はてなキーワード: 三叉路とは
謝り方がなってねぇんだよ(笑)
ジャップのフェミナチが謝らねぇ理由は「運動が1歩でも後退するのを嫌っている」からだよ。
解説してやろう。
「運動」ってなんだ?
社会運動は、社会を良くするための活動だ、なんておためごかし夢想家のバカの価値観に寄り添ってんじゃねぇぞカス。
「運動」ってのを生み出したのは「学生運動の過激派」、要するに「活動する共産主義者」共の活動に過ぎねぇんだよ。
共産党と過激派は手を切った、なんておためごかしを誰が信じてるんだよ。信じてるのは共産オルグされてるバカはてなー共と、運動に参加した結果アイデンティティ化しちまったツイッタラー(笑)だけじゃねぇか。
代々木盗聴は「バレたから問題」なのであって、三叉路で警官焼き殺したのを指示したのは代々木だったってのは、亀井が不破にぶつけた戯言な?
学生運動過激派共は、非を認めれば総括、活動に手抜かりがあれば総括、真面目さと詭弁だけが取り柄のバカジャップのアイデンティティをそのまま共産主義運動に乗っけたバカどもだ。
安保闘争の時に、岸をぶっ殺せなかった(首相官邸に突入して、岸以下警察官僚全員ぶっ殺せばよかっただけ)のがオマエラの運動の敗北だよ(笑)
まぁ、コレに関しては公安警察が活動細胞のレポ員を微罪で片っ端から逮捕してたから、頭脳と活動体の分断が成功したからなのであって。
(レポ員逮捕→活動体の指揮に入るしか無い→隠れ家を出たとこで逮捕→活動体は放置。むしろ破壊活動させて全部しょっぴくまで警察は決めていた。でも、岸だけは首相官邸防衛のために自衛隊を呼びたがっていた)
……とまぁ、敗北者だからこそ「今の運動を後退させてなるものか!」が謝れない正体だよ。
要するに、フェミナチ共は共産党の運動の流儀をそのまま継承しているの。勿論オルガナイザーやメンターは何も言わないさ。でも、ルールは徹底している。
そりゃそうだ。これまで「運動」で「内々の実績」だけは作ってきたからな。「内々の実績(笑)」だけな。
要するに今のフェミナチ運動共は、「内々の実績(笑)=共産党の運動(笑)」としての価値に重きをおいてるから「謝罪なんか以ての外」なんだよ。
だって「敵」だもの。敵に謝るなんて、許されるわけ無いし、例え偽証だろうと「討つべき敵への攻撃」は「共産党とそのオルグされた連中の正義」でしかないからな。
つまりだ。
「ちゃんとした謝罪は、これまでの活動の導線を全部説明して、テメェが【謝ったら許されないドグマ】に毒されていることを示した上で、そうした【運動や活動と手を切って】本当の女性保護活動に立ち返ります」以外ねぇんだよ。
以前に放置していたリエーニエの「死の鳥」「死儀礼の鳥」とケイリッドの「夜の騎士」2体を撃破。
「死儀礼の鳥」は冷凍ブレスがけっこうウザく、レベル差あるはずなのに近接だとけっこうYOU DIEDする。
面倒なので武器を「グレートソード」から「番犬の錫杖」に変更、少し距離とって遠距離攻撃で撃破するも、やっぱりエルデンリングのバトルは近接の方が面白い。
ただ、これから状態異常の範囲攻撃とか増えそうだし(止めてほしい)、脳筋キャラ的に「番犬の錫杖」にはお世話になりそうな予感もするので貴重な「喪色の鍛石」を使ってレベルアップしてみた。役に立つといいのだけど。
ケイリッドでは「夜の騎士」を探す途中で未開放だった祝福や「牢獄洞窟」を発見、ついでに探索して「狂った闘士」を撃破。
「狂った闘士」とはずいぶんレベル差ありそうだったけど、「牢獄洞窟」ってそんなに初期の訪問を想定した場所なんだろか。
エルデンリングの敵レベル設定、同一エリア内でも高低差が激しいのは放置推奨で意図的なんだろうけど、レベル低い時に攻略サイトとか見ないで「牢獄洞窟」に辿り着くだけでも相当な猛者なのでは?と思う。
「牢獄洞窟」のボス部屋を抜けた先(こんな所に出るのかと驚いた)で遠距離攻撃できる剣「エオヒドの宝剣」などゲット。
「エオヒドの宝剣」の戦技は多段ヒットで出血も狙えて良さそうだけど、ボス戦ではあまり役立たなそうな予感。
これ以外にも使ってない武器が大量にあるけど、これら全部を使い物になるレベルにしようと思うと、ルーン稼ぎでとんでもない時間が必要になってしまう。
「鍛石」についてはもう少しランダムドロップ増やしてもいい気もするのだけど、ゲームバランスに直結する要素でもあるし、ソウルゲー的にはこの仕様で仕方ないのかな。
あとは「壺の村」に行って癒しキャラっぽい「小壺」との会話を進めたり、使ってない戦技の中で「番犬の錫杖」以外に有効そうな遠距離攻撃あるか試したり、ぬるま湯的な感じ終了。
今週は目標たいして更新できなかったので、土日でもう少し先に進めたいところ。
以下、今後の目標。
自転車のマナーや走行環境の問題、自転車に対する自動車ドライバーの悪質行為などは散々言われてる事なので割愛する
それらとは別に自転車が車道を走る上で重要なのに、無視されがちな問題が一つある
自動車の免許を持ってる人間なら勉強した事があるであろう自転車の手信号だが、目にする機会が少ないせいで大抵のドライバーはさっぱり忘れている
この様な状況にしてしまった責任は手信号をほとんど出さない(知らない自転車乗りも多い)自転車側にもある
だが例えば三叉路などの場合、手信号で自転車側が進行方向を示さないと危険なケースがある
自転車側がきちんと手信号を出しても自動車側が理解できていないと、自動車側からは自転車側が突然進路を変更した様に見えてしまうのだ
そればかりか手信号をただの危険な片手運転と誤認して「マナーの悪い自転車乗り」扱いするドライバーまでいる
これに対して「自転車にも方向指示器(ウィンカー)を付ければ良い」という意見がある
自転車用のウインカーもあるにはある(ちなみにブレーキランプ的なものもある)
夜間であれば十分な視認性があり、自動車側がそれをウインカーとして認識してくれれば有用なアイテムと言えるだろう
ただ昼間にウインカーとしての役割を期待するには甚だ心もとない
また自転車には視認性の良いウインカーの設置箇所が限られるという問題もある
そして視認性の良い箇所は往々にして破損しやすい箇所でもあるのだ
また自転車用ウインカーの価格も考慮すると、自転車にウインカーを装着させるよりも手信号の徹底を図った方が確実だと思う
これは個人的な意見になるのだが、自転車乗りの意識向上には手信号の徹底が非常に重要だと考えている
自分の意図を示す事と相手の意図を確認する事、その上で互いに譲り合って安全を確保する事が運転をする上で最も重要な事だ
今の自転車乗りは自動車側の意図を確認しようとする事はあっても、自分の意図を示すという事が極端に少ない
自分の意図を示す機会が無いから、多くの自転車乗りが自身の行いに対して無責任になりがちなのだと思うのだ
自転車は軽車両であり、軽車両はれっきとした車両で、道路を走る上で車両には守るべき義務が多々存在する
そして義務が存在するという事は同時に権利も発生するという事なのだ
自転車が優先されるべき状況ならば、相手が大型トラックだろうが路線バスだろうが警察車両だろうが優先されるべきだ
安全に車道を走行する権利があるからこそ、それを守る為に自転車に乗るための義務が生じる
「自転車には車道を走行する上で様々な義務がある」「だが自動車の走行に不都合なので自転車に安全に車道を走行する権利は与えない」
これでは上手くいくはずがない
自転車が車道を安全に走行し、その権利を守る為に様々な義務を守る
権利を守る為に義務を果たさない者を警察が取り締まり、適切な罰則を与える
そんな当たり前の環境を整え直す為に、手始めとして自転車乗りの手信号の徹底とドライバーの手信号の尊重が重要なのだと俺は考えている
しかも交通量多い三叉路で近くに小学校あるから歩道にガードレールまでしてある所
青になったのに車がみんなスピード緩めてくから不思議に思って見たらババアが歩いてるの
なぜ????
次はそこから1.5kmほど走った地方都市の中心部でね、次はジジイ
トラックがなんかゆっくり走ってるから不思議に思ってみたらジジイが信号無視してんのよ
今度はまあ横断歩道歩いてるからさっきよりはマシなのか?いやマシじゃないだろ
信号無視してる奴若者にもいるけどさ、でもみんな死にたくないから車来てないか確認するじゃん?
車来てない時に信号無視するじゃん?
いや俺は車来てなくても信号変わるまでずっと待つ派なんだけどさ、
若者にとっては10m先の横断歩道が近く感じても年寄りには大変だから?
えっ、じゃあ10m先の横断歩道渡るより死んだほうが楽なの?じゃあ死ねよ
当時通っていた塾は送迎してくれる塾だったのだが、夏休みに入った嬉しさが余って送迎の先生とアイコンタクトしまくっていたら先生が後方不注意になってしまい、いつもは後ろから車などが来ていると教えてくれるものの、そういうのがなかった。そんで、夏休みに入ったわくわく感で飛び出したらそのままバイクにぶつかる。...痛い、痛いけど大丈夫ですみたいな感じで帰ろうとしたら、そのまま近所の病院に連れていかれた。別に骨とか折れてなかったけれど、その塾は気まずくなってほどなくして辞めたな。
かつて、徹夜でテスト勉強する習慣があって、徹夜明けで少し眠い目をこすりながら三叉路の信号を渡ったら、トラックがびゅーんとやってきた。さすがに気づいてダッシュで逃げたけれど、自分が元居た場所から1mは先の位置にトラックの端があったので、あのままボヤっとわたっていたら人生終わってたかもしれないと思った。
次のは列車から手を出していきがっていたら、友達が危ないから引っ込めろと言ってきて、乗り悪いなーと思いながら引っ込めたら列車の割と近くに標識があるところを通過。その友達がいなったら腕がなかったかもしれないと思ってる。
あとはまあ、同じ夏に2回おぼれかけたりとか、危ないteens時代を過ごしたなーって思った。
私は私のファン第1号だ。
たとえ活動が無くてもどこかでまた輝く私を夢見て、私が幸せになることを毎日祈り続けている。
自分で歌っては「なんて綺麗な歌声なんだ」と思い、自分の書いた文章を読んでは「こんな文章は私以外の誰にも書けやしない」と感嘆して、可愛く着飾った自分の姿を鏡で見て「こんなの映画の主人公じゃないか」と息を飲む。
自分というアイドル、偶像崇拝をすることで自分のあぜ道を照らし続けてきた。
壊れかけの懐中電灯のような頼りない光は私に三叉路の間違った道を勧める。
迷っているのはとうの昔に気づいているけど「もうこんな所まで歩いてきてしまった」と見栄を張って気づかないフリして自分が正しいと疑わずずんずんと進み続けた先には何も無かったのだ。
いつか見えない手が私に救いを差し伸べて私はただその時が来たらその手に縋ればいいと機会を待ち続けていた。
本当にしょうもない人生だった。ずっと夢ばかり見てきたと思う。
歩き続けてれば勝手に上手くいくほうに導かれるだろうと思ってたけど本当に何も無かった。真っ暗闇に意識だけがふよふよと漂っているのだ。
偶像は振り向かない。微笑んで手を振ってはくれるけどあくまでファンサービスだということを忘れてはいけない。夢を見せてくれるけど夢に見せられてはいけない。応援し続けていればいつか見返りがあるだろうと期待することは甚だおかしい。
私は私の人生を自分の足で歩まなければいけない。叶える気もない夢は幻想でしかなく幻想に囚われていたと気づいた時には見惚れていた夢が煤になり自分に容赦なく降りかかるのだ。自分のことを灰被りの少女だと思っていたけどそれこそ私が作り出した幻想に見せられていたのだ。
誕生日が来る度に「来年はもっと多くの人に祝ってもらえるように頑張ろう」と心に誓うようになってから4年は経った。今年は家族に祝ってもらえたので2人増えたと言っていいんだろうか。
そんなのでもいつか絶対にこの日々が光を帯びて眩い思い出として何度も振り返られる時が来ると思う。
この先の人生で得るはずだった休暇を全てこの瞬間に閉じ込めて消費しているんじゃなかったら何なんだとすら思うほどに自由に生きている。
何にもない私にも自由だけは有り余るほどある。
私は私のファンだけどプロデューサーなんてついていない。「こういう私が見てみたい」「きっと私ならこれができるはず」と思ってもこれまで私一人だけで叶えられなかったことも多かった。
さっき見た映画の余韻に浸っていたらもう既に2時間が経っていた。こうやって限りある人生というのは私の意図に反して終わっていくのだろう。
私は私を幸せにしたい。これは自分という名の偶像と決別するための1200文字の遺書。よってこれを最後のファンレターとして筆を折ろう。キショ。
すでに報道されている写真からもわかる通り、大和くんが見つかった演習場の施設はここ。
https://goo.gl/maps/A4RtRVmZNyt
そして置き去り現場はここ。
https://goo.gl/maps/8WRiF43eDkt
(※ソース http://livedoor.blogimg.jp/sashin_-news/imgs/9/7/97bd5ca6.png)
お父さんを困らせてやろうとして、三叉路を温泉施設とは逆の方向に行った場合、この場所に突き当たると思う。
https://goo.gl/maps/taDhNKHZ3LE2
ここで航空写真にしてみると…
https://goo.gl/maps/2G3AbkaY7DM2
なんか道があるじゃん!見つかった施設までつながってるじゃん!
とにかく無事で良かった。
会議は無情に延長
俺はそれを陰で爆笑
なぜなら原因は昨晩の接待
不慣れな席でがっついて失態
出てきた料理眼の前にそう吐く
さすがにみんなドン引き
宴は幕引き
さっさとタクシーで送迎
やっぱり車中でもSOゲー
Please don't forget!
俺が部屋まで送った恩
Please never forget!
Please don't forget!
Please never forget!
俺の手のひらにほのかに香るゲロ臭
でも知ってるんだぜ
それから朝まで寝てたって言ったろ?
でも知ってるんだぜ
それは嘘だってこったろ?
実は行ったろピンサロ
教えてもらったNO1ピンサロ
俺とすれ違ったろ三叉路
その先は唯一ピンサロ
Hey brother
俺だけが知ってるぜ
おれらすでにbrother
クルマのあるある話だから、クルマを所有していない節税貯蓄がマストなライフハッカー諸氏には関係ない話題で申し訳ない。
15年くらい前から上述したタイトルの状況になると、相手側ならばわずかにバックして直近のわき道にクルマを入れて避けてくれればスムースに通行できるのに、バックしてくれないことが多く、しょうがないのでこちらがバック300メートルなどして交差点や三叉路まで戻るのがザラだったことにとにかく気になってた。というかイライラしていた。
んでもって先日クルマを買い換え、自己所有のクルマがマニュアルからオートマになって、ようやくその理由にたどり着いたというか実感できた。
オートマではギアを替えることが特別な儀式になってしまってる。
ギアチェンジという行為が、ドライバーの精神に求める負荷が大きくなってる。
マニュアルでは走行開始からコーナーをいちいち通過するたびに当たり前のようにギアチェンジを行うわけで、ギアをローに入れることも2/3/4/5と順に入れることも別になんてことのないごくごく当たり前の普通の所作である。
バックであるRに入れることもその範疇に過ぎず、ドライバーに対する精神的な負荷はまったくといっていいほど、ない。
家の駐車場でDに入れてから、目的地に着くまでの路上で、LやRに替えることなどほとんどない。
傾斜のキツイ急坂ならばLに入れることもあるかもしれないが、そうでもない場合はアクセルをダブルキックして乗り切るのが普通なのではないか?
そんなギアチェンジの必要性のない安楽なドライブに慣れきってしまったら、タイトルのような状況に陥ったときすぐさまギアをRに入れてバックしてと、クルマを細かく操作しようとする気持ちが沸くわけがない。
実際俺も最近バックしてやんなくなったし。
相手が下がるまでブレーキ踏んでるだけのが多くなった。
だってめんどくさいよね。
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
【おもな放射道路編】
【おもな環状道路編】
【その他、概況】