はてなキーワード: 生活様式とは
俺くらいのミスド好きになると週に一度はコーヒーで二時間粘る。週に二時間もミスドて過ごしていると今週になって店内で食べる人が急に戻ってきたことがわかる。
店内の飲食スペースは以前より席数を減らして席の間隔をあけて四人席をなくした。先週まではそれで問題はなかった。
残念ながら我々はバカだ。店内利用が戻ってきたら二人客が二人席に向き合って座るようになった。以前なら四人席を二人て使っていたのに。結果として四人席があった時より局所的には客の間隔が狭くなっているところまで出てくる。
新しい生活様式には、飲食店では向かい合わずに横並びで利用することも挙げられているが、我々はその理由を理解出来ないらしい。
先週までの行動は感染症対策への理解に基づいたものではなく、ただ恐怖心や同調圧力によるものでしかなかったことがよくわかった。
まず言葉が古い。
欧米ではだいぶ前からソーシャルディスタンスという言葉は止めてフィジカルディスタンスを使おうぜって言われているのにそれを知らない。
ソーシャルディスタンスを使う人は新しい情報を得ようとしていない人に思える。
次に新しい生活様式として不十分。
「新しい生活様式」という言葉がいいのか「新しい日常」がいいのかは置いておいて、ソーシャルディスタンスという言葉では不十分。
やたらとソーシャルディスタンスという言葉を使う人はそれしか言わない印象がある。
やはり認識が甘い。
まだテレビで消耗してるの?
ダメダメ。
とりあえずビールならぬ、とりあえずテレビ点けてぶーたれてるようじゃ、これからの新しい生活様式の時代、文化的な生き方はできないよ。
Happy new year ならぬ、
Happy new life style.(新しい生活様式)
長いようで短い、短いようで長い、そんな在宅生活だった思う。皆それぞれの想いを持って新たな船出に出たことだろう。
私は社会人なので在宅ワークだが、これは子どもに置き換えたらある意味春休みである。
しかし、長い休みを終える時の、休みを惜しむ反面ようやく好きな子にまた会えるというあのセンチメンタルさはもう無い。
あるのは出勤、ただそれだけだ。
久々にみんなに会えるというのに、電車に乗っても、魔法学校へ向かう汽車中のあの生熟れ達のようなワクワクを感じさせてくれるおじさんなどいない。
久々にみんなに会えるというのに、会社に好きな子などいない。きっといるのは嫌いな上司だけだ。(私は自分の上司が大好きである)
まだ色々書こうと思っていたが疲れたので本題に入る。
Happy new year ならぬ、
Happy new life style.(新しい生活様式)
長いようで短い、短いようで長い、そんな在宅生活だった思う。皆それぞれの想いを持って新たな船出に出たことだろう。
私は社会人なので在宅ワークだが、これは子どもに置き換えたらある意味春休みである。
しかし、長い休みを終える時の、休みを惜しむ反面ようやく好きな子にまた会えるというあのセンチメンタルさはもう無い。
あるのは出勤、ただそれだけだ。
久々にみんなに会えるというのに、電車に乗っても、魔法学校へ向かう汽車中のあの生熟れ達のようなワクワクを感じさせてくれるおじさんなどいない。
久々にみんなに会えるというのに、会社に好きな子などいない。きっといるのは嫌いな上司だけだ。(私は自分の上司が大好きである)
まだ色々書こうと思っていたが疲れたので本題に入る。
今はなぜか高級マンションが多く立ち並ぶ閑静な住宅街になっているところに父の実家はあった。
賑やかな街の中心まで車で10分ぐらいで立地はとても良い。
昔は黒く塗った塀に囲まれた長屋が道の両側にずらりと並んでいた。どっちの戦時中かは知らないが、空襲を避ける為みんな黒く塗ったと祖母が言っていたのを覚えている。電信柱に薄暗い街灯。狭い道を豆腐屋やラーメン屋みたらし団子焼き芋わらび餅の小さいトラックがギリギリゆっくり通って行く。
その中の一軒が父の実家で、ガラガラと黒い引き戸を開けると玄関まで飛び石が並ぶ。文字にすると高級な感じがするけど飛び石も小さい、石をジャンプすれば玄関まで一瞬で行ける。玄関を入ると目の前に細く急な階段がある。階段の横をすり抜ければ右手に六畳ぐらいが二間あり、まっすぐいけば台所がある。
居間には縁側があり外には猫の額ほど、とは良く言ったものでその言葉しか当てはまらないぐらいの庭がある。縁側の端に2段ぐらいの階段がありそこから外の便所への通路がある。もちろん水洗ではない。庭の横を通って便所に行くわけだ。
猫の額ぐらいの庭には小さく手入れさた植木鉢が並び、そこに見合ったサイズの池と言う水溜りがあった。水溜りにはお祭りの金魚を放り込んでいた。池の水は入れ替えたりしていないのでいつも緑色で得体が知れなかったが金魚はそこで結構大きくなった。たまに夜便所に行く時に真っ黒く光る水面すれすれに巨大な金魚が姿を現した時は泣くほど恐ろしかった。
台所もまた2段ぐらい降りて草履をはく。そのときはあまり使っていなかったが、木などを燃やして使うかまどがあった。ちょっとしたゴミはそこに放り込んで燃やしていた。台所から外に出られる勝手口があって近所の人が来た時、勝手口からすいませんとか言う挨拶をしていた。
ギィギィと鳴る急な階段を上がると柱だけ残り襖を全て取り払ったガランとした部屋があって、父のギターやレコード、伯母たちの絵や本が端に積んであった。そこで子供の私たちは遊ぶ。
あの家は今考えると100年ぐらい前のそのままの生活様式の家だったと思う。それに触れる事ができたのは良かった。
今は祖父母も父もその家もその辺り一帯もすべて全部消えてしまったけど私の記憶には残っている。
そして今ここにも残してみた。
11話
あの日、この国のリーダーは、世界が二度ともとに戻らないことを宣言した。緊急事態宣言の解除。それが新しい時代の合図だった。
彼は“新しい生活様式”という言葉を使った。今後も人との適切な距離を取ること、通勤や通学をなるべく控えることを人々に求めた。
サタはその“号令”を聞くまで、この国がまた元の不合理な世界に戻ることを懸念していた。そのせいか、彼女はやたらと胸を踊らせてその言葉を聞いていた。私たちはこの国の盛衰を見てきた。サタの懸念も当然だった。
工業分野で一度成功を収めたこの国は、その後、情報通信分野で他国に後れをとっていた。その理由はいくつもある。成功体験を手放せなかったとか、政治家と特定の産業の癒着のせいだとか。権力者たちが発想のバージョンアップを怠ったせいだとか。
しかし本当のところは、工業分野での成功をもとに社会システムが構築されたため、新しい分野を受け入れる余地がなかったためだ。
たとえば子どもたちが義務教育期間中に学ぶのは、国語や算数だけではない。集団として生きていく術の習得さえ、教室という閉じた空間に一任されていた。彼らはやがて満員電車で通勤し、この国の経済に貢献することを期待される。これが古いシステムのバックボーンだった。
集団を前提とした教育から労働までの一貫した流れ、それに特化したかたちで社会システムは構築されていた。これまでの経済的な成功には、集団での活動が不可欠だった。
そこにリモートワークやオンライン授業が介入すればどうなるか。このシステムの、“集団での生産活動”という基本理念が崩壊することになる。つまり“それ”にとって、その手の技術は障害でしかなかった。通勤や通学ありきで敷かれた公共交通も無駄になってしまう。
本当は、誰もがその集団を前提とした古いシステムに疲れていた。柔軟性のなさに飽き飽きしていた。もっと本質的なところで効果的なやり方があるはずだと、みんなうすうす気づいていた。
しかし(本当の意味で)より合理的なシステムに作り変えるには、既存のものを一度壊さなければならない。壊すということは、そこ(特定の産業など)に深く携わっている人が犠牲になるということを意味する。
安定を好むこの国の人々にとって、その選択は難しかった。誰かに起こる悲劇は自分にも起こりうる。明日は我が身。共感性の強い人々のそういった思考習慣が、それを阻んでいた。そしてそれは、最終的には、為政者の政治判断に反映される。
政治家と特定の産業の癒着や、国家予算といった表面的な問題のその底に、この国に住む人たちのそのような集合的意識がひっそりと流れてた。ほとんど気づかれることなく。
実は一度、この古いシステムを再構築する試みがあった。しかしそれは犠牲を生んだだけで、何の成果も得ることなく中断された。多くの求職者と自殺者を生んだだけだった。
失敗の理由は明白だった。それぞれの人間の思惑が介入しすぎたためだ。古いシステムには当然のことながら、長年のしがらみが複雑に絡みついているが、新しいシステムの構想もまた、一瞬にして誰かの思惑に取り込まれる。
そして中途半端に壊れ、(一部の人の意図に沿って)中途半端に機能する、中途半端なシステムが完成した。完成したと言っていいのかすらわからないが。
ともかくこの国の人々は、その生殺しシステムの上で、前にも後ろにも行けずに30年、止まった時を彷徨うことになった。
それに終わりを告げたのがSARS-CoV-2だった。そこに人間の介入はない。ただ、自然の摂理、あるいは不可抗力と共存するためのシステムモデル、そして本当の意味での合理性の追求があるだけだ。
それだけが、完全なる破壊を遂行できた。特定の意図の介入を阻むことができた。
破壊の後の自由の上で、それぞれの技術は本来の能力を発揮することを許された。呪縛は解かれ、初めてリミッターが外された。為政者たちは、もう古い理念、古い技術による古いシステムに場を提供し続ける必然性がなくなった。逆に言えば、それらを護るために新しい可能性は制約されていた。
場は、新しい技術に明け渡され、ウイルスやその他の脅威から人を護るため、都市全体の空気を清浄化するシステムや、生体情報の管理調整を担うウェアラブルデバイスの開発が加速した。
変化は、テクノロジーだけではなく、人々の精神においても加速した。今まで科学や社会通念の“外”にあるとされていた物事が、“内”に組み込まれることになった。
まず、今年大事な一年を迎えた人たちは本当に運が悪かった。本当に残念だった。なにか他に熱中できることや目標ができるだけ早く見つかってほしいと切に願う。
甲子園予選じゃない単なる練習試合やらせてもらっても、球児には全く一区切りになんかならない。この試合用意してあげたよ、はい、やったからもう切り替えてメソメソすんな、ってそんなの切り替えられない。
甲子園予選とは別にベンチ外のための引退試合とか毎年聞くけど、あれはまた別の話。ベンチ外メンバーにとっての区切りは、ベンチ入りできませんでした、っていうメンバー発表自体。その区切りの後で最後に楽しく野球しようっていうやつが引退試合。補欠は甲子園予選でプレーできなくてもきちんと区切りをつけられている。
感染拡大を防止するための管理が行き届かないからって中止になったのに、各都道府県で独自に何らかの形を模索するってどういうこと?各都道府県の管理に一任して完全に感染拡大防止を実施できるのか?感染者が出たりクラスターが発生したりしても、批判を恐れて、「感染者はいませんでした」と偽装してしまう、もといせざるを得ないような同調圧力だって0じゃないと思う。ワクチンとかできるまで不要不急の活動は控えるのが肝要。大人が生徒達にきちんと説明できなくてどうするのか。
今回の甲子園中止を受けて行うべきは、新しい生活様式を取り入れること、つまり、スポーツのことしか考えられなくなるようなライフスタイルの改善をすること。これからは野球に限らず、どんな競技もオフライン大会(特に大規模な)は開催できることの方が稀な世の中になる。大会が中止になっただけでこんなに大騒ぎになったり動揺してしまう状況を改善しなければならない。
秋の神宮大会とか来年の春夏の甲子園だってどうなるかわからない。同じようなライフスタイルを取っていれば、また同じ悲劇が繰り返される。
2週間後はNYで一時期ネタになったけど、韓国の第二波はガチで日本の未来だよ
毎日追ってたら分かるが、韓国は御存知の通り中国に続いて解除されて、そこまでの流れも日本に近い(PCR検査数とか追跡とか違うけど)
で、結果は御存知の通り。LGBTとかは関係なくハメ外したら案の定って話だ。知っている人も多いと思うが、韓国の場合は日本より厳密に一部解除の対応をしていた。それなのにコレだ
じゃあ日本は?そもそも要請だし、飲食店や遊興施設は指針を守る気はサラサラ無い。パチンコ屋は換気が凄い?焼肉屋は換気扇がある?そういう問題じゃない
温度が湿度が四季が神風がとか言うけど、実際のところ耐え忍んでいる病人が多いだけ。新しい生活様式を真剣に守らなきゃ一瞬で4月頭に元通り
あと田舎は関係ないとか言うけど、重要なのは都市部なんだよ。確かに田舎は大して感染者出てないかもしれないけど、経済的に考えたらそもそもそんな田舎はある必要もないし、そんな所に医療を注ぎたくないんだよ。だから全国で自粛。解除されても県どころか市区町村から出るな。日本的には9割に田舎なんて原っぱになってもGDP的にはノーダメージです
これからは商いって考え方を起点にしていたらもうダメでしょうね
マスクひとつとっても「国産」であり「質」の時代に入った訳ですから
国を跨いで安い労働力で回していくなんて野蛮なことですよ
朧げながら感じるのは、クラウドファウンディング型の経済活動に移行していくんじゃないのかな?
なんて思ってるんですけどね
このプロセスの前に集約が入ってきたり
まだわからないですけど
足に付けていた時計を、腕に付けるようになるまで100年掛かった
つまんないですね
新型コロナウイルス感染拡大で生活様式や働き方が変わった人多いと思う
在宅勤務に対する絶賛の声はもう聞き飽きたほどだ
でも未だに東京に住むことに対する愚かさに言及する声はほとんど見ない
リモートワークして思っただろ?
在宅勤務に切り替えれない企業がぶっ叩かれるように、東京オフィスに拘る企業もぶっ叩かれる始めるかと思ったんだが、全然そんな声は聞こえない
そもそもちゃんと地方に分散していれば満員電車なんてないし、保育や介護問題も多少はマシになるだろうに
東京にオフィス構えてる企業に勤めて、東京近郊に住んでる人らに対する批判はまったく聞かない
東京に住んでることくらいしかマウンティングできることがない(そもそもマウンティングできるようなことでもないけど)はてな民に言っても無駄かもしれないけど
記者会見でもニュース番組でも言われているんだけど、たぶん馬鹿には通じないんだよなぁ。震災の時のACのCMぐらいの頻度で、CMに挟み込みまくるとかしかないわ。
まあ外れ値みたいなもので、風評と事業継続意識する大企業は社内でも通達しまくってるので、全体で見れば以前と比べて大幅に移動は減るし、新しい生活様式意識した行動になるわ。
新しい生活様式言われまくってるので、お前がそれに関心ないだけ