はてなキーワード: 荒木飛呂彦とは
エヴァと仮面ライダーを痛烈に批判していた荒木飛呂彦なんだが、その荒木が大嫌いな庵野が次やるのが仮面ライダーという。このなにか偶然とは思えない感じ。
全く私事なんだけど個人的に荒木作品って絵の芸術性は認めても、話自体はそれほど面白いって思ったことがない。基本的にマッチョイズムで、ヒーローがピンチに陥ったら常に冷静でなければならないという謎美学がある(まあ逃げる主人公も中にはいるけど)。だから無慈悲な敵を見つけた場合、他作品では許せないこいつ、という態度になるのに対して、荒木作品ではかなり突き放した態度で敵に望む「こいつ……! 人を実験台と考えてもなんとも思わないやつだッ! 感情を押し殺しているとか、そういうタイプじゃあない。生まれつき「そういう」やつなんだ。出かける前の朝食みたいに人を殺せるやつだッ!」みたいな長考が入る。その数秒で作戦練っちゃったり。
逆に庵野の場合苦しいを通り越して鬱になっちゃって、目標に向かってスイッチオンするだけの人が登場する。どっちが人間心理に近くて共感しやすいかといえば、圧倒的に庵野。ジョジョなんて窮地に陥ったときに計算機のように頭脳がフル回転するだけで稀有な存在ですよ。あんなの。共感できるわけがない。まあ実体験として窮地になるとそうならざるを得ないんだけど。ただ心情としては庵野のほうが理解しやすい。荒木いわく戦いはカラッとしてなきゃならないらしいけど、戦う時点で楽しいわけ無いでしょと俺は思う。だから戦うのがつれーなあ、という仮面ライダーは哀愁と共感性があるわけで。
モヨコに運動させられるポッコリお腹の監督くんだったわけだけど、
失礼ながら、監督くんが若返って、モヨコが老けて見えたんだけど、
やはりみやむーに告ってふられたショックから立ち直らせてくれたのがモヨコであって、
未見だが、そのモヨコへの感謝の気持を劇場アニメにしたかったということなのではないだろうか
KKOの自分だって幸せな結婚して、今日はキミへの感謝の気持を映像にして映画館も貸し切りしたんだ(キラーン
みたいに言ってみたい気もしたけど、自分はペドフィリアだから無理なのだった
なんか成人女性に性的興味を完全に抱かないペドフィリアは人類の5%らしいのだけど、
多くは成人女性に性的対象として見られない、興味を持たれない、とかがあって、
成人女性の代替として未成年とか初潮前の女性に性的興味の対象としての方向性が変わるというものらしいのだけど、
中学生のときに公民館の図書館で沢渡朔の「少女アリス」を観たのが最初なのかなあ
今の御時世では写ってはいけないものも写ってたわけだけど、自分の中学時代はネットもない時代だったから、
なんというかショックではあったんだよなあ
ペドフィリアだってカミングアウトしたら、近寄るな、氏ね、うちには子供もいるし関わりたくない、怖い、
みたいに言われたり殴られたりするんだろうけど、
それってゲイがカミングアウトしたら、同性の男性に引かれたり、俺には興味持つなよ、みたいに言われたり、
逆にそれが切っ掛けで殴られたり蹴られたりするようになるのと同じなんではないか、
と思ったりもするのだけど、ゲイやレズビアンは結婚とか成就するけど、ペドフィリアやネクロフィリアは成就しないからなあ
シュタゲの比屋定みたいな人に告ったこともあったけど、振られてしまったしなあ
俺もみやむーからその反動で正反対のモヨコに走った庵野氏を見習って、
自分のモヨコ氏を探すべきなんだろうか
でも、そんな人いないし、いたとしてもバレたら○されかねないだろうなあ
まあでも、岡田斗司夫は自分の娘のおむつを替えていて勃起したようなことを語ってたけど、
自分の場合、それは絶対ないと思う、そこだけは自信があるんだよなあ
自分の血を受け継いでいると考えるだけで、仮に性的なものを感じても一瞬で冷めてしまうというか
親戚同士で結婚する人もいるけど、どうなんだろうなあ
正直言えば、子供の頃、小学生の低学年の頃ぐらいか、性的対象として好き?な親戚の女性はいたんだよなあ
リアル姉とかリアル妹がいると、ファンタジーしか知らん奴に小一時間問い詰めたいぐらいなんだよなあ
そういえばウスターソースも切らしていたのだった
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バルバル来たぜ、はぉーこぉだてえぇーー♪ ... の笛の踊り:04/10/02 15:30:53 ID:qpOvbhH7: >>1は恐らく荒木飛呂彦のバオー来訪者を読んだことがあると思うんだが
読み終わるのに半月くらいかかった…。母子家庭育ちとして徐倫に感情移入してしまったせいか自分は5部よりも面白いと思った。私だったらアナスイみたいな強くて超イケメンで一途な男に言い寄られたら死ぬほど嬉しい。徐倫うらやましい。しかもあの承太郎が父親で自分のことを愛してくれてるんだぜ。それにしても6部の承太郎があまりに弱すぎて悲しかった。。。でもプッチ神父が憎いかというとそうでもない。彼も運命に翻弄された一人にすぎないと思う。ところであの神父もちょっとエロいっていうか色気ハンパない。記憶を取り戻す前のウェザーも色気があるし、荒木飛呂彦漫画のイケメンはみんな色っぽい。
今のところ4部〜6部しか読んでないけどナンバーワンは4部だな。次は1〜3部を読んで次に7〜8部を読みたい。でも完結してない8部を読んだらイライラしそう。
可哀そうに あなたはなぜ そんなにもひもじく飢えているの?
何かと思えば…妾がひもじい?飢えている?
「ええ あなたは飢えている」
いくら食べてもいくら手に入れてもいくら上りつめても満たされない
可哀そうに 哀れだわ 本当は何が欲しかったの? 何を恐れているの?
足りていると感じることさえできたなら 別の未来もあったでしょうに
(中略)
鬼は何者にもなれるが何者でもない
飢えが怖い 退化が怖ろしい
長く生きてさえたまにわからなくなる
殺し続けていた
私の中で 私の命を
三百四二万四千八百六十七 一匹以外は 全員殺して殺し尽くしてきた
もう私はここにいる
もう私はどこにもにいるし どこにでもいれる
だからここにいる
私にはね インテグラ
ひどく哀れな 哀れな弱々しく泣き伏せる童に見える」
「おまえはおれだ!!」
「お ま え は お れ だ !!」
「おれもこの通りの有様だった 俺もこの通りの様だったんだ!!」
「カッ カハ… カハッ… カハ…ッ カハハ…ッ カハッ」
「鬼が泣くなよ 童に追われたか」
鬼が泣くな 泣きたくないから鬼になったのだろう
人は泣いて涙が枯れて果てるから
鬼になり化け物に成り果て 成って果てるのだ
ならば笑え 傲岸に不遜に笑え いつもの様に
哀れなお前はいつまで生きねばならぬ?
なに 直ぐだ 宿敵よ いずれ地獄で
きっと吸血鬼になれば素晴らしいのだろう
だが私はそれはできない それだけはけっして
不死は素晴らしい 能力は眩しい
失 せ ろ !!
俺の心も魂も命も 俺だけのものだ
何と素晴らしい それはきっと素晴らしいのだろう
きっとそれは歓喜に違いない
だが冗談じゃない 真 っ 平 御 免 だ ね
私は私だ
私は私だ
私は私だ!!
うらやましいね
眩しい 美しい
だからこそお前は私の敵だ 敵に値する
遂に私は宿敵を見つけたぞ
私の戦争の
そして我々はそのための準備を営々とはじめた
50年かけて
私は永遠が何かを知っている
「これきりなのね…………」
「いや そうじゃない」
「この瞬間は永遠なんだ」
やろうと思えば刑務所くらい俺も出られる。
ただ俺は今たいした不自由を感じちゃいないんでね。外出する必要もない
さ、戻ろうや所長。バカバカしい…
なんて不自由な男だい
あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて 戦いを挑んでくるなあ!
巨大な敵に立ち向かうノミ…これは『勇気』と呼べるだろうかねェ
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!
タイトルと引用だけで9割が伝わる人もいるだろうから、これ以後はもはや蛇足である
冒頭で引用した、鬼の女王レグラヴァリマのとの会話が印象的だった
餓鬼は、三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つ。餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる
鑊身:私利私欲で動物を殺し、少しも悔いなかった者がなる。眼と口がなく、身体は人間の二倍ほども大きい。手足が非常に細く、常に火の中で焼かれている。
誰が地獄を作るか、それはまさに仏教的な意味での「縁起」や「十二因縁」である
人は足るを知らなければならない
人を知る者は智、自ら知る者は明なり
人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し
足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り
その所を失わざる者は久し
死して而も亡びざる者は寿し
――老子
逆説的というか、皮肉にもというか
「欲しい」と思い込んでいるものを求め、望み、手に入れれば入れるほどそこから遠くなっていく
詳しい解説は松本俊彦の著書でも引用すれば良いが、そうなのである
そも、依存を引き起こすのは何か、何を求めてそれだけの執着になるか
冒頭で引用したセリフにあるように、「何を求めているのか」が掏り替わっているのだ
掏り替わり続け、世界と擦れ違い続けた結果、その主体者の主観的世界は地獄に生まれ変わる
潔癖症の人間が、自らの認識作用を総動員してその主観的世界を汚物で席巻するように
それは、人間というシステムが原理的に持ち得てしまうある種のエラーである
その救いとして、この世界では「自分の意思」というものを一つの解答とすることが多い
恐怖や不安を直視し、良いものも悪い物も等しく自分の中に置き、「曇りなき眼」で見続ける
倒すことはできない、消すこともできない、「ただそこに在るだけ」をそのままにしておくこと
ACTは従来型のCBTと異なり、クライアントに自分自身の思考や感情、感覚、記憶など私的出来事のよりよいコントロール方法を教えるということはしない。むしろ、ACTでクライアントに教示されるのは、「ただ気づいていること」、受容すること、私的出来事を思ったままにすることである。特に、自らにとって望ましくない事柄についてそうすることが求められる。
最後に、くり返しになってしまうがまとめておこう。他者はいつでも私にとっては「理解できぬ不気味な存在」でありえる。その不気味さが同じチームのなかで突然浮かび上がることがあるし、理解という手法でそれを解決することはできない。むしろ、その「理解できなさ」こそが、一種の救いなのだ。他人の心に踏み込んでいったり、他人と自分を同じ存在だと思ってしまったりすると、正常な距離は失われることになってしまう。
だから、互いに「理解できない不気味な他者」として関わり、そしてそれゆえに「共にいる」こと。わたしたちはそうした関係に満足しているべきだし、そうした関係にこそ価値がある。
――ティッシュ専用ゴミ箱2 「女児向けアニメで描かれる「他者の理解できなさ」について。あるいは、女児向けアニメは家族の問題とどのように向き合ってきたか。-『プリティーリズム』『プリパラ』を一例にして」
黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか?
森を侵した人間が、我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ!人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い、かわいい我が娘だ!お前にサンを救えるか!?
分からぬ……だが共に生きることはできる!
フハハハ!どうやって生きるのだ?サンと共に人間と戦うと言うのか?
違う!それでは憎しみを増やすだけだ!
ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものにしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。ゲドはそのような人間になったのだった。
ほうほうと興味深く観ている夫の隣で、
とか
「名前を付けるとやべーってのは諸星大二郎の妖怪ハンターであったなー」
となるわけですが、
(※だからといって虚構推理が陳腐な作品とは全く思いません、どう料理するかが作家の腕の見せ所なので。今の所とても気に入ってるアニメです)
こういうネタ、前にもあったなーと思いだす事が多くなるのは当然ですが、
その強度が上がる三大作家となると、
・手塚治虫
・星新一
藤子不二雄もメジャーなアニメしか見てないからホント印象だけども
上記3者がSF寄りなので日本の伝承部門だと諸星大二郎先生が来るね
でも、アイディアはインスパイアされてる側だし(映画ネタ多い所とか)、ちょっと違う
クトゥルフ系はどうなんだろうなーという感じ
元ネタその物だしなぁ
履修していて損はないジャンルではある
山田風太郎先生はこれまた1人1能力物バトルの元祖系ではないかと思いますが、
誰もついてこれてないので…
能を極めるとその時代の人になりきるから能はタイムマシン装置になる!!とか誰が付いていけるか
でも、甲賀忍法帖でいきなり能力反射、能力無効化、不死身、変身が出てくるあたりやっぱ天才だよね
みんな山田風太郎を読もう
未来までスキップできる(DVDとかストリーミング再生で10秒先まで飛ばす機能相当) スキップ中は発動時に接触していない限りお互いに干渉出来ない
記憶が飛ぶのは他の人物は未来予知も無く飛ばされた時間を経験していないから
メタ的にはジョジョでちょこちょこ出てくるテーマ(5部ではアバッキオと警察の話とか) 大事なのは過程かそれとも結果かという話を反映した能力で
ボスは結果主義者なので過程を飛ばして結果に辿り着くという能力を持ち
荒木飛呂彦は過程を重視する立場のようなので、ボスは過程を経ないものは未来に辿り着くことがないという報いを受けて敗れるという話になっている・・・と思っている
バトル系マンガで千兆回も繰り返されている「えっ?」は、ダサいので今すぐやめてほしい。
「えっ?」を詳しく説明すると、
「雑魚っぽい敵が、目にも留まらぬ速さの攻撃(露悪的な残酷描写であることが多い)を喰らって、自分の欠損した部位を見つめながら呆けたような顔をして、
『えっ?』
しかし「いきなり残酷なことが行われる」状況を演出する術が、呆け顔と「えっ?」の台詞しかないのが駄目なのだ。
何故もっと工夫しないのか。
そこに労力を遣いたくはないが、なんとなく残酷っぽいことをやって格好はつけたいという姿勢が、ダサい。
陳腐化した表現なのに、それを使い続けられる無神経さがダサい。
しかも割りと大ゴマのことが多く、作者本人は見せ場のつもりらしいのが情けない、恥ずかしい。
例えば、マンガ好きから崇められている荒木飛呂彦は「ジョジョ立ち」「特殊な擬音」「人間賛歌」などで持て囃されているが、こういう「えっ?」のようなシーンでも、得意の「ドドドド」効果音を使って自分の作風に取り込んだ上で使ったり、ギャグっぽくしてみたりと、工夫を欠かさない。
似たようなシチュエーションでは(雑魚キャラじゃないけど)、2部で敵に勝利したと思ったジョゼフが不意打ちで腕を失う場面があるが、緊張感のみなぎる無音コマでその衝撃を描いていた。
こういう基礎力こそを評価し、見習うべきではないのか。
他の漫画家も似たようなシーンを描くことがあるが、有名なバトル作家の場合は、キャラの後ろの背景を描いた上で「状況としての緊張感」込みで演出するなど、みなそれぞれに工夫している。
逆に言うと、この程度の工夫でいいのだ。
それすらできない奴が、なに漫画家なんか名乗ってんだという話である。
おまえらは漫画家ではなく能無しふにゃちんダサダサ包茎マンだこのボケが、ということである。
繰り返しになるが、すでに陳腐化した「えっ?」という表現で済ますのは、一表現者として非常にダサいことであり、見るたびにゲンナリするので、即刻やめてほしい。