はてなキーワード: アフォとは
自分のIQの数値が統合失調症の状態によって変わるが、最低の時は90、最高の時は150ぐらいになる。
IQが低い時は確かに詐欺に引っかかりそうになるレベルでアフォになるが、世間についての認識が幼稚なのでやたらとハッピーな状態。
「ようし、精神病院を退院したばかりだし、気楽に構えるかぁ。そうだ、WordPressでも運用してみっかぁ」といった具合。
それで、インターネットを使うなどしてある程度世間の雰囲気がわかるようになり、知能も戻ってくると小賢しくなる。
「ブログ?そんなことに時間をかけても金と時間の無駄だろう。さっさとサイトを畳め」といった具合。
そしてSNSで他者から好感を持たれる頻度も変わる。バカになっている時は、意識しなくても人が寄ってきて友達になってくれる。
小賢しくなっている時は、人が警戒をして何も反応をしてこなくなる。だから高IQ時の方が実は孤独を感じていることが多い。
あとは知能が低い時は、ニュースの内容を理解できないので、不安を抱きにくくなる。経済のインフレが問題だとしても、インフレというものを理解できない。
しかし小賢しいモードの時はさまざまな文章を理解できるようになるので、不快感や不安感というものが増す。
要するに、
module_name.pyみたいなモジュールごとにファイル分割して、インターフェイスだけ公開してその他はdef _funcみたいにprotected(or private)にしとく。
でも「共通性がありそうだから共通関数にする」はアンチパターンだな。たまたま共通してただけの場合は分岐コードが増えて共通関数の保守コストが上がる。
あとありがちなのは、php開発者が関数分割しないですべてメインコードにべた書きするケース。こういうのはやめないと保守が大変。
とっておきのクズがやりがちなのは、神オブジェクトを作るとかだな。Userクラスのフィールドに関係する機能が多いからといって、コンポジションなどによるクラス分割をせずにユーザークラスにあらゆるフィールドとメソッドを追加して、さらに進むとユーザーとは無関係な機能も含めすべてをユーザークラスに定義するアフォ。こうなってしまったら、後から修正するのが難しくなる。
先に手を打つことが、プログラマーの素質「怠惰」につながるのであり、面倒臭いといって後回しにするのは美徳でもなんでもない。
人類は、有史以来、男女という2つの性別を定型として社会を営んできた。
今の男女を定型とする社会設計を維持したまま非定型である性別違和を感じるマイノリティの社会包摂をするには、男とはなにか。女とはなにか。性別移行する必要がある人はどういう条件を持つ人か。という『トランスジェンダー』の定義が必要になる。
だが、例えば視床下部のホルモン値を測定して判定できる客観的指標ではない自認主義を掲げてしまうと、トランスジェンダーの定義は極めて困難だ。解釈によってはススキノ殺人事件の被害者のレイプ犯女装男も含まれる。ましてや、このTwitterで問題発言の多いアコという人がトランスジェンダーでないとする説明にはかなり無理がある。
(性同一性障害は医者による診断という一定の客観性が保たれるが、主流のトランス運動家は、性同一性障害という診断を受けた人、受けたい人への攻撃も行っており、性自認は病気ではないという主張をしている。)
一方、今のLGBTQ思想が、性は自認で時系列で変遷するものなので今の社会の男女という二元論的な区分事態を廃止しようという考えならば、二元論前提の性区分スペースの利用にこだわらず、誰でも使えるスペース等の拡充を求めるのが筋で、MtFが女性トイレに入れないのは差別だという主張は成立しない。社会認識の変遷期に、旧来の二元論で運用する社会システムと新しい考えの性自認主義で運用する社会システムは併存するものだろうが、一方が一方の存在を否定することは包摂ではない。
ただし、自分は従来の男女二元論社会システムの否定は、女性差別を透明化すると危惧している。
定型的な生物学的女性だけ、望む望まないにかかわらず、生まれつき妊娠出産授乳する機能を持っており、その能力は、物理的な腕力を持った生物学的男性から搾取され差別を正当化する理由として使われてきた。
産まないという選択をした女も、男と同じ労働時間と労働量をやってみせても、生物学的女性だからという理由で差別をされてきた。
女装しているから女言葉を使うから差別されてきたわけではない。
女性差別の緩和のため、いくつかのアフォーマティブアクションが始まったのはつい最近のことだ。
自分は、クオータ制が導入された政策決定委員会の女性枠がMtFで埋まる状態や、女性スポーツの奨学金や賞金の受賞者リストがMtFで埋まる状態を望まない。
かつ、性犯罪被害者が社会に被害を訴えてもバッシングされまともに取り扱われない状況は今も続いているのに、性被害による妊娠のリスクを抱える生物学的女性専用のスペースが減らされる状態も望まない。
やること
筋トレと睡眠時間確保は健康になって脳のバランスを高めるため。
自己肯定感を真っ当に高めたいなら産まれてすぐ親と社会にちゃんと育てて貰うしかない。
だがもう無理だ。
負のアイデンティティの解除
正のアイデンティティの解除
ひとまず3つ
不細工→ルッキズム差別マンは相手にしないから関係ない(と洗脳 以下特別に記載がない限りは洗脳することを意味する)
注意欠陥→たんなる能力の話を持ち出して存在否定するくる奴は無視していい
仕事の生産性→無駄っぽい仕事でもそれしてる奴がいないと結局世界は回らん。トイレ掃除もゴミ掃除も誰もしない町はただの掃き溜めじゃん。
正のアイデンティティを手放す
オタク→「人にどう見られるか」を意識して自分の生き方を縛られてもコスパが悪い。
高IQ→単なる能力の話でしかないものが人権とかに影響はしないと認識する。
ネットでのバズ→いいねの駄サイクルで必死に存在を認め合う人間の馬鹿らしさは分かってるんだから自分ももう気にしない
さて、上手くいくかな?
違うな。もうアフォメーションは始めよう。
作戦完璧!こりゃ上手くいくぜ!じゃあ今年が終わる頃には自己肯定感の問題は解決!
大問題を解決した成功体験を糧にして来年はもっとすごい目標立てちゃうのかなー!凄いなー!やっぱ俺って凄いなー!最高ー!
こんな所か。
頑張ろ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-12-26/2023122612_01_0.html
この論理だと、痴漢対策の女性専用車両や女性DV被害者のシェルターに男性も入れるべきだということになる。
当然、すべての男性が痴漢ではないのは誰もが分かっていることだが、外見で区別がつけられないので、性被害にあう女性の心理的安全を守るために、すべての男性の立ち入りをお断りせざる得ない。
性被害者が、恐怖やトラウマを乗り越えて社会生活をしていくために、シェルターとしての女性専用スペースが必要だという意識が持てない人、女性の性犯罪への恐怖心を理解できない人は、女性の心を持っていないのではないか。
口汚いなあ。
それじゃあ、ちゃんとした定義に基づいた正しい言葉遣いで言い直そう。
そもそもの
たちが言う「ChatGPT」はどっちなの?
では、サービスとしてのChatGPTは、日本で実現可能だったの?
焦点はそこになるよね?
関係無いけど、最近、枝葉末節で揚げ足を取って「はい論破」とやるのが得意なyoutuberが馬鹿扱いされるようになったのは、健全なことだと思うよ。
1. 言語モデルの技術なんて、Transformerにデータを突っ込みまくるだけ。
2. 日本語の言語モデルはいくつか公開されており、llmjpという代表的なのがある。https://github.com/llm-jp/awesome-japanese-llm
3. 言語モデルを作るのに必要なのは技術力ではなく、金 (計算資源)。
技術に無知なやつほど、日本の技術力ではできない!とか胡散臭いことを言う。
じゃあ金をかけろ!という話じゃなくて、そんだけ金がかかるならやる価値がないって話ね。
「やる価値がない」って言って常識人がやろうとしないところを「技術力がない!」とか言ってるアフォに俺らはムカついてんだわ。
ジャパンカップはイクイノックスの史上最強論争を終結させるような見事な走りと、2着に負けはしたが力をしっかり見せつけてくれたリバティアイランドの活躍で華やかに終わった。
その裏で、3勝クラスのウインエアフォルク、地方競馬所属のチェスナットコート、クリノメガミエースの参戦があった。
チェスナットコートは中央で4勝しオープン入りしてからの地方転籍、クリノメガミエースも中央で新馬勝ちをしてからの地方転籍なので、中央実績からの所属クラスだけで語るならチェスナットコートは文句なし、ウインエアフォルクは1つ格上挑戦、クリノメガミエースは3階級格上挑戦ということになる。
(競走馬は「未勝利、1勝クラス、2勝クラス、3勝クラス、オープン」の順に昇級し計4勝すれば最上位のクラス所属となる)
しかし、格上挑戦だろうと当然、地方馬2頭も中央への出走資格を持っており、ジャパンカップへの出走希望馬の数や獲得賞金額など加味して、出走優先順位が上位18頭に入ったから全馬出走できたわけだ。
ルールに従っての堂々の出走だったわけだ。
結果はウインエアフォルクが15着、トラストケンシンを挟んでブービーがチェスナットコート、最下位18着はクリノメガミエースとなった。
ただ今回、ウインエアフォルクはともかく、チェスナットコートとクリノメガミエースの挑戦を批判的にツイートした人がXに現れ、炎上し批判される事件が起きた。
さらにそのアカウントに、クリノメガミエースの生産牧場の方が「このように批判されてもお互いに良いことはないんじゃないかと。もしクリノメガミエースが迷惑かけたのならすみません」と忠告と謝罪をした。
競馬に限らずだが、あらゆる場面において、勝てないと解りながらも夢を見て、より上を目指して挑戦することは尊い。
そこを否定してはならない。
そしてあらゆる競技に絶対はなく、例えば前の方で多重落馬事故が起き、後ろにいて巻き込まれなかった馬が勝つようなこともなくはない。
オリンピックのスノーボードレース、スピードスケートなどでもたまに見る光景だ。
なので、どれほど実力が足りなくとも、どれほど勝つ可能性が低くとも、そこに挑戦する価値はあるのだろう。
日本だって欧米から学び挑戦し続けたからこその今の発展だし、日本人のメジャー挑戦のさきがけとなった野茂英雄や、メジャーで通用しないと言われながら日本人野手初の大リーガーの1人となった新庄剛志がいたからこそ、今の大谷翔平の活躍があるとも言える。
馬だって同じで、ジャパンカップはそもそも日本馬が勝てない大会だったのが、いまや外国馬が勝てないので誰も来てくれなくなったほど、日本の競馬の進歩は目覚ましい。
今は中央と力の差がある地方競馬も、ミューチャリーのように中央馬を倒す馬だらけになる日だってくるかもしれない。
馬からするとレースの格は関係なく、騎手の指示に従って一所懸命走るだけだ。
馬は慣れないコースを走って故障することもあるし、一度の惨敗でその後のやる気を失うこともある。
その結果、それ以降のレースで走れなくなり、すぐに引退、馬肉になることもある。
馬のその先を思うなら、馬が一番活躍できるキャリアを用意してやることも、馬にとっては大切なことだろう。
しかし、オーナーがその馬をちゃんと愛していて、挑戦で結果が出なくとも、その後走れなくなったとしても、その後大事に面倒を見る覚悟があるならもちろんその挑戦にマイナスの面は少しもないだろう。
今回挑戦した馬たちのオーナーがどのような姿勢かは知らないが、馬に夢を託し、大きなレースに出した以上は、馬を大切にする方達だと思いたい。
地方馬のジャパンカップ参戦だけではなく、日本馬の凱旋門賞挑戦も似たようなものだ。
タイトルホルダーやドウデュースが凱旋門賞に挑み、結果的に惨敗し、帰国後もパフォーマンスを落としたとしたわけだが、彼らはそんな結果に関係なく、将来立派な種牡馬になることは確定している。
だがそんな馬は、ほんの一握りだ。
ひとつ言えるのは、「尊い挑戦をする人」と「可哀そうな馬」は両立され得るということだ。
タイトルホルダーのオーナーも、後になって「馬には可哀そうなことをした」と言っている。
あの時の増田は出馬表を見て驚き、「俺たちのあの子が中央で、win5対象の特別戦に出るんや!うおー!楽しみ!」というかつてない楽しみに震えた。
そしていつも見る地方で行われる中央地方交流戦重賞では、出稼ぎにきた中央馬たちが上位を独占して帰っていくのも見慣れた光景だ。
何が起きても覆らないほど、中央馬と地方馬に力の差があるのは肌身にしみて理解している。
もちろん勝つことはないだろう。
ひとつでも上の着を目指してくれたら、あわよくば1桁着順も?最下位は避けてくれるのは可能でしょ!なんて思っていた。
パトロールを見れば、必死に追って、流したブービーに迫る程度だった。
勝たないのはわかってたけど、思っていた以上で、少しがっくりきた。
いや、それでもよく頑張った、と思ったし、馬も騎手も立派だったし、彼女が俺たちを中央に連れてきてくれたのは誇らしかった。
でもホームの地方競馬場に帰ると、その初戦で見たことないような惨敗。
目を疑った。
え?俺たちの強い彼女は?どこにいった?
田舎のエリートが全国模試でさんざんで、自信を無くしたかのような走り。
うわっ、あの子傷ついてたんだ…
そこからだんだん、俺たちは彼女にとても申し訳ないことをしてしまったんじゃないかと思うようになった。
もちろん馬主や調教師の判断だし、ただのファンには何の権限もない。
でも、あの日無邪気に舞い上がっていた自分は、彼女にとってどういう存在だったんだろう、とは思うようになった。
「馬には可哀そうだった」この言葉は、実感があればあるほど、簡単じゃなく、重い言葉になると思う。
別にこの挑戦に正しいも間違っているもない。
挑戦を辞めたら人は終わりなのも事実だ。
だが馬はその挑戦も、その価値も知ることはなく、可哀そうなことをしたら可哀そうになるのも事実だ。
ただ、挑戦は可哀そうなだけでなく、ディープボンドみたいに惨敗してもいい経験として強く成長する馬もいる。
今回のウインエアフォルクと藤田菜七子騎手は、いい経験になって成長してくれる、と期待されていた。
個人的には、俺たちの吉村騎手がジャパンカップ走ってくれたのは嬉しかったし、いい経験になったろうし、いま競馬学校生の吉村Jr.にもその経験が受け継がれていくと思うと、クリノメガミエースの参戦にも大きな価値が詰まっていたとは思う。
人が馬に楽しませてもらい、その職業の人たちは馬にご飯を食べさせてもらっているのだから、誰だって馬に可哀そうなことをして欲しくはないし、したくはないだろう。
しかし実際の競走馬はあくまで経済動物で、乳を搾る牛や、肉をいただく鶏と本質的には変わらず、ある程度の可哀そうなことを強いるのも必然ではある。
だからこそ線引きは難しい。
お前は○○erではない
違うぞ。
「この○○に100時間以上費やしたぜ、すごいだろ!」とか言ってるアフォをよく見かける。すごいことではない、ガイジさえすべての○○に300時間以上は簡単にかけることができる。
△△✕✕しか持っていないのに○○erだと主張する人を見かける。▽▽を手に入れてから、俺に話しかけてね。
フェミニストのアフォ女へ: ωωは本物の○○ではありません。σσも本物ではありません。λλは本物の○○ではありません。ΦΦも本物の○○ではありません。ψψも本物の○○ではありません。スマホ○○は本物の○○ではありません。本物の○○をやれこのボケ共。赤子の○○を今すぐ脇に置け、挑戦とスキルが必要なものをプレイしろ。