はてなキーワード: 「理」とは
名前は「親」のものではない。では、「子供」のものか? と言えば、それも違う。
「親が子に贈る最初のプレゼント」みたいなお花畑理論を聞かされると、心の底からぞわぞわするんだが、
ああいうそれこそ「何の根拠もない」名づけ理論を信じてる人間がいることに、時々当惑する。
増田、アンタのことだ。
「あなたの所有物」に「あなたが名づける」なら、それはあなたの自由だ。その名前が名づけられるものへの贈り物だといいたいならそう言っても別に構わない。
だが子供は「あなたの所有物」ではない。あなたとは別の人格を持ち、別の人生を送る他人だ。訳あって、たまたま10数年共に暮らすことになった、他人だ。
そこを勘違いした人間が、お花畑理論を振りかざし、子供に関わる周囲の人間に噛みついて回る迷惑な毒親となる。
名前というのは、これから子供が生きる人生、社会の中で出会う人と共有される、一つの符丁だ。人間の名前とは、何をおいてもまず「社会のため」に必要なものなのだ。
そこでは親の「想い」とやらはどうでもいい。
例えばアンタが飼い犬に「タウマタファカタンギハンガコアウアウオタマテアポカイフェヌアキタナタフ」とか名付けても、別に誰もあなたを咎めはしない(馬鹿にはされるだろうが)。だが、それを子供の名前にしようとしたら、全力で止められるだろう。役所の受付ですら書類を突っ返すかもしれない。そこにどんな「親としてのご立派な想い」があろうと、そこはくつがえらないんだ。それを忘れてはいけない。「社会にとって利のない」名前は社会によって拒否されるんだ。
これは、字画判断がどうという話をしてるんじゃないぞ。俺が問題視してるのは、何をおいてもまず嫁さんに対するアンタの態度のことなんだ。
想像するに増田は、字画判断とかいう「非合理的なもの」が、自分の人生にまつわってくるのが「嫌」なんだろう。だが、アンタの「嫌」という感情だって十分に非合理的だ。いい年をして、理で全てを説明できると思ってるなら大馬鹿を通り越してお目出度いとしか言いようがない。自分が「理」に縋る「理由」はなんだ? 「理」のないものに身をゆだねる不安の源泉は「理」で説明されるべきことか? 全てを理で説くならそもそも「こっちがいい/悪い」などという「価値」の概念こそ真っ先に捨てるべきじゃないのか? だが、あらゆる「価値」概念を放棄したら、人間としての健全な社会生活など送れないだろう。
人間は、「理」以外の価値も持たなければ生きていくことはできない。絶対の価値規準など、ない。だから、重要なのは他者の価値規準を知り、認めつつ、共同の価値規準を創出していくという姿勢であり態度なんだ。増田がすべきことは、嫁さんが「画数にこだわる」って知った時に、「なるほど、俺にはそういう発想がなかったけど、そういう発想をするひとがやっぱりいるんだ」と気付いて、「なるほど分かった。じゃあ画数のことも考えながら、いい名前を付けることにしようぜ」っていうことだったはずだ。
なのに、「画数?は?」みたいな対応をした、と。馬鹿か? 馬鹿なのか? 社会性ゼロの子供か? 小学生でももう少し相手への気遣いをするぞ?
今すぐ嫁に謝ってこい。そもそもそんな「どっちでもいい」ことで、妊娠中の嫁の負担増やすことにそれこそ「何の意味がある」んだよ? 人間の社会で、メスの仕事が子を産むことなら、オスの仕事はメスが安心して子を産める環境作ることだと有史以前から決まってるだろうが。名前など、一でも二でも、分かりやすく周囲が呼びやすい符丁でさえあれば子は育つんだ。それよりもっと大事なことが目の前にあるだろ。
不合理に満ちた世の中で、誰でも不安で何かに縋る。それは別に悪いことじゃない。ただ、少しばかりの寛容さと、だまされない賢さ、それは必要だ。姓名判断とやらに何十万何百万をつぎ込むのは、それは愚かな行為だ。だが、画数を気にするのに、現実にどんなデメリットがある? 小さいことでいちいち嫁の不安をため込むと、そのうちとんでもない宗教にハマったりするぞ。夫の支えというのは、そのくらいプライスレスなものなんだぜ。
ネットを見ているとちょっとこれはヤバイと感じる記事やコメントが目につく。
たとえば「子供が誰も結婚をしなくて不安だ」とか「このままでは孫を見れそうにない」とか「子供が寂しい老後を過ごすと思うと辛い」という50代以上の親世代の相談に対して、噛み付くわ噛み付くわ、「そんな考え方は古い」「子供は親の所有物じゃない」「親のために孫を産むんじゃない」「そんな考え方を押し付けられたら結婚できるものもできない」絶好の獲物が現れたとばかり叩くわ叩くわ、見ていられない。
叩く方も大人だと思うが、なんでこう老親の気持ちを思ってやれないのかと思う。
こう思ったのはツイッターに流れてきたこのベストアンサーを読んだからなのだけど。
http://okwave.jp/qa/q4474472.html
何が恐ろしいって
自分が死んだ後
我が子が病気やケガをして苦しい時
一人ぼっちで苦しみに耐えているところを
想像することです。
我が子が年老いて死ぬ時に
誰も側にいずに
それを思うと親は
自分は一人きりで死んでもかまわない
叫んで走り出したくなる恐怖を感じます。
「自分の人生は自分のもの」「どうせ死ぬときは一人ぼっち」「結婚なんて金の無駄」…よく分かります、言いたいことはよく分かりますとも。
途中に追記してます。
http://anond.hatelabo.jp/20140619223515元記事
http://anond.hatelabo.jp/20140620221137それに対する反対意見。これに横から反論する。
元々増田の引用は二重ブロックで、サーバー管理人の引用は普通の引用ブロックにする。
そこは問題ではない。意見が割れる時に「意見するな」というのは、夫が賛成するしないに関わらず、妻の意見は全て通せ!ということ。妻は自分の意見以外には全てNO!と宣言していることになる。
これが元元増田。
「私が子育てをしているし、私の方が息子の事をわかっている。いつも私に息子を任しているクセに口を出すな。口を出すなら自分で子育てしてからにしろ」
これは前半は確かに経験値の話をしている。しかし後半の意味は、子育ての経験値が低いものは発言権を持たない、だ。もし「私の方が正しい」なら意見そのものは認めた上での優劣だが、「口を出すな」は意見そのものを認めていない。つまりこれは意見を一旦許容した上での経験値の大小による優先権ではない。そもそも意見してはならないという話だ。
意見が割れたときに、経験値が高い方の意見を優先させるか、させないか、という話だ。そこに「二人の息子」というのは「理」ではない。
だからこれは誤り。「経験値が高い方(妻)しか発言権を持たない」に対して、「自分の息子なのだから口出しする権利はあるだろう(けして意見を通せとは言っていない)」というのは正しい正しくないは置いといても理屈は通っている。「育児経験値が低い方は子供の支配権を持たない」に対して「子は夫婦の共有財産だ。育児経験値が低くても、発言する権利はあるだろう(意見を通せとは言っていない)」ってことだから。
(夫は妻の優先権を認めてないとは書いていない。一方のみ発言権を持つのと、両方発言権はあるが一方が優先権を認められている、は全く意味が違う。)
一切育児をしていない夫
それに夫は子育てを全くしてないわけではない。土日、平日の夜に早く帰れたら、子育てに参加していると書いている。だから子育ての大小で発言権のあるなしを決める妻の意見はやはり飛躍がある。夫はこれを話し合いと考えているが、妻は決定事項を夫に発表しているつもりになっていると考えられる。
この嫁の論理だったら、「夫は子育てに悪影響を与えるから一切子育てに参加しないでくれ」っていう主張すら「夫には発言権がない」のだから通ってしまうことになる。それにNO!という権利は夫は持っていないとおかしい。
端的に略すと「言っていることは正しいが、オマエの態度が気に入らない」と夫は言っている。
サーバー管理人は元元増田の文面を全然読解できてないことがわかる。ただ、元元増田のブコメは賛成意見が多すぎだとは思う。それに反発したくなる気持ちはわかる(感情的に)。
「そう言うなら、俺の方が金を稼いでいる。いつも俺に金を稼がせてるクセに家計に口を出すな。口を出すなら自分で稼いでからにしろ。こう俺が言ったらどうする?それと同じだぞ?」
(残念ながら我が家では財布の紐も嫁が握っている。何を買うのでも、嫁の許可がいる。)
これは、上述のようにそもそも「優先権を持つこと」に対しての反論ではないのだ。「口を出すな(発言権はない)」に対する反論である。そこを間違えるとサーバー管理人のように誤読してしまう。
つまり、
1.金はどちらが稼いできても夫婦の共有財産である。その論理に従って、家計の管理は行っている。(夫が主に稼いでいるが、それを一人のものにはしていない)
3.そこを、夫の方が金に対する貢献度が高いからといって、(妻の金も含めて)金を自分のものにすると言ったらどう思うか?でも現実にはそうではないだろ?
という話。要するに「口を出すなはおかしいだろ」ということだ。本来共有財産であるものを貢献度の大小によって一方的に支配できる、という意見に対する反論なのだ。
これも誤読。「夫が何かを買うときは妻の許可がいる」と書いているだけで「妻が何かを買うときには夫の許可がいらない」とは書いていない。なので妻が主導権を握っていることは読み取れるが、「完全に家計は妻が管理している」とは断言できない。夫が多少なりとも会見管理に参加している可能性はある。「妻が財布の紐を握っている」は「二人で管理しているけど、嫁の方が不機嫌特権を使って自分の意見を通す場合が多い」と受け取ることも可能だということだ。
なので、この家庭では本来共有財産としてお互いが平等に管理する事になっているのに、嫁がいつも自分の意見を通す状態、とも考えられる。夫がわざわざ「金は本来二人の共有財産だろ」と前置きしないことからも、夫と妻の間で「金は二人の共有財産」はルールとして了承されていることがわかる。
だから、夫の発言は
「俺が多く稼いでいるんだから、金は俺のものだ。お前の金は一銭もない(発言権を持たない)、と言ったりしないだろ?むしろ二人で管理するはずなのにお前の意見ばっかり通させてるじゃん。」
っていう意味になる。
もちろんこれは一つの解釈だが、こう考える方が自然である。(夫の言い方が下手なのは確かだが、筋は通っている。)
「常に家計管理をしている妻と、一切管理をしていない夫とで意見が割れたとき、妻が家計管理経験値をタテに正しいと言う、だが俺の稼いだカネが多い」
サーバー管理人が家計管理能力を持ち出すなら、そこには、金は2人の共有財産だという前提がある。なので、「(共有財産と認めた上で)家計管理能力が高い方が家計管理において優先権を持つ」と「(共有財産と認めた上で)育児能力が高い方が子育てにおいて優先権を持つ」は確かに同じ論理だ。
しかしこの妻はそもそも「子は共有財産ではない(私が一方的に発言権を持つ)」と主張している。だからサーバー管理人の解釈は前提条件を間違えている。妻の主張は「本来共有財産であるはずのものを、その貢献度の高い方が一方的に奪うことができる」という話だ。
だから夫の反論は「家計管理能力の高い方が共有財産を奪うのはおかしい」、「稼ぎの多い方が共有財産を奪うのはおかしい」どちらでも理屈は通る。そこはどうでも良いのだ。
そして、夫に対し妻の
そしたら嫁は「息子をお金と一緒にするな!」とか「友達の誰々は旦那さんが(お前より)高給取りだから専業主婦だ」とか見当違いなヒステリーを起こし始めた。
最後に、
ここも悲しいほど読解力が不足している。
まあこれはあくまでウチの例だけども、元記事のブコメを見ると
こう元元増田は書いているように、これ以降の話は元記事(http://houta.hatenablog.com/entry/2014/06/18/200000)のブコメに対してのものだ。
引用する。
id:uturi 『妻レベルで最高品質の育児が出来なければイクメンを名乗るべきではなく、そのような状態では妻の不機嫌に耐えるしかない』という概念がブコメにもチラホラあって、記事内容もブコメにもゲンナリ。ハードル高い。
id:hakidameru 男の「子育ては嫁がするもの、俺は手伝い」という感覚はいつになったらなくなるの?お前の子供だろ?「積極的に参加する」ってなによ。やって当たり前なの。内容の問題でなく当事者意識がないから嫁がイラついてんだ
ここら辺に対しての反応だと思われる。なので、元増田ははっきりと勘違いをしている。「ちょっと元増田さん、小町レベル低いんじゃないの?(はあと)」
topisyuさんが言及するということで、はりきって書いてしまった。topisyuさん、どうかこれも参考にしてもらえると嬉しいです。
止まると社内から怒号が飛び交うぐらいなんだが、まあ、JRの改札機管理者ぐらいに想像してくれたら良い。
キミは家に帰ろうと思って改札機が止まってたら、学校に行こうとして改札口が大混雑してたら、メンテナンスしてる作業者にどう接する?
俺はご苦労様ですと思う。でもそう思わないオッサンもいる。つまりはそういう仕事だ。
を読んで、俺はどちらかというと嫁の感情が判ると思った。というか、変な部分が見えた。だから書こうと思った。
子供の問題じゃないぞとか、献身に同情して欲しいのだとか、嫁の不満が別にあるはずだとかそういうブコメがあるのも気になった。
たぶんね、違うと思うんだ。ポイントは「理屈」の話をしてないところだ。
問題はここからだ。子供の躾のこと、子供の将来のことなど、今後の方針についての話し合いで意見が割れる時がある。そういう時の嫁の態度に腹がたつ。
「私が子育てをしているし、私の方が息子の事をわかっている。いつも私に息子を任しているクセに口を出すな。口を出すなら自分で子育てしてからにしろ」
口論になると、必ずこのような意味のことを、言い方を変えては主張してくる。確かに嫁の方が息子に接する時間が長い。嫁の方が息子を理解しているのはそうかもしれない。だが、息子は俺たち2人の子じゃなかったのか。
これは論理的ではない。topisyuさんバリにホワイトボードに書いてやろう。
よって、要約すると「夫婦で意見が割れると、妻が息子に対する経験値は私の方が高いから私の意見が正しいという、だが、2人の息子だ」となる。
だが、じゃねえだろう。
意見が割れたときに、経験値が高い方の意見を優先させるか、させないか、という話だ。そこに「二人の息子」というのは「理」ではない。
そういうのを「見当違いなヒステリー」というのだ。
に見えるが、そうではない。
のどちらを理詰めで考えて採用するか、だ。(この引用部の理屈で考えるならな)
良記事だと思う。元記事含めほぼ同意だけど、女性は絶対納得しない内容だと思う(増田にしたのは賢明)。女性にとって肝心なのは理論的に正しいか平等かではなくまずは自分の苦労と献身をまず認めさせることだから。
とブコメにあってスターを獲得しているが「自分達は論理的に正しいか判断できないほど、夫に感情移入してしまっている」という意見の表明に他ならないわけだ。どのあたりが「理論的に正しいか平等か」と思ったのか、具体的に指摘して欲しいぐらいですね。(小町話法)
「そう言うなら、俺の方が金を稼いでいる。いつも俺に金を稼がせてるクセに家計に口を出すな。口を出すなら自分で稼いでからにしろ。こう俺が言ったらどうする?それと同じだぞ?」
(残念ながら我が家では財布の紐も嫁が握っている。何を買うのでも、嫁の許可がいる。)
同じではない。というか、恐らく夫が主張したいこととは逆の意味でほぼ同じだ。
よって、例えるのであれば
せめて「カネの使い道に口を出すなら、俺のように家計簿を付けて管理してからにしろ」くらいは言えよ。
論理的でないのだ。
どうだろうか?そもそも全く理屈になっていないことを「理屈で御座い」という顔をして押しつけてくる相手が居たら。
これはキレない人の方が少ないのではないでしょうか?(小町話法)
「嫁レベルで育児できない夫は嫁の不機嫌に耐えるしかない」んだったら、「夫レベルで稼げない嫁は夫の不機嫌に耐えるしかない」とか言われたらどう思う?
「嫁レベルで育児できない夫は、嫁に自分の育児の方針を聞いてもらえない」ではなかったか?
つまり「夫レベルで稼げない妻は、夫に自分の稼ぎ方の方針を聞いてもらえない」ではないのか?
「私は専業主婦で夫は年収2000万円ですが、私が仕事の仕方をアドバイスしても聞いてもらえないのは、夫が狭量なのでは?」と小町に立てれば爆釣だろう。
論理立てが破綻しているし、そもそも育児してないってコトは経験則もクソも無い思いつきを尊重しろとか言う部長は爆発すれば良い。
おっと、一部仕事の話が混じった。
俺にはこう聞こえるわけだよ。
「上司が来たときぐらい嘘でも良いから仕事楽しいって顔できんのか?」って言われるとな、辞めたくなるわけですよ。
解消方法は高負荷の低減であって、逆ではないわけだ。
鯖管は気遣えとは思っていません。察して欲しいとも、理解して欲しいとも、感情のぶつけ所が欲しいとも思っていません。
経験もなく理屈にもなっていないことをドヤ顔で言ったあげく「俺も管理者の一人だ」というから、不機嫌になるのです。
理屈になってないことを理屈面して言うのは止めろ。せめて筋は通せ。
サーバー管理者になりたいんだったらな、まずは勝手なコトするのは止めろ。ちゃんと手順書を読め。
せめて判らんことは聞いてくれ。普段の管理方法や運営方法、管理方針も、今まで管理してきた俺の意見を尊重してくれ。全部NOとは言ってないだろう。
このサーバーは、オマエの部署の方が多く金を出して運営しているかも知れんし、実体的にもオマエの部署が固定資産税を納めている会社の資産かも知れん。
が、俺が育てた俺のサーバーだ。俺の意見が間違うこともあるだろうが、経験値は俺の方が上だ。
「俺も管理者なんだから、そんな疲れた顔で応対してないでくれよ。俺も次の土日だけ仕事くれよ」って、いきなり言われても引き継ぎ面倒すぎるだろ。
つまりだ、サーバー管理者が想像するイクメンっていうのは、俺がトラックに轢かれたときに代行できるぐらいではあって欲しいわけだ。
イクメンって言うのは、別の仕事しながらちょっとUPSのバッテリー入れ替え手伝ったら「俺もサーバー管理してるぜ褒めて」って言う人なのか?
オマエそもそもこれの管理するって台帳に登録してなかったか?バッテリー入れ替えでお礼のメール書かなきゃ不機嫌か?
夫は、ちゃんとサーバー管理者になるにはどうすれば良いか考えてくれ。
世の中には三交代で施設を管理してる人もいるよ。妻の代行、出来ますか?
id:topisyuさんに分析されてー
とか書いとくと召喚できるのかしら。
正直な、山のようなログに埋もれて何日もバグに悩んでるときにだ
「やー、サーバールームは冷房が効いてて良いね。で、Dockerというコンテナサーバーがあるらしいじゃないか。うちはそれにできんのか?」
とか部長が言ってきたら宝くじはずれても良いからこいつ転職しねえかなとか思うだろう。思うはずだ。きっと思う。思え。
人間を壊すには価値観を壊すのが一番たやすい。そして、価値観を壊すには「理不尽な状況」に置くのがポピュラーだ。多くのブラック企業が「研修」と称してやるのが、これだ。たとえば「何をしても罵倒される」「どう考えても無駄なことを努力してやらされしかも罵倒される」「何かしたら罵倒され何もしなければ罵倒される」というような状況に置かれると、人間は考えるのを止める。指示に従うことだけに注力するようになる。「理」の通らない状況というのは、精神に大変よくない。
じゃあ父は、どういう態度を取れば私は喜んだんだろうか?
簡単に言えばあなたのお父さんが「努力したら誉める」「間違ったことをしたら叱る」というのであれば、あなたは何も困らなかっただろう。
理不尽に叱られ、理不尽に誉められたから、あなたは混乱してしまったのだろう。その混乱が「不快」だったのではないか。
そして、そのためにあなたは、上手に対人関係を営むための価値観を育むことに失敗してしまったのだと思う。ただ、もう大人なのだから、他人にそれを求めるのでなく、たとえば上手な人を見習うなどの方法で、自覚してそれを育むことが必要なのだと思う。