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はてなキーワード: マネージャーとは

2024-03-28

こういうストーリーはどうだろうか?

大谷水原通訳マネージャー以上の関係大谷財産は実質二人の共有財産だった

しかし、大谷の親は敬虔キリスト教信者大谷がそういう属性の人であることを親にバラしたくなかった

そのため大谷関係を隠すために偽の妻まで用意した

このタイミング結婚を報告したのも賭博の件で捜査が進んでいることを事前に察知し、今回の件で操作のメスが大谷水原関係まで及ぶことを恐れたか

肩代わりとか盗難とか主張が二転三転したのも「ただ共有財産を使っただけ」という真実を隠すための拙い言い訳

莫大な財産赤の他人に任せているなんて異様?水原赤の他人ではないのだ、ただそれは隠された関係

彼らは別に誰が捕まろうと、世間から非難されようとどうでもいい

二人はただ誰も知らない二人の秘密関係を守る、それだけのために動いている

2024-03-27

anond:20240326155421

でもあのまごまご具合を見てると多分大谷に何かしらの瑕疵があるんだろうなと思っちゃう

ろくな契約してないのに通訳マネージャーみたいな仕事させてたとか

2024-03-26

腰の炎を燃やしてたゲイは今の大谷スキャンダル見てどう思うんだろう

彼の野球人生を絶ってしまうかもしれないマネージャーへ、ドス黒い怒りの炎が点火してんのかな

2024-03-25

anond:20240324024513

ご反応いただきありがとうございます

権限。ない。ないのです。

弊社においてプロデューサーとはマネージャーに毛が生えたようなものと考えて頂ければ、大体イメージにあうかと思います

ですので、思いつく限りの手段を駆使して声を上げるしかない、ということをご理解頂ければと思います

2024-03-23

anond:20240323002358

Jeff Bezos悪名高きマイクロマネージャーだ。彼は Amazon の小売りサイトの1ピクセルまで管理する。彼は以前 Larry Tesler を雇った。 Apple主任科学者で、たぶん世界で最も有名で尊敬される HCI エキスパートさ。そんでもって、 Jeff は Larry が言ったことを、 Larry が辞めるまで3年間無視し続けた。 Larry は大規模なユーザビリティ研究もやっただろうし、少しの疑いの余地も無く誰もそのひどいサイト理解できないってことをデモしたに違いない。けれど、 Jeff は1ピクセルたりとも動かさせはしなかった。トップページにぎっちりつまった内容の1ピクセルたりともね。それらはまるで何百万という彼の貴重な子供達なのさ。けれど Larry はそうじゃなかった。

https://anond.hatelabo.jp/20111018190933

パスワードマネージャーを意地でも使わん人

おるよな

それでログイン不自由してないならええけどそういう人は得てしてってやつ

2024-03-21

大谷通訳が金の使いこみで解雇

芸能人マネージャー横領って話はたまに見るけど通訳大谷の金を使えるんや。

2024-03-20

anond:20240320193711

だいぶ昔から関係ない

 

もっともそれなりの規模の会社部課長のポジ求人大卒以上って書かれているのはダメだけどね

あと海外出張海外支社出向が前提となってるやつ(まぁマネージャーってことにしとけばいいし、語学力目的による)

ファミレスバイトしてたとき

その日のランチヘルプに来るはずだったエリアマネージャーが大遅刻してきた。

後日、そのエリアマネージャーはお詫びにコンビニハーゲンダッツを大量に買ってきてくれた。

コンビニレジ袋があんなに輝いて見えることってあまりないと思う。

ハーゲンダッツバイトのみんなで美味しくいただきました。

一人で2個食ったのはあいつです。

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

anond:20240317232558

ちょっと聞いた話なんでどこまでホントわからんけど、とある派遣会社にとても優秀なエンジニアがいるらしいんだけど、

その人はプレイヤーでいたいけど普通に会社務めするとマネージャーやらされるから、それが嫌で派遣社員でいるらしい。

他より抜きんでて能力があるから、めちゃくちゃ稼げるらしく、その派遣会社の稼ぎ頭だとか。

んでバリバリ働いたら、たまに長期に休みを取ったり、自分スタイルにあった働き方をしてるらしい。

能力がある人はそういうやり方もあるんだな、と思った。

2024-03-17

Windowsバージョンアップで絶賛されたのは

95と2000のときだけだな。

それ以外は「前のほうがよかった」と全部言われてる。

絶賛の95でも、95のUIは使いにくいとわざわざWindows3.1のファイルマネージャーを使ってた人らもいたくらいだし。

2024-03-11

anond:20240311154901

学生モニターについて

現在学生の方は

入学金、授業料完全無料

初級魔法習得コースにご参加いただけます乙女トキメキ

モニター様の活動として

授業を受けた方に、

授業内容で楽しかった部分を

ご報告していただきます

皆さまのご参加、ぜひお待ちしています

次回の初級魔法習得コース

2024年3月16日

19時~20

(約60分)

zoom形式でのオンライン開催となります



ガーベラ初級魔法習得コースガーベラ

お申し込みはこち

関西魔法専門学院

この世で起きる現実には規則性がある。そんな全ての規則性を解き明かした学校です。あなたはこの学校でこの世の理を知ることで、普通人生とは違った素晴らしい体験をすることができます

リンク

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授業を受けたお客さまのお声ピンク薔薇



K 様

現実で使える魔法が本当にある」ということは

とにかく驚きの連続でした!

魔法の使い方を具体的に、

丁寧に教えてくださったので、

一つ一つ納得しながら

授業を受けることができました。

授業で教えて頂いた魔法を早速試すと、

物凄く簡単方法のに

わず、「すごい!!」と声が出ました。

わたしは、今はIT企業役員ですが、

実は魔法を使えるようになるのが

からの夢でした。

そして実際に魔法を使うという夢が叶って

感動で胸がいっぱいになりました。

次の授業もさらに楽しみで

からクワクしています

それまでに、たくさん

魔法を使ってみようと思います!!

M 様

こんばんは。本日は、大変お世話になりました。

私は、高校教師(保健体育部長)という仕事柄、

生徒の夢の実現(希望する進路の合格

部活動での勝利)をピンポイントで手助けし

「生徒に幸福になってもらいたい」とか

自分の周囲の人や生物や物を幸福にしたい」

と思っていました。

人に対して「~になってほしい」と願うことで、

それなりに効果もありましたが、

今日講義で考え方が大きく変わりました。

本日、教えていただいた方法を繰り返しながら、

自分自身や自分の周りの人々を

より幸福にしていきたいと思いました。

本日は、大変ありがとうございました。

また次の授業でお会いできる日を楽しみにしています



I 様

私は、小売業大手企業に勤めていて、

広報業務マネージャーをやっています

普段現実的な世界に生きており、

今よりもっともっと自分を豊かにしたい、

楽しく生きていきたいと思っていました。

世の中には、引き寄せの法則などありますが、

まりピンときませんでした。

ある時、こちらの魔法学校存在を知り、

衝撃が走りました。

魔法使いになれ るんだ!!と。

魔法が使えるなら、自分だけでなく、

周りのひとや世界幸せになれると思い、

すぐにご連絡して関西魔法専門学校入学しました。

「本物の魔法使い」って、

童話映画の中での話ではなかったことが

良くわかりました!

「この世で起きる現実の全ての規則性」を知り、

目から鱗が落ちました。

この規則性は、

世の中の誰も知らないことだと思います

とても面白しかも分かり易く、実例も聞けて、

その魔法凄さに、大興奮の授業 でした!!

世界にどこにもない授業ですね。

本物の魔法学校は、ここでした!!

YuKA校長先生お話も聞けて

とても貴重な授業でした。

早く次の授業が受けたいです。

このような素晴らしい魔法学校入学できた自分

褒めたいと思いました!!

教えて頂いた魔法をいっぱい使って、

さらなる魔法の高みを体感していきたいと思います!!

ありがとうございます!

!引き続きどうぞ宜しくお願いします!!!


恐ろしい世界

最近賃上げ必須みたいな風潮が気持ち悪い

賃上げして欲しいって言ってるババアとかオッサンは昨日より効率よく働いてんの?

毎日生産性上げてんの?

それを明確にマネージャー説明できんの?

それをしてないのに賃金だけ勝手に上がるわけないじゃん

昨日より効率よく働いてるのに賃金が増えないって嘆くんならわかるけど、どうもそんなふうに見えない

日々労働者の練度や生産性が上がるから相応に払う賃金も増やさざるを得ない、だからインフレしていく、という前提もなく払う金だけ増やしたところで額面が狂って手元の金の価値が減るだけなんだぞ

本当に生産性上げてんの?

2024-03-03

管理職の楽しさ って何?

ここ数年、リーダーというかマネージャーみたいなことしてて時期によるが5~10人の部下がいる

スペシャリストでやってける自信がないから今のキャリアパス選択したんだけど

管理職マネージャー)ならではの楽しみ というのが未だによくわからない

責任が大きいし、求められることも多いし、部下の業務メンタルサポートもしないといけないし、

業務を滞りなく進めるため、上司にも部下にもかなり気を使う

ネットじゃ管理職にやたら厳しい意見も多い

給与一般社員より多いけどたかが知れてる

案件の基本設計運用設計をするのは楽しいけど、それは別にマネジメントじゃないしな

もちろん自分が選んだ道だから責任もってやってるし、メンバーには愚痴なんかこぼさないし、

キャリアアップとして受け入れてるから後悔はしてないけど

マネージャーって楽しいな と思うことがそんなにない。

管理職やってる人達、何が面白いか教えて。あるいは楽しくないけど割り切ってるのかい

anond:20240303003842

なんでマネージメントの方に移らなかったんや

Googleが一度マネージャーなくした後に復活させた時点でマネージメント未来は明るかったやろ

2024-03-01

anond:20240301131454

まともな職とは?

正社員てこと?

正社員でも薄給ならまともな職ではない?

まあ絵かけるならデザイン系とかじゃない

マネージャー?とか漫画家仲間とかでツテないの?

anond:20240301093042

フルリモだから個人開発のプロジェクト進めてる

多分gitコミット時間みたらサボってるバレるけどマネージャーはそこまでしてこないので

2024-02-24

総務部で働いている。ていうか何でも屋。来訪者対応からPCセッティングから何でもやる。

自然と全部署とやり取りがあるんだけど、部署によって人の性質が違うのが興味深い。

営業企画広報は常時偉そうで、ミスを認めない(責任転嫁したがるのもここ)

技術は話が遅い。厳密さを求めるからかもしれない。話す内容を正確にしたがるせいで文章が長い。

事務と補助は自信がない。コソッと相談しに来がち。

最近広報と組んでてストレス溜まってる。

お客さんの要望でーと言うから対応してたら話が変わって作業修正、でも蓋開けたらお客さんはそんな要望出してない(担当が誤解してた)とか、急ぎでーと言うのがおかしいなと思ってマネージャー確認したら担当が進めてなかっただけ(お客さんから進捗確認あって思い出したっぽい)とか。

ひとりの話じゃなくて部署の奴全体的にそうなんだよな。対外的に取り繕うのはうまいけど、仕事の出来は悪い。面倒臭すぎるーー。

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