はてなキーワード: 無断引用とは
そうだな.普段から著作権にうるさいオタクの皆様がちゃんと「著作権的には正当な引用かもしれないが,私たちにとっては不快なのでやめてほしい」と言っていたら法律じゃなくて倫理の話になってたな.
古参のお姉さま・お兄さま方はわかってらっしゃったみたいだけど,ある程度若い連中の著作権への無知っぷりに愕然とした.
日頃,黙認はグレーゾーンだの,二次創作でも著作権はあるから無断転載には抗議できるだの,エラソーなお題目を唱えているから,てっきり一般人よりも著作権に詳しい集団なんだろうと勝手に思っていたが,本当にただのお題目で,中身を何一つ理解してなかったんだな.
「引用の範囲が広すぎて怖い」→自由に引用し評論する権利があるからお前らが気に食わないサイトや論文の記述をツイッターに晒して袋叩きにできるんだよ.
「引用されることから逃れる自由はないの?」→非公開にすれば引用されないし,非公開のものを無断引用するのは著作権法違反って,著作権法のイロハのイだろ? なんでそんなことも知らないんだ?
「引用するなら事前に許可を取るのが義務!」→へえ,お前らが描いてる少年誌のキャラ同士がまぐわう薄い本はジャ○プ編集部から許諾を取ってるのか.知らなかった.今度ジ○ンプ編集部に持ち込んで許可を出したかどうか問い合わせてみてもいいか?
「故人以外の引用は原則禁止すべきだ!」→おっ,表現規制か? ロリペドの自由は守るのに引用の自由は奪うのか? 彼らが無断引用した者を攻撃した時私は声を上げなかった……とか言えばいいのか?
挙げ句の果てには,公表された論文をさんざん引用して研究倫理がなっちゃいないだの腐しておきながら,公表された小説を引用することはやめてくれだのと言い張る始末.俺はお前らの社会人としての倫理が心配です.ちゃんと法律守れてるか?
ああいう形で同人小説が引用されて不愉快なのはわかるけど,オタクとしてそれを言ったらおしまいな主張を平気でする奴が多すぎて本当にゲンナリ.
有害な文とされるものを日頃楽しんでいますし、自分で書いたりもしています。
立命館大学の論文の件について、Twitterなどで色んな方の意見を読みましたが、
どの方も「有害な文」として「勝手に引用」し「作者まで晒した」事に憤っているように感じました。
しかし、大学側の引用は学術的な目的のもので、著作権法上問題無いように思えました。
ネット上で公表している以上、こうした目的で引用されても文句を言う権利は無いはずなのに、無断引用などという謎の言葉まで出て来る始末です…。
確かに、今回の件は法律上問題なくても心情的に難しいものがあります。
晒されてしまった方も気の毒です。自分の作品を自分の思いとは別に使用されていたわけですから。
そしてこの騒動を目の当たりにして戦々恐々とされた方々も多かったはずです。
ですが、それでも私は論文を公開した大学側が悪いとは思いません。
作者が著作権法さえちゃんと理解していれば、誰でも閲覧できるネットに公表することで何が起こり得るのかを考えられたのではないかと、避けられたことではないのかと思うのです。
そしてもう一つ、大学側がこういった研究を進める背景を考えた時、そういった作品が簡易に検索できてしまう現状が問題だと感じました。
昨今の同人界隈は急激に便利になりました。好みの作品をすぐに検索できるし、分かりやすく表示してくれる。サイト時代に比べかなり検索が楽になったと感じます。
秘密の入り口を探してクリックしまくっていた頃に比べて、こんなに簡単にR-18作品が検索できるなんていいのかな、と思ったこともしばしばです。
昔は支部でも腐作品はランキングに載らないように気を使ったりもしていたのですが…。
SNSが爆速で広まって、色んな人に見てもらいたいという承認欲求が肥大して隠れることもしなくなってしまった。
Twitterなどでは鍵なしでのR18発言、イラストを垂れ流しにしている人もいますね。
よく同人界隈には「見たくないなら、見るな」が横行していますけど、
それを世間が実践しようとして「有害なものにフィルタリングを」という研究が出てきたのは自業自得ではないでしょうか。
論文の内容にまで口を出したりあれこれと文句を言う前にもうちょっと「何故今回の研究があるのか」をよく考えた方が良いと思います。
R-18タグつけたからオッケー、プロフィールに注意書きしたからオッケー、あとは運営サイトがなんとかしてくれる…訳ないです。
結論:場合による
https://togetter.com/li/1113766
https://matome.naver.jp/odai/2149564479015738601
この辺見てると、「そうだよね」というものと「いやいやおかしいでしょ」というものがどちらもある。批判している人の中には文系の慣行に詳しくない人もいるようなので、しがない文系出身者が「文系だとだいたいこんな感じ」というのを提示してみる(「お前の感覚おかしいよ」という指摘があれば教えてください)
「分析に用いている時点でこれは引用ではない」みたいなやつがおかしな意見の代表。いやいや、分析対象として使うのも立派な引用ですから。
たとえば、「私が好きな○○さんの二次創作小説はマジ文学なので文学作品として研究対象にします」だったら、それがマイピク限定とかでなく全体公開されている限り無断で引用して差し支えない(他人の机の中にしまわれている黒歴史ノートを無断で引用するのは当然のことながら違法です)。10年前に20部だけ頒布された同人誌に載っている内容でも引用してよいし、「バナナ」とか「前立腺」とかいう単語も容赦なく引っ張ってきてこの表現の含意はとかここで使われている暗喩法はとか分析していい。
文学研究ってそういうものなんで。たとえばナボコフの研究では、英語版とロシア語版を照らし合わせて登場人物の名前がどんなふうに変更されていてそれにはどういう意味が込められているかとかそういう細かな点を論ずる研究というのも実際あるし、そういう研究対象としての引用というのはまったく問題がない。作者に許可を取る必要もない。
それが本当に研究する価値のある文学作品であり、文学研究としての作法を踏まえているのなら、ラノベだろうが官能小説だろうが二次創作だろうが分析対象にしていい。異世界転生で俺TUEEEEEEであってもそこに文学として研究されるに値する何かがあるならガンガン引用することが許される。文学研究であるなら著者名と出典を明記することは研究倫理上むしろ必要不可欠だし、仮にそれで元の投稿者がマイピク限定にしちゃったりしても、このケースならそこまで研究倫理的に問題はない(と、私は判断する)。
現状、それをやっている人がほぼ絶無なのは、
という理由であって、やっちゃいけないなんてことはない。二次創作書きから直木賞作家とかに登り詰めて死後に全集が作られるような身分になったら生前に書いたピコ手の二次創作小説が掘り起こされて「若き日の習作」として分析対象になってしまうのも甘んじて受けよう。
しかし、問題は、これ文学研究じゃないですよね、という話で、テキストにあらわれる語の頻度を分析してフィルタリング機能に活かそうとかそういう研究だとまた違う話になる。たとえば「夏目漱石の作品中における接続詞の使用頻度」みたいな研究なら著者を明かすことに意味はあるけれど、この場合はそうじゃない。まあ一般的な語の用法の分析じゃないからコーパス使えないことはわかるけど、「有害な表現のフィルタリングのため」という目的で用法を研究するなら研究対象の具体的なURLと作者名は伏せた方がいいだろうし(これがまだせめて「“尊い”という語の用法」みたいに価値判断を加えていなければよかったかもしれないけど)、そもそも個々の作品のURLを列挙できる段階でちゃんとした研究とはいえないんじゃないんですかね。ふつうそういう研究なら、「○○新聞のデータベースで××年分の記事を検索して調べました」とか「pixivのデイリーランキング上位20作品を平成××年△月から△月まで○ヶ月にわたって調査しました」みたいなデータになるはずで、分析対象が10作品だけって段階でサンプル少なすぎるでしょ。いやもちろんサンプルが少ないから悪いというわけではないけど(談話分析とかならたった30分程度のTV番組を分析するだけで論文1本書けるだろうし)、フィルタリングを情報工学的に考えるならまずサンプルたくさん集めないと話にならないというか……
「pixivの規約に引用禁止と書かれている!」という主張はなんとも微妙だ。「は? それpixivの内輪ルールだろ? 著作権法上は自由なんだよ!」というカウンターも見られるが、そう簡単な話でもないと思う。
一般論として、引用は著作権法で保護されているので、それが適正な引用である限り(主従関係とか出典の明示とかそういうことね)自由に引用してよい。なので「無断引用禁止」と書かれている痛いサイトも自由に引用して叩いてよい、ことになっている。そういう意味では、「支部の規約より著作権法の方が偉いに決まってんだろボケ」派の言うことは正しい(実際、著作権的にはこれ問題ないとみなされる可能性が高いのではと思うが、法学クラスタの皆さんその辺どうなんでしょうか)。
しかし、ここで問題になってくるのは
ということだ。
それを読んでいるということは、検索で行き当たった作品を引用しているのではなくpixivのアカウントを取得してログインしそれらを読んでいるということだ。ということは、利用者としてpixiv規約を守る必要があるのではないか。少なくとも、利用しているサービスの規約に反して収集した情報を引用するのは、研究倫理に反するのではないか。
※追記:pixivの規約見たら「本サイト及び関連サイトにアップロードされている投稿作品の情報を、当該著作者(創作者)の同意なくして転載する行為」が禁止なのね。じゃあ、別に引用はしてもいいんじゃん。少なくともこの点で研究倫理がどうこう言うのは不当な非難だと思うので謝罪の上撤回します。
たとえそれが個人的な談話であっても、社会学や文化人類学では引用してよい。「○○村の女性Aさん(45)が私に語って聞かせた結婚生活の愚痴」なんてのも、これらの分野では立派な研究対象だろう。ただしその場合、事前に「私はこの村に社会学や文化人類学の調査で来ているので、皆さんの発言を研究に使います」と断る必要がある(増田にはフィールドワークの経験はないので、実際にどんなふうに許可を取るのかは知らない)。たとえそのような許可を取って滞在している村の住人の発言であっても、「これは絶対に論文に載せないでね」と言われたのに論文で引用したら、そらアウトだろうと思う。
だいいち仮に許可を取ってのことだとしても、社会学や文化人類学の研究なら普通は発言者をボカす。社会運動の指導者とかでもない限り、現代社会に生きる無名人の名前をそのまま載せるなんてありえない。ふつうは、AさんBさんとか、長門さん(仮名)と陸奥さん(仮名)みたいに処理した上で引用するの。
仮にそれが著名人であったとしても、使っちゃいけない、使うべきでない類の資料というのもある。たとえばちょっと前に、毎年ノーベル賞獲れなかったと騒ぎになる某作家さんの高校時代の図書館での貸し出し記録を調べてドヤ顔で記事にしてた新聞があったけど、と、図書館の自由に関する宣言~~~~~ってなりますよね(実際日本図書館協会は激おこだった)。
これが歴史学だとまた話が違ってくるというか、たとえば、百年前の新聞の投書欄を分析して当時の世情を研究するみたいな研究は割とある。その投書欄に書いているのは農民だとか小役人だとか、まあ市井の人々なわけだけど、投書欄に実名を載せているなら実名ごと引用され分析される(ていうかふつう実名をそのまま引用することはないけど、「○○という人物は次のように言っている」と地の文で書かれるとか、注釈で書誌情報の一部として実名が記されるとかはよくあること)。
ただし、これは「百年前の」「新聞への投書」だから許される話だ。書いた本人はたいてい死んでるし、遺族がいたとしてもたいして不利益はない。これがたとえば、公開を意図せずに書かれたお役所の文書だったらどうだろう(近代史でメインに使う史料というのはたいていこれだ)。もちろん、単に「○○という市民が食糧配給が少なすぎると文句を言ってきた」程度の内容なら実名を出してもいいだろうと思う。でも、それが故人の名誉を傷つける内容だったら? 徴兵された普通の人々がどのようにして戦争犯罪に加担していくか、という研究で、某中二病患者に人気の国の国防軍関係の史料が引用された時には、登場人物の多くがイニシャルだった。
インターネットにおけるレイシズム、みたいな研究で、twitterの膨大な投稿を分析し発言者を特定しない形で差別発言の例を挙げることは許されているけど、それが実際のアカウントと紐付けられる形で提示されたら、やっぱまずいんじゃないの。研究対象が著名人であるとかなら別だけど(twitterで右寄りの発言ばっかりしてるラノベ作家がいたとしたら、その人の思想を研究する上でそういうツイートを参考資料として引っ張ってくるのはまあアリだとは思う)、研究というのは告発のためのルポルタージュでも責任追及のための裁判でもないのだから(レイシズムに無批判であるべきだ、という意味ではないので念のため)。
それを考えると、やっぱりあそこで個々の作者さんの名前を出す正当性は全然ない。出典の明示にしても、「○○というサイトで××年~××年にかけて上位20位に入った計△△作品を分析しました」でじゅうぶん。その上で個々の発言者が特定されない形で「バナナ」という語の使われ方を存分に研究すればよかった。
=何が言いたいかというと、確かにあの論文は研究倫理に反するけど、それは同人小説を研究対象として引用することがいけないからではないので、批判する側も適切な論拠を選んだ方がいいですよ、というお話でした。
何でこんなもんを載せたんだ、査読してないのか、という意見もあるけど、してないか名前だけのザル査読なんじゃないかなあ。これ、フルペーパーではなくて学会発表のプロシーディングでしょ? 情報系は知らんけど、人文系だと学会発表で査読しないところもまだまだ多いですよ(内容が酷ければ質疑応答でボコボコにするか論文投稿時に査読で落とせばいい話なので口頭発表時点で査読が無いことは別に悪いとは思わない)。まあ、PDFとして載せちゃった以上は責任問われるのも仕方ないと思うけどね。最低限そこは査読なかったとしても編集委員会の判断とかで弾こうぜ。
あとこれ多分M1の学生の研究に助教と准教授が名を連ねてるだけだとは思うのだが、まあ共著者として名前連ねてる以上は責任を負うってことなんだろうし、実際M1の学生が袋叩きになるよりも准教授が叩かれる方がマトモだとは思うので、うん。
社会調査するならこれ読んどけ! 的なものとしてマサキチトセさんの翻訳が拡散されてる。
http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1758
マサキチトセさんの訳は丁寧だし、社会調査しようと思うなら必要だと思うけど、これこの件に関係ないよね? ごっちゃにしてない?
いちおう言っておくと、
ってこれ全部別の話だからね。
正直、腐女子が研究者や研究者コミュニティに不信を持つのは当然だと思うし、それは腐女子を面白いオモチャとしか見てこなかった研究者サイドの自業自得なので、「法的に問題がないことはわかったけど、あいつらのやっていることは信用できない」と思うのは無理ないです。その感情を否定したいわけじゃない。ただその感情の根拠としてぼくのかんがえたちょさくけんほうとかわたしのかんがえたけんきゅうりんりとかを振りかざさないでほしいだけ。正しい認識の上に立ったところで研究者に対する信頼が急に生まれるなんてことあるわけないんだし。
研究で「引用」というと文献リストに載せるやつなので,今回の件では研究用語的には「引用」では無いんじゃないかなあ。法的には分からない。pdfは全発表のを出してるんだから,いちいち弾いてらんないでしょ。
文系では文献リストは必ずしも必須ではないのよね(この辺、理系からすると何それかもしれないけど)。たとえば文献情報を全部脚注で書いちゃうやつだと文献リストはなくてもいい(だって書誌情報、つまり引用元の出典は脚注で示しているんだから論文の最後にリストとして挙げる必要はないでしょう? もちろん脚注にきちんと文献情報載せない場合は文献リストが必要ですよ)。あと、参考文献リストにない文献を引用するときに注で補ってもいい。
これ日本だけのローカルルールじゃなくて英語圏でもあるからね。たとえばNationalism and Ethnic Politicsなんかはこの方式のはず。
いちいち弾いてらんない、ってのは、せやな。こんな発表が許されるなんて学会の研究倫理はおかしい! とか騒いでる人もいて頭が痛いよね。アホか。
こうして燃えてる時点で侵襲性があるということになるのでは。「衆目に晒された→恥ずかしい→公開をやめる」が「過剰反応」だとしてもそのせいで研究対象は消えてしまったわけで。
ここで言ってる「侵襲性」ってのは、研究発表以降の話じゃなくて研究をする段階の話です。つまりデータを採る段階。
お医者さんだったら、患者さんを診察室に呼びつけて、服を脱がせて、相手が医者じゃなければ屈辱的な姿勢(ケツの穴を見せるとかね)をとらせたりして病気を診察して、それで病気や怪我のデータを採るわけですよね。社会学だったら、時間を割いてアンケートに答えてもらったり、面談してもらったりする。文化人類学なら、調査地に住み込んで、同じメシを食って家族の会話に割り込みながら相手の文化を学んでいく。そういう研究手法が、侵襲性のある、侵襲性の高い研究だってことです。
こういう研究をするときには調査される側の同意が必要だし、データをどこまで公開していいか決める権限は調査される側が持っている、というのが、あちこちで訳知り顔で語られている社会調査の鉄則です。
でも、文献調査はそうじゃない。いったん公開してしまった情報であれば、それを調べる段階では調査される側=文章を書いた人にとっては基本的に関係のない話。だってそうでしょう? いったん公開された情報については、研究者は、本屋さんで本を買ったり、図書館で雑誌のバックナンバーをあさったり、パソコンの前でマウスをポチポチするだけなんですよ? これにいちいち事前の同意が要るという主張はどう考えてもおかしいわけで。
医学論文でもカルテ調査するなら患者本人には(直接的には)迷惑かからず、それを氏名つけて公表したあとに患者本人に影響出る可能性が出てくるわけで"根本的に違う"というのがよくわからん。
カルテって、出版されたり、数万人の会員がいるSNSにアップロードされたりしてるんですか? 根本的に違うってのはそういうことです。当たり前ですけど、二次創作小説でも「作者が誰にも見せずにしまっているもの」「数人の親しい友人以外には見せていないもの」を引用するには許可が必要だし、無断で引用したら大問題ですよ。
会員制で見たい人だけが見られるようにしてある物を引っ張り出してきても許される、引用や研究ってそんなに万能なんです…?
少なくとも引用は万能です。数人の仲間だけにパスワード教えて見せてたならともかく、捨てアドがあれば誰でも会員になれて、数万人規模の会員がいるところに、会員なら誰でも見られる状態で置いてあるものは、著作権法上公開されたものと考えていいと思います。なのでそれが適正な引用方式に従っていれば引用はオッケー、お国の法律が認めてくれてます。やったね!
(ていうかその理屈だと、お金払わないと読めない学術雑誌に掲載された論文は無断で引用しちゃいけないことになりますけど、それでいいんですかね……? NatureとかCellもウカツに引用できない世の中、やばくね?)
研究はこれから議論されていくところなんじゃないかな。少なくとも昔は、書かれたものというのは「書店や図書館に流通し誰でも読める状態に置かれる」か「私家版としてごく少数の人のあいだで流通するか机の引き出しで死蔵される」の二択だったわけですよ。「数万人の会員がいるサイトで公開されてるけど一般公開はしてません」なんて状況、想像もしてなかったでしょ。この辺は今後頭を悩ますしかない。そういうめんどくさいのが嫌な人は歴史学とか古典文学とか考古学とか関係者が軒並み死んでる学問をやりましょう。
二次創作が研究対象になるなんて前例がなく誰もそんな想定をして書いてない。これは前例がないことだということを頭に入れていきなり研究の場に引き釣り出されて心の準備が追い付かない人の気持ちも憂慮してほしい。
前例はあります。
今手元にないんで間違ってたら申し訳ないんですが、2004年に男性向け作品での美少女表象を研究した本が二見書房から出ていて、バッチリ同人誌も引用されてたような。手元に確実にあるやつで確認すると、2009年に創刊されたコンテンツ研究系の学術誌に載ってる尾道の聖地巡礼史を論じた研究では、聖地巡礼同人誌が引用されてます。探せば同人誌を引用した研究はもっと出てくるんじゃないかな。コンテンツ研究だと痛絵馬の分析とかもやってるし、そこまでおかしな事態じゃないです。この辺の学術動向知ってれば「前例がない」なんて発想こそ出てこないですよ。何を今更。
まあ、素人さんがそういう学術動向知っとけ、って無茶ですよね。でも、これでわかったと思うけど、学術って開かれているけれど閉じられた世界なんです。興味のないことには誰も目を向けない。同人誌も同じです。女性向けの島中に置かれてるマイナーCPの薄い本なんて、理屈の上ではコミケ来場者全員に買う機会があるけど実際に買うのはごくごく一握りでしょ? はっきり言って今回の論文だって似たような位置づけなわけですよ。知らない場に引きずり出されて不愉快に思うのはよくわかるし、同情もしますけど。
あとこれ言うと揚げ足取りになっちゃうんであまり言いたくないんですけど、『アララギ』とか『白樺』だって同人誌だし(ていうかあっちが元祖)、そういう意味での同人誌ってたくさん研究で参照されてるし、CiNiiで「同人誌」で検索かけたら戦時中の誰も読んでないようなマイナー文芸同人誌を詳しく紹介するみたいな論文がヒットするわけですよ。同人作品だから引用しちゃいけないとか研究の場に引きずり出してはいけないって言われても、それどこの星のルール? っていう感じがします。明治文学研究とかルール違反の百貨店や~。
これ発表してから2ヶ月近く経って、いろいろ考えましたが、やっぱり私は研究倫理には反してないと思いますね。人に不愉快な思いをさせることがすべての局面において研究倫理に反するわけではないし、やっぱり引用の権利は厳然としてあるので、そこを突っぱねるのは筋悪かな、と。
無断引用(合法)ごときでギャーギャー言うなよ!!俺なんかツイートをもろに無断転載されて増田に投稿するヤツが何人かいるんだぞ。
最近の、ガキ(ブロガー)はちょっと叩かれたり、転載されただけでギャーギャーピーピー喚く。明らかに黒だった時に声を上げるのは必要なことだが、簡単にグレーゾーンで声を上げるなよ…。黒だった時にキッチリと取り締まらない時だけ「はてな運営ははてな女子をえこひいきしてる」とか書けばいいわけ
「これは抗議すれば判定が覆る」という絶対の自信がない限りはアンパイアに抗議したらイカンのです。アンパイアがかたくなになって、最悪こちらが退場ということもあるから、「退場させたら世紀の誤審だぞ」というぐらい観客に理解の得られる抗議をしなきゃ
僕だけの話じゃなくなったならそれはもう抗議すべきでしょう。僕への誹謗中傷であれば無視しますが、社会論としてデマに近い暴論が流れれば、それは抗議すべきです
ただ、1つだけ。そんな記事を本当に書く人がいたら僕がワーワー言う前に誰かが抗議するし、その誰かは少なくないと思います。「だれか」が多い場合は僕は敢えて乗っからない方向で行くようにします。
私怨や自記事への引用を抗議するものではなく、主張としてズレた(または悪意がある)動画に流用されたことに対する抗議…なるほど、それなら僕も似たような行動を取るでしょうなぁ…やり方は好きじゃないけれど、方向性は同じかもしれない
とあるサイトからの無断引用は著作権違反ですとか言われたこともあった。
今はもう辞めちゃったから、変わっているかもしれませんが、Spotlightのライターやってた時のことをちらっと書いてみます。
1記事いくらでも、1PVいくらでもなく、ライター同士のポイントランキングの順位で報酬が決まっていました。ランキング1位になると10万円だったように思います。2位が5万だったかな…?(ぼくはそこまで上位に行くことがなかったので分からない)
順位を決めるポイントは1000PVごとくらいで付加されていく感じです。
ランキングのポイントを見る限りでは、1位に鳴るようなライターはものすごいPVをたたき出してると思いますが、どれだけ集めてもサイバーエージェントの持ち出しは変動しない仕組みになっていました。この点、今考えるとサイバーエージェントとしてはうまいこと考えられていますね。
わたしはWordPressでちまちま書いてた自サイトの問い合わせフォームからオファーがきて、報酬ももらえるってのは連絡に書いてあったので、とりあえずやってみた感じでした。
印象的だったのは、Twitterの埋め込みコードを利用してツイートを貼り付けていたところ、ツイートの中にジャニーズに所属しているかたが写っている画像が含まれており、そのときだけは事務局側が独自に削除してきました。それ以外の著者区検的な怪しい部分は、事務局からライターに修正するような指示はきますが、その間も記事の公開差し止めなどの措置は受けませんでした。
ジャニーズに対してだけはは厳しいんだな…と不信に思ったことを今でも覚えています。
実際に報酬を受け取ったことはありますが、10位以下だと5000円程度で記事数と比例しないのが非常に苦痛でした。自分では面白いの書けたかなと思っても、まとめブログやはてブでバズってる記事を完コピしたような記事や、YouTubeをまとめただけのほうがPVを集めるので、どんどんモチベーションが削がれて、結局2ヶ月くらいで辞めてしまいました。
サイバーエージェントとしてはきっとPVだけ集められればいいのでしょう。今回話題となっているような、残念なライターもいつか出てくるとは思っていましたが、やっと注目されたか…というのが一時的にSpotlightのライターをやった側としての印象です。今後どうなるかはわかりませんが、このようなことが注目されたからには、サイバーエージェントが真摯に対応してくれることを願っています。
ちなみにわたしの登録的には生きているはずですが、今のところこの記事
サイバーエージェントのバイラルメディア「Spotlight」に写真盗用記事 著作者の抗議にライター「傷ついた」と“逆ギレ” - ITmedia ニュース
にあるような
そのほかのライターに対しても、勉強会や個別の指導を行い、「改めて著作権や第三者のコンテンツを使用する際の許諾などについてルールを遵守した記事執筆を行うよう、周知・啓発を徹底していく」
といった内容の連絡などは受けていません。
言葉足らずで申し訳ありません。1ヶ月ごとに区切られていて、その月のランキングによって支払われる報酬が決まるという意味です。
アイデアを創造するための話し合い手法として「ブレインストーミング」というものがありますね。
言葉は知られている割に、その正確な用い方は意外と知られていない側面がありますが、ブレインストーミングを強力なアイデアツールとして用いるために必要な手法の一つが「人のアイデアに積極的にただ乗りする」です。つまり「特に断り無く引用すること」「人の意見を自分の意見のようにしちゃうこと」を許可する。
これによって、集団で出すアイデアの質は確実に上がります。無断引用を許可することが良い結果を生むケースがあることは、私も同意します。
たとえば、某アルファブロガーさんのケースを考えてみましょう。たとえば「ちき○ん」さんとか。
彼女は書いた文章の独特な語り口や切り口で話題を呼び、多くの読者をつかんできました。結果、そのペンネームで本を何冊も出版するに至っています。
さて、彼女の書いた文章が、パクリおっけーな世界で、片っ端から無断引用(出典不明記)で大手のサイトに掲載されていたら、どうなっていたでしょう? 彼女はたぶん、有名になることもなく、そのうちパクられることに嫌気がさして、記事を書くことをやめてしまっていたのではないでしょうか。
書くことによって、何らかのフィードバックを(場合によっては利益を)得る、という点に関して、彼女の「閲覧無料のブログ」と、無名の人のツイートの間に、何か差があるでしょうか。
そう、一見それらは無料に見えていますが、「名声」自体も商品となる資本主義社会下においては、それらは明らかに「商品」として供されているのです。
そのとき、「無断引用」は、単なる「窃盗行為」となります。書くことによって得られる何かを書き手から奪うことで、書き手に損害を与え、優秀な書き手のモチベーションを奪い、ひいてはその書き手が将来書くはずだった(そして社会にとってとても有益だったかもしれない)偉大な文章を永遠に失わせるかもしれない……まさに社会的悪以外のなにものでもありません。
最初の例と、あとの例。何が違うのでしょうか?
それは、同意の有無です。最初の例は、一見「無断引用」のように見えますが、実は、「ブレインストーミングに参加する」という時点で、参加者は自分の意見がどう扱われるかということについて暗黙の了解をしています。自分の意見を「公共に供する」ことに同意することで、ブレインストーミングは成り立っている。しかし、後者は、自分の意見を「公表」はしても、それを「公共に供する」ことに同意しているわけではありません。それは、その人がIDなりペンネームなりの紐付きで発言していることからも明らかです。その人は「私の意見を公表」しているだけであって、「誰が使ってもいい意見」として喋っているわけではない。いや、匿名掲示板(たとえば増田や2ch)であっても、それは同じです。判例でも、たとえば2chの書き込みを勝手に書籍化したことで訴えられ、負けたという事例がありました。現代社会において、あらゆるテキストは原則として「値札のついた商品」であり、それが「無断引用」が許されない理由です。
ただし、一方で「インターネットの自由こそがあらゆる価値の源泉であり、インターネットから利便性を得ているあらゆる利用者は、また、インターネット上に送り出すあらゆる情報を、利用者の自由な利用に供することに同意すべきであり、特に明確な意思表示の無い限り(場合によっては、意思表示があっても)、あらゆる情報は自由にもちいられるべきである。それがインターネットの唯一の掟である。」と考える狂信者な方々(賛同者が少ないかもしれなくても、それはそれで一つの理屈です)もいますし、そもそも資本主義自体を私は認めない、という意見もあるでしょうから、上記の私の意見に納得されない方も一定おられるとは考えます。ただ、資本主義社会に生きて、それを認める立場であれば、逆にどのようにして「無断引用はオッケーである」という論理が成り立つのか、説明する必要があるのではないでしょうか。
元記事書いた者です。ご意見ありがとうございます。
なるほど、そういう印象になるんですね。
おっしゃるような既存の一覧表示用リンクバナーの拡大というより、
「紹介用の無断引用許可画像」(宣材)としての役割を担わせよう
日記やまとめサイトの片手間に作品展示サイトを紹介しているブログは沢山ある上、
表紙とかを無断転載しているケースが沢山あることを考えると、
『適法に紹介しやすい環境を作る』というメリットがあるのではないかと思います。
本当は「レビュー用画像」同盟のほうが誤解がなくていいんでしょうけど、
その場合「同盟参加=自意識過剰」な空気が流れがちという弊害があるんですよね。
難しい。
まず、愚痴のような物から。
今まで増田にいくつか記事を書いてきたが、書いても(さも引用先の作者が考えたように―それもそれなりに名の通った人だったりする場合もある―)無断引用でパクられるか、ボコボコにされるか、無視されるかで、あまり良いこと無かったな、と思いつつ、なぜまた今、増田で記事を書くのか?ということを考えると、やはり自分の考えを世に問いたい部分があるんだろうな、と自分に対して思う。
もちろん、自分の記事でも、それなりに説得力のある意見もあったのだろうし、全然見当違いの意見もあったのだろうが、もうちょっと手の内を見せない方が良いのかも知れないな、などと思う。実際、ウェブで見れる情報は、プロで書いている人も、ほとんどの人が「今までの意見を整理する」だけで、金を払っても良いような「面白い見識」の割合は少ない(そりゃ、誰でも自分の商売の核心的なアイディアは話さないだろうけど)。
いやいや、金を払っても良いような意見が無料で手に入れられること自体がおかしいじゃないか、とは多分その通りで、現状でも厳しいライター諸氏はさらに食いっぱぐれてしまうと思う。もっとも、私の書いた記事がそのまま金になるのか?という点に関しては、自分でも疑問だと非常に思うが、現実的にさも自分が考えたように部分的にパクられて商業活動に利用されるとこちらとしては脱力の限りだ(彼らは、どこかで見た記事を無意識のうちに利用しているという認識かも知れないけど)。
個人的には、勝手に使うのはかまわないけど、せめて、「ちまたは~という意見もある」なり書くのがせめてもの物書きのプライドだと思うのだが。
……と、いったゴタクはどうでもいい話である。
「最近のゲームの元気のなさの理由」を考えたい。一部しか書かないけど。
まず、ラノベの話からする。
単純に「ライトノベルとは何か?」と問われた場合、一番簡単な答えの一つに「ライトノベルとはキャラクター小説である」というのがある。
だが、「ほう、なるほど。ではキャラクター小説とは何か?」と説明を求めると、あまり歯切れの良い答えは返ってこない気がする。最近、これに対する単純な回答を一つ思いついた。「”まず、テーマありき”が文学、”まず、キャラクターありき”がキャラクター小説(ラノベ)」。
バカ売れしている村上春樹の「1Q84」でも良いのだが、あれがラノベではなく文学と言って通るのは、作品が「まず、テーマありき」で作られていて(例えば、9・11テロ以降の混沌とした世界がうんたらかんたらとか)、そこが作品のコアだからだと思う。
「ラノベにもテーマはあるよ」といえば確かにそうなんだが、テーマの重み(重大性や芸術性、事件性)が違うんだろうなと思う。
具体的には、テーマはむしろ昔からある使い古された物の方が良いし、その予定調和を打ち破るキャラクターの立ち具合が何よりも優先される気がする。
……ええと、何の話をしていたっけかな。
では、結論から書くと、「最近のゲームはゲーム性が低いのではないか」というのが理由の一つだと思う。
と言ってしまうと、「うわっ、今さら”ゲーム性”かよ」「じゃあ、ゲーム性って何?」といったお得意の議論の無限ループに入るわけだが(というか、シラけて誰も反応しないほど手垢にまみれた議論であるが)、ラノベの話はその辺の議論を一時停止するために持ち出した。
「文学性とは何か?」と考えた場合、「”まず、テーマありき”が文学」と書いたように、「文学的にしか出来ない表現でテーマ(強力なメッセージ)を表現するのが(純)文学である」という一つの回答があるなら、「ゲーム性とは何か?」と考えた場合、「ゲーム的にしか出来ない表現でテーマ(強力なメッセージ)を表現するのが(純)ゲームである」という回答もまた成り立つのではないか。
「何も言っていないのと同じだ!」という人もいるかも知れないが、要するに言いたいことはこういう事である。
例えば、「(評価の高い)スーパーマリオ1のテーマが、「ジャンプアクションによるアスレチック性」を追求したとするならば、(これまた評価の高い)スーパーマリオ3は、要素を盛り込みすぎて、テーマがぼやけていないか?」といった議論が出来る。
そういう議論の延長で最近のゲームを見ていくと、例えば、「ストーリー……主人公の台詞かなんかでそのゲームのテーマを直接文字や声で説明するゲームは果たしてゲーム性が高いのか?」や「盛り込みすぎてテーマがぼやけているゲームが多すぎないか?」、「ここ最近、新しいテーマに挑んだゲームがどれだけあるんだろうか?」という疑問にも繋がる(ちなみに、最後の疑問に対して「ソーシャルゲーム」という回答にむらがざるをえないほど、業界が切羽詰まっているのも実情であろうと思う)。
ゲーム性が高くないゲームは、ゲームというメディアとしての特徴が弱いわけだから、ゲームとしての長所が活かせない。
利益率が低いし、第一売れない。爆死、爆死の連続である。もちろん、「だから最近のゲームクリエーターはなっていない!」といったような話ではなくて、「ゲームビジネスの難易度は確実に上昇している」。ただ、構造的な問題は大きいが、それ以前の問題の作品もまた多い気がする。
確実に言えるのは、「暗黙知」の部分が大きすぎるという点だろう。体系としてノウハウが蓄積されていないのである。そして最初の話にも繋がるが、要するに日本では手の内を見せない人が多いのである(かといって海外が天国というわけでもないと思うが)。「堀井雄二」を知っている若者がいないと嘆くなら、彼の偉大さをちゃんと伝えてきたのか、まず自分に疑問を持つべきであろう。
まぁ、そういうことを書きながら私も全部は書かないのである。そんな所だ。
追記:おお、思ったよりボコボコにされてるなあ。だからみんな萎縮するんだろうなあ、と思いつつ。となると、やはり無名の開発者が自分の見識を発言しても益はないし、実名出してもあれだけ叩かれるんだから(有名ブロガーとかね)、チキンにどこの誰だか分からない増田に書いても人権はないよなあと思った。というか、特に日本を含めた東アジアでは、誰が話すのかが重要であって、内容はあまり問われないのかも知れない。そもそも日本でどれだけフラットな議論が成り立つのか、という話にもなるけど。