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復帰49年沖縄の課題にどう取り組むか?河野太郎沖縄相インタビュー全文【WEB限定】 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321874.html
さすがに全文引用したら怒られそうなので、沖縄の貧困解決へ向けての取り組みについて、沖縄タイムスでは触れられなかった部分のみ引用する。
―「子どもの貧困対策事業」については、貧困の連鎖の根本的な解決にならないとの声も上がる。今後の事業存続の可能性と、新たな貧困対策に取り組むべきかどうか。
(河野)「コア(中核)の原因にいかないといけない。対症療法だけではなくて根本をどうするという議論をしていかなければいけない。そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」
―先ほど発言のあった「母子家庭を少なくする」が具体策の一つか。
(河野) 「そういうところがある。コアが何なのかというところにいかないといけない」
(河野) 「それは要するにスタートしているのはそこの部分は相当ある。生活も安定し、親としてしっかりやっていけるという2人が家庭を持つというのは非常にいいことだ。それでも出生率が高いのが喜ばしい」
―新産業ということで、若年層の雇用創出、所得向上で具体策は。
(河野) 「一つは『沖縄の若者はみんな英語ができるぞ』という、要するに沖縄や日本のどこかで働くだけじゃなくて、行こうと思えば、世界のどこでも行ける。それが一つ大きいと思う。その機会はあるわけだから。やはり、そこに力を入れるというのは沖縄の歴史からしても『万国津梁』という伝統がある。沖縄の若者に「世界を目指せ」というのは歴史に根付いている話だ。東南アジアで仕事したって中東に行ったっていい。そういうやる気のある能力のある子どもがむしろ高校・大学から外に出るのを応援してもいい。海外で成功した人がまた沖縄に戻り、次の世代にバトンを渡していけばいい」
(河野)「教育が大事だ。渋沢栄一の大河ドラマを見てもそうだ。いろんなものがある」
(河野) 「OIST(注:沖縄科学技術大学院大学)並みの教育機関を持ってくると当然、研究者もいるけれども、その機関を支える人も必要になる。そういう所にも雇用の機会は生まれる。外国語の習熟度が高まれば、観光産業だけでなく、いろんな産業にチャンスができる。沖縄の人がみな言語が通じるとなると、海外企業から見ても、進出先にもなり得る」
つまり、ブックマークコメントなどで多数見られた「貧困対策や雇用対策をするのが先だろうー!」というのはお門違いもはなはだしく、
貧困対策はそれはそれでやるよ、と言った上での、若年妊娠を避けるための性教育や、英語教育その他『も』行っていく、が主旨だ。
あと、「若年妊娠率を下げる/母子世帯の発生を抑える」を、勝手に「自民党的家族観の押し付け」と読み替えている者もいるが、真逆だよ。
性教育という科学的知見を広めることによって、個々のカップルの意思を尊重した上で自立させることでそれを回避したいという話は、自民党的家族観の否定に他ならず、
そもそも沖縄タイムスの引用部分にすら「沖縄は家族の支える力が強く、親族らの支援が手厚い部分があるかもしれないが、そこに甘えては駄目だ」との河野自身の発言がある。
なぜマスメディアは、いちいちこういった面倒を生む、恣意的な引用を行うのだろう。
そして情報を受け取る側も、AとBは両立可能なのに「Aだけ言ってBを言わなかったなー!(実は言ってる)」とか、「Aに触れるとは何事だー!」という、議論を硬直させる批判はもうやめようよ。
はてなから、次第にメディアリテラシーが失われていくのを見るのは、長年のユーザーとして悲しいものがある。
沖縄の構造的貧困については、沖縄大学准教授樋口耕太郎氏のこの辺の記事が参考になる。
沖縄から貧困がなくならない本当の理由(7)貧困の合理性(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/300288)
「変われない沖縄」が生まれ変わるために(https://politas.jp/features/7/article/406)
性教育が果たしてこの構造的貧困の解決にどれだけ効果があるかは疑問だが、この文脈で言えば、全く正攻法ではあるとは思われる。
【追記】
【識者談話】「母子家庭になるな」は国の責任放棄 上間陽子氏(琉球大教授) - 琉球新報デジタル
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321729.html
沖縄で未婚の出生率が高い歴史的背景には、沖縄は米国の占領地だった時期があり、バースコントロール(産児制限)が効かない中で子どもを産むことが形成されていったことがある。
いやだから性教育を、と河野は言っているのだから、何も間違ってはいないでしょうが。
インタビューの全文を参照するなら、これは言い掛かりに近い。
突っ込むべきは、むしろ母子世帯を減らすために、性教育が果たして有効なのかといった所の方だろう。
あと、b:id:le_cinema 氏やb:id:aya_momo 氏、わざわざ太字にした部分が読めないのかな?
都合のいい解釈とかじゃなくて、河野が普通に「そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」と言ってるだろ。
「母子世帯を支える」貧困対策は、母子世帯を減らすという文脈と全く独立して述べられていることが分からん?
こういう脊髄反射で書き散らかしたコメントに星を付け合うの、ホントはてなを劣化させるからやめようぜ。
【追記2】
1日経って、トラバやコメントの反論見てみたけど、いやー酷いもんだね。
ちゃんと「理」を示して反論しようよ。ていうか、あっちもこっちもほとんど読んでないだろ。
理詰めで反論してくれてんのは、Pgm48p氏だけだよ。これはありがたい指摘。
反論てそうやってするもんだよ。
あーあ、どうしよう。
数年待っても嫁の考えが変わらないなら、娘だけを説得して同意したら一緒に病院に行ってワクチンを受けさせる、こうするしかないのだろうね。
しかし、嫁は娘にワクチンの害を教え込んでいるだろうから、果たして俺の言葉が娘に届くだろうか。
娘はそろそろ反抗期みたいで母親への批判めいたことを口にするようになっている。これがピークに達した時を見計らって説得するしかあるまい。
「わたしは絶対にお母さんみたいな女にならない!」みたいなありがちなセリフが出た時が、きっと最大のチャンス。
「お母さんはワクチンは怖いと言うけど、お父さんは病気のリスクと副作用のリスクを天秤にかけたらワクチンを受けた方がずっと良いと考えている。根拠の資料は、お前の歳だったら自分で読んで理解できるだろうから、自分で判断して受けるか受けないか選んでくれ」と、すかさず説得してしまおう。
母の「情」と父の「理」、娘はどちらを選ぶのか。
賭けだな、こりゃ。
本当に困った。
言語の変化を「合理的・客観的」に制御できると考えているとすれば、ちゃんちゃらおかしいとしか言えないな。歴史的に見れば、言語の変化は、生物の進化のようにとらえどころが無いものだよ。
言語は人間によって使われる…運用(パロール)の中で変化していくものであり、規律(ラング)によって生まれたりはしない。いかに「合理的・客観的」に整えられた言語であっても、それを使う人がいなければ消えていき、人々によって「使われる」言葉だけが生き残っていく。そして人々がそれを使う基準は、残念ながら「合理性や客観性」ではなく、もっと泥臭かったり、あるいは、単純に面白かったり心地よかったり、自分にぴったりと感じられるか否か、だ。ラテン語と欧州各国の言語を比べてみれば分かるだろう。
昨今、ケータイ小説から始まって、ネット文体、ラノベ文体やなろう系がかなり日本語をシンプルにアップデートするべく頑張っている
ここは全然わからないな。むしろその逆でネット文体やラノベなろう文体こそ文末表現等の多彩さや新語造語が見られるし、どんどん新しくなってどんどん陳腐になって入れ替わっている。その場そのときでしか通用しない独特の詩的な表現というのも当然無限に作られる。
だから、まさにその「無限に」生成され多様に複雑に生まれ消えていく言語使用の実態の中から、次なる時代の言語が誕生していくだろう、ということが言いたかったんだよ。誰もが気軽に表現し交流できるテクノロジーに支えられて、生物の進化における「爆発」のような状況がいま日本語に訪れている。もちろん、それらの言葉の大半は、馬鹿げていて、複雑すぎたり、一時の流行の中で消え去るものに過ぎない。だが、そのような大量の絶滅動物の中から、ほんの一握りの次代の覇者が生まれてくるんだよ。遺伝子の突然変異ほど無作為ではなく、しかも、他のDNAを取り入れることも素早くできる「言葉」の進化においては、100万年に相当する進化が100年もあれば可能だろうな。そして、それを支えるのは断じて「理」などではない。もっと感性的な何かであり、大量の試行錯誤こそがそれを成立させる鍵だ。
「頑張っている」と書いたのは、何も書き手個々の努力を指して言ったわけではないんだ。それはそれで貴いものだとは思うが、それよりも書き手/読み手が相互に関係し合い大量の人々によって大量の試行錯誤が生み出されている状況を鳥瞰して言ったものだ。あなたの見解は、その点で誤解が生じたものなのかもしれないな。
私は専門外で良く分からないから教えてほしいのですが、「理」に従って意見を交わすという前提である限り、ヘーゲルの議論であなたが言うような「司会のいない多人数会議の地獄」にはならないような気がするのですが。例えば教授らの飲み会とか、一見好き勝手に物言い合っているようで、最終的にはお互い「理屈に合わないこと言ったら負け」という信頼感があるから、結構話が落ち着くところに落ち着いたりするでしょう。ハーバーマスの考える市民的公共性の「自由さ」というのは、そういう「ルールを前提にすればどのような意見を述べることも誰にでも許される」という意味であって、議論の前提となる場を破壊するような「自由」の話なんかはしてないと思うのですよ。少数者が、論の中身ではなく数によって不利になるとか、つまり少数者の喋る権利を奪う「自由」などない。それはそもそも自由ではない。
ですから、あなたの話だとヘーゲルが「公共性と自由主義の相性が悪い」と考える理由が、腑に落ちないのです。あなたの論の中核にかかわる部分だと思うので、そこの所をもう少し丁寧に説明していただけませんか?
反論は、すでに
「生きづらさを抱える人たちが、自分らしく生きられるようにするための福祉行政全般を否定していると受け止められかねない」(橋本岳・自民党厚生労働部会長)
という公式コメントに尽きている。
同性愛者が子供を作らないことは誰も否定していないが(とはいえ養子を育てたり、そういう仕事についたり、そもそも社会人として税金を納めていることで、杉田議員の言う意味での社会的再生産にも十分に寄与しているわけだが)、それに対して。「『LGBT』支援の度が過ぎる」と題し、「社会は『常識』を見失うな」と主張することは、LGBTは「常識外」の存在であるという旧来の見方を堅持し引き続きLGBTに日陰者である「生きづらさ」を引き受けさせろという主張にしかならない。端的に言って「差別されてきたお前らは今後も差別されておけ。そしたら私(たち)は幸せ。」という主張である。「のび太のくせに生意気だぞ」のジャイアン理論、と言えばわかりやすいだろうか。そこに「理」はあるだろうか?
フランスで民主革命が起こったとき「封建制という社会秩序が崩壊する」と憤激した人もいた。アメリカで黒人が解放されるとき「奴隷制という社会秩序が崩壊する」と反対する人もいた。いずれもわかりやすいジャイアン理論である。だがそれらの改革で社会『全体』の利はどうであったか。「生まれ」に関係なく権利が保障された民主主義社会、人種にとらわれず社会的に活躍できる社会が実現されたことは、人類全体にとっては確実に「利」があった。ジャイアン的に「オレサマのかんがえるむかしのさいこうのしゃかいちつじょ」を守るのが政治のつとめではない。それは単なるノスタルジー、あるいは既得権益の擁護だ。社会全体に利がないという意味で言えば、それは社会悪ですらある。政治はあくまで現実に立脚し理想を実現する行いでなければならない。
では、なぜあなたの視界に杉田議員への「反論」が入ってこないか。その理由を併せて述べておこう。「理論/反論」というのは、議論する双方が誠実に事実に立脚して行うという信頼関係の上にしか成り立たないのである。感情の上に議論は成り立たない。
「これまでの社会にはこういう問題があるでしょ?」「だから、こういう新しい社会にしたら社会全体に利があるよね」という話をしているのに「私はこういう社会がいいんだもん」「社会全体に利があるとか分かんないもん」などと発言しているも同然な(杉田議員の「論」とやらを要約すれば、こういう事に過ぎない)人に対して直接「反論」を行うことはそもそも意味がない。それどころか逆上した相手が「再反論」という形でますます妄言をまき散らすキッカケにしかならないので、まっとうな人ほど「反論」をしない。私だって、杉田議員にこんな話を説明する役目など引き受けたくない。
私が今回説明したのは、相手があなただからである。あなたは問題の構造を理解しようとしているからだ。その信頼感がなければ、自分の貴重な時間を割いたりしない。
結局のところ、杉田議員の「論」的な何かは、信仰告白に過ぎず「論」ではない。もう少し正確に言えば、ある信仰の下に生きることにした人々の支持を狙ったあざとい政治的立場をとりますよ、という宣言と言ってもよい。ああいう下品な文章を書き散らしてまで議員の椅子にしがみつくことが、彼女が本当に実現したい何かにつながっているのか、それは私にはよく分からないが、私はそういうやり方はきわめて本末転倒だと考える。あの「論」の中身を彼女自身が信じている可能性? それはほぼゼロだ。いかにも叩かれそうなことを考えている政治家はたくさんいるが、そういう場合むしろ隠して耳障りのいいことを言う。スキャンダラスなやり方を平気で選ぶのは、彼女自身が別にそれを信じてない(しかしある種の人々にはヒットすると知っていてそのための手段としてやっている)からだろうと私は推測する。