はてなキーワード: 見えざる手とは
あほじゃね?
補償をしない+財政均衡主義こそ橋下徹たちが訴えてた新自由主義でしょうが。
結局市場の見えざる手は常に万能じゃないんだよ。政府が対処しないとならない場面はある。
これからはどこが政府がやるべきでどこが民間(=大企業)に委ねたほうが良いかを考えていくべきもの。
今は民間大企業に委ねる側が強くなりすぎたから揺り戻しがあるだろう。
無論現状を見て手のひらクルーは良いが、いささかすぎるとは思う。ましてや自分が手のひらクルーしたにも関わらず他人に元凶押し付けるとか最悪の人間だと思うわ。
まあ、アイツラは風見鶏にすぎないし、アイツラが新自由主義になったのも市政の意見が政府が何もしないのが理想的だという誤った考えに陥ってただけかもしれんがな。
「浮き沈みの激しい人生です」
当時、某名門私立中でノビノビ楽しく過ごしていた俺は「適当言いやがって」と内心鼻で笑っていた。
地元の公立中に転校するも、充実した日々がぶち壊されたショックは全く癒えず、ストレスでアトピーが大爆発し不登校になった。
ていうか体を動かすと全身のアトピー部位が割れて激痛&リンパ液ドバドバになるから家の中を動き回ることすらできなかった。
引きこもったまま7年経った。
死ぬほど苦労した末に高認取得→首都圏の私立医大に合格し、社会復帰に成功した。
ありがたいことに、大学入学に合わせるかのようにあれだけ酷かったアトピーは嘘のように治まっていった。
で、今までのブランクなどものともせずに全く問題ない楽しい医大ライフを送っていたが、5年生の秋に父親が経営する会社が潰れた。
年500万は超える学費等々をこれまで通り払えるわけもなく、色々悩んだ末に中退することになった。
またしても突然、宙ぶらりんになった俺。
まもなく両親は離婚し、母親と一緒に住むことになった。お嬢様育ちで23で結婚した母親だから、生きるためのガチ労働なんてできない。
スーパーでフルタイムのパートするのがせいぜいでまあとにかく一気に貧乏になった。
母親の月収は20万円にも届かないレベルだったので、甘ったれの俺も働くしか道はない。
で、とりあえず宅建取って不動産屋に就職したんだけど、仕事はキツイわいじめられるわで胃に穴が開いて3年で辞めた。
自分としては「3年も耐えた」って内心で言い換えてる。あの仕事は死ぬほどきつかった。
再び物理的に身動きが取れなくなったので、不動産屋時代の貯金を食い潰しながら1年間の引きこもり生活に突入した。
どんどん老けていく母親を見ながら床に臥せているだけの自分という図式で死ぬほど絶望的な気分になったことをよく覚えている。
まさに浮き沈みの激しい人生。ドン引きするほど当たってるじゃないか。
そして貯金が尽きた。
それと合わせてアトピーもほぼ引いていった。
「ああ、また『浮き』のフェイズに突入したんだな……就職活動しないと」
このころになると、もはや神の見えざる手を信じるようになった。とにかく俺がなにがなんでも浮き沈みするよう人生をデザインする神の手。
俺はタクシー運転手になった。
どんな過去も問題視されず、なんの積み上げも重視されない特殊な稼業で、しかも手っ取り早く金が稼げる仕事と聞いたからだ。
住み込み寮もあったので内定貰ったら迷わずそこに行くことに決めた。
同僚のおっちゃん連中はとにかく親切だし、所長を始めとする管理者も良い人ばかり。
技術面でもかなり適性が高かったのか、入社3カ月目にして売上ランク最上位の常連になった。
月収は手取り30万円は下らなかった。母親に充分な仕送りができた。
なにより、なんのストレスも不安もなくサラリーマンくらいお金を稼げている状況が幸せだった。
1回の乗務で平均10万円売り上げるようになった。全ドライバーのなかでブッチギリのトップ。
「もう一生この仕事でいいや。なんの不満もない」
騒動最初期に感染した人(屋形船のあれ)が個人タクシーの運転手だったこともあり、街の人がタクシー乗らなくなって売上激減。
ご存じのようにコロナ騒動はどんどんヤバくなったので、先月末には俺の平均売上はついに5万5千円にまで落ち込んだ。
ほぼ半減。
「また浮き沈みの『沈み』がきたな」
そう思ったらもうとにかく腹立たしくて仕方なかった。
「なにが浮き沈みだぶち殺すぞ」。
生まれて初めて『浮き』に執着するようになった。もうこうなったら意地だった。
ここが人生の正念場かもしれないと俺は思い、コロナだろうがなんだろうが売上を改善するために頭フル回転で戦略を練った。
で、今月。
死ぬほど苦労して、本当に死ぬほど頭使って1乗務平均7万円まで売上を改善した。最盛期と比較して7割程度の戻しでしかないけど、これでも会社でブッチギリのトップ。
ようやく甘ったれメンタルを克服し、泣き言言わずにとにかく食っていく労働者に脱皮できたのかもしれないと、
相変わらずのクソな状況なのにもかかわらず妙な達成感と安堵を抱くようになった。
傲慢な言い方だけど「コロナ、恐れるに足らず」くらいに思ってる。
いや、思ってた。1時間前までは。
いや神はやっぱりいるわ。
神が決めた『沈み』の局面を俺ごときそこらへんの人間が変えるなんておこがましいとお怒りになられてるとしか思えない。
もしも、俺が明日から今まで以上に、もうこれ以上無理だってくらい歯食いしばって死に物狂いで働いたら、
今度こそ神の怒りの鉄槌が下るんじゃないかと怖くなった。
東京の武漢化?それとも第三次世界大戦?あるいは俺がコロナ陽性になって死亡?
俺は沈みを受け入れるべきか、こんななかでも浮きを目指すべきか、
自己中心的な世界系キチガイとしか思われないだろうけど真剣に悩んでる。
追記:
今思い出した。
俺、12月に生まれて初めて株買ったんだ。10万円分。もちろん、「20%儲かったら売って温泉旅行しよう」という下心ありありで。
歩合給の仕事をしてる。
この仕事を始めてから稼ぎはずっと毎月40万円前後で推移しているが、神の見えざる手が働いてこうなってると思っている。
毎月俺が掲げている目標月収は50万円以上だ。
なのにもかかわらず一度も達成できていない。40万円までいったところで毎月アクシデントに見舞われる。
インフル、台風で自宅が浸水、もらい事故、インフル、謎の高熱、熱中症…マジで毎月下旬にこういうアクシデントに見舞われて月末まで全休を余儀なくされてきた。
今月はここまで凄まじい売上をあげている。今月こそはどう考えても月収50万円いくと確信していた。まだ2月半分過ぎたとこなのにもう月収35万円は確定している。
と、思った矢先に今日のコロナウイルス速報。俺の地元県で同年代男性の感染が確認された。
基本形
○○ってうんこするの?
しないよ派 ─┬─ 肛門ないよ派
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├─ 肛門あるよ派
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│ │
│ │ │
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│ └─ 肛門から出るウンコは○○のウンコではないよ派(過激派)
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├─ 肛門ではない穴があるよ派
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│ ├─ そこから出るものはウンコとは呼ばない派(穏健的ファンタジー派?)
│ │
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├─ ○○はビューティーを紡いだり、奏でたりするよ(ビューティー派=美派、語呂悪、絶滅?)
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└─ ○○はファイナルビューティー醸し出すよ(美派中道左派)
するよ派 ─┬─ 人並みにするよ派
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├─ 他の人より大量にするよ派
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├─ ファンタジーと呼ばれるものをする派(急進的ファンタジー派) → 急速展開中、危険思想集団?
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├─ ○神がその見えざる手により何処へと運び去るんだよ派(穏健的しないよ派?)
│
└─ ウンコをした10^-36秒後に虚数時間の量子宇宙に転移するから「実質的には」しないこととおんなじ派
出典:http://mem2ch.web.fc2.com/archive/maruheso/codic/suruyo.html
じじいどもは懐かしがっとけ
ポスト自由主義は、自己と他者の自由を尊重する社会的公正を指向する思想体系のことをいう。性的な分野での自由を主張する近代自由主義(モダン・リベラリズム)とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人の自由で独立した選択を実質的に保障し、極度の恋愛的、性的は貧富差における個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためには、政府による制限や介入をなくしたりするのではなく、政府や地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。
「公正」とは、ジョン・ロールズによれば「立場入れ替え可能性の確保」を意味する。これは人々に「社会のどこに生まれても自分は耐えられるか」という反実仮想を迫るものであり、機会平等と最小不幸を主張する。ロールズの格差原理では、格差ないし不平等の存在は、それをもたらす関係につく機会が平等に開かれており、かつ、それによって社会で最も不遇な人々の厚生が図られない限り、その存在は公正ではないものとされている。
よって、ポスト自由主義は積極的自由に基づく自己決定を推奨し、国家による性の再配分または地域社会による相互扶助を肯定する。すなわち、市場原理主義では経済的、容姿的、コミュニケーション的強者が利益を最大化する一連の行為のために、少子化問題や構造的貧困や介護問題などさまざまな弊害・社会問題が生じ、それは近代自由主義の「意図に反して」人々の社会的自由をかえって阻害しているとし、近代自由主義を修正する思想である。
階級間の融和不可能な対立や中央集権的な統制を是認しない一方で、近代自由主義者のように自由競争が市場における「神の見えざる手」のように最大多数の最大幸福を自動的に実現するとは信じず、政府によって、各人の社会的自己実現をさまたげ、市場や社会における相互の欲求の最適化や調整のメカニズムを阻害する過度の集中や不公正などの要因を除去することが、まさしく「自由」の観点から言っても必要だと考える。
なかでも○○は「自由放任の論拠とされてきた形而上学は、これを一掃しようではないか。持てる者に永久の権利を授ける契約など一つもない。利己心がつねに社会全体の利益になるように働くというのは本当ではない。各自別々に自分の目的を促進するために行動している個々人は、たいてい自分自身の目的すら達成しえない状態にある」と述べ、アダム・スミスに由来する「見えざる手」に信頼する自由放任論からの脱却を求めるとともに、具体的には不完全婚姻均衡からの脱却のための人口政策が、政府によって実現されることを求めた。
学校で進化論をはじめて学んだとき、死ぬのが怖くなりませんでしたか?私は考え始めると止まらなくなました。そして今もその恐怖から逃げられずにいます。
進化論によれば、我々の感覚は進化のメカニズムによって調整されてきたといいます。我々に痛覚があるのは痛覚がないよりも生存に有利だったからだし、セックスが気持ちいいのはそうでない場合より生殖に有利だったからです。他のあらゆる感覚も、神の見えざる手によって、利己的な遺伝子に都合がよい塩梅に調整されています。
ですが命が消えていくその瞬間の感覚はどうでしょう?死にゆく個体がなにを感じていようと遺伝子の戦略には興味のない話。関係式は成り立たず、解は不定です。つまり、死は人間にとってとんでもない苦痛を伴うものである可能性がある。
私たちを安心させる話として、死の淵から帰還した人たちが語る臨死体験があります。死に際に脳はありったけの脳内麻薬を放出するから、人はみな幸福に包まれて死んでいく、恐れる必要はないのだと。
けれど、私の友人であった薬物常習者が語ったところによると、強烈なドラッグほどその切れ際にくる反動はキツいものなのだそうです。涅槃に登るほどの多幸感からのジェットコースターの苦しみ。それはいかほどのものだったでしょう。
脳内麻薬の効果が切れ、人の魂が肉体から離れようとするその瞬間、肉を少しずつ剥がれるような肉体の苦痛と、家族をいちどに失うような精神の苦痛を、永遠のものとして感じ続けるとしたら。有史以来、この世に生まれ落ちた生命がみな、煉獄の火に焼かれ続けて死んでいったのだとしたら。その全ての苦しみを背負える魔法少女など存在しないのです。
きっと運動と野菜と瞑想だけが私を救うのでしょう。でもそれはただの気分で
誰か私を安心させてくれませんか。