はてなキーワード: 台風とは
地震やでかい台風といった大きな自然災害が発生すると、被災地の復興に税金突っ込む事に反対する人たちがでてくる。
「過疎化する地方のインフラに投資したり維持費を払うのは無駄!」みたいなやつ。
まあ考え方は人それぞれだからいいとして、集約って言葉をマジックワードみたいに扱ってることが気になってる。
「農村部に散らばった人口を近隣の地方都市に集約して効率化! インフラ維持費軽減!」みたいなやつね。
確かに散らばってる人口を集約できれば、色々と効率的になるとは思うよ。
でもこの手の意見って、人口を集約する際にもインフラ投資を行う必要があるって事を見落としてる様に感じるんだ。
当たり前のことなんだけど住んでる人が引っ越したとしても、その人達が耕してた農地まで移住先に付いてくる訳じゃない。
農業会社を立ち上げ、既存の農家から農地を買い上げて農地の区画整理を行ったとしても、土地そのものを動かせる訳じゃない。
となると農業会社に雇われた人が、地方都市から農地に通勤して農業やる様になる訳だ。
そうなったら既存の貧弱なインフラでは仕事が成り立たないケースがほとんどだと思うんよ。
既存の貧弱なインフラでも妥協できてたのって、農業従事者が農地のすぐそばに住んでるからなんだ。
農地と離れて住む様になるなら、広くて立派な広域農道作ったり、収穫物の選別や洗浄、梱包を行う集荷場を新しくしたりといった投資が必要になる。
害獣対策や野菜泥棒などへの対策や、土砂災害などの早期発見も農地に隣接して人が住んでいるから可能な事が多いと思う。
人の目が無くなるなら代わりに機械の目を、監視カメラやセンサーを設置したりドローンを定期的に飛ばしたりといった対策が必要になるし、それらを扱える人材の育成も必要だ。
農村部の人口集約と効率化を推し進めるにはハード、ソフト両方に結構な投資が必要だと俺は思うんだけど、果たして都会の人達はこういう事へ税金を使う事を許容するんだろうか?
ぶっちゃけ田舎への投資を無駄と考えていて、その無駄を減らしたいなら現状維持が一番だと思うよ。
災害が発生した時に復興予算とか組まれたとしても、どうせ東日本大震災の時みたいに予算を流用して都会に流れる様になるでしょ。
そもそも大規模なインフラ整備を行うのは大手ゼネコンで、大手ゼネコンの本社は大抵東京にあるんだから公共事業の美味しい部分をほぼ東京が独占してる訳だしね。
一票の格差が是正されて国政への都会の発言力が強化されていけば、ますますこの傾向は強まっていくだろう。
正直なところ、災害時に田舎の復興にいちいち文句つける人達の意図がイマイチよく分からない。
雄弁は銀、沈黙は金じゃないけど、現状のまま放置しておけば田舎の被災地に流れる税金はどんどん減っていくのに、わざわざ騒ぎ立てて無駄に論争を引き起こしている様に見える。
そんなことに労力を割くよりも、田舎が滅んだ後に都会でも可能な食料生産技術(昆虫食とかミドリムシとか?)への投資を議論した方が都会の人達にとっては建設的なんじゃないかと思う。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c631d51dbb3d564b6f8159d8058f32b807ae2a2
要約すると、滝沢秀明氏が旧ジャニーズ退社後立ち上げた芸能事務所TOBEが被災地で炊き出しを行ったという話だ。
これだけだと美談に聞こえるが、公式からのコメントを見ると美談にしてはいけないことが多すぎる。
https://twitter.com/tobeofficial_jp/status/1744343194320699461
まず被災地へいち早く行き過ぎている。
1/3には東京から被災地へ向かっており、1/4、1/5に炊き出しを行っているのだが、1/4には県知事が個人での訪問を控えるよう呼びかけが行われている。
訪問をしたのはあくまで個人ではなく企業としてだから問題がない、という擁護が出ているが、震災発生から数日というまだ被害全容が出ていない段階で零細企業の受け入れができるのだろうか。
1/2や1/3で物資を運んだのは山崎パンやフジパンなど、日用品を日ごろから担っている企業が主である。
TOBEはあくまで芸能事務所であり、このようなレベルの物資を運んだとは考えにくい。
県や市の関係者とやり取りをして被災地に行く企業もいて、TOBEもこの手順を踏んだ可能性がある。
例えばタレントの紗栄子氏が立ち上げた社団法人や野口健氏のNPOでは自治体からの要請のもと被災地へ物資を届けていることを公言している。
TOBEも同じかもしれないが、「関係各所」としか書いておらず、この関係各所に自治体が含まれているかは定かではない。
定かではないので「入っているんだ」と捉えるのは危ない。
そもそも公式文書が「ある一つの連絡をきっかけに、」という言葉から始まるのはどうかと思うが、被災地訪問へのきっかけが「孤立したある家族を救うため」と公式文書には記載がある。
もちろんこの家族は誰なのかを書く必要はない。しかし、災害救助のプロではないTOBEが行く必要もない。
これを許してしまうと、例えば被災地ではない土建屋が輪島にいる親戚を救おうと何台もの重機で行って救う、というのも許容されてしまう。
こういったケースがいくつも増えてしまうと統制が取れない、道路が渋滞して作業が滞るなどの恐れがあるため、先述した通り知事から呼びかけが行われている。
実際某泡沫党を除き、主要な政党は訪問を控える方針を固めている。
個人的に一番憤っているのが現役のタレントを帯同させたことだ。
若い力を率いてある家族を助けに行きたかったのはわかるが、あくまで彼らはタレントであり、救助のプロではない。
もちろん、ボランティアが救助のプロである必要はなく、旧ジャニーズではタレントが豪雨被害や台風被害にあった地域のがれき撤去ボランティアを行っている。
しかしまだボランティアの受け入れすら行っていない、行えない地域に素人を連れて行くことは危険すぎるのではないか。
いや、ただの素人ならまだいいが、連れて行ったタレントは全くの無名ではなく、ドームでライブを控える超有名タレント。その影響は考えなかったのだろうか。
自分の推しがまだ危険な状態で連れていかれたら事務所へ不信を抱くし、行くと豪語したら何言ってんだと思うし周りは止めろよって思う。
被災地の人は喜んだからいい、被災地に一刻も早く救助が必要だからいい。
確かにそうだ。実際自分が被災者で不安な日々だったら感謝をするかもしれない。
しかしこの賞賛はもしかしたら数多の犠牲を生んでいたかもしれない。
今回はたまたま運がよかっただけで、もしかしたら移動の間に土砂崩れにあっていた可能性もあるし、津波に巻き込まれる可能性もある。
地震が多いからこうしたリスクは常にあるということはそうだが、少なくとも今は該当の地域はそのリスクが格段に上がっていることくらいはわかるだろう。
手放しで褒め称えているファンは、アンチTOBE勢力関係なく、一般の人からなぜTOBEがへずまりゅうやコロアキといった迷惑Youtuberや山本太郎と並べられているか、もう少し考えたほうがいい。
10日現在、エンタメ界では義援金・支援金を寄付する報告が絶えない。被災地に行きました報告は「ほぼ」ない。
義援金を届けること、支援金で団体をサポートすること、エンタメにいる人は災害時のプロではない、それがわかっているからエンタメ界は皆お金で支援をし、ファンに呼びかけているのだ。
TOBEに多額の寄付をしろとは言えない。立ち上げたばかりの事務所、CSRに投資することができない可能性もある。
ただそれでも、そのSNSで寄付を呼び掛けることはできるのではないだろうか。自治体の呼びかけに応じ、ファンに被災地への訪問を控えるよう呼びかけることもできるのではないだろうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/16457717013869067668
チェンソーマン152話に対して絵が荒れてるだの何だの言ってるやつらまともに漫画読んでないだろ。
今回の話が微妙なのは明らかにネームのせいであって、絵がひどいとかマジで本質的な話じゃない。
元々チェンソーマン(というか藤本タツキ)は戦闘シーンを見開きでかっこよくキメて読者に強烈な印象残すのがすごい人。「台詞回しがイカれてる(コウモリ、永遠)」「シチュエーションが特殊(永遠2回目)」「バトルの規模がでかい(レゼ&台風、銃の悪魔、ポチタVSウェポンズ、ゴキブリ)」あたりがあの人のよく使う手札。それでかっこよさを担保してる。
でも逆に言えば、基本的に細かなバトルシーン描くの元々うまくない人なんだよ。「○○が××したからこっちはxxだ!」みたいな理詰めのやりとり挟んだ瞬間即もっさりする。わかりやすいのが、VSレゼ戦で台風がレゼに血を飲ませるやりとり。
152話がつまらないのは、細かなバトルのネームを切ることは得意じゃないタツキが、普通の生活でぬるま湯に浸りイカれ具合の薄れたデンジを使って、見開きもなければ規模もこじんまりとしたバトルを描かなければならなかったことが原因よ。自分ごと身体切ってから食べるまでの数ページ、明らかにテンポ悪いだろ。その上で注目すべきなのはデンジの台詞まわしがまたイカれはじめたことであって、ここは期待を上げてくべきところだろ。絵柄なんてかなり些末なことだよ。
というか、そもそも藤本タツキは整ったストーリー作りがあまり得意ではないんだよ。ファイアパンチはその辺有名だけど、元々ストーリーを進めるために設定ちらして、その設定の中で予想外の展開見せるのが得意なわけ。チェンソーマン1部だってあまり大筋のストーリーライン整ってないでしょ。銃の悪魔に仲間がいる設定どこいったとかあるじゃん。「銃の悪魔を殺す」という本筋がアキの死で消滅したの、冷静に考えたらストーリーとしちゃグダってるじゃん。でも、そうしたことで「ここからどうなるかわからない」というドライブ感が生まれてめちゃくちゃ面白くなってたでしょ?
チェンソーマン2部は、意図的なのか結果的になのか、その手札が封印されてるのよ。ダブル主人公制になったこととか、1部から散らしてきた要素を回収しなきゃいけなくなったこととか、色々な理由はあるだろうさ。でも俺は、2部が1部と違ってそういう理詰めで細かなバトルやるの含め、タツキ自身が明らかに自分の苦手なことに挑戦して何らかのステップアップを試みるのが俺は好きなんだよ。なのにおまえらは、絵柄も何も関係ないことが原因のつまらなさを「なんとなく微妙」くらいのフィーリングで絵柄のせいと誤読してる。
大体、152話と似たようなもっさり感のあるバトル回はヨルVS正義の悪魔(偽)もそうだっただろ。この回明らかに微妙だったじゃん。なのにその時は殆どつまんないってコメント残してない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/316112896945814095
別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学の説明の外にある現象……思念、怨念、呪い、妖怪
死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか
「祟りは信じていない。しかし祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる
「祟りは信じていない。しかし何か起きたときに祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる
では龍であればどうか
「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか
実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神の実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう
いや、これは本当に自信が無い
ルールだから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし
シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう
これは例えば江戸時代や明治時代の史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかいう記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話
箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎をバカにする言い回し
これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか
それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか
また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回しも存在する
この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……
南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい
そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ
こういう言い回しがある時点で当時既にお化けの実在は信じられていなかったのでは?と感じる
でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ
お化けや妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?
当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい
江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査)
しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?
竜巻あたりも同じ話だ
明治時代の錦絵に竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある
貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室
その絵には
怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり
という文も添えられている
この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか
「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか
あるいは「あれこそ龍が昇天するときの現象だ」という文意なのか
「龍の伝承,とくに東海地方の竜巻と台風について」という論文によると、
との記述がある
ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に
なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥の王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。
というフレーズがあるようだ
だいぶ古い!
やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで
グリフィンなんかはこれより少し後の時代に実在を否定する人が出てきたようだ(しかし実在派から反論を受けている)
『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
グリフィンの実在を否定した作家のトーマス・ブラウンに反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。
グリフィンは想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物が存在するからである。アコスタ[スペインのイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランスの探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である。
そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ
なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ
こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果
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であれば、現在は切り詰めるべきではない。
②妻はベビーカーと子どもと荷物を階段で昇降しなくてはいけなくなる
デメリットはっきりしているのなら、4万だそうよ。また転勤あるだろうから、ここで経験値 つんだほうがいい
山本太郎のヒロイックシンドロームを満たすため、それ以外の(れ新にとって)合理的な理由を挙げます。
衆参・地方含め、石川及び福井富山にれ新候補者が擁立されたことはない。一応新潟には蓮池氏がいるが、選挙としては参院比例からの出馬であり、この震災でも動きが見えない(被災されているのかもしれないが)。
衆院選では、もともと東京8区からの出馬を予定していた辻村氏を比例北陸信越ブロックに飛ばし、山本自らが東京8区に野党統一候補としてなり替わろうとした。その後の顛末はみなさんご存じの通り。
というかれ新は地方組織を全く作らないという運用を続けており、50名ほどの地方議員が誕生していても県連的な組織はない。
他の党であれば地元議員や地方組織が活動できるが、ボランティアをやりがい搾取でこき使っているれ新にはその手駒がない。
よく言えば独立独歩、悪く言えば減税狂信者であるれ新は、これまでなんだかんだ理由をつけて内閣不信任案を棄権するなど、主に立憲から距離を取りつつ減税による野党共闘のヘゲモニーを狙っていた。
去年、あれだけ全国各地でバカ騒ぎを起こして増税に反対していたのはそのためである。
しかし先の臨時国会では、安部派の裏金問題に野党が、それも立憲が中心となり一致団結するという事態になり、山本太郎としてはそれはそれで面白くない結果となった。
また、立憲はれ新の存在理由である消費税減税に消極的であり、市民連合もそれを共通政策に入れないという背景がある。櫛渕が市民連合の要望書を「受け取っただけ」とわざわざ付け足したのも記憶に新しい。
折りしも、山本太郎が能登入りを公にした1/5は、各党が能登視察を自粛する申し合わせを行っていた。大石曰く、れ新と社民党がその会談に参加できない、という話は事前にあったということで、能登入りの決め手になったとも考えられる。
1/1の発災から沈黙を続けていた山本太郎は、いまも党として声明の一つも出してはいないが、1/4には支持者向けメールで能登入りを明らかにしている。どこを向いて行動しているのはこれで明らかだろう。
というわけで、いまは構成員からボランティアまで活き活きと与野党叩きに勤しんでいる。れいわローテーションの延期なんてだれも気にしていない。
支持者とアンチにしか共有されていない事項だとは思うが、山本太郎は災害時に飛び出していくという性質がある。
例の国葬儀の日は静岡の台風被害地に訪れ、その後の集会にわざわざ泥で汚れたスニーカーで参上した話はもはや英雄譚として語り継がれている。
というか、山本太郎が何かしらしでかすことこそが、れ新がピックアップされる唯一のイベントといってもいい。
2022年12月の代表選挙で、対立候補であるはずの大石や櫛渕はなんと主張したか? 「山本太郎を野に放て」である。
たとえ自分たちが選挙に勝っても、山本太郎が直前に創設した共同代表ポストに据え、自由気ままに活動してもらう、というのであった。
なので、山本太郎がしでかした時点でもう目標が達成している。通常国会が楽しみですね。
つい先日、花蓮と台東を続けて旅行した。はてブなのでネットの海に埋もれるのもあっという間だろうが、もし見つけてくれた人がいたら参考にして欲しい。
大前提として、花東は大変美しい地域だった。過ごしやすく、騒がしくなく、休暇先としては最高の場所と言ってもいい。日本からの観光客が増えないのが不思議なくらいだ。
日本の植民地時代以降本格的に開発された&元々原住民の多い土地柄とあって、台湾西側とは全く異なる雰囲気。台湾の多様性も直に感じられると思う。万人におすすめ。
ただ、以下のリンク先にもあるようにこと観光という点においては幾つかの(深刻な)課題がある気がする。
花蓮:台鉄の駅から中心地まではゆっくり徒歩で30分くらい。気にならなければ駅前、中心地のどちらで宿を取ってもいいと思う。タロコは文句なしに素晴らしい。が、最近はトンネルが通行止めで(特定の時間にのみ通れる)旅行の予定は立てにくい。公式サイトに情報は載っているがまあ土地勘がないだけに大変分かりにくい。個人旅行の場合は頑張ってください。花蓮の街自体は小さいので日中周辺を巡り、夕方以降夜市に行けば諸々1.5日程度で十分。だが、特に原住民のエリアは物珍しさをダシにか、多くの店があからさまに高い値付け。正直価値に見合っていないと感じた。コンテナのスタバの立地はクソ遠い。そういえば心なしか駅弁のご飯が台北よりも美味しかった気がする。お酒も原住民のテイストをベースにしたカクテルからクラフトビールまで街中で見つけられるので、概ね満足。もう少しゆっくりしてもいいなぁと思えた。
台東:もったいなすぎるcity第一位。ここで食べた台東名物の米麺は多分台湾で一番美味しいと思った。が、これと言った観光地が「自然」で、軒並み遠く、バイクですら若干躊躇するレベル。駅から空港、市街地がイメージ正三角形で結ばれている感じで、どこからどこに行ってもタクシーで250元前後取られる。バスの本数は極端に少ない。その癖ニコニコ現金払いしか対応していないタクシーが多く、準備がないとクソほど焦る。ハ?って感じだ。駅から市街地まで歩いて1時間以上はかかるので花蓮とも勝手が違う。また、全体的に駅前や郊外のどこに行っても「税金」が建設されている感じで中身がすっからかんな感じ。ちょっと心配になる。台湾好行という観光バスが一応交通の課題を解消するために出ているのだが、クソ。台湾ナビとかいうサイトには休日にはガイドがいるぞ、みたいに書いてあったがいなかったし、途中の停車駅は台風被害で何も見るべきところがないにも関わらず長時間停車。一つの目的地であるアミ族民族村みたいなところではパフォーマンスの時間と発車時間がかぶる。もうちょっとどうにかならねえのかよといったガッカリ感。酒に関しては地元の若者たちがお友達向けにやってるイケてる笑カクテルバーが多く、物によっては台北以上の値付け。台北のカクテルも大概高すぎると思うのだが、それ以上となると…。クラフトビールは作られてはいるっぽいものの、街中にそれを出す店が皆無。全部カクテルバーである。全く(酒飲み)観光客は楽しめない。仕方がないのでバスステーションにはビールが売っていて、オープナーもあるので裏手の公園で飲んだ。蚊に刺されたが路上パフォーマンスもあるので退屈はしなかった。おそらくここに来るのは温泉や離島までの中継か、豊年祭などのイベントごとの機会を捉えないとむしろヘイトを貯めることになりそう。先史博物館は一見の価値あり。ここでようやくプラマイでプラスって感じ。駅のすぐ隣にも巨石遺跡があるので電車待ちの間に行くとよろしい。
そもそも台湾の人たちはあまり酒を飲まない&少人数で食事をしないというのもあるのかもだが、交通の便が悪い観光地であるならば尚更、地元の食だとか酒だとかがをコンパクトに楽しめるようにしておいてほしいなあと感じた。また、台湾人全体的に建物や空間デザインは抜群に優れているんだが、作るだけ作って中身が無いという印象を受けることが多い。博物館や美術館、修復された遺構で特にそう感じることが多い。アートが苦手なんか?
いまいち地域性を感じられないこととか観光に対する本当にやる気あんの?感とかそういうところが今回の旅の一部のガッカリ感に繋がっている気がする。特に公共交通の悲惨さは内需が車移動で完結するから整備するインセンティブがないのだろうか?無駄な公共物に金を使わないで、こっち整備して。どうぞ。花東、全体としては(ここには書いてないが)満足している。みんなもっと行ってほしい。が、僕がしていたような過度な期待は禁物でもある。そこんとこ踏まえてぜひ楽しんでほしい。台湾は良いゾ!!
なんかさ、怪しい団体に寄付するとそれが何に使われるかわからないとかあるみたいで、ほんとかわからないけどそういうのは嫌だなと思ったの
Xとかで日本赤十字社に寄付するのがいいと言ってる人がいたから、じゃあそうしよ~と思ってウェブサイトを開いたわけ
皆さま方からお寄せいただきました義援金は、被災地の方々の生活を支援するため、被災都道府県が設置する義援金配分委員会へ全額をお送りします。
ってことだから、へー結局都道府県に渡す感じなのね、なんで直接都道府県に寄付するんじゃだめなのかな?と思いつつ
日本赤十字社にした寄付は結局何に使われるんだろうと思って「義援金配分委員会」でググった。
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kousei/gienkinbussi/r5okunotojishingienkin.html
へーー被害に応じてお金を振り込む感じなのか~ 知らなかった~ と思いつつ、
あれ?じゃあ他の災害で集めた募金はどうなってるの?と思って令和元年の宮城県の台風被害についても見てみた
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/densho/reiwa1-typhoon19-gienkin.html
石川の台風被害で死んだら義援金78万円、宮城の台風被害で死んだら74万円
命を失ってしまったひとたちへの義援金として少しでも役にたっていればいいなと思いつつ、災害によって一律の金額ではない感じ
ほかを見てみると令和元年静岡は103万円、平成23年奈良は250万円、令和元年福島は59万円、東日本の宮城は107万円・・・みたいな
基本的に集まった金額をベースに、被害の具合と対象件数で単価を決めて、それをベースに配分金額が決まるような計算方法みたい。
まあグダグダ言わずに寄付すればいいんだろうなとおもって、まだ今年の収入は何もわかってないけどふるさと納税の枠でもできるってテレビでやってたなと思って試算サイトに行ったわけ
そしたら、私って東日本の復興特別所得税なるものを負担していたわけ!結構でかい!
えーもう復興税があるなら、東日本だけにしないで全国のいろんな災害向けにざっくりでまとめて税金取って、寄付とかいちいちやらないでそこからお金配ってくれれば良くない~?って思っちゃった
どうせテレビでかわいそうな感じで放送してたらみんな募金するんでしょ、いまギリギリ冬休みで時間あるから募金するでしょ、でも被害の派手さの少ない(言い方)災害だと募金集まらないんじゃない?
急にこの災害だけ寄付とかしようとしてる自分、まさに上記じゃん、かなり身勝手なのでは!
みたいな感じでわからなくなっちゃって今に至ります。どうしよ。
どこ経由で寄付をするのか
みんなどうやって決めた??
とは言っても、
親が気まぐれに買うスクラッチくじに便乗して300円が当たったり
なにかの催し物で行われるガラポンで中の下あたりの賞を貰ったり
とにかく
そういった『ちょっと』の積み重ねではあるが
小雨の降り注ぐ日は登下校時に雲が切れ
冗談半分に
「神様に愛されてるなあ」なんて思っていた。
サンプルは少ないが
てるてる坊主を作って渡すと
「どうしてもこのコンサートに行きたい」と嘆いていたジャニオタの隣席の子に
「クジ運良いからさ!」なんて笑いながら、ノートに『当選祈願』と蛍光ペンで書いてあげた
まあそういう偶然もあるよな、と驚きつつも
喜んでもらえたのでこちらも嬉しく感じていた。
そんな『運』が薄れてきたと感じたのは高校2年あたり
大きな怪我をする事もないため、
落とした定期入れは見つからず
登下校で小雨がやまず
文化祭で雨が降る、といった程度の
そんな『ごくありふれた小さな不運』であった。
自転車通学だったし
当然ながら日頃濡れる事もないので
それはそれで楽しかった。
そして更に認識を改める事になるのは
薄れてきた『運』を補完するような
当然、頻繁に起こる事でもないし
事象同士の期間はずいぶん開く。
しかし『災害の回避』と表現する以外の言葉が見つからないのである。
細かくは覚えていないのだが
少なくともこの15年
1度も揺れに出会っていない。
数度あった豪雨の際も
周囲が水に浸かるなか
住んでいる町は無被害だった。
何もできないし
経験値もないし
受け止める強さもないし
共感する力もないし
ただTwitterでTLを眺め
ニュースばっかでつまんねぇな、と零し
現実を
ほんとうに、「無」なのだ。
何も起こらない、ただひたすらに平穏な
こんな人間もいるんだと
思ってもらうだけでいい。
余談ではあるが
きっと運が良いから
すぐ還っていってしまうんだな、なんて
柄にもなく思ったりしている。
今はとりあえず
何もなかったかのように
あえて無視して
普段通りに
何事にも気を揉まず