はてなキーワード: 法則とは
そこで紹介してる本は1冊も読んでないが
マルチバース論でいえば
人間が居るから→都合のいいこの宇宙がある、の人間原理に帰結するのではなく
じゃなくって
無限の物理法則と状態を持つ宇宙が存在するから、無限にあるならその中の1つにこの宇宙が含まれていても確率的な問題を抱えずに「人間の居る宇宙」という条件はクリアできるって話だろ
例え天文学的に確立の低い出目だって無限の宇宙サイコロを無限に振ってれば人間が絶対出るって話
逆に言えば無限にあるからこそ人間の想像する以上の宇宙がオムニバースには存在して
全く物理法則が違い魔法が存在する世界もあるし、逆に瓜二つの宇宙も存在する確率が十分すぎるほどある
であるからして、虚構世界は我々と関係性がなくとも実在しうる条件は十分満たしている
って解釈をいましたけど内容はどんなのかは読んでないので分からん
なんとなくわかってきた。お互い大分遠い分野にいるな。
そっちが挙げてきた理系分野の例は動物学とかなんだが、増田は数学物理天文学地学化学分子生物あたりの理系の印象で語ってた。こっちではBook Review欄はあっても純粋に教科書の評判であって専門的な議論としてはほとんど読まれてない。文系の書籍事情に無知だったのはすまない。
追記で書いたけどシビリアンの戦争が博論の書籍化だっていうのは一応評価してて、ただよくも悪くも売れてしまって一般人から評価されてしまっているのでもっと専門家からの論争がちゃんと前に出てこないと駄目なんじゃないのっていうのはある。
指摘の通り、理系では実際に関わっている人が多くてオーサーが多人数になってしまう論文や、関わってる関わってないの境界線上でギフトオーサーシップの問題が除けていない(オーサーの定義は理系内でも分野によって慣行が違う複雑な問題)ということもあって、人の実績を眺める時どうしても割り引いていく思考になってしまう。コネ採用を当てにするんでなければ、これは確実にこの人の成果だねっていう目に見える業績が欲しいところ。査読なしや日本語発表はあったとしてもこれ評価されないよなって諦めながら実績欄に書く。ショボいって煽ったのはよくなかったかもしれんが、元増田もそこで三浦はダメだって決めつけてはいなくて(上の教授には大事にされてるんだし)、最後の行で実際の学会の評判どうなのよ?って知ってる人に疑問を投げかけたつもり。ブコメでちょっと拡大解釈して三浦をディスってる人もいるけどそこら辺は元増田は責任を持たないし、自分がテレビで解説する学者としての能力があると示すのは三浦の説明責任。
文系に関しては外国研究とかはあまり視野になかった。自分が日本の文系で二流分野って評判を聞いてたのも、主に経済学とかであとは社会学系(あまり各国の文化に根ざさないやつ)の知り合いからだし。
文学や外国研究に関しては各国の大学で自国語で教える意義も大きいし、各国が独自のコミュニティで多様性のある研究をする意味もあるのだろう。哲学は理系元増田もよくわからん。活発に議論したいなら翻訳頑張れってところだろうか。最近文学系は国から予算削減や学部再編の風当たりが強いようなので当たってなくても流れ弾に敏感になるのもわかる気がする。
「国際政治学」に関してはどうだろうか?ここまで議論してわかったが英語で論文を書くべきかを決めるのは理系か文系かじゃなくて、グローバルな一つの学会を形成すべき分野か否かってことだと思う。グローバル化は効率化に繋がるが一方でローカルの軽視につながる。自然科学の世界は一つでなければならない。日本とアメリカで物理法則が違ったら困る。日本語研究の重要性を説く文系増田だって、理系でもっと日本語論文を出すことに意味があるとは思っていないだろう。
テーマにもよるが経済学や国際関係は世界的な一般性を持つ話題だし、国民からもそういった研究が望まれていると思う。日本語で高みを目指してはいけない理由はないと言えば聞こえはいいが、高みに至る勝算がないなら結果は世界から無視されるだけだ。そういった分野は日本語に固執してはいけないと思う。
あと単純な利便性。これは日本の学会が世界で有力になるのとは別の問題。喩えるなら日本が常任理事国を目指すことには世界にメリットもあるだろうが、日本語が国連公用語を目指すと言ったら他の国に迷惑だから止めろというべきだろう。
1人の男が、
挑もうとしていた。
ー 神はサイコロを振らない ー
彼は、そう固く信じていた。
ー 中学生でも分かる話だね ー
彼は得意げに増田を開き、
彼の理論が正しければ、
等しい反応が得られる筈だ。
しかし、結果は見事に裏切られた。
同じ内容を投稿した筈なのに、
延々と下らない議論が繰り広げられ、
彼は、簡単には納得しなかった。
彼は、
結果は、驚くべきものだった。
その後下らない議論が続くことはなかった。
未だに解明される気配は無い
毎週やってる洗濯くらいはしたが、
まず、洗濯できてるじゃん、すげーじゃん!
自分の場合も、似たような感じ(洗濯もできずに洗っていないシャツを着まわしており、部屋はゴミだらけ、冷蔵庫には賞味期限切れのアイテムが・・・)
だったが、気になることが多すぎるのが原因だと分かったので、
1. 不要物を徹底的に廃棄した(着ていない服や本、段ボールの箱、いらないもらいものなど、いわゆる断捨離)
2. 欲しいもの(10万円以内)は速攻でAmazonで買うようにした
3. 禁欲した
4. エロサイトや時間を食うサイトに対して、Blocksiteを使うようにした(面倒なパスワードつけてね)
でわりと改善した。睡運瞑菜もいいが、まず捨てる、辞めるがファースト。これオレ流生活改善の鉄則。それらは意志力をあまり消費しないから。そして、快楽の方向はより面倒くさくしよう。面倒くさくなるシステムを構築するのが大事。衣類も大体統一、自分が判断すべき事項を減らしていく。
Todo管理アプリはTodoist使っている。これはやりたい事のinboxと割り切っている。再スケジュールボタンをポンポン押そう。タスクが消えるぞ。できなくても気にしない。風呂とか歯磨きとかのデイリータスクはいれない。やってないのに見ると萎えるし、タスク完了にするのが面倒だ。google カレンダーとかでスケジュールすることもできるけど、どうせできないからオススメはしない。
さあ、明日(というより今日か)部屋を片付けよう。はじめるのはそれからで、そこに全精力をそそごう。
今まで生きてきて分かったことは、
自分は信用できない、意志の力に頼っても無駄だ、脳は必ず楽な方向に逃げ場を見つける、
というどうしようもない法則だけだ。
今まで生きてきて分かったことは、
自分は信用できない、意志の力に頼っても無駄だ、脳は必ず楽な方向に逃げ場を見つける、
というどうしようもない法則だけだ。
本当にやらないといけないことがあった場合。
「今は○○するしかないんだ」
3連休も半分過ぎたが、何もやれていない。
毎週やってる洗濯くらいはしたが、
近づいてきた資格試験の勉強もせず、プログラムもせず、部屋の掃除もしていない。
ダメだと分かっているのにできない。
するべき事も分かってるのにできない。
俺の人生はずっとこうだ。
何度も自分を変えようとしてきた。
日記をつけ、スケジュールを立て、タスク管理ツールを導入したり、ToDoアプリやGoogleカレンダーに予定を書き込んだりもした。
でもダメだった。
3日坊主の言葉通り、長くても1週間かそこらで使わなくなった。
最初のうちは日記やスケジューラを運用出来ていて、「このやり方は自分に合ってる」と思っても、
数日もすると、何かにとりかかろうとすると感じる苦痛が、そのまま日記やスケジュールやToDoを書こうとした時に感じられるようになった。
まるで、脳が「こっちへ行くとしんどい」というのを学習したかのように、免疫がついてダメになる。
今まで生きてきて分かったことは、
自分は信用できない、意志の力に頼っても無駄だ、脳は必ず楽な方向に逃げ場を見つける、
というどうしようもない法則だけだ。
するべき事をできる人って、どうやって自分を動かしているんだろう。
多分、この日記を見てるような人は、俺と同じくやるべき事ができずに、ダラダラ休日が潰れていく人がほとんどなんだろうが、
どーも、デレステやってる志希Pです
前回も書いてる途中で投稿してしまった…しかも本文ゼロ!これはもう荒らし同様ではないか!?
後で消し方調べとこ…皆様すいません。そんな理由でその2は消すかも。
まあいいや。あと書いてなかったのは…
4つもあるね! 恥ずかしいね! ああ恥ずかしい! ミスの分だけ恥が増えるぞ!
ええい嘆いていても始まらん、続きカクゾー!
これね、志希っていうより、志希を評価するPへの言葉なんだけど。
まず、「頭が良い人」になる条件。知識や経験を活用できる人。出来ないのが俗に言う”馬鹿”で、繰り返せば出来るのが”凡人”、ほぼ失敗しないのが”賢者”ね?
※私なりの解釈。因みに賢者は「歴史に」学べるからね。故きを温ねて新しきを知るとか私にゃ無理だよ
で、志希の事だよ。
私もね、機械とか建築とかの専門知識は少しなら分かるし知識がある人から見たら言葉一つで違和感たっぷり、見るたびにイラついてもしょうがないと思う。
でも、そこじゃあないんだ、私が見て欲しいのは。
トワレ前ならともかく、今の志希は相手を理解する能力が格段に上がってる。ストーリーコミュ33話とか、ね
アドラー心理学とか読むレベルの人なら、「他とは違う」事に気づいたと思う。
そして、誤解しないで欲しい。「頭が良い」≧「勉強が出来る」という事を!
勉強は答えがあるし、知識はそれそのものが答え。つまり、誰でも辿りつける。頭が良いなら辿り着くスピードも速い。
でも、無い答えには辿りつけない。私の様な凡人は、生きている間に「地球が丸い」「太陽を中心に回る」そんな事には気づかない。
それに気づき、探究することが出来る。星の位置の変化から法則を見つけだす。それこそ「賢者」。
「賢者」が勉強が出来るのは当然。(知識が無きゃ出来ない事だし)でも、勉強出来るなら「賢者」?
勉強だけでいっぱいな人は、「天才」なんて呼ばれない。他と”比較して”「賢い」そう言われる事はあるけどね。
書き殴ってしまった…まあ、この辺りで。
これは、最初に書いた文章の内容とつながるかな?多分、早く終わるよ。
志希に対して、こんな評価が飛んでいた。
「コイツどう見てもサヴァン症候群だから」「コイツはADHDだろ」
サヴァン症候群は、能力が一つだけ高くて代わりにコミュ障とか…だったっけ?
ADHDは、確か多動性症候群かな。一つの事に長時間集中できなかったり、何時でも貧乏ゆすりしたり。
志希は他と衝突することもあるし、切り取ればまあコミュ障じみて見える部分も無くはない。(他のコミュみりゃ理解できるから見て)
ちょっと見れば分かるよ、志希は「出来ない」じゃなくて「嫌だからしない」娘だから。必要とあらば我慢できるぞー!
というかどちらかだったら、「あしたま」とか33話のコミュに説明がまるでつかん! アレは凡人もそうそう出来ん!
まあ、コミュ見て欲しいかな。イメージ回復するよ。きっと。多分。メイビー。
志希は、「子供にもなれる大人」なので。とってもカッコいいぞー。
ハイ、次行こう
〇ここまでを踏まえて、一ノ瀬志希の×人間関係〇二次創作について
よし、辿り着いた。
ここでは、主に二次創作について触れるよ。しきフレとかしきあすとかの作品。
何回か言ったけど、志希は「秘密のトワレ」以降かなり精神性が上がってる。
二次創作好きな人もこれで混乱したと思う。自分の傑作が、時間経って公式と比べるとまるで違う物に見えたハズだし。
※私は「秘密のトワレ」以降にss書こうとしたけど過去の発言との乖離に混乱して挫折しました。
でもまあ、それもいいでしょ。
私はトワレ以降の志希が好きだけど、その前も確かに志希。
人の気持ちが分からず他者を傷つけたのも、人の気持ちを理解し優しく振る舞えるのも志希。
どっちでも魅力はあるし、好きな方を採用しよう!そしてもっと志希書いて!
今回の文章ね、私見だらけだと思う。
出来る限り資料探して書いたけど、足りない部分は私の想像で埋めてるし。(1割無いよね?無いと良いなぁ…大体は資料に基づいて書いたから許して)
「抜けてる」指摘ならいい方で、人によっちゃ「気に入らん」もあるし。
でも、私はここまで自由に書いた。コメントする人も、自由に書いて欲しい。
そして賛成だろうと反対だろうと、コメントで出た意見の「封殺」はやめて欲しい。
ただの「意見交換」ならいいけど。相手を尊重するんだよ? ソンチョー。
相手に「ふざけんな!」ではなく、「お前はそうなの? 私はこうだよ! …貴様とは相成れんな!」
この辺が限界ラインかな?まあ皆、あまりケンカ腰にならないでくれると嬉しい。
ここでコメントする人は、多かれ少なかれ志希に関心がある人でしょ?
志希なら、ただのマウンティングとか見たら「…楽しいの?」とか言ってどっかに行っちゃうだろうし…だよね?(妄想中)
トワレ以降の志希は精神年齢で確実に私を追い抜けるポテンシャルあるし…
私は、志希から最低限失望されないようには気をつけてるよ…貴方はどう?
担当アイドルだしなぁ…私は気をつけた方が良いと思うけどなぁ…
終わり
見てくれた人ありがとう
なんかむしゃくしゃするそんな日曜日。
茹でたマカロニを加えて深呼吸する。空気がマカロニの味になる。
今日はデュラムセモリナの空気。15分位すると乾燥してきて堪能度が劇的に落ちるが、
口の中で含んでマカロニの穴を唾液で満たせばマカロニの空気は復活する。
ことわざで「犬に当たれば棒に当たる」というのがあるけど、今日の私はあろうことか「SNSで元彼を見かける」をやってしまった。
別れて二年くらい経つのに、私についての誹謗中傷が垂れ流されてて驚いた。
*
元彼はなんというか、シンプルライフに強く憧れる人だった。
でも実際のところはただの吝嗇家というか、ルサンチマンの塊。
ただ単に消費行動が気にくわないみたいで、それを当時の流行で考えをコーティングしているだけだった。
…どう考えても寒い!
彼が部屋に来たとき、部屋の本棚に文句をつけられたのは忘れられない。
「どうせ読んでも頭に入らないんだから図書館で借りろよ」、みたいな事を言われて驚いた。
いや、確かに私は頭が良いわけじゃないから本は線引いたり繰り返し読んだりしたいから自分で買ってるんだけど。
モノの所有自体が気にくわないのだろうか。
だけど別の日、私が新しい服を買ったら普通に褒めてくれた。
なんというか自分より頭よさげに振る舞われるのが嫌だったのだろうか。
これを書いただけでぞっとしてるけど…まあとにかく別れてよかった。
*
そもそも消費を抑えたところで、一体何になるんだろう?
消費を抑えたから同じモノを繰り返し使うようになるとか、愛着が湧くとか、そういったことはないんじゃないかな?
そりゃ「余暇の時間が一定だったら色んな趣味に手を出すより一つの趣味に時間をかけた方が満足度が高くなる」ぐらいは言えるかもしれないけど、それは完全に個人の趣味や嗜好の問題だよ。
少なくとも消費を抑えたからといって、生活が豊かになる訳じゃないと思う。
特に書物の消費を抑えることは知識の幅の狭さ、そこから更に誤謬を招く。
自分自身ではできない事、接触できる事は限られているから、書物というモノを通してストーリーが楽しめる。
この楽しみは私の人生で欠かすことができない代物だし、
もし誰かに「何が楽しくて生きているの?」と聞かれたら
「知らない事を知ったり、知ってた事に法則を見いだすのが楽しいから」と応えるだろう。