等の社会を目指す最前線の一人としてあるべきはあちゅうが、男社会の価値観に染まって童貞いじりをしていた。
これは思った以上に深刻ではないだろうか。
本題に戻ろう。
「なぜ男が女をリードしなければならないのか。なぜ男が女を養わなければいけないのか。」
この記事が人気になっている。
京大ナンバーワン教官が教える「勉強することのホントの意味」 これがミライの授業だ
http://news.livedoor.com/article/detail/13971240/
いろいろ異論があるのだけど、その中でも些細かもしれないがけっこう「ちがうだろ!」と強く思ったところ、ここ。
「昔、中国の田舎に、数学がすごくできる中学生がいました。ある数学の研究者がその子の才能を見抜いて、『君は都会の学校に行って、数学の勉強をするべきだ』とアドバイスしました。しかし、その子の親は『うちで農業を手伝わせます』と進学を止めたのです。
何年かして研究者がその子に再会すると、彼はこう言いました。『先生、僕はすごい発見をしました。この公式を使うと、あらゆる2次方程式が解けるんです』。彼が見せたのは、皆さんが中3で必ず習う『解の公式』でした」
生徒たちがどっと笑う。「ゼロから車輪を再発明する」ようなことは、時間の無駄でしかない。すでに解明されている真理や、かつての人々が見出した知見、発明された技術は、できるだけ効率的に学ぶことが、新しいものを生み出すためには必要なのだ。
実はこの「解の方式の再発見」、自分も中学生の時にやっている。学校の授業がさっぱりわからず、「けど、xに当てはまる数を出せばいいんだろ。絶対もっと楽な方法あるはずだから」と授業も聞かずに真剣に考えてたら、何か手応えのあるのが出てきた。何回使ってみても正解が出る。「オレって天才」と思って数日の間は得意の絶頂にいたんだけど、気がついたらそれって解の公式だったってオチ。
でも、おかげで二次方程式が何なのかが理解できたんだから、自分にとっては無意味とか時間のムダだとか、そんな訳は絶対にない。教師の説明じゃわからなかったところを自分で導き出したのは、とことん貴重な経験だったと思ってる。
解の公式なんてのはしょせんは道具だ。道具としてみたときには、再発明するよりは既にそこにあるものを使ったほうが賢いだろう。再発明はバカのやることだ。
けれど、重要なのは道具が必要なことに気づき、その道具を作り出すことができる能力だ。そういう立場からは、道具そのものに意味を見出すのはバカげている。
ここで笑った高校生たちは、そういうことを教えられずに育ってきたんだろうと思う。車輪は何度でも再発明していい。電話だって再発明できたんだから。
「なんにも悪いことしてないのに」って言い切れる時点でギルティ。男として生まれただけで生物学的に加害性があるって気づいてくれ頼むから。「なにもしない」はマイナスなんだよ。
女性専用の街があったら夜の9時でも買い物に行ける。深夜早朝勤務もできる。なにより、ボーッとしながら散歩ができる。
気を引き締めなくていいんだ、後ろ気にしなくていいんだよ、足音、自転車の車輪の音、バイクの音に振り返らなくていいんだよ。幸せすぎて涙出るね…
女性専用とか男性単独入場禁止の文字を見たときの女性、どう感じるんだと思う?「安心する」んだよ。
泣けてくるだろ。女性は無意識にいつも男性を恐れて安心できてないんだよ。この世界のどこが女尊男卑なんだ
なんで“レイプ犯”だけ嫌いにならないで、男全般嫌いになるかわかる?見分けがつかないからだよ
男性でジェンダーや差別についてまともなこと言ってる人たまに見るけどすげーなーと思う。この国で男に生まれて人間的にまともに育つのって難しいよね。