はてなキーワード: 俺の空とは
趣味がロードバイクなので朝から走ってたらロードバイクを路肩に止めてファンキーな感じの恰好のお兄ちゃんが困ってたから声をかけてみた。
近くで見たらお兄ちゃんかと思ったら女の人でびっくりした。
で、タイヤの空気が抜けたんだけど空気入れが壊れて困ってるという。
この時点で嫌な予感がした。
俺の空気入れを使って入れたんだけどどんどん空気が抜けていく。こりゃパンクだ。
こうなると修理が終わるまで空気入れを貸すしかない。ずいぶん時間ロスするな…と思ったらその人に「パンク修理できます?」って言われる。
どうも自分で修理できないらしい。
で俺にやってくれという。なんとなくそんな気はしてた。
でもそも俺はパンク修理キットは持ち歩かない。パンクしたら新品チューブごと変えることにしてる。そしてそのチューブは1本しか持ってきてない。
この辺はある程度知ってるから「5kmか8kmか歩いたら自転車屋ありますよ。自転車屋はおそらくお盆でも開いてます」と笑顔で言って俺は立ち去った。
説教する柄でもないし可哀そうだと思うけどロードバイクって自力救済なんだよね。パンク修理は基本。
Twitterで今日の事書き込んでないかなって検索してるけどいまのところ見当たらない。
ちょっとだけいい事した気分で徳を積んだ。
帰って調べたら女の人が着てたファンキーなウェアはこのブランドだった。
かっちょいいな。
名前で遊ぶのはどうかと思うぞ。同時期にあおぞら銀行とかもみじ銀行とかふざけた名前の銀行が乱立してた。お堅いイメージを払拭したかったのだろうか?金を扱うんだからお堅くていいた思うぞ。
paypay銀行
アリペイはわかる。アリババの払いなんだなと。WeChatペイも同じ。paypayってなんだよ。
そんでもってpaypay銀行って直訳で払え払え銀行だろ?なんて嫌な名前だ。
マイナンバーといい、どうして「俺の」なんすか?メインバンクを訳しても「俺の(my)」にはならないだろ?「俺の空」のファンだったりするのだろうか?関係ないがマルちゃんの「俺の塩」って焼きそばはふざけた名前のくせに美味い。
夜行バスの思い出を気紛れに綴っていたら、連想ゲームのようにN君のことを思い出した。これも何かの機会だと思い、ここで書き残すことにした。予め断っておくと、ほとんど夜行バス要素は無いし、N君という呼び名も、星新一式のニュートラルな呼称であり、実名のイニシャルではない。
N君は、高校の同級生で同じクラスだったが、特に俺と親しかったわけではない。俺の記憶の中のN君は、優等生でも不良でもなく、運動部所属でも文化部所属でもない、あまり目立たない帰宅部の生徒だった。
ここでド田舎の高校あるある話を解説しておくが、当時の暗黙の了解として、生徒は部活動に所属すること、しかも、運動部が最も望ましいとされていた。文化部は、運動部より一段低く見られ、帰宅部となると、教師や保護者から胡散臭く見られるという始末だった。俺はといえば、オタクのくせに無理をして運動部に所属し、体育会系集団と校内オタク集団の間を、コウモリのようにフラフラしていた。
そんな風にド田舎の同調圧力に屈していた俺から見ると、校内のどのようなコミュニティにも属していないように見えるN君は、孤高というか不思議な存在だった。
N君は、俺を含めた同級生との休み時間や放課後の会話に、自ら積極的に加わったりすることは無かったものの、会話をする機会が有れば、分け隔てなくフランクに接して明るく話す程度には社交的だった。俺も他の同級生も、N君を特別に好きだったかどうかはともかく、特別に嫌ったりはしていなかった。帰宅部にも関わらず、運動部に所属する生徒たちから見下されたりするということがN君はなかった。優等生でもなかったとは書いたが、話し方や物腰を思い浮かべるとN君の頭が悪いとも決して思えず、むしろ頭は良さそうに俺には見えた。
特に親しかったわけでもない俺の、N君に関する記憶や印象は、おおむね以上のようなものだった。
在校中の特筆すべき思い出を残すことも無く、高校を卒業して実家を出た俺は、田舎の度合いが出身地と五十歩百歩ぐらいの、他県にある大学へと進学した。
大学の夏休み、実家へ帰省してゴロゴロして怠惰に過ごしていた俺に、親は「在校中にお世話になった顧問の先生に、挨拶ぐらいしに行け」と言った。仕方なく俺は、運動部OBとして母校に顔を出し、OBらしく後輩たちにアイスクリームの差し入れを振る舞ったりした。母校での野暮用を済ませ、帰宅するために母校から最寄りの駅へと向かった俺は、その途中で、偶然にもN君に再会した。市外から汽車(ディーゼル列車を田舎ではこう呼ぶ)で片道一時間強かけて通学していた俺と異なり、N君の家は母校と同じ市内だった。
特に親しかったわけでもないが「久しぶり」ということで、俺たちは喫茶店でアイスコーヒーでも飲もうということになった。高校生時代は校則で入店が禁止されていた喫茶店に、今では堂々と入店できるということに、俺は開放感を覚えたが、その時のN君はどうだったのだろうか。
「今どうしてる?」という話になり、大学生としての暮らしについて、俺は適当に話した。昔も今もコミュニケーション能力に乏しい俺は、大学生になっても彼女もいなかったどころか、友人もろくにいなかった。だから、決して薔薇色の生活というわけでもなかったし、そんなに明るい話のネタも持ってはいなかった。しかし、そんな俺のつまらない話でも、N君は「良いなあ」と相槌を打ちながら聞いていた。ひとしきり俺のことは話したので、今度は俺が、N君のことについて訊いてみることにした。しかし、聞けば、大学や専門学校などに進学するでもなし、働くでもなし、N君は何もしていないと言った。
少し言い淀んだ後、N君は俺に「悩んでいることがある」と切り出した。今でも、この時の話題をN君が特に親しくもなかった俺に切り出した、本当の理由はよく分からない。喫茶店に自由に入れるようになった開放感からだったのだろうか。あるいは、田舎を捨てて他県の大学へと進学した俺のことを、進歩的で偏見が少ない人間だとN君は見たのだろうか。単に、親しくもなかった赤の他人だからこそ、却って話せたというだけかもしれない。
N君の悩みというのは、彼の恋の対象が、女性ではなく男性であるというものだった。
N君の話を聞いて、俺は驚いた。
N君が同性愛者であったことに驚いたのではない。俺が驚いたのは、N君が彼自身以外に「男性に恋愛感情を抱く男性」の存在を知らなかったからである。ストレートの俺ですら存在を知っていた、雑誌『さぶ』や『薔薇族』などの存在も知らなかったと言われたが、その時の俺は、俄にはN君の言葉を信じ難いと思った。
しかし、後になって思い返した俺は、それほど有り得ない話でもないのではないかと思うようになった。同性愛者であることを子供からカミングアウトされた親の中には、同性愛を治療可能な病と考えて、何とか"治そう"と試みる人間が少なくないという。だから、もしかしたらN君の親も、そんなふうに"治そう"とか"悪化を防ごう"とかするために、N君が彼以外の同性愛者や性的マイノリティに関する情報へとアクセスする機会を、奪っていたのではないだろうか。スマホもインターネットも無かった時代のド田舎で、子供を経済的に支配している親の立場ならば、情報の遮断もある程度は可能だったと思う。N君がどうだったかは覚えていないが、俺の同級生の中には、テレビのお笑い番組を観ることを、親から禁じられている人間が何人もいた。お笑い番組などでは笑いのタネに同性愛者が持ち出されることは珍しくなかったが、そういった俗悪番組などを観ることを禁じられていたとしたら、自分以外の同性愛者の存在を知らなかったということも有り得るかもしれない。
「えっ、そんな雑誌があるの?!」
「そうだよ、男の人を恋愛として好きになる男の人は、なにも世の中でN君だけじゃないよ」
逆にN君の方こそ、俺の言うことが信じられない、自分の他に男性に恋愛感情を抱く男性が存在するなんて信じられない、という表情だった。
別に俺は、高邁な思想の持ち主などではなかったし、世の中の差別を無くすために戦う人間でもなかった。過去形で表現したが、現在形で表現しても俺は「そのような人間ではない」。しかし、そんな俺でも、N君が理不尽に苦しんだり悩んだりする必要は何も無いとは思った。とはいえ、若くて馬鹿な大学生だった俺に、まともなアドバイスや励ましをN君に与えることが出来るはずも無かった。『さぶ』とか『薔薇族』の存在の他に、何か俺がN君に教えられることが有るかと、無い知恵を絞って出てきたのは、俺が夜行バスで東京に行った時に、新宿駅の雑踏で見た、今風の言葉で言えばオネエと言われる人たちの集団のことだった。俺は馬鹿である。
「新宿二丁目には、そういう人たちが集まるお店が、沢山有るんだよ。俺、東京に行った時に新宿駅で、そういう人たちの集団を見たよ」
実際に新宿二丁目に行ったことも無いくせに半可通の知識から発した、今から思えば我ながら馬鹿な発言だ。それでも、その時の俺は、馬鹿なりに「N君は『独りぼっち』ではない」と言って励ましたかったのだ。とはいえ、当時のN君との会話の中で、俺は「オカマ」や「オカマバー」という言葉を頻繁に使ったと記憶している。励ましたいと思いながら差別的表現を使っていたのだから、今でも俺は恥ずかしくなる。その上、明るくひょうきんなオネエたちと、同性愛者とを安直にイコールで結びつけるという思考は、粗雑で乱暴なものだったと言うほかない。
兎に角そういった話を聞いたN君は『さぶ』や『薔薇族』の存在以上に、俺が新宿駅で見たという人たちの存在、実在に驚いたようだった。その人たちの様子を訊かれたので、俺は、思い出せる範囲で、彼女たちの服装とかメイクとか、かしましく面白おかしい会話の様子とか、堂々とした態度とかをN君に話した。特に、彼女たちが明るく堂々とした様子だったところ、自由に見えたところに、N君は深い感銘を受けたように俺の目には見えた。
そろそろ俺の帰宅するのに乗る汽車の発車時刻が近いという理由で、喫茶店でのお喋りを切り上げると、別れ際にN君は俺に「ありがとう、色々と教えてくれて」と言った。大袈裟なぐらいに何度も、N君は「ありがとう」と言った。駅へと向かう俺を、N君は喫茶店の前で見送ってくれていた。
その後、N君と会ったり連絡を取ったりというドラマチックな出来事は特に無い。だから、その後のN君がどうしたのか、どうなったのか、故郷に残ったのか、それとも出て行ったのか、俺は何も知らない。
俺の勝手な空想の中では、その後のN君は、故郷を出て、何処かの都市部のリベラルな場所で、仲間と出会うことが出来て、孤独ではなくなったという筋書きになっている。その俺の空想の中で、故郷を出て都市へと向かうN君は、夜行バスに乗っている。俺がN君のことを、勝手に俺自身と重ねているからだ。
たかが夜行バスに乗って、何回か東京その他の場所に出掛けたからといって、田舎っぺで馬鹿な俺が、顕著な人間的成長を遂げたりするはずもない。また、故郷を出て東京その他の場所に移り住んだからといって、必ずしも薔薇色の人生が待ち受けているとは限らないことも、今では俺も理解している。
それでも。
それでも、夜行バスの旅は、若くて井の中の蛙の俺に、新鮮な風景を見せ、田舎では触れることのできなかった、新鮮な空気や文化的産物に触れる機会を与えてくれた。たかが新宿駅でオネエの人たちを見ただけにすぎないという体験ですらも、若くて田舎者だった俺にとっては、貴重な体験機会の一つだった。俺にとって夜行バスは、そういう思い出と結びついている。
決勝の日を迎えた。会場に来た応援団はハトコのおかまチンピラヤクザ1人だった。
ハトコといえば小学校時代に俺の空全巻を貸してくれたオナニー初心者時代の恩人だ。まもなく決戦開始の尺八が鳴る。
対戦相手は超高速手コキストの天空山四捨五入百七十六段だ。爬虫類や甲殻類をズリネタに1分間に3回射精という世界記録保持者でもあり私の兄弟子でもある。
要するに互いに裏筋を舐め尽くした好敵手だ。天空山四が優勝すれば10連覇となり師匠である魑魅魍魎薔薇蔵の9連覇の偉業を超える快挙となる。
自信満々に青筋をたてる天空山四のブロッコリーのような檄太魔羅を見つめながら、俺はこの1年の数々のズリネタを思い返しいまにも発射してしまいそうだった。
審判が尺八に口をつける。肛門を刺激するかのような低音が場内に響いた。オナニー史に残る激闘の幕が切って落ちた。
俺は審判の唇を13年前裏本エクスプローラーで見た田口ゆかりの唇に幻視することで2擦りで第1射精を華麗に決めた。ハトコの嬌声が響く。
しかし兄弟子天空山四も審判の尺八を吹く唇で同時に第1射精を決めていた。
過去に記憶したズリネタの画像に掏り替える幻視は師匠魑魅魍の直伝で、我が一門幻影抜過派の由来にもなっている。
射精認定のブザーが鳴る。同時に次のズリネタに駆け寄りスイッチを押すと扉が開く。最初のネタは大根だ。
これは簡単だ。11年前の高校時代に付き合っていた太めの彼女の脇摺りの快感を一瞬で再現。3擦りで第2射精を決める。ハトコの嬌声が響く。
俗に言うゲスパーや弱者への追い討ちを望む者っぽいタイトルしてるが、気持ちとしてはむしろ間逆であることを前置きの言い訳として述べておこう。
さてさて、この『はてな匿名ダイアリー』という"自称"匿名書き捨てサイトだが、ここ最近…でもないがいわゆる「告発怪文書」の場にもなっている。
無能増田とやらをきっかけにNTTに対する不満は日々投稿され、それ以外にもブラック企業のクソな所の告発や、古巣の炎上を喜ぶ元社員の呪いの言葉がそこそこある。
実際、"一応は"匿名であるから、ツイッターやインスタやフェイスブックなどと違い。「バズって」も炎上にはつながらないし炎上しても"一応は"匿名のままだ。
だからそういうの書きやすいって気持ちは凄い分かるよ。ぶっちゃけ俺も炎上怖いからツイッターで言えないような事をここで書いて発散してる。だからツイ垢が燃えたことは無い。
ツイッターで燃えたらネットストーキング勢やイナゴにお家特定されちゃうもんね。本人悪くなくても「とりあえずビールで」の感覚で特定されちゃうし。
しかし、本当に特定されないのだろうか?そもそもネットに匿名の保障なんてモンは無くて、ナニかしら結び付けられているモンである。そもそも増田は"はてなアカウント"なんていう垢が存在しないと書き込めない。
匿名掲示板だろうがなんだろうが、時間だの文体だのでバレる時はバレるもんである。Torやプロキシ使ってもバレる。
あるブロガーがはてなに開示要求を求め、増田を一人特定した事がある。個人でこれだ。じゃあ告発された側の企業も同じことをすんじゃないかと。
『使い捨て奴隷の戯言なんて掃いて捨てるほどあるから気にしてない』なんて言い切れる?大企業としては「企業の沽券に関わるから、ちょっと一人吊し上げとくかァ!」なんて思うかもしれないし、中~小なら口コミや怪文書で評価が変わるトコあるので本当に報復を仕掛けてくる可能性がある。大企業でも偉いやつの頭がマトモじゃないなら尚更。
先述のNTTなんて腐っても大企業、しかも日本の電話線を7割ぐらいは牛耳ってると思われる連中だ。あんま告発が増えると何か仕掛けそうだよね、うん。
企業が悪いのにそいつ訴えたり出来んの?って、そりゃ「風評被害で利益を落とした」とかそれらしい事言ってしてきますよ。俗に言うスラップ訴訟ってヤツだわ。
勿論これは陰謀論者で悲観主義者の俺の空想だ。糖質の空想だろね。でもさ…本当に無いと思える?
告発者達が企業によって報復攻撃を受けた時、増田への告発書き置きは減るのではないかと思う。
「子供部屋おじさん」という賃貸業の姑息な作戦が耳に心地よい。
「不動産投資でチャリンチャリンですよ」などの甘言に乗せられた、己の不明を恥じるがいい。
判断ミスのツケは自分自身で払ってもらいたい。うまい話には裏があるものだ。
「不動産に人が入らない……ッ!このままじゃ維持費ばかりかかって大損だ……ッ!」
「いい年して子供部屋に住んでいるような奴らが俺の空き部屋に住んでくれれば……ッ!」
「悪いのは俺じゃない、子供部屋おじさんだ……ッ!」
どうぞ、そのまま誰も住んでない部屋の維持費を払い続けてください。
「自立」というキーワードで人々をそそのかし核家族化を推進していったのだ。
その結果どうなった?やれ孤独死だの、やれ保育園落ちただの、碌なことになってない。
俺たちが社会を動かしていたんだ。あのころの栄光よ、もう一度。
大人が子供部屋に住むなんて恥ずかしいとは思わないのか?俺たちの大人象に従え!
冷静に考えてみてほしい。
部屋というものはただの空間である。本来は部屋に名前なんてない。
あれれ~?「子供部屋」と名づけたのは、いったい誰かな?
あるいは将来のための時限爆弾だったのかもしれない。
なぜって、子供部屋は子供部屋だから子供以外、子供部屋なんか使っちゃならない。
おじさんよ、我が賃貸に入居せよ。
まぁ、みなさん「子供部屋おじさん」をもっと普及させていただきたい。
そうすれば定着するので。ニートのように。