はてなキーワード: 体重とは
毎日鬱で鬱で無理で死にたさ満点だったし手首も二の腕も足の付け根も毎日イカ焼きだったんだけど
友達に献血誘われてからなんか全部解決した(気がするだけかも)
厨二臭いけど私がリスカしてた理由は痛くて血が流れてるとなんかちゃんと生きてるわ〜って安心するんだよね
それが献血行ったら注射は痛えし血はドバドバ抜かれてくしもう生きてる最骨頂だった
可愛いお姉さんがお菓子用意してくれるし漫画いっぱいあるしタブレットも貸出してるしジュースも飲み放題だし(ジュースに限ってはメチャクチャ飲めって催促される)
「良い血管ですね〜」なんて訳分かんない理由で褒められるし献血ステーションの人全員に感謝される
2回目行った時は体重足りなかったんだけどジュース好きなだけ飲んでってくださいね!って言われるし
「また来てくれてありがとうございます!」とか存在を褒めにかかってきてちょっと泣いた
今大変だろうな〜と思って予約しようとしたら結構埋まっててびっくりした 良いことじゃん
抱っこして体重計に乗って引き算した
そうか、新生児くらいなのか、と思った朝
その日の午前中にミケちゃんに飼い主がいることが発覚した
うちによく遊びにくる野良猫だと思ったら、ちょっと放置気味の飼い猫だったミケちゃん
その日の朝、玄関のドアを開けたらドアの端に座っていた
いつもなら自転車のカゴに座ってるのに珍しいなと
それにいつもならすり寄ってくるのに座ったままなのも、ずいぶん眠いのかなあ、朝だからかなと思ったが
ケガして辛かったんだろうな
動かないミケちゃんを自転車のカゴに乗せるついでに体重計に乗って計ったのだった
体重を計ったのは、ミケちゃん用にハーネスを買おうと思っていたから、体の大きさの目安に
首周りや胴回りは抱っこして指でかこって計ってた
一緒に抱っこしてお散歩行く時に、飛び出したら車が危ないだろうからと思って
他にも薬をつける時のカラーだったりとか、猫用品をいろいろ見てた
でも全部いらなくなった
ケガして辛かったのにうちに遊びに来たミケちゃん
他にも猫がいっぱいいるという飼い主さんのお宅よりうちの玄関先が過ごしやすかったのなら、いつでも来ていいのに、来てほしいのに
けどもう来ないよな、飼い主さんもケガした猫を放し飼いにしたりはしないだろう
ミケちゃんのケガが良くなって欲しい、今はそれだけだ
もし数ヶ月後にでもまた遊びに来るようなことがあったらまたブラッシングをしてあげたい
中高大と全くモテることはなかった。容姿はもちろんのこと、陰気で卑屈な性格が災いしていた。
恋愛する資格すら与えられないような、集団の中にいても最初から選択肢に入っていないような空気のような存在だった。
二十歳くらいの頃にはすでに、もう私は一生セックスなんてする機会なんてないんじゃないか、と薄ぼんやりと思っていた。
今で言う自撮り裏垢のようなものであり、肌色が多かったり体のラインが露骨に強調されるような服を着た写真を撮っては投稿するようになった。
今までは毒にも薬にもならないような日記を書いていたことはあったのだが、陰気な内容であり知人以外で見る人もなかった。
それに対して、裏垢のブログはそこそこアクセスされるようになり(一日1500ページビューくらい)、コメントもつくようになった。
人に言えない趣味が増えたな、と私は思った。
しかし、そのブログを起点として、私は他人と肉体を重ね合わせるようになった。
ブログのコメント欄の常連の人であり、簡素なやりとりからチャットに発展してオフで会うことになった。
仕事の出張がてら関東に行き、新宿アルタ前の喫茶店で待ち合わせをした。そのままホテルに行き裸になって体を重ねたが、本番には至らなかった。
相手のよだれの臭いと重なったときの相手の体の重さを覚えている(相手の方が遥かに大柄であった)。
その後1回だけ会うことがあったが、それきりとなった。特に恋愛感情はなかった。
一人目と同じように、ブログのコメント欄をきっかけとしてやりとりを行うようになった。
一人目と同じように、出張がてら関東に行き、そのままホテルに行ったが、本番には至らなかった。
そもそもそういったことを目的にしたわけではなく、写真撮影を行いという相手の申し出があったのだ。
当日は年甲斐もなく女子高生の制服を着て2時間くらい写真を撮られた。もちろん両者の合意に基づいている。
この頃、ブログからTwitterに移行していて、そこからメールでやりとりをするようになった。
数回の事務的なやり取りの後、会うことになった。この時は自宅に相手を招き入れたが、本番には至らなかった。
私の部屋で相手は全裸になると、私はブーツを履いたまま相手の性器を踏みつけた。そういったプレイであり、もちろん両者の合意に基づいている。
このとき部屋では、coldplayのviva la vidaという曲が流れていたのだが、この曲のサビで流れている鐘の音に合わせて相手の性器を踏んづけていたら楽しくなった。
相手とは、新年にはあけおめメールのやりとりを行ったりしている。
街中で偶然声をかけられて、しつこくついてくるので渋々食事を一緒にとった。
その後もずっとついてきて、なぜかその流れで大阪の堂山あたりのホテルに入ることになった。
この時も本番には至らなかったのであるが、相手が性器を出してきたので私はそれを口に咥えた。
フェラチオは初めての経験だったが、そのまま相手は私の口の中で射精に至った。
それを飲み込むことはせず、洗面所で全部吐き出して口を濯いでいたら、相手もすっかり興醒めになったようであった。
私は終電で帰り、それきりとなった。
Twitterのやりとりから発展して会うことになった。神戸三宮で待ち合わせをして、その後自宅へ招き入れた。
着衣のままお互いに股間を弄りあったが、やはり本番には至らなかった。
そのときの相手はかなりの巨根であり、乳首でも感じることができる素質を有していた。
私が相手の胸を触ると喘ぐ姿を見て、男性でもこんなに乳首で感じるんだな、といった小学生並みの感想を抱いた。
が、その後会うことはなくそれきりとなった。
こちらもTwitterのやりとりをきっかけで会うことになった。大阪難波の個室ビデオ屋で待ち合わせをして、そのままの流れで行為に至った。
相手は緊縛が趣味であり、両腕をアームサックで固定し、口枷をはめられた状態で挿入に至った。もちろん両者の合意に基づいている。
五人目にして初めての挿入であったが、気持ち良いということはなく、相手の体重の重さと挿入に伴う鈍痛をいまだに覚えている。
このときの相手ともそれきりとなった。この頃から自分は不感症ではないかと思うようになった。
Facebookのアカウントを持っており、そちらのやりとりから会うことになった。
会うのは初めてではなく、大阪あたりのアングラ風味のイベントで何度か顔を合わせていた。
神戸の高台の方の街で待ち合わせをして、相手の自宅にお邪魔することになった。
相手はラバーフェチだったので、自分もラバーキャットスーツというものを着て胸とかを弄りあった。
行為としてはそれきりであるが、その後何度かイベントなどで会っている。
いずれの相手も恋愛感情も湧かず、心から気持ち良いと思えることもなかった。
このような経験を通して、自分はもしかしたらアセクシャルなのではないかと思うようになっていた。
しかし、転職した先の職場で見かけた同僚の女性に恋愛感情を初めて抱いたのである。
別にどこだって炎上するし、正直いつか炎上するんだろうなとは思っていた。
この間、沼は三つ作れみたいなツイートあって、あーそうだよなそりゃそうだよなって思いながら見た。今そのたった一個が炎上しただけで精神ズタボロで自分の支柱が無くなったような生き方をしている。
勝手に推しと名付けて、勝手に依存して、勝手に病んでいるのだからあちらとしてはたまったものではないだろう。理解はしている。けれど、イベントがあるだとかそういうことを生き甲斐にしてたのだ。今週頑張れば週末には配信があるとか月末にグッズが届くとかそんなちっぽけで、毎回一万円もかからないようなお気軽な支柱だったのだ。
他人に勝手に支柱を預け、お気軽な金しか出さないくせに全体重で寄りかかって、いつか起こるかもしれない炎上を見ないフリしていた。
結果勝手に生き甲斐を失い、毎回少額とはいえ金を落としていた自分の元には推しが写った様々なものに溢れて生活をしている。正直苦しい。好きだった事実を否定したくはないのに、好きでいる自分が嫌いだ。
自分が落とした金でああやって遊んでたのかなとか色々考えては地に落ちていく。
好きだったのは事実なのに、それさえ否定したくなるほどたかが一つの何かで崩れると思っていなかった。数年好きだったものを見たくないほど嫌いになるってこんなに苦しいのか。
食事の改善も運動や筋トレも高糖質食依存状態の増田には苦行なんだからついつい口に詰め込むのをやめられないなら無理
覚悟が決まればついつい口に詰め込むものをゼロカロリーの何かに変えられるはず
他のことはそれからだよ
アドバイス罪ってバッカじゃねぇの?って皮肉だぞ。そこでコケないで
blogにコメント禁止で書けばいいことTwitterで鍵かけてやればいいこと
ネットではなく現実でもそう。人間関係で自分の望むことだけ返ってきたりはしない
たとえばある地域に180cmはゆうに超えてて体重も100キロはいってそうな
ひとりでいつもお散歩していて色んな人に「おはよう」って挨拶してた
本当は良くないことだけど都心部だったらそういう大柄な男性がいたら避けちゃうだろ?
「おはよう」って返す人もいれば「フン」と無視する人もいたが誰ひとりとして怖がってはいなかった
それはその地域の住人が彼のことを子どもの頃から知っているからだ
他にも車のないご家庭のためにボランティアで車出してくれる人がいたりとか
人間関係でいいところ取りだけは出来ない
自分の中で変わったなと思うことをまとめてみる。
今まではコンパクトデジカメを使っていたが、メディアを差しなおしたり、ケーブルに繋いだりするのが面倒だった。
スマホなら普通にケーブルをつなぐようになるし、そこから「PCから」操作していくらでも吸い出せる。
最近はさらにNASを購入して「スマホから」操作して画像データを共有フォルダに送ることができるようになった。
これが結構重要で、必要な画像だけを確認しながら転送できるので利便性が数段アップした。
もはやコンパクトデジカメはスマホ自身の画像を撮る以外の用途はなくなっている。
今までつけていなかったわけだが、せっかくアプリがあるのだからということで書き込んでいる。
入力が面倒にならないようにいろいろな分類やUIに工夫が凝らされており、6月分は飽きずに入力できている。
入力してみて面白いのは、やはり収支が一覧できたりグラフ化できたりするところだ。
今まで何の気なしに散財してきたな、と言うのがよく分かった。
これもアプリがあったので入れてみた。
毎日間隔で体重を入力していくだけなので、とくに入力が苦になることもなく1か月続いている。
先述の家計簿と一緒で、蓄積したデータがグラフ化できるのが分かりやすい。
YouTubeのマイミックスリストで好きな曲が勝手にリストアップされるので、気分よく聞くことができる。たまに広告が入って気分が害されるが。
ウィジェットでGoogleカレンダーを表示させるようにするとなかなか便利だということに気が付いた。
以前PCでも予定を組んで作ったことはあるのだが、確認するのにわざわざPCを立ち上げ泣けなければならず、結局放置してしまった。
スマホは基本的にすぐ見られるし、急な変更ならスマホからでも編集できるのでとても便利だ。
買い物系(Amazon・ヨドバシなど)はやっぱりPCの方が使いやすかった。品物を選ぶのも、購入するのもやはりPCの方がいい。
漫画ビューアも試してみた。片手で見られるのは画期的だったが、やはり画面が小さい。タブレットにしたい。
今年の4月頭に体調を崩して3ヶ月ほど休職しているけど、もう人生終わった気がしている。
体調を崩した原因は仕事のノルマで、上司から暴言を言われ、上下からの無茶な要望に振り回されていた結果、身体が動かなくなってしまった。
休職して仕事から離れたら途端に体調は良くなり、飲酒も体重も減って健康的な生活を送れるようになった。
でも前のように仕事をすることは二度と出来ない。会社のことを考えると緊張するし、転職や異動、自分を変えたりもできなかった。
職場では配置転換をすることで話は進んでいるけど、前のように上司と話をしたり、企画を進めたりなど到底出来る気がしない。
そんな奴は会社にとって邪魔だろうし、もし次に体調を崩したら辞めるしかないだろう。
さらに言ってしまえば、そんな奴は社会的にも邪魔だろうから、このまま再就職もできず、ただただ堕ちていくだけなんだろうな。
あとは苦痛を味いながら人生が終わるのを待つだけになった。もっと前から頭良く、心身も丈夫に鍛えておけばこんなことにはならなかったのに。自業自得だね。
実家で飼っている猫を看取った。
18歳の黒猫。気の強いメス。
3匹中2匹は既にダンボール箱の中で息絶えていて、彼女だけが生きていた。2匹は木の下に埋めて、小さな草花を供えた。
小学生だけで近くの動物病院に立ち寄ると、栄養補給用の缶詰を持たせてくれた。今思えばすごく優しい先生だ。
わたしは着ていた体操服の裾を伸ばして、そこに子猫を乗せて帰った。
家まであと30メートルくらいのところでオシッコをされて、慌てて走った。
うちには既にキジトラのシニア猫がいて、ラッキーちゃんの遊び相手をしてくれた。
それから18年。
みんな私や家族が拾った捨て猫や、団体から引き取った保護猫だ。
ラッキーちゃんは、避妊手術以来、大きなケガや病気をしたことが無かった。
加齢による足腰の弱りがあるくらいで、毎日鳴いて美味しいご飯を要求してくれた。
体重は常に3キロ台後半をキープ。毛艶もよく、とても18歳には見えなかった。
今から約1週間前、そんな彼女が、急に食欲を失って風邪を引いた。
食べなくなって1日も経っていないのに、前回の測定から1.1キロも減っていた。
脱水傾向はあるが点滴は提案されず、風邪に対する治療を受けた。
ところが、ラッキーちゃんはみるみる衰弱していき、ついに起き上がれなくなった。
木曜日。
短時間だが呼吸が止まることもあり、もういつ旅立ってもおかしくないと思った。
思い立ってから30分で今の家を出た。焦りのあまり、フライトの日付を見間違える。
新幹線に乗った。
自粛生活を続けてきたこと、有休消化で2週間以上通勤していないことが幸いして、感染リスクの低い帰省に出来たのは良かった。
22時30分。
ただし、時折立ち上がろうとしてはすぐに倒れてしまうため、目が離せなかった。
死期が近い猫は体温が下がる。猫自身、冷たい場所を求めるという看取り経験者のブログ記事を思い出した。
ラッキーちゃんも冷たいフローリングを好み、体温でぬるくなったら冷たい箇所に移動しようとしていた。
体を十分動かせないためか、顔の筋肉が少しずつ硬直しているように感じた。
起き上がるたび、頭や腰をフローリングにぶつけないように守った。
午前3時すぎ、彼女が寝付いたのを確認して、わたしも仮眠を取った。
金曜日。
水を摂ると粘り気のあるよだれが出て、少し呼吸し辛そうに見える。
口の周りが乾かないよう、水を吸わせたティッシュで優しく拭いた。
呼吸は、更に弱々しくなった。
膝に乗せ、大好きな庭に出て日光浴をした。
芝生の上はひんやりして気持ちよかったらしく、穏やかな呼吸を感じた。
この頃から血の混ざったような色のよだれが出始める。
キッチンペーパーを敷いて、頻繁に交換した。
土曜日。
母を起こして2人で見守る。
瞳孔は開いたままで、瞼も閉じられない。
しばらくして呼吸が落ち着いたものの、何度か弱い呼吸の波が来る。
大丈夫、みんな居るからねと声をかけるたびに涙が溢れて、もう声にならなかった。
ふたたび呼吸が落ち着いた頃を見計らい、母と2人、少し遅い昼食を用意した。
ダイニングテーブルの上にラッキーちゃんを乗せ、兄が見守ってくれた。
その時は突然だった。
いま呼吸が止まったと兄が言う。
走ってダイニングテーブルに向かうと、何秒かごとにフーッと大きく息を吐き出していた。
心臓のあたりに手を当てると、今までで一番ゆっくりと鼓動していた。
これは最期の呼吸だ。
直後、全身にグッと力が入り、顔を少し上げた。
そして、脱力した。
猫も1〜3分間は耳が聞こえるという情報を見たことがあったので、泣きながらたくさん声をかけた。
眠るように穏やかな表情だ。
そうして、ラッキーちゃんと私たち家族の18年間が幕を閉じた。
涙は止まらなかったが、ここで事前に調べていた看取りの知識が生きた。
硬直が始まる前に、丸まって寝ている時のような姿勢を作る。
汚れたところは拭いて、ブラシで毛並みを整える。
キッチンペーパーで包んだ保冷剤を四つ、お腹の近くに入れる。これは6時間おきに交換。
お顔を見る時以外はバスタオルをかけ、冷房をかけた部屋に安置した。
看取り経験者のブログから学んだ、綺麗にお別れするために必要なことだ。
丸一日後に来てもらうようにしたため、花を買いに行った。
せめて沢山の花で送り出したいと思い、花屋を四軒回った。
母が白い花はお別れみたいで嫌だという。
もとより黄色やオレンジの花で送りたいと思っていたので、その2色を主役にした。
日曜日。
生花を切って、寂しくないように敷き詰めた。
耳と尻尾は柔らかくて、触るたびに温もりが蘇ってきた。
たくさん声をかけて、たくさん撫でて、最後のお別れをした。
けど、火葬車に乗った姿を見たら堪らなくなった。
これは永遠のお別れじゃない。きれいなお骨の姿に変わるために必要なことだと言い聞かせた。
業者の方は本当に丁寧で、きれいにお骨が残るようにしてくださった。
ちいさなお骨のひとつひとつを見ながら、立派な最期を見せてくれたことに感謝した。
みんなが見送れるタイミングを分かっていたかのような旅立ちだった。
お陰で、悔いなくお別れができた。
これまで猫のわがままや粗相に軽く文句を言っていた自分は、なんてちっぽけだったんだろう。
猫は常に「今」を生きている。
元気だから、わがままを言う。元気だから、たまには粗相があるかもしれない。
心の根っこはそうあるべきだと思った。
この先、4匹の猫との別れが待っている。
きっとその度に辛くなると思う。