はてなキーワード: ガンバレとは
皮肉としては面白いけど、そういう皮肉をぶつけるドラマでもないだろうし、
「今起こってることをテーマにするのが逃げ恥」ってニュースじゃないんだから、
ttps://www.crank-in.net/interview/84333/1
そうやってプロデュースという制作側に色々詰め込まれて原作の良さが壊れるとかあると思うし、
最近だと劇場版のSTAND BY ME ドラえもん 2が不評だったりとか、
というか、落ち込んでるときに頑張れってあんまり意味がない気がするんだよね
仮にコロナで落ち込んでてガンバレ人類を言うのはうつ病と同じで逆効果というか、
コロナと関係ないものとか、サバンナの動物をナレーションなしで観てるとか、
そういう方が落ち着くと思うんだよね
なんとなくだけど、こういう自分の神経を逆なでするようなサブタイトルとか、
バブルから氷河期近辺のフジテレビって漢字がするんだけど、ドラえもんのもそうだし、
まあテレビ観ないしどうでもいいけど、
女性差別ってさ、女性を弱い物とみなしてるのでナメて支配したり、保護とセットで抑圧したり、そういうのが多かったわけじゃないっすか。大雑把な話をすればさ。
そんでフェミニズムというのは、「私らは本当は強いんだぜナメんなよ、使いこなせるから私らにも権利と自由をよこせ」と戦ってきた運動である。
社会運動を盛り上げてくには戦闘意欲やら実際の能力やらが必要だ。
このエントリの書き出しを見て「差別問題は戦闘じゃない、対立と断絶を煽るな」みたいな事を言いたくなる奴もいるだろうが、それは虚しい奇麗事だ。
さておき、フェミニズムは女も一人前に強いんだぞという思想なわけだから、それに共感するメンバーも自然と精力のある女が多く、活動も精力的にできる。
ところが男性運動――マスキュリズムかメンズリブか弱者男性論かすらよくわからんが――は、いわば男の弱さを訴える活動である。
「世の中から男は戦え強くあれビッグになれって言われるけど、無理ですぅ~降りますぅ~…」という思想である。
その旗の下に集まってくる男というのは当然、戦う能力や性格を持たない奴らが多くなる。戦いたがりもゼロとは言わんが少ない。
それで社会運動としてガンバレって言われたって、無理に決まってんのよ。
よく「弱者男性層は、どうして助けて助けてと言うばかりで自分で自分たち男の待遇をよくする活動をしないのか」って言われてるけど、そんな元気と能力のあるやつは既存の男性ジェンダーの中で楽しくやってけてるからだよな。
つまり、フェミニズムは自分の面倒を見られる人々がその強さを主張する活動だが、男性運動は自分の面倒を見られない人々がその弱さを主張する活動であり、ある意味で正反対だと言える。
なので、男性運動というのは、パパやママのつもりで助けて面倒見て保護してくれる人たちが出てくれないと希望が見えないのよ。
そこが男にも女にもいまいち周知されてないから、真逆のフェミニズム的な戦士スタイルを求められた男性運動が、歯切れの悪い返事をして、うやむやになる、みたいな状況が多くなる。
ちょっと大胆な事を言ってしまえば、フェミニズムにおいては撤廃すべきとされる慈悲的差別だけど、男性運動に対しては(応急処置的にせよ)周囲が慈悲的差別をしてあげるようでなくてはならない、ってことですね。
一瞬確かになって思ったけど、すももとか白まんとか反フェミは一定の権力を持つに至ってるし戦ってるが公共に採用される事はない
あいつらは貴重な戦闘意欲のある男性運動家なのだが、あいつらばかりがオピニオンリーダーめいたものになってしまうのもまた、男性運動に戦士候補が少ないからだと考える。
彼らの主張に頷く部分はあるが穴もあるし、主張の要旨以外のSNSのポジション取り戦法などでエグみが強い。
戦士候補が他にも多ければ、相互に穴を補完しあったり、エグみの少ない戦法を取る奴も現れて違う層の支持者を集められるのだろうが、人材の層が薄くてそれができないので、白饅頭の話やあれ系の戦法さえ非難できれば男性運動は潰せると思われてしまう。
上野千鶴子の影響力デカすぎと言われるフェミニスト界隈以上に、兵隊が少ない。
男として自省することでジェンダー規範から逃れて男も楽になる、みたいな話をしてる層もいるにはいて、白まん等とは一線を画しているが、あれはフェミニズム活動家男性と呼んだ方が適切であろう。
ふと駅のホームを見ると、「がんばれ!受験生!」というポスターがあった。
そんな時期か…と思い、電光掲示板を見ると
「ガンバレ!受験生!●●駅は、受験生を応援しています!」という文字が流れていった。
頑張っている人に向かって「頑張れ」と言うのはダメじゃなかったか?
昔からそうなのだが、「なんとかなる」という気持ちひとつで上手く事は進んでいた。
もちろん受験するという問題が出てくるものの、「AO入試」の面接だけで突破した。
吹奏楽部を3ねん続けていたのが良かったのだろう。
大学受験は「AO入試」だった。他にも言い方があった気もするが、忘れた。
自分がやるべきことは、面接と、自分が学びたい事のプレゼンだけだった。
はーぁ、思い切り頑張ったことも無いし、頑張りたいとも思わないなぁ。
横浜の郊外にマンションを買えるような経済力を持ちながら、LGBTや少子化、産休の問題に苦しんでいるんだと糾弾するだけで行動しない
中間層の自己陶酔たっぷりの脚本に正直耐えることができなかった。
育児一つにしてもいざというときに親に子供を預けられるような家族関係(人間関係)を築いているのが当たり前、
(一応シングルマザーも登場していたが)両親いるのが当たり前と、世間のいわゆる中流階級の人々の当然を押し付けられるようなドラマだ。
私たちがノーマルで、それ以下の人間は日本人ではないと信じて疑わない人々が作り、視聴して喜ぶ人々に恐怖すら感じる。
高所得層、中流層、貧困層の三極化が広がる現代日本において、いわゆる「普通であること」の押し付け、同調圧力、多様性を肯定するように見せかけて例外を是認しない。
今日のコロナ禍において明日食べる者にも困るものがいる中で、果たしてLGBTの問題は食うものに困る人間より優先して議論をすべき問題なのか、甚だ疑問である。
後半のコロナをメインでやりたかったから仕方ないのかもしれないけど、色々盛り込みすぎじゃないか?
前半の夫婦別姓の話とか無痛分娩とか同性愛者(男女両方)とか、今っぽいワードを出すだけ出して
ポンポンとすすんでいく。
よく言えばテンポがいいが、
悪く言えばとりあえず全部話題に出しておけばいい、
「私たちはその辺理解ありますよ〜」と言ってるだけみたいに見えた。
想像以上に保守的な考えが多い日本のお茶の間には、それだけでも意味があるのかもしれないけれど。
結婚も出産に関しても、もっと大変な事が沢山ありそうなのに難なく進んでいって
前半はあるある話だけで終わっている。
後半のコロナの話は良かった。
忘れかけていたけど初期はああいう感覚だったのだというのを思い出させてくれた。
今も気を抜いてはならないのだ。
MIU404の時も思ったが、言いたい主張の内容は共感できるんだけど、正面からストレートにぶつかっていく。
特に今回一番しんどかったのは、平匡が上司の灰原に対して沼田や日野達と一緒に論破するところ。
後半良い人物にしようとしているがそれも取ってつけた感がある。
現実でああいう発言をする男がいるとしても、その人なりの人生や正義がある筈だ。
あとは言い方に絞っても、平匡もみくりも、自分が正義だと思っている主張にはストレートに物を言う。
勿論、みんな言いたい事を言える世の中が良いと思う。
しかし欧米人が身につけている様な、相手を尊重した上で自分の主張をきちんという、そういう言い方だってあるのではないか。
難しいけれど手本の様な物を映像でお茶の間に見せることは、大事なことだと思わないか。
日本人は口下手で言いたいことを我慢しすぎて、創作の中ではスカッとジャパンを求めてしまうのかもしれない。
これ自社でDCで災害対策で遠隔地に複数のシステム構築までやってれば片方だけに処理集中させればまぁ重くなる可能性はあるけどサービスは継続できた。
最悪、データ保護も両系統で持ってれば死んだ方を再起動して復帰とか出来た訳で
結局の所クラウドってこの手のSaaSの低価格化を進めたけどその分品質というかサービスの継続性は落ちたよね
PaaS障害で~って言いたいことは分かるけどユーザからすりゃPaaSの障害かどうかなんてどうでもよくって
金払ってる分サービスを当たり前に使えるかどうかだけが重要でPaaSの障害のせいで~とかユーザに対してサービスを提供出来てない状態だよね。
にもかかわらず、何々サービスのユーザがわかってくれて素晴らしい!とかいってるエンジニアがいるけどそれは本当かね?
そういってるエンジニアの過去を漁っていくと公務員の数が足りなくってコロナ対応で後手に回ってることとかを批判してるんだけどなんなのこの二枚舌
コロナが怖いから近くの寂れたプール付きの宿に家族で泊まったときのこと。
子どもたちをつれてプールに降りていくと、あとからいわゆるマイルドヤンキー的なファミリーがプールに入ってきた。
先に子どもたちが場所取りをしていたらしく、母親が娘に向かって一言。
耳を疑った。
どうやら場所取りあとに幼稚園くらいの娘さんがその場で着替え始めていたようだ。
自分は子どもたちと遊ぶのに必死だったので他の家族なんて気にかける暇なんてなかったが、(もちろんそんなことを言われてからむしろ目を向けようともしなかったが)むしろ人の目を集めるような言葉を大声で言うなんて何を考えているのだろうか。
自分の家族以外にもすでにプールに入っている家族がいたのだが、そんなに大勢の前で親がそんなことを言うのか意味がわからなかった。
もし自分の娘がそうしていたら、ささっと近づいて小声で叱った後に、こういう場所で堂々と着替えることが良くないことを教えなかったことを悔やんだだろう。
すると、その母親は子供の近くにでもまた同じことを大声で言った。
おそらく無理やり理解しようとするのなら、この母親は娘を衆人環視に吊るし上げることで羞恥心を刺激しようとしているのだろう。
それがしつけだと思っているのだ。
だとすれば、この娘は、人の恥ずかしい行動を皆の前で吊るすことが、その人のためになることだと勘違いするに違いない。
しかしこれは明確にいじめが発生するメカニズムにほかならない。
相手が間違ったことをしていれば、人前に晒しても良いなんてことは絶対にない。
親が間違った方法に気づかないままに、子どもにそれが正しいことだと教えることに原因がある。
その後、遅れて似たような別のファミリーがやってきて合流した後、ソーシャルディスタンスなんてどこ吹く風と言わんばかりに狭いテーブルを囲って大声で騒いでいた。
物足りないと文句を言う子どもたちを連れてさっさとプールを引き上げたが、こんなんでは最先端で頑張り続ける医療機関の方々に合わせる顔がないと申し訳なくなった。
でもこういうやつらに限ってSNSで医療関係者ガンバレな投稿をシェアしていいねして、感染した芸能人に凸してるのかと思うと、あまりにもいたたまれなくなった。