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はてなキーワード: 中絶とは

2018-11-06

anond:20181106135223

子供は要らんけど滅茶ヤリまくりたいイケメンなんかが、妊娠の恐れはないと聞いて喜んで飛びつくんじゃないか

実際の妊孕力はそこまで衰えてなくて、意外に多いのが40代中絶数なんだけどね

2018-11-05

anond:20181022005054

残念ながら日本中絶権利として女性に認められているということは無い。

anond:20181105012622

中絶殺人だと思う。

不倫もよくない。人としてされたら嫌なことはしないほうがよくないかな。

というか、どこが悪いんだ?風にしているのがとても怖いです。あなたは全部だめ。

anond:20181105011422

何が気に入らないのさ?

不倫は悪くないって言ったことか

中絶殺人行為と言ったことか

一生背負えと言ったことか

それともお前呼ばわりか

anond:20181105010521

おいおい。

だったら、不倫して10人の女性10子供を産んで貰え。

勿論、中絶なしな。認知しろよ。ちゃん10人育てろよ。

ビッグブーメラン

anond:20181105001105

しろ不倫こそそんなに悪くないだろ

なんで一人の相手だけに操を立てなきゃならんのか分からない

中絶日本人の死因第一位だそうだが、そんな殺人行為合法とされていることに戦慄を覚える

一生背負って生きていくのならまだ良い方で、実際お前のように何とも思わない人間もいるわけだから

anond:20181103165758

不倫はともかく中絶ってそんなに悪いこと?

私も学生時代したことあるけど、別になんとも思ってない

わざわざ言うことじゃないから我が子にも言ってないけど、もし我が子がそういう経験をすることになった時にはお母さんも経験あるよって言ってあげたい

産むこと一択なのは危険だな

2018-11-04

中絶何が悪いのかわからない

まだ人間じゃないんだしいいだろ

anond:20181103165758

昔付き合ってた彼女中絶して貰った事あるよ。俺。

中絶理由女性側だけに求めるのはどうかと思う。クソ野郎

2018-11-03

友達の中に若い頃に不倫中絶経験がある友達がいて、それぞれ今は別の人と結婚して子供を産んで幸せ暮らしている。

私はその子供たちが大きくなったら

「君のお母さんは君を産む前に中絶したことがあるんだよ」

「君のお母さんは不倫して相手の家庭を壊したんだよ」

と教えようと思っている。

友達にもその子供にも何の恨みもないしむしろ家族ぐるみで仲良く付き合っていると思う。

言われた子供が一番ダメージを受けるのは中学生くらいだと思うのでその日がくるのが楽しみで仕方ない。

本当に、全く、嫉妬も恨みも何もない。

でも絶対にやりたくてしょうがない。

この感情現象?は何なんだろう。

他の人はこういうことを思わないのかな?教えて欲しい

2018-10-28

援交は普通だし大麻も当たり前だし妊娠中絶も大したことない

って、知り合った女子高生が言ってたのがショックだった

俺の中で援助交際は「貧困にあえぐ未成年しかたなく手を染める性的犯罪」だったわけで、なにか重い感情が背景には隠れており、その裏にはまた複雑な社会問題が隠れているのだった

でも彼女はあっけらかんに言うのだった「彼氏最近構ってくれないから」

しかに、彼女を幾通りにも深読みすれば「複雑な社会問題」を取り出せるのであろうが、俺にはそれをする意味理由動機もない気がした

彼女からすれば所詮ただの変態親父が意味不明なことを言っているに過ぎない

なんというか、当たり前ではあるんだけどこの世の中は岩波文庫ちくま文庫じゃ覗けないものがあるんだなってわかった

俺はそれなり高学歴の世界に身をおいてきてその世界しか見れなかったように、彼女たちもその世界しか見えないのだろうな

そりゃそれぐらいの高尚な世界、高い高い目線世界を見下ろせば全てわかった気になる。でも、俺は全然わかっていなかった

なにも、そう言った文書にすべてが書いてあると思って見てたわけじゃない

「ああ、現実もっとひどいんだろうな」とか「もっと多種多様、一人や二人では形容できないようなことが現実では起こっているんだろう」とは考えていたのだ

しかし、現実を目の当たりにすると違った

俺の文章を読んで鼻で笑うのは自由だし、以前の俺ならこの怪文書に対して「なんとなく気に入らず」ひたすらマウントして記憶の隅からも追い出そうとしていただろう

だがそれをしれただけでも良かった。世界は無数にあるのだ

オナニー文章失礼した

2018-10-22

中絶権利

日本キリスト教支配的な地域もないし中絶権利も広く女性に認められてるので、フェミが本気で何か結束してやるとかもうないんだよな。問題はあらかた解決終わって暇でしょうがないんでキズナアイに絡んでるって感じ。

2018-10-20

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-10-15

anond:20181015153952

でも海の向こうで中絶に反対してるのはカトリック宗教保守で、リベラル側はもっぱらプロチョイスでしょ

「生きる価値がない命」を国家が殺すのは絶対ダメだけど母親が殺すのはOKということでしかない

anond:20181015152135

優生思想が悪いんじゃなくて、気に食わない奴が優生思想を振りかざすのが気に食わないだけ

から国家犯罪者優生思想でもってあれこれしようとするのを非難する連中にしたって、母親優生思想のもとに障碍者胎児中絶しても何の倫理的問題もないということにしてしまうでしょ

本来他人優生思想とか言って非難するのであれば、そのカウンターになるべき思想というのがあってしかるべきなんだけど、実はそれがない

命が等しく大事だなんて最初から誰も信じちゃいないんだから

ただ気に食わない奴に向かって優生思想呼ばわりすれば気楽に殴れるというだけのことでしかない

2018-10-14

anond:20181014144841

意見割れそうにない話題を探すほうが難しいんじゃね?

中絶の件も萌え絵の件も仲間割ればっかりしてる

2018-10-10

キモいから叩く、排除~って

水脈さんと一緒じゃんか。

まあLGBT性的欲求マイノリティーってだけで、性的魅力はあって、他者から承認はされてるし、繁殖主義の方から敵意を向けられることも多いだろうが、味方もできやすいだろ。

今回の件で声上げてるオタク側?も、反撃できる元気があるだけいいよ。

本当にキモい人間は味方もいなくて、声も上げず。もう全方向から叩かれて、疲れきっていて、ただひっそりと暮らしていたいだけなんだがね…。キズナアイとか、くそほどどうでもいい。

存在してるだけで叩かれて、本当に疲れるよ。なんで生まれたんだっていつも思う。

結局、この世は遺伝子繁殖牧場しかいから、劣等遺伝子保有者って一目でわかるキモメンキモガール地獄だ。

ダウン症発達障害、先天性の病、顔面偏差値一定レベル未満の人間強制中絶くらいにしてほしいよ。

2018-10-03

6時間以上の睡眠を途中絶対に起きずに寝きる人

絶対途中起きちゃうんだけど

これも睡眠障害だったりするのか

2018-09-30

anond:20180930232238

趣旨がずれるけど、介助介護必要子供ホームもっと増やして欲しい

できれば税金運営

どんな子ができても、いざとなればホームがあるよってなれば、中絶検討していたご家庭も安心して妊娠継続できるし、虐待も減る

2018-09-26

anond:20180926093022

いや結局そういうことでしかないんじゃないの

例えば優生思想なんか、政治家優生思想を振り回して自ら障害者を間引こうとするのは今時絶対に許されないだろうけど、しか母親障害児と判明した胎児中絶するのは自由だし何の罰もない

ここで重要なのは、もし母親優生思想があったとしても、それ自体別に否定されていないということだ

責任所在国家から母親へ移れば、「いらないとされた命が失われる」という結果そのものが全く同じでも、何ら問題はない

でも母親に向かって「それは優生思想ですよ」と言える奴がいるかカトリックぐらいのもんだろう

LGBTにしても、LGBTを嫌う人というのが今なお実際に存在する以上、偉い人叩きのネタしか使えないんだよ

2018-09-15

anond:20180915130252

まれる時から同意をとれるか否か問えそうな成人が生まれてくればいいのにね。

胎内から医者超音波同意不同意を伝えてくるとか。

ある程度超音波を出せるほど成長しないとさすがに物理的に難しいので、中絶許容期間を現行法より延ばす必要があるが。

「なんで自分を産んだの?」に対する最も論理的回答

あなたに、もし子どもがいたとして、「なんで自分を産んだの?」と聞かれたら、どう答えるべきなのだろうか......

『そんなことを言われる時点で親失格だ、愛情不足』とか『自分には子どもはいないし、今後も作る気ない』

っていう人もいるだろうが、そのご意見は今回のテーマに沿わないので置いておいてほしい。

とにかく、子どもがいると仮定して考えたときに、論理的回答は導きだせるのか?

想定される回答

パターン1「産みたかたから産んだ」→自己満足のため?

パターン2「コウノトリが運んできた」→一定の年齢に達すると使えなくなってしまう。全年齢対象の回答が望ましい。

パターン3「あなた(自分の子ども)のためだよ」→詭弁しか聞こえない、っていうかパラドックスを感じるのは私だけ?

パターン4「理由なんてなかった。結婚して産むのが当然だった」→時代背景も鑑みて、これはありそうな予感

パターン5「セックスしたらできた。できたから産んだ」→実情はこうだったという人も一定数いるはず。中絶しない合理的理由は考えやすい。(例えば、殺したくない...などなど)

でも、なんだかんだいって、子どもを産み育てるのは、結局のところ親のエゴだって思ってしまうのは私だけなのだろうか?(それと同時に社会全体のエゴだとも思う)

話を元に戻して、

タイトルにある通り「論理的回答」を考えたいと思う。

即ち、パターン5の「セックスしてできたから産んだ」は子どもに対する答えとして感情的には最も不適切ではあると思うが、論理的には最も正しいと感じる。

で、突き詰めると「エゴである」以上の答えって果たして論理的なのだろうか??とさえ思ってしまう。

皆さんはどうお考えだろうか?

2018-09-11

anond:20180911174115

優生思想」呼ばわりのもとに否定されるのは、あくま国家権力者や大量殺人犯が振りかざすことだけであって、思想それ自体否定されてないんだよね

例えば母親障害持ちの胎児中絶しても、それは決して殺人じゃないよ~んということになっている

文句を言うのはせいぜいカトリックぐらいのもんだ

要は責任所在さえ別なら、結果として「価値がない」とされた命が間引かれようが何の問題もありゃしないんだよ

価値な命を誰が殺すかの違いでしかない

2018-09-05

anond:20180905211318

いろいろ疫学とか自殺予防とか言いたいことが湧いてくるが、

とりあえず産まれてくることそのものが望まれていなかった忌み子が自殺の一因ならば、

中絶規制フレキシブルに緩和することで、せめて母親だけでも救えるようにするのもありだと思う

そうじゃなくて産後鬱が主要因なら、早いうちの母子分離、あるいはアカポスの拡充

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