2018-02-04

シンプルライフ教の元彼

ことわざで「犬に当たれば棒に当たる」というのがあるけど、今日の私はあろうことか「SNSで元彼を見かける」をやってしまった。

別れて二年くらい経つのに、私についての誹謗中傷が垂れ流されてて驚いた。

なんか自分の中で整理をしたい気持ちがあるので色々と書く。

元彼はなんというか、シンプルライフに強く憧れる人だった。

でも実際のところはただの吝嗇家というか、ルサンチマンの塊。

ただ単に消費行動が気にくわないみたいで、それを当時の流行で考えをコーティングしているだけだった。

…どう考えても寒い

しかし私も私で、好奇心から付き合ってしまった。

彼が部屋に来たとき、部屋の本棚文句をつけられたのは忘れられない。

「どうせ読んでも頭に入らないんだから図書館で借りろよ」、みたいな事を言われて驚いた。

いや、確かに私は頭が良いわけじゃないから本は線引いたり繰り返し読んだりしたいか自分で買ってるんだけど。

モノの所有自体が気にくわないのだろうか。

だけど別の日、私が新しい服を買ったら普通に褒めてくれた。

なんというか自分より頭よさげに振る舞われるのが嫌だったのだろうか。

これを書いただけでぞっとしてるけど…まあとにかく別れてよかった。

そもそも消費を抑えたところで、一体何になるんだろう?

消費を抑えたから同じモノを繰り返し使うようになるとか、愛着が湧くとか、そういったことはないんじゃないかな?

そりゃ「余暇時間一定だったら色んな趣味に手を出すより一つの趣味時間をかけた方が満足度が高くなる」ぐらいは言えるかもしれないけど、それは完全に個人趣味や嗜好の問題だよ。

少なくとも消費を抑えたからといって、生活が豊かになる訳じゃないと思う。

特に書物の消費を抑えることは知識の幅の狭さ、そこから更に誤謬を招く。

特に書物に関する諸経費を削ると生きる楽しみも薄れていく。

自分自身ではできない事、接触できる事は限られているから、書物というモノを通してストーリーが楽しめる。

この楽しみは私の人生で欠かすことができない代物だし、

もし誰かに「何が楽しくて生きているの?」と聞かれたら

「知らない事を知ったり、知ってた事に法則を見いだすのが楽しいから」と応えるだろう。

だけど当時の私は彼の勢いに負けてしまって、自分価値観なり理想を語れなかった。

あなたシンプルライフはつまらない」と、ちゃんとここに書いておこう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん