はてなキーワード: 普段とは
イラスト生成aiについて、普段使っている絵のアカウントでは言うと燃えかねないのでここで吐き出し
<お前は誰だ?>
趣味絵師。FANBOXやskebで多少のお小遣いを頂けることもあるが企業案件の経験は無し。
自分はアナログはてんで描けず、デジタル作画ソフトが進化することである程度の絵が描けるようになった人間。
イラストaiだってツールとして使う分には問題ないと思っているし、使えるもんなら使いたい。
仕上がったものが他人のパクリになってないのが重要なのであって、その過程って割とどうでもよいと思う。
<無断で自分の絵を使われることについて>
個人的には、自分が描いた絵を無断で使われることにそこまでの忌避感は無い。
画像検索で資料を探すし、気に入った絵の描き方・塗り方は参考にする。
もっと言うと、他人の著作物を用いたR18画像は描いてるし、ニコニコ動画の著作権物が大量に使われたMADも楽しんできたし、漫画の一コマを無断転載した大喜利にも爆笑してきたし、ユーチューブで無断転載されてる作業用BGMを聞いてきた。
なので、なりすまし等の明らかに悪意を持った使い方でなければ、一度webに上げた絵はどうぞ好きにしてくれというスタンスでいる。
(danbooruは勝手に自分の絵を保存してくれるからある意味助かっている。)
生成物がパクリになる?i2iで直接読み込まない限りはパクリレベルの絵は生まれないよ。
ai派に対しては、成りすましとか、特定の絵師に粘着するのはやめれ。
それはaiでなくてもアウトなことだ。
aiを嫌うのは自由だけど、それで所構わず他人の絵にai疑惑をかけたりするのは違うよ。
経済的困難とかが主なことだと思うんだけど
経済だけじゃなくて社会的な差別的扱いとかも含まれ多岐にわたる
それをうまく表現する言葉がなく、共通する表層が「モテない」なもんで、そこに話が集中しちゃうんだけど
それ、熱があると訴える患者に「頭に氷当てとけ」って言ってるようなもんで、熱の原因がなんであるか、どう対処するべきか(自然治癒に任せるのが一番だというならそれも可)を考えるべき
弱者男性というのはどういう理由でどういう不当な差別をされているんだろうか?って考えるとそこから途端にわかんなくなるんだよな…
(中略)
これに明確な答えを出してくれる人はいないだろうか。
件の人は専門外だからいいとしても、社会正義、平等、人権を普段から訴えている人は考える責務があると思うよ
フェミニズムは男女の能力に差がないということを強調するってことは、能力によって差がつけられることは当然のことであるって言ってるってことなんだろうか。
能力に差があるとして、「能力の差が生活の豊かさに直結したら良くない、女性にベーシックインカムを!」なら主張としてはそれでいいと思うんだけど、
フェミニストって(白人)男性と同じことをすることが成功の定義なんで、政治家、経営者になれなきゃ「失敗」なんだよね
かといって明らかな無能を政治家経営者にしろと言うのもまずいので、そうすると「女性も同じ能力がある」、と言わなきゃいけないのだろう
美少女エロ漫画で抜いたあとでもエロ漫画見る気こそなくすが同じ画風でも非成人指定漫画なら普通に見てしまう。
そして成人向けではないといっても、パンモロでも性交描写も普通にあって、違いがあるとしたら、
「局部がはっきりと、濡れ濡れとかエロい状態でエロい構図で描かれている」ということがないぐらいだ。
(なので「私のために脱ぎなさいっ」の4巻以降のレベルの描写でも、キンタマからっぽでも普通に見たくなる)
普通の人にとって恋愛感情と性欲が別々で、どうせ性欲を処理するなら恋愛感情を持った人と相手にした方が気持ちいいからそうする、というのと似た理屈なのだろうか。
つまり性欲がたまっていないときは普通の萌え漫画で抜くが、たまってきたら普段萌えているもので抜きたくなるという具合だろうか?
前に整形してクラスで一番目(俺の学生時代比較)ぐらいのイケメンになったと話した増田だけど、いくつか変わったこと事がある
意外と変わらなかった事
たくさんはできない
できる分だけ
これなら提供できていたかもしれないが古い。もう無理。子供にとっての祖父祖母がうるさすぎて自己実現の視点からは邪魔になっている可能性もある。
地方の企業は女性に責任のあるポジションを任せない(とNHKの記事でも批判されている)。仕事はそこそこで流したい人もいるだろうから、出世したい人にはアピールしてもらわないといけないが…
断然都会(東京)が有利。普段はネットで活動している人が相手でもライブなどのことを考えると…。するべきじゃないと思うけどホストの推し活は地方ではできまい。
天体観測やガーデニングなら地方の方が向いている。ざっくり文化資本と呼ばれるものは都会が有利で趣味人同士の交流を考えても大半は都会が有利。何か強みがある地方はそれに賭けてみると効果あるかもしれない。刀剣とか。
メイクもファッションもたいして興味がないままアラサーに。思えば幼少期の頃からあまり興味なかった。
ほぼノーメイクで適当に過ごしてきたが、しかし時にはメイクをしなければならない時もある。その時が来てしまった。ドレスコードはしゃーない。
正直メイクとノーメイクの見分けすらほぼつかない。ナチュラルメイクはまず見抜けない。元から濃い人かもしれんし。
周囲の女性がどんなメイクと服装をしているか気にしないので全然覚えてない。服の色もスカートだったかも基本見てない。こんなんで大丈夫なのか。不安しかない。まだ夫の方がすっぴん好きで見分けが付いてそうだ。
まず一式買い揃えないといけないが、その前に化粧道具の名前と役割を覚えなければ。基本だけでも点数多すぎ。一応聞いた覚えはあるが、塗り方とかさっぱり分からん。ひとつひとつ使い方を検索。どれがいいのか全くわからん。
なんでアイシャドウとアイカラーで名前が分かれてるんだ。頼むから統一してくれ。
化粧品の相場全然わからん。高いのは論外として、安すぎると中高生向けっぽいからやや安いくらいが多分いいんだろう。どれくらいが安い値段なのか分からんが。高いからといって肌に合うわけじゃないのが面倒。
コスメ一式買うのに何万も飛んでいく。多分数回使って終わりで勿体ない。肌に合うかは付けるまで分からんので駄目だったら買い替えが発生し、さらに金が飛んでいく。世の女性たちは化粧品に何万もかけて凄いな。半分趣味なんだろうけど。
せっかく買ったんだしベースメイクくらいは日焼け防止がてらたまにはするべきか。ポイントメイクは普段やりたくない。特にマスカラはクレンジングが面倒。これちゃんと取れてるんか?と洗いすぎてまつげ抜ける。
色の選び方なんもわからん。イエベ?ブルベ?多分イエローベースやろ、知らんけど。春夏秋冬?髪染めてないから秋か?知らんけど。
濃い赤と青っぽいのは何となく合わなさそうだから無難っぽい黄色とピンクの中間を選んだ。でも合ってるか実際に塗ってもジャッジできない。もうノリでやるしかない。
メイククレンジングも買わねば。洗浄力重視なのか、洗浄力控えめで肌に優しいやつを選ぶべきなのか。オイル?ジェル?ミルク?なんも分からん。
選んだメイクもどれくらい洗浄力いるか分からんから選べぬ。ウォータープルーフが洗浄力高くないと取れないのは分かった。でも買ったのがウォータープルーフなのか分からん。大は小を兼ねるでとりあえず洗浄力高そうなのにするか。
洗顔スキンケア、ベースメイク、ポイントメイク、クレンジング。メイク以外も色々必要なもの多すぎ。いったい何点買えばいいのか。覚えられんぞ。
本番の前に多少は化粧する事に慣れなければ。もしかすると合わなくて肌荒れするかもしれんし。でも正直肌荒れても化粧品のせいなのか分からん。なんもわからん。
とりあえず薄めにやっとけばいい気がする。化粧がちゃんとのってるのかさっぱり分からんから塗り過ぎそう。気を付けねば。アイラインとか神経使う。手元震える。
一般的な大人の女性は化粧できて当たり前な感じあるけど、私みたいなのも多少はいるんだろうな。オシャレの楽しさは若干はわかるけど、やっぱり面倒な気持ちが圧倒的に勝ってしまう。
「これのどこがエロいの?」って言われるようなやつでは本当にシコってないよ。
普段散々AV堕ちだの売女だの言って蔑んでおいて、なんならColaboやDJSODAさんへの当てこすりツールとして使ったりしてるくせに、いざAVの存在が危ぶまれそうになると素晴らしい職業だと尊重していたかのように装うシコ猿ネトウヨ共を見てると本当に腸が煮えくり返る
普段散々シコっておきながら槍玉に挙げられると「これのどこがエロいの?」とすっとぼけるキモオタに通ずる欺瞞感
その手の不誠実な輩を見るたび、お前らが消費したくてたまらないポルノコンテンツがこの世から根絶するまでずっと声を上げ続けてやるからなという思いを新たにする
有名配信者が過疎ってるゲームを選ぶだけで視聴者数が普段の10倍に膨れ上がる
視聴者の流動性がないので、これから配信やろうと考えているなら他を選んだほうがいいぞ
もっとも他も同じ状況だと思うがな
・下手くそだったら
って感じの理由だったよ
一回やらなくなったら、普段と変わらない生活の中に再びセックス持ち込むのは難しいと思う
「常識は「あるべき論」じゃなくて、実際の知名度で決めるべきだろ」というだけの言葉が何故通じない?
「日本の義務教育レベルではほとんど教えてないんだから、世の中の大半が知らない可能性があるのは不思議でも何でもない」が何故納得できない?
「『常識』でないことを『常識』とマウント取って圧力かけるだけじゃ社会を変えられるわけない」が何故理解できない?
そういう同調圧力だけで明文化されてない空気に従わなきゃいけないのが日本の学校や社会の生きづらさだったはずでは?
そういう非言語的な空気で『常識』を決めることこそが海外の「多文化共生文化」の真逆のガラパゴス日本文化の最たるものでは?
どうして『リベラル』は自分が普段口にしていることを繋げて考えることもできない???
それこそ海外では、絶対にこんな『リベラル』は認められることはない。
どこの「多様性」文化が、空気で『常識』を決めて、同調圧力で押しつければ済むなんて考えで運用されてるんだ。
日本の自称リベラルの根本的な「反・多様性」思考回路は異常という言葉ですらヌルい。人間の言葉がわかるふりをした怪物にしか見えない。
同性愛および同性愛のセックスに関する、生々しい描写が含まれます。
苦手な方はこの場でブラウザバックしてください。
BLの世界では「攻め」「受け」ですが、ゲイの世界では「タチ」「ウケ」です。そして、アナルセックスで「挿入するほう」「されるほう」でもあります。
なお、アナルセックスをしない嗜好のゲイを「バニラ」と呼びます。ほぼ「ペッティング」ですね。
わたしは20代前半から40歳になるまで双極性障害を罹患していました。今は寛解しています。
わたしにとってセックスは、生きる不安や苦痛から目を逸らすための手段でした。出会い系の掲示板やマッチングアプリを使って、数えきれないほどセックスしました。
求められている実感がほしかったとかではないです。ストレスとセックスが密接に結びついてしまった。性的倒錯の一種なのでしょうか。
ちなみに、「疲れているとヤりたくなる」という男性はそれなりにいるんじゃないでしょうか。それに近く、わたしは精神疾患が原因で常に不安定で、常にセックスを欲していました。
パートナーは何回かできたのですが、わたしがあまりに荒れていたこともあり、どの人ともセックスはすることなく、一瞬で別れました。
「好きだから、愛しているから、セックスする」を一度も経験できなかった。
38歳のときに公認心理師によるカウンセリングを2年間受けたのですが、それが効果てきめんで、わたしの症状は劇的に治りました。
感情が安定していくにつれてゆきずりのセックスの頻度は減り、寛解したころには性欲はほとんどなくなってしまった。
そんなとき、今のパートナーに告白されました(もともと知り合いだった)。
彼には、「自分は性欲が薄い」ことを事前に伝えたうえで、「それは大丈夫。ただ、たまにはイチャイチャしたい」という返答をもらって、交際をスタート。
はじめはわたしも頑張って月に数回はアナルセックスをしていたのですが、彼に対する愛情が深まっていくのと反比例して、性欲が完全に枯渇してしまいました。
ここで具体的な話をしますが、アナルセックスをするためには「準備」が必要です。その準備が、個人的にはしんどい。行為のあとにぐったりと疲労してしまう(これは以前からそうだった)。
また、性欲が薄くなってわかったのですが、もともと出口であるところを入り口にするには、それなりの気持ちの昂りが必要なのです。気持ちが乗らないと、どんなに指でほぐそうとしてもほぐれない。
一度、どんなに頑張っても入れられないことがあって、それを最後にパートナーとアナルセックスはしていません。
しかし、彼の要望であった「たまにはイチャイチャしたい」は絶対に守りたくて、「前提」に書いた「バニラ」をするようになりました。
彼は乳首が性感帯なので、乳首を攻めるだけで射精できてしまう。
わたしの一方的な行為になってしまうので、「作業」にならないよう念入りに時間をかけて、気持ちを込めて、しています。
どうやったらもっとうまく気持ちよくできるか、男女の風俗系の記事とかも参考に試行錯誤してる。
彼は果てると本当にうれしそうで、それはわたしもとてもうれしい。前に彼がこれを「セックス」と呼んでくれたことがあって、たしかに「バニラセックス」なるジャンルはあるけど、「ああ、この人はこれをセックスだと思ってくれているのだなあ」と、すごくうれしかった。
とはいえ、彼がおふざけでわたしに抱きついて腰を振ってきたりすることもわりと多くて、本心では挿入のあるセックスをしたいのだなと。
酔ったときなどに、「またいつか入れたい」と漏らすこともあったりして、そのたびに申し訳ない気持ちになります。
彼と過ごしていると、リラックスして心から安らぐことができ、一緒にいるだけで満たされます。たぶん、オキシトシン的な恋愛なのでしょう。
自分の人生にこんな幸せがあるなんて、思いもしなかった。思春期のころからずっと死にたいと思っていたけど、今は生まれて初めて、まだ死にたくない、頑張ってもっと生きていたいと思っている。
彼を心の底から愛している。愛しているからこそ、セックスができないのです。
わたしにとってセックスはドーパミンの出る行為で、ドーパミンの出る行為はわたしにとってはもう快感ではないのです。今でも、日常でドーパミンがなるべく出ないように、感情の振り幅を小さくして、心に波を立たせないように慎重に生きてる。双極性障害が再発したら、わたしの人生はまた壊れてしまう。
彼の望んでいることはできる限り叶えたいと思っているけれど、どうしても、セックスだけが、できない。
彼には、外でセックスをしてきてもよいと普段からわりと真面目に伝えています。けれどやはり、彼がセックスをするなら、わたしとしたいのだそうです。
たぶんわたしの中に、「バニラはセックスではない」という固定観念があるのだろうなと。彼はバニラでも十分うれしいと言ってくれているのだけれど、このままだと、これから一生、彼にセックスをさせてあげられないという後ろめたさがある。
男女夫婦のセックスレスの増田の記事を読むたびに、自分が大罪人であるような気持ちになります。「セックスできないなら離婚しろ」というコメントも散見され、落ち込むこともしばしば。
どうしたらまた、セックスしたいと思えるようになるのだろう。もしくは、どうしたらこの申し訳なさ、後ろめたさと折り合いをつけられるようになるのかな。