はてなキーワード: 自己評価とは
秋葉原ではキャッチのメイドに話しかけられたキモオタどもが勘違いして話し込もうとする。一応客の立場だから行くか行かないか悩むフリをしてできるだけ話を伸ばす。普段は女に声もかけられないのに秋葉原のメイド相手だと鼻の下を伸ばして頑張って話し込もうとする。メイドはメイドで自己評価低いやつ多いし、まあお互い幸せにやってくださいといった感じではあるので微笑ましく見ている。
秋葉原ではキャッチのメイドに話しかけられたキモオタどもが勘違いして話し込もうとする。一応客の立場だから行くか行かないか悩むフリをしてできるだけ話を伸ばす。普段は女に声もかけられないのに秋葉原のメイド相手だと鼻の下を伸ばして頑張って話し込もうとする。メイドはメイドで自己評価低いやつ多いし、まあお互い幸せにやってくださいといった感じではあるので微笑ましく見ている。
http://anond.hatelabo.jp/20150717234407
意味を間違って使っている癖に主張自体は的のど真ん中を射抜いている。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって奴か。
白黒をはっきりさせずぎ、ほどほどにバランスをとることができない。
何かあると反射的に反応する、または何の反応もしない。
何が正常で何が異常かわからない。
アルコールや薬物(医師からの処方薬剤も含む)の依存症になっている。
目立たないようにスーッと消える。
生真面目で他人の言うとおりにする。
いつもせかせかと衝動的に行動する。
何か起こるのではないかと常に恐れる。
何事も完璧でないと気がすまない。
顔や体に表情がない。
何かが変わることに対する恐れが大きい。
抑うつ状態に陥る。
自分の感情が鈍麻していたり、体からでるメッセージに気がつかない。
怒りが爆発したり、いつもイライラしている。
権威ある人の前に出ると過剰に萎縮する。
記憶力が鈍ったり、または反対に嫌な記憶に悩まされて胸がドキドキしたり、悪夢を見たりする。
自分はいったい誰で、どんな人生の目的を持っているかわからず、自己が確立していない。
対人恐怖があったり、ひきこもりをしている。
ネットの闇に潜んでいる狂人共に実によく当てはまりそうじゃないか。
アダルトチルドレンの最大の特徴は「自己評価の低さによって他人の評価に振り回されることだ」
自分の意見が他人から見て完璧に正しいかどうかにいつもビクビクしているのさ、自分がそれでいいと思っているからまあ多少変に思われたっていいさと割り切れないんだ。
だから自分と少し意見が違う奴を見つけると必死にマウントして誰が見ても自分の勝利に見えるようになるまでボッコボコに殴りつけて虫の息にしようとするのさ。
奴らがやるべきことはそうやって「ひたすら自分の正しさを主張し続けること」じゃなくて「心の病を認めて治すこと」なんだ。
そこに辿りつけないままひたすら出口のない迷路で無限リスポーンデスゲームを続けている訳だ。
滑稽ではあるが哀れでもある。
「自分の心の病を認めたら負け。悪。」とか「自分の性格の問題を病気のせいにするな」なんてクソったれな空気が蔓延しちまったこの時代そのものが実に哀れだぜ。
泣けるね。
もし、本当に「チョット下だと思う女性に「カワイイ」という言葉を使う」ために下の人の自己評価が上がったとすると、彼女たちは上昇した自己評価を基準にして、「チョット下だと思う女性に「カワイイ」という言葉を使う」わけだから、不当に自己評価が高くなってしまう理由にはなっても、低くなる理由にはならないのでは?
明らかなブスは美人より可愛いと言われることも少ないと思うで。
それに自己評価の高すぎる勘違い不細工は男にもいるし、(そしてこういう男は自己評価の低すぎる美人に上からガツガツいって相性がいい)そんな男を誉める女はいないし、あのての人たちは女からのかわいい評価は関係ないと思う。
事実関係や科学的根拠を度外視していい人のおすすめを購入したりする。それがゴミでも。
コミュニケーションツールとなりえる機能を重視して道具を好む。意味もなく過度な装飾を施した物を積極的に選択する。
コミュニケーションとは情報発信の積極性だけではない。独自性をもつことで自己のアイコンを確立させることでレスポンスを高めるのもその一つだ。
それを踏まえて不細工の話。
社会機能として救済措置による権利と機会の平等性を図るものがある。福祉などがそれ。
足がないのに就職して家庭が持て保険にも入り娯楽を楽しめる人がいるのはその機能のため。
五体満足なのに路上で寝泊まりし風呂は月に一回食事はカップラーメンな人もいる。
いわゆる健常と比較して健常に足らぬとされている人が平等である一例。
一人ひとりが税金を納め、それを調節管理しそれぞれの権利を保護することで機会の再分配の結果平等となる。
もちろんその逆で機会を奪ったり権利を侵害すると社会的に除外対象となる。
不細工の話にもどすと、美人の獲得したいものを権利を侵害したり機会をうばったりしないかぎり不細工でも美人とおなじように生きていくことはできる。
美人が獲得したい異性を不細工が横領したり強奪したりしようとした場合「この不細工の分際で!」と実際に不細工かどうかは別として排除しようとされる。
売れ行きのよい外見的または社会的に評価の高い異性は早く売れてまた競り落とされる価格も高い。
それが小さい人間にもいずれは異性を獲得できるという権利は平等にあり、機会は平等にある。
もしかこれが一夫多妻制または一妻多夫制ならば機会を奪われるということになるだろう。
貧乏でも苦労せず楽しみがある生活を選択できるように、毎日化粧前には人目から逃げて隠れて完全フルメイクでドレス姿でなくてはならない日常を過ごす必要のない生活も選択できる。
またいくら美人であっても人の権利と機会を侵害してくるような人間は「不細工」と罵られ、社会的な関係とはコミュニケーションそのものなので女の間での「かわいい」は必ずしも外見の評価のみではない可能性もある。
以上のことから、女の「かわいい」は社会的実質的価値の見いだせるものが多いと思われるが、女の言う不細工は社会的な機能構造を無視、というかその社会性の価値を推し量らないものという「利己的な女の思考方法」があるのだろう。
「かわいい」は牽制と恩恵の充足を認めさせるための発言となって、「不細工」が不足と喪失を示す利用方法という、社会機能性と逆の表現方法になっている。
女の無意味なかわいい装飾などが一体社会の何に貢献しているのかといわれそうだが、同じ商品でもかわいい装飾をつけるだけで競争力がつけられる市場というのは社会的に高機能だ。
また物質消費の多いのもかわいい、きれいのための商品が圧倒的に力を持つ。それがわからないという人にはそういう話は基本的にむいてないし説明の余地もない。
つまりは、男目線からみて不細工だわかなしいと言ってひがんでいる人間をみると、不細工でも生きていられるこの世界がどれほど寛容か思い知れよこのブス、と思うわけなのである。
そのブスというのは、いかに自分がブスであるかという自己評価から権利を捨て機会を放棄していることを垂れ流す姿はもうすでに有害であり、その害を駆除するために社会がどれほど寛容にあるかを知れと言いたくなるのだ。
ブスが攻撃されていると思っているのはそういうことだろうし、ブスといわれるのはそういうことだろう。
ちなみに、ここでの女と男は身体的な構造での性別ではなく主に性格的、対象となる一対の相反する状態に性別という表現を使用したもので身体的または精神的に男性または女性である方を総じてその総数を断定するものではありません。
学生時代から社会人になるまでかなりたくさんの女・メスたちと接してきたわけだけど。
客観的に見てブスかどうかって、あんまり本人の自己評価と関係ないんだなと感じる。
同性の目から見て羨ましいくらいに白い肌・くせっけのない髪の毛・色っぽい奥二重とかしてるような人でもなんか卑屈で「どうせ私なんて」みたいな喪女オーラ出してることがあった。
反対に色黒・ガサガサニキビ顔・ゴワゴワ剛毛・デカ鼻&唇みたいなザ・ブスみたいな人が前に告られたことがあるとか(妄想?)延々と自慢してたこともあった。
なんでこういう明らかに客観性が欠ける人材が出てしまうのかと考えていて、最近一つの結論に行き着いた。
そう、女性は自分よりもチョット下だと思う女性に「カワイイ」という言葉を使うのだ。
つまり平均よりちょい上くらいの容姿の人は普段から同性から「カワイイ」とは言われないで過ごすし、逆に平均よりちょい下の人は常に多くの女性から「カワイイ」と言われ続けることになる。
男性と多く接する人ならそんな女性同士の不思議なランク付けは無視して客観的な美人・ブスを判断できるのだが、男性経験が少ない女性になるほど同性からのバイアスがかかった評価を真に受けてしまうというわけだ。
だから容姿がほどほどいいけどあんまり男性経験のないような20代半ばくらいの人が変なのにひっかかって不倫とかするんだろう。
元増田です。
いっぱい反応もらってて、書きたくなったのでちょっと補足とかを。
・仲間がいっぱい
思ったより同じようなことで困っている人がたくさんいるんだなーと思ってちょっと気が楽になりました。
・聴力とか感音性難聴とか
発達障害の病院通いラッシュが落ち着いてまだ困ってたら耳鼻科行ってみようかと思います……。
・耳の形
顔の輪郭線から耳の一番外側と福耳な耳たぶがちょびっとだけ見えてる感じ。割と耳が寝てる的なやつですかね?
あと古いタイプのイヤホンがまったく引っかからない程度に耳の軟骨の形状が開いてて、ねじ込むタイプのイヤホンのイヤーピースはSサイズでもすぐ痛くなるぐらいの耳の穴のサイズです。
そのせいか、音が聞こえたときに、どこから聞こえているのか判別するのも苦手です。
携帯失くして鳴らしてもらった時なんかに、見当違いの場所探したりとか……。
耳に手を当てたり、耳の後ろを押さえて前に向けると聞こえ方が別世界になるけど、ふざけてるように見えるのであまりできません。
遠くから緊急車両や暴走族が近づいてくる気配を感じた時とか、前述の携帯を探してる時に方向を探るためにやる程度です。
・滑舌
そこまで悪くないつもりですが、ちょっとヒートアップすると割と噛みます。
噛むときは「そんなことウヴォルボチュノボルボルティヴァ---ッ!?」みたいな盛大な噛み方をするので、妻からは人間と暮らしたいと言われます。
・ラップ
最初は何言ってるかわかんないけど、歌詞カード見て感心しながら聞くのが楽しいので好きです。
・正誤表が多い
先日は特にひどかったので途中からスマホでメモってました、普段は家に帰るころには忘れてます。
見返すと自分でも割と笑えたので、恥ずかしいので公開するかどうかは別にして、書き留めてみると意外と明るく暮らせるかもしれないですね。
・発達障害
WAIS-Ⅲは聴覚系ワーキングメモリのスコアが飛びぬけて悪くて、数唱3/18、語音整列4/18でした。
あと問題の聞き返しが多いとか、部屋の外の音が聞こえると聞き取り辛そうにしていると言われました。
・全部聞こえたまま返してみれば?
「えっ!?」って感じで反射的に聞き返すことも多いですが、内容が突拍子もなさ過ぎて相手が受け止めきれなくて、
結局「え、なんて?」「ごめんなんて?」の応酬をしてるうちにお互いに最初になんて言ったか忘れたりします。
逆に完成度の高い空耳だと、相手は自分の発した言葉を正確にそのまま返されたと思って、
「うん、そう」とか言われてしまって空耳連鎖による誤解が生まれるのでそれも割と危険です。
(例)
妻「うん」
私「えっ!?」
私「うーん、まあ、いると思えばいるんじゃないかなあ……?」
妻「じゃあ買っとこうか」スッ
妻「えっ!?」カニカマ片手にフリーズ
妻「えっ、いや、うん、カニカマ……」
個人的には、たまに口頭でもハマる空耳もありますが、基本的に空耳は文字に起こした方が伝わりやすいし面白いのかなーと思います。
一言目が特にダメなので、文脈や状況についてはむしろ割と頑張って織り込んでいる部類なんじゃないかという気がします。
気を抜くと文脈も空気も読めなくなるので、むしろ頑張りすぎてるのかも。自己評価ですが……。
聞こえた内容を強引に状況に当てはめて、ハテ…?って感じのことも多いですね。
(例)
調味料コーナーにて
妻「晩御飯なににしよう」
私「(サンドパン並に塩……?)ンァウ……」
突拍子もない空耳については、反射的にオウム返ししてしまった場合を除けば、
いやいやこれはないだろう、と黙って単に聞き返したり曖昧な返事でごまかすことの方が多いです。
・飲み会
会話自体は1対1で相手の口の動きを見ながら必死に読み取ろうとしていても、
「おつかれさまです」「おせわになりました」ぐらいの定型挨拶ならまだしも自由会話は全然できない。
あとビクついてるせいか頻繁に名前が呼ばれたような気がして滅茶苦茶キョロキョロしてしまいます。
・電話
苦手です、外出中とかで言葉として聞き取れない場合はメモすら取れないし、声で誰か判別するとか無理ゲーだし。
ようやく聞き取れた内容が本当に合ってるかどうかも、復唱して確認しても空耳連鎖してそうでやっぱり不安があったりするので、
デスクに電話がかかってくるだけで割とビクついてしまいます。実際失敗も色々してきました。
あとどこで鳴ってる電話なのか全くわからなくてキョロキョロしたりすることも多いです。
・字幕
テレビの字幕は不格好なのであまり使っていませんでしたが、最近妻にお願いして字幕機能をONにしてもらいました。
アニメやドラマのキーワードや人名を、ずっと勘違いしたまま見てたことが発覚したりしてびっくり。
邦画やアニメ映画も、字幕をつけてみると演出や物語の内容に集中できるので非常に快適でした。
・対策
経験上、スーパーやカフェの喧騒ぐらいであれば、対面(相手の口の動きが見える状態)で、
対象物を指差したり手に持ったりしながらしゃべってもらえると認識率は劇的に改善されますが、
結局、常に相手の顔を見ているわけでもないので、話し始める時にワンクッション入れて知らせてもらう必要があるので、割と面倒を強いてしまいます。
思ったことを妻がポロッと口に出して、それをそっと拾う、みたいな一般的で自然なコミュニケーションにあこがれています。
・訓練
日常が訓練状態っていうのは置いといて、以前にも悩んだ時期があって、
その時は歌詞を覚えてない曲を何度も聞いて歌詞を書き起こして、完成したら歌詞サイトに行って見比べたりしてた時期がありました。なんかもうひどかったです。
歌だと英語と日本語が混じってたりするので、「日本語のはずだ」というフィルタすら使えないので余計しっちゃかめっちゃかでした。
・環境音
・上方落語
とか色々教えてもらったのでちょっとずつ試してみようと思います、ありがとうございます。
関西人なので上方落語というよりは、なんか違う土地の方言を聞いてみればいいんでしょうかね。
・君の胸で稚内
君の胸で naught count and it.
君に胸 cuz gatta some minds.
歯茎 for a perfect style.
ハァン…ハァン…ハァン……
kadongo38は、零細企業の社長と上場一部企業の会長という権力の非対称性に、hazumaが相当敏感になっているのを気づいていながら、あえて無視して
ナイーブに「文系のバカさ(バカが許される加減)」について好奇心と探求心で深堀している。
でもそれは、議論のテーマにしては、明らかにやりすぎな内容だ。
知性ある人間ならば、割り切って議論しようと無邪気にhazumaに噛みつくが、
誰だって、「お前バカだろ、俺の提案断るなんて」としか取れないよ。
まさか、天下の東浩紀とあろうものが、そんな受け取り方をするなんて許せないんだろうけれど。
hazumaは前提として、kadongo38がもっともっと偉くなって、大きく世の中に影響を与える存在になると信じているんだろう。
一方で、kadongo38自身は、自分にそんな力があるとは思ってないんじゃないか。
kadongo38は、一歩間違えると、すぐに破綻してしまう立場。自分をそんな風に思ってるんじゃないか。
hazumaは、そんな自己評価に甘んじているkadongo38を許せないんだろうけれど。
ま、KADOKAWAと一緒になっちゃったから、kadongo38も強権発動なんて簡単にできるわけがないんだけどさ。
hazumaは未来が見えすぎるのでkadongo38に過大に期待して、「べき」論を吹っかけている。
kadongo38は冷静すぎるのでhazumaの「理性だけ」を求めて、hazumaを傷つけかねない議論を吹っかけている。
どっちも賢すぎるんだって。
言い争いしてないで、二人で面白いもん作ってほしいって、
自己評価が低いことと謙遜って別じゃない?
周りに優秀な人が多くて劣等性だったということなのか
専門以外の知識が乏しいことを指して馬鹿と言っているのか
大学の数学科卒らしいのだが、妙に自己評価が低いのか、あーしバカだからさー、みたいなことばかりいう女がいて、こちらとしては数学科だなんて聞いただけでなんかすげーみたいな先入観があるものだから誉めようとしてるのに、逆になんかへそを曲げられてしまって、何が地雷だったのかすらわからない。
特別に親密になりたいというほどでもないのだけど、身近にいる以上は険悪になるのもどうかと思うのでそれなりにうまく折り合いをつけたいのだが、なんだか腫れ物に触れるようになってしまい、それがまた先方の気に障るらしい。
どうしたらいいのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20150617210211
へーそうなんだ。
俺は28歳で童貞で、それがめちゃくちゃコンプレックスで自己評価はめっちゃ低い。
普通なら結婚して子どもがいるぐらいの年齢でも、女と付き合ったことないし、男の友達すらいない。
子どもの頃からコミュ障だったけど、この年になっても状況は全然変わってなくて、
自分はやっぱり普通じゃない、というかかなり劣っていると思う。他人とコミュニケーションが取れない。
一生一人で生きていくのかなってよく考える。寂しくなってよく病む。
で、そんな俺からすると自分の事を好きだと言ってくれる異性が存在する人間は、
誰かに存在を肯定されているという点で、それだけで自分に自身が持てるんじゃないかってずっと思ってる。
だから元増田が彼氏ができても自己評価が上がらないとか書いてるのみて驚いた。
でも、何を見ても自殺の道具にしか見えないときがたまに来るのだけど、私が死んだらこの人立ち直れないだろうなとは思うようになった
彼氏ができて以来、恋人や旦那が死ぬような話は、映画でも小説でもテレビの再現ドラマでも一切見られないようになった
さっきたまたまそういう話が目に入ってしまって、号泣してしまった
子供ができると、子供が危険にさらされるような話は見られないというのはたまに聞くが、大人の異性に対してもそうなんだね
こういう激情はそのうちおさまってくるのだろうか。おさまってくれないと辛いんだけど
家族がいないので、唯一自分が死んだら葬式くらいは出してくれそうな親戚にあてた遺書を何年か前に作った
もし彼氏と結婚して、自分の家族ができたら、それは破り捨てるつもりだ
なんだかそれが、婚姻届にサインをするより重要な儀式な気がしている
ひょっとすると、この先孤独よりもつらいことが待っているのかもしれないけど、とりあえず今は、生きてて良かったと思っている