はてなキーワード: 林家木久扇とは
今日のSNSで春風亭昇太師匠が結構な言われようだったのを見て、自分が高校生の時に林家木久扇師匠が地元に来た時のことを思い出した。
高校2年か3年の時に、文化学習という名目で地元の文化会館で落語を鑑賞するという機会があった。
出演者は笑点で有名な林家木久扇師匠一門。私は東北の地方都市で、人口も10万人を下回るこの町に有名人が来るなんてと胸を踊らせたが、同級生の大半が興味なさそうにしていた。
いざ始まるとお弟子さんが先陣を切って落語を披露してくれた。内容は面白いのに、女子生徒は明らかにつまらなさそうにしている。別に主催者でもないのに、私は申し訳なさを抱きながら高座を見続けた。
そして、林家木久扇師匠の番が来た。流石にテレビに長年出続けているだけあってか場内は待ってましたという万雷の拍手。
どういった内容だったかは忘れてしまったが、落語に興味がない若者相手でも笑えるようなものだったはず。
始まって数分。1時間以上も落語を味わった高校生の反応が重い。最初は期待が勝っていたものの次第に疲れが出てきたのか笑いが薄い。
そんな中で木久扇師匠が噛んだ。明らかに噛んだ。言葉を借りれば素人にも分かるレベルで噛んだ。それ以降、何度も噛んだ。
おいおい大丈夫か?と思っているとまた噛んだ。と、勝手な心配をしていると、木久扇師匠は手のひらを大きく広げ、自分の頬に向かって強く振りかぶった。
パチンという音が広がると会場が一気にどっと沸いた。何やってんだよという笑いに近かったと思う。
私は笑いと一緒に驚きを抱いた。
明らかなミスをした状況下でも笑いに昇華させるベテランの力を目の当たりにしたから。
それまで漫才を始めとするお笑いというのは一言一句間違えないことが良いと思っていた。ただ、平手打ちをした木久扇師匠を見たら、完璧ではないけど笑わせる力、臨機応変さを見る・聴く魅力が落語というかお笑いに含まれているような気がした。
その後、木久扇師匠は何回か噛んだが1番の盛り上がりだった。流石だった。
文化会館を出て、あの状況下だと自分はどう対処するだろうと思ってしまった。
いやあの瞬間では苦笑いしかできないような気がする。言い訳をするような気がする。
続き
(さらに続く)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b820c837d70e367e08a767a978e486abb5ac1fb
楽屋での人間関係は孤立気味であり、会話はもちろん視線を合わすことも避けられている[4]。これは嫌われているのではなく、不意に変なもうけ話をメンバーに持ち込むため、他のメンバーが絡みづらいと感じているからだとされる[4]。6代目三遊亭円楽は東京スポーツからのインタビューで「たまたま目が合ったら、近づいてきて、“いい木材を大量に仕入れたからそれを彫り物にして売ろうよ”と持ちかけられた」と暴露した。また、過去に象を輸入して観光料で儲けようとしたが、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)に引っかかって大儲けどころか、象が輸入されずに大損したこともある。この時の象は木久象とまで名前をつけていた。とはいえ、若い時分には、師匠連にお茶を出すのは大変だ、ということで二口急須を発明して商品化されるなど、成功した事例もある。
本人の著書によれば、1976年に(本に1967年とあるのは誤り)腸閉塞症に罹り、生存率60%といわれる手術を成功させている。この時、臨死体験に近いことを体験した。父親は胃癌で死亡したが、2000年に本人も胃癌に罹り、胃を3分の2切除している。ダブル襲名の口上で、きくお改め木久蔵は、この7年前(2000年)に木久扇がガンを患ったことに触れており、「(木久扇が)元気なうちに真打昇進できて良かった。これでいつ天国に行ってもらってもいい」と述べている。
赤塚不二夫やタモリとは長く親交があり、彼らの仕事場や宴会にはよく顔を出している。また横山やすしとは親友の間柄であり、やすしを全国ラーメン党の副会長兼大阪支部長に任命したことがある。
大喜利が行われた。観客は多くない。
司会. 春風亭昇太. 大喜利. 三遊亭小遊三、三遊亭好楽、林家木久扇、林家三平、三遊亭円楽、林家たい平
出演者も間を開けての着席となった。
離れているからか、木久扇師匠のボケも滑った感じに、小遊三師匠の少しいやらしいネタもセクハラ気味に聞こえる。
絶妙な距離感、絶妙な間合いが、微妙な距離感、微妙な間合いへとなってしまっている。
なんかちがう
なんかちがう
わろえない
わろえない
時事ネタでコロナの話題に触れた答えが出るとドン引きしてしまう
1000%笑いに繋がることはないから
今月亡くなった笑点の桂歌丸を永世名誉司会の称号が与えられたことが話題になっているけどさ、何で桂歌丸だけなんだ?
桂歌丸を永世名誉司会にするなら、歌丸の前に司会者をやっていた五代目三遊亭圓楽もそうしなければ、不公平だと思う。
そもそも、桂歌丸の司会をやっていた期間はたった10年間しかない。
先代圓楽は1983年から2006年までの23年間司会を務めていたわけだから、司会者としては先代圓楽の方が格上だよね。
歌丸は第一回からずっと笑点に出続けていたから、というのが理由になっているけど、なんか説得力が無い。
しかも、先代圓楽が司会を務めていた時期が笑点の黄金期であり、正直言って歌丸が司会をやっていた時の笑点はつまらなかった。
歌丸と先代圓楽とでは、司会者としての技量も月とすっぽんくらいの差があった。
例えば、与太郎キャラの林家木久扇がおバカな回答をして、会場の笑いを誘った時。
先代圓楽は「バカだね~」とか「木久ちゃん少し黙っていてよ~」などと合いの手を入れて、それがさらに会場の笑いを誘っていた。
歌丸の場合は、木久扇がおバカな回答をしても、それを黙って睨みつけて次の回答者を指して、会場も白けるばかりで面白くない。
(※おバカな木久扇のキャラをどう生かすことが出来るかで、司会者の技量が決まる気がする。その意味では、今の春風亭昇太の技量は未知数)