はてなキーワード: リアリストとは
ぶっちゃけだいぶ前から三浦瑠璃の言うことは結構真っ当だと思っている。
そういう人が居る可能性もあるから、どうせ被害のあうのは東京だけだから大丈夫では無く
戦争に反対しているんだ。という論調で別にそんなにおかしいことを言っていたとも
思わなかった。
朝日の安全保障に関する世論調査にコメントして、自分たちが憲法に合うと思う兵器に関しては
軍備拡張に賛成のようだとコメントした件に対しても、軍備拡張に反対のほ方が
多いぞ!何を見てるんだ?素人が。のような批判コメントが拡散されてたが、
イージスアショア配備に賛成が多いという部分に対して、それがミサイルディフェンスと
名前は付いているものの、露からは中距離核弾頭ミサイル(INF)を発射できる物で、
日本の米由来の兵器システムはアメリカに属しているとみなさざるを得ず、
IMF禁止条約に違反するというロジックに、日も米も反論しないまま配備するのは
攻撃兵器とみなされても仕方が無いという意味で、考え方としては間違っていないと思う。
アメリカが中国に報復関税を決めたときは、貿易戦争とは言えない。
その後の発言は追ってないが、ファーウェイの幹部が逮捕されたりして、
韓国に対しても日韓でもめている場合ではないという論調だったと思うが、
自分で嫌韓をあおっておいて今になってあわてて抑えているのか?w
今の”リベラル”って実際には俺様に従えを主張しているだけの理性もへったくれもない(以下略)
という話は置いておいて、俺は『理念として言うならば』と断り書きをした。
実のところ俺もリアリストなので、エロ規制が一切ない世界という理念は世論の多数に支持されるとは信じていない。
ただそれとは別に、俺は正直なところ(元増田などまさにそうだが)『エロが規制されるのは当然。権力のお目こぼしによって”許される”』的な発想をする人があまりに多いことが問題だと思っている。
『そうではない、表現の自由は根本的な人権の一つだし、たとえエロであっても表現が規制される事態は異常なのだ。実際、規制する理屈は矛盾だらけだ』というアピールのために一元的内在制約説原理主義的な主張をしている部分はある。
彼の祖母が亡くなり、4ヶ月くらい経過した。
やっとお墓が出来た(?)とかで、納骨することとなった。
だが、納骨する日は、彼が仲良くしている人の手術日だった。
「俺はリアリストだ」とたまに言っていた。
そんな彼は母に対し
「俺は納骨は行かないで、知人の手術に立ち会うぞ!!」と言って揉めまくったらしい。
私は「納骨を優先したほうがいいのでは?」と話した。
手術内容は、首のほうに癌が絡んでるのかしらないけど、
手術の成功率も何もかも分からないらしい。(聞いていないのかも)
知人は離婚している為、
「誰もお見舞いに来ないし死ぬとしたら誰にも見られないなんてかわいそうだろ!お世話になってんのに!」
というのが彼の意見だった。
(お世話になったレベルとしては、3ヶ月程度の付き合いで、数回仕事が一緒になったレベル)
そこで私は
「もし、私が死んで納骨するときに
貴方の親友が大手術受けることになったらどうするの?」と聞いたら
それは状況が違うといわれた。
祖母は第二家族であり、第一家族だったらもちろんそっちを優先する。と言っていた。
「じゃぁ、孫が彼の納骨時にお世話になった人の結婚式に出ますって言われたらどう?」
と言ったら「それも状況がちげー」と言われた。
まぁ確かに、納骨も、喪に服すことも
彼を説得できないし、上手く言えずにモヤモヤした日となった。
追記する。
元々彼は「手術と納骨どっちに行くべきか?」と聞いてきた。
だから自分の意見「納骨に行った方が良いんじゃないか?」と言ったまで。
そしたら「手術に行く」と言ったから、私が死んでお葬式の時も知人の手術に行ったりするのではないかと
祖母が亡くなったとき、「父親代わりだったんだぞ!」とずーっとネガティブだった。
何かと自分に当たってきたし、数ヶ月ずーっと落ち込んでいた。
事あるごとに「ばあちゃんはさー」と言ってきて、最近も言うのに
納骨は行かないっていう事にモヤモヤしたのかなぁ。
そして、祖母について聞いたら
「もう死んで故人になってるし、そんなん生きてる人のエゴなんだから」と言うけど
これで彼母と彼の間に溝ができたら結婚無理かなっていう気もしている。それだけ。
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四十九日に納骨しようと思っていたみたいなんだけど
墓が出来てないとかなんだか色んな理由で遅れたみたい。
詳細は不明。彼自身も分かってないし、調べようとも思っていない。
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あたしの真似する人さ、人のクズさが見えて面白いからじゃんじゃんやっていいよ。
マネすればマネするたびに、あんたがクズになって魂が穢れるだけだから良いよ。
将来が楽しみだね^^
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さすがに「死ね」「消えろ」は言わない。「道路に飛び出して欲しい」くらいは言う。
あと、「天に召されろください」くらいは言う。意味は大体同じだけど。
「あたし」を一人称とし、「お願い」とかは一切言わない。
誰とでも対等と思っていて、「追記した」とかも別に言わないから。(追記するは言う)
「きもい」は言わない。「うざい」は言う。
相手から「お前はこういう奴だ」決め付けられた発言をされるのが嫌い。
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つーかさぁ…………。
理論的に話せないやつ多すぎて話にならないわぁ。
馬鹿すぎてやってられない。
かまって欲しいんじゃね?とかもほんと馬鹿すぎ。
すっきりしないけどさ。
ダーリン待ってるし行かなきゃ♪
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うーん、下手だなぁ。↑ちゃんと読んでね。
友達から聞いた話をぐっちゃぐちゃかき回しただけ。その子の一人称は「あたし」
真似されまくってて笑うわww面白いなww
まぁ……実際、親代わりに育ててくれた人の納骨を取るか、手術する知人を取るかって言われたら
物凄くお世話になったんであれば手術に行くかもしれない。
今の時代、義務に感じなくてもいいかなと思うけど。ただ、結婚は恋愛してなくてもできるよ。我慢できる相手かどうかとか、我慢をどれぐらい強いてくる相手かとかを見極めればよいよ。
俺の考えだけど、セックスが気持ちいい(痛いだけとかでない)なら、それが恋愛そのものと捉えることもできるよ。
で、付き合うことになれば相手をそれなりに独占する権利を持ち合うし、それに見合った尊重の仕方をするのだけど、そんなもんはポーズでもいいんじゃないかと思ってる。
まぁ相手を尊重する感じは人の尊い部分と捉えることもできるから、そっちがクローズアップされがちだけど、本質ではないかなーと思う。
例えばブラックホールの実際の現象なんて実験しようがないのに理論上の話だけで研究が進んでる
この場合に悪魔の証明を言及したところで理論上の学問として先行してるんだから何の意味もない
今手元にある裏付けされた理論と結果で先行してるんだから現実的じゃないのは前提だから
それに追い付くために現実を変化させるというのを物理学や数学や情報工学や医学はやってきたわけ
恐ろしく精密な仮定の針が合わさったジェンガが科学を発展させてんの
今この文章読んでる中で今のアメリカの核開発が仮想空間の中での実験なんて知ってるやついないでしょ
大気中、地中、水中、宇宙空間での実験を禁止したけど、コンピュータ上での実験は禁止してない
真理は現実の中だけにあるわけじゃないの
単にできることしかやらないだけなの
それを解決するために不変的な性質を確認していって間違いが起こらず時代背景に左右されない真理に到達しようという学問が
哲学を学ばない、理かいしていないはてなーたちがいくらうわべや表層で主観問題を語ったところで全部無駄
そんなものは主観問題で塗りつぶしの聞く答えであって恒久的な解決策から程遠い
ただの間違い、その場しのぎでしかない
某氏が本当は呼び掛けていないということは置いておいて、棄権というのに異常なアレルギー反応があるのが謎だと思い始めた。
まとめ
・投票率向上のために若者は白票出した方がいいというのはわからんでもない
・しかしそもそも票田のことしか気にしません見たいな政治家がまかり通ることを容認するのか、そういう自称リアリストがこの国を腐らせているのでは。
・投票権の尊重の在り方は人それぞれだし、選挙へ行くかどうかについてもっと柔軟な価値判断を持ってほしい。少なくとも「そんな奴は投票に参加する権利はない」といった発言は、普選運動への冒涜に他ならない。(税金を納めてないやつは選挙に参加するなの構図とたいして変わらない)
選挙欲しい人がいるのだから、持っていることはありがたいと思えというのはまあ正しい。しかしそこから導けるのは「選挙権を大事にせよ」という命令であり、選挙権を大事にする方法は人それぞれだろう。判断する時間が取れず、責任ある投票ができそうにないから、棄権するという態度は選挙権を尊重しているからこそできる態度ではないのだろうか。一票に宿る歴史の重みを自覚せずに、責任感なんてなくてよいので適当に投票せよ、などというのはそれこそ冒涜ではないのか。
・投票できるのに投票しなかったら政治にコミットする権利はなくなるよ
そもそも、このようにすぐに自分と異なる行動をするものの主権をはく奪しようという発想自体が、民主主義や国民主権の発想と異なるように思える。
若者向けによく言われる言葉だ。統計上の若者の投票率向上自体が若者向けの政策のモチベーションへとなりうるため、白票でもよいので投じろという考えである。まあこの中ではたしかにまともな意見だと思う。ただそもそも票田となる対象を利するみたいな考えが気に入らない
・400万円
雑すぎ。
・利益団体を利するだけ
選挙権を行使して利益団体を利することもできるわけだし、利益団体はそれなりの根拠をもって行動している。(私は人々の道徳的感性にある程度信じているので、いくら何でも、自分の業界を守るために虐殺やります!みたいな業界団体が業界団体内で支持されるとは思えない)と考えれば利益団体による調整機能への信任としての棄権という考えもできる。
自分のやっている"善行"をやっていない人間を排撃するのはたのしい!という素朴な気持ちを持ちがち
選管がやたらとキャンペーンを張っている。成人式でもわけのわからないDVDが配られていた。子供のころから刷り込まれた価値観はなかなか疑いにくいし、それに反する行動には過剰反応を起こしがちだ。
これは純粋な疑問だが、全国民が最適と思う投票行動をとった時、果たして現状より良い結果が出るのか?という疑問がある。
また完全に利己的な高齢者の投票率が向上しても(若者の)私は特にうれしくない。
また若者の投票率向上には一定の意味があるかもしれないとも思う一方で構造的に若者の投票率は上がりにくいのではという気持ちもある。この状況下で抽象的な「行こう」キャンペーンは単に選択肢のない人への暴力じみている気がするのだ。
若者の投票率向上は意味があるのかもしれない。なので普通に行きたい人は行くべきだが、その考えを他人に押し付けないべきだと思う。選挙をやるのは本来世の中をよくするため、世の中を悪くしないためといった目的があるはずなのだが、「選挙に行こう」「選挙に行かないやつは非国民」運動には、その大前提が感じられない。「選挙に行きさえすればよい」という意識は「お題目を唱えれば成仏できます」(念のため南無妙法蓮華経とは書かなかった)とたいして変わらない気がしてならない。