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「アジア人差別」をしたフランス人が「差別じゃない」と本気で否定する理由
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85321
これを読んで、海外の人間があれは差別じゃないという主張は、認めはしないが言わんことは分らんでもないと感じた。
私自身も海外に長く住んでいるが、アジア人を「チャイニーズ」と呼ぶことを彼らは全く差別だと思ってない。
あまりにも失礼な場合は「日本人だよ、君は教養がないんだね」と言い返してた。
バッハがチャイニーズと言い間違えた時は、やっぱり共産党が大事なんだろうとか
ただの言い間違えと捉えた人は多かっただろう。
国によって違うが アジア人 = チャイニーズと思ってる人は死ぬほどいる。
何度も何度もそういう場面に遭遇して、いつしか嫌悪感を抱くようになった。
もう一つは中国人を見下した私の考えだった。
我々日本人とあの中国人を一緒にするなという気持ちが怒りの根底だった。
それがチャイニーズではなく、「アメリカン!」や「モンゴリアン!」なら笑って否定できただろう。
一般的な日本人は中国の方への偏見や差別に対して無頓着すぎる節がある。
ポリコレ全盛期にも関らず、いまだにテレビで中国の人の喋り方を模写して馬鹿にした芸が見ることができる。
中川家の芸と外国人がする「チンチョンチャン」に何の違いがあるだろう。
なんかBLM運動を冷笑してる日本人みたいなイメージ持ってる人いるけど。
日本だと、Covid-19が蔓延してる中で国内でデモやったからBLM運動に対して笑うとかじゃなくて明確に嫌われてるよね。
当時のネットのコメントとか見るとわかるけど、デモに対して殺人に等しいと日本人側から激しい抗議があった。
上記の文脈から「BLM=アジア人を殺してでも黒人の地位を向上させる運動」と認識された記憶がある。
その後のアメリカでのアジア人に対する暴力事件も日本だとそういう受け止められ方してる。
デンベレとかグリーズマンがこれだけ騒ぎになってるのもその余波なんだよね
(デンベレとグリーズマンはBLMに賛同して片膝を付けるパフォーマンスをしていたり、反人種差別として一時期賞賛されていた)
はてなの人って気づいてないのかな。
まずいんじゃないの?
ルックバックの作品中では、凶行に及んだ犯人は精神疾患だとは一切書かれていない。
更にコンテキストを作中外に広げ、京都アニメーションの事件の犯人などとの類似性に目を向けても精神疾患だと結びつけることはできない。
京都アニメーションの事件の犯人は責任能力ありと見なされていて精神疾患じゃない。
更に京都アニメーションの事件の犯人が当時精神疾患だと誤解されていたから、それを助長しているというのも意味不明。
つまり逆に凶行に及ぶ人は精神疾患だと=にすることを拒否している。
じゃあ誰が精神疾患と結び付けているのかって「精神疾患と結び付けるのはまずい」と言ってる人じゃん。
むしろあなたこそがデマの発祥もとであり「凶行に及んだ人=精神疾患」と結び付けるのを助長してる。
普通差別問題を考えるときに、ある特徴があるからと言って勝手に類推して差別するのは完全にアウトな行為。
鼻がでかいからユダヤ人だとか、目が細いからアジア人だとか、唇が厚いから黒人だなんて言うのはアウト。
被害妄想があるからと言って、統合失調症だと簡単に認定したり、幻聴が聞こえてたから精神疾患だと勝手に認定する。
その割にはアジア人神経質だけどな
これだけ日本中がオリンピックに対してセンシティブになってるときにやっちまったなと思う。
日本のこともよく知らなくてone of Asian countriesくらいにしか思っておらず、
国の感染状況とかどうでもいいと思ってる。
実際のバッハ会長の心中はともかく、そういう印象を受けてしまった。
これから彼がいかなる「日本を心配してます」「日本大好きです」アピールをしても、心の中ではだるいとかアジア人めとか思ってるんだろうな、と勘ぐってしまうんだわ。
あといま城東にあるベンチ問題はホームレスでも疲れた大人でもなくアジア人の若者の酒盛りだぞ。
夕方にコンビニで酒買って友達と集まって話し込むグループがどんだけ多いか。
おれはむかしアジア全般を旅行してたのでよく見たけど、このスタイルが日常生活なんだよな。
夕方、スコールが通り過ぎて涼しくなるとたくさんの人が道端や駅前に集まってきてよく雑談してる。
そんでそれを日本に来てそのままやってる。たぶん迷惑してる人がいるという意識がそもそもないんしゃないかな。
まぁ話せば理解してくれると思うんだけど、ビルのオーナーはそんなこと面倒なのでベンチに「長時間の利用近所!飲酒禁止!」の張り紙して、あとは警察か警備員が追い払うことになるんだけど。
小島先生のブログがホットエントリに上がっていたことで、ひろゆきがフランス人サッカー選手の人種発言問題に関してTwitterやYoutubeで触れていたことを知った。
ひろゆきはputainという言葉は、強調の意味でフランス人もよく使っていると言うのだが、本当に聞いたことがあるのか?
というのは、小島先生の記事中、このような部分があったからだ。
渦中の動画に出て来るフランス語の問題の単語は、フランス語のメディアの一致した報道によると「putain」です。カタカナ転写は、F爺には「ピュタン」以外に考えられません。「ピュータン」と長音にする理由は全くありません。
putainはカタカナ表記すれば、「ピュタン」。フランス語では最後の文節にアクセントを置くので「ピュターン」と聞こえることもある。どうやっても「ピュータン」には聞こえない。
ひろゆきのYouTubeをみてみたら、複数箇所で「ピュータン」と言っていたし、字幕も「ピュータン」と書いてあった。
なぜ「ピュータン」??と思ったら、辻仁成のブログで「ピュータン」とカタカナ表記されてたんだね。これは「ピュターン」と書こうとして間違えたんだろう。ひろゆきは、自分では動画を見ても聞き取れてないんじゃないかな。
putainは、まともな人であれば、あまり使わない。少なくとも自分が普段親交があるフランス人は日常的には使っていない。ただし、腹が立ったときなど、「チクショウ!」と同じように思わずはいてしまうことはある。
putainは若者言葉だとひろゆきは言ってるけど、老若男女問わず使う。汚い言葉だから、あまり人前では使わない。人前でしょっちゅう使うとしたら、いわゆる貧民や下層とされる人たちとか、悪い言葉使いをカッコイイと思ってるパンク気取りとか、分別の付かない(精神的な意味で)子どもたちだ。
ひろゆきの周りのフランス人が、そういう人たちばかりという可能性もあるけれど、本当にしょっちゅう聞いてるなら間違っても「ピュータン」と言ったり書いたりから、周りにフランス語で会話しあうようなフランス人はいないんだろう。
putainという言葉を検索すると、フランス人が「もともとは売春婦という意味だったが、今日のフランス語においてはヴィルギュル(読点)と同じように、文章中ごく頻繁に使う」なんてことを解説しているのを見つけるかもしれないが、フランス人がよく言う冗談なので真に受けないように。
該当動画を解説して「差別である」とした日本在中のフランス人ユーチューバーに、Twitterでひろゆきが質問していた。
Les japonaises sont là pour changer la langue de PES. Est-ce que c'est possible que "la langue" indique un paramètre du jeu, pas de la parole japonaise.
Comme un débutant en français, je voudrais savoir pourquoi vous l’affirmez.
Je vous remercie de votre temps.
「その日本人たちはPESの言語を変更するために来てます。「la langue(言語)は話している日本語ではなく、ゲームの設定のことを指しているということはありませんか?フランス語初心者として、なぜあなたがそうおっしゃるのか知りたいのです。お時間を割いていただき、ありがとうございます」
なお、レスで「それはない。la langueは日本語をさしている」と言われている。
不必要なほど丁寧な言い方で、なんだか機械翻訳のような文章。ある程度のレベルのフランス語を読み書き話すことができる人なら、Twitterで質問するときにこんな書き方はしない。
ひろゆきは、自分が書いているとおり、フランス語初心者で、それもかなり初級に近いレベルなのだと思う。
ひろゆきがTwitterでこう言ってるけど、まさしくブーメラン。
「sales gueules(酷い顔)」にしろ「putain」にしろ、その言葉自体をフランス人に対しても使うから「差別ではない」ということじゃない。
日本人をさして(わざわざ顔にズームしながら)、笑いながら言ってるから差別なのだ。「おまえ恥ずかしくないのか」というセリフも含め、あの状況をすべてひっくるめてが差別。
「細い」という言葉にも「目」にも差別の意味はないし、「細い目」という言葉もアメリカ人、イギリス人、フランス人などの間で使うかもしれない。だが、アジア人をさして「細い目」だと言ったりジェスチャーをしたら差別なのと同じこと。
ただ、デンベレ、グリーズマンともに、差別をしているという意識はなかったのだと思う。ダバディ氏が
貧しい階級の子供たち(フランス系であろうが、アフリカ系であろうが)はありえない用語でお互いを差別し、それが面白いと信じています。
と言ったように、差別してるんだけれど差別の意識がなく、面白がって言ってるだけ。
差別だとわからず意識なく話している。それこそが差別なんだよ。
差別だという意識があって言ってるなら、「悪意のある差別」になるだけ。
>ピュターンは知り合いはよく使うんよ。だから普通の言葉だと思ってた。何かうまくいかない時とかに使うね。下層の人とか言われてるけどそれだって差別じゃない?なんなの?
普通の言葉ではないけど、うまくいかない時とかに使うよ。そうだね。下層の人っていうのは差別だ。さらに言うと、自分はサッカーにまるで詳しくないからデンベレもグリーズマンも知らなかったけど、動画を見て発音があまりきれいではないから「移民系の人かな」と感じた。ぐぐって「なるほど」と思った。これも差別というか、見下してるのかも。
> putain は「ピュータン」気味に聞こえることもけっこう多い
動画みてみたよ。確かにあの言い方だと「ピュータン」と取れなくもないんだけど、ちゃんと「タ」にアクセントがある。ひろゆきが動画で言っていた「ピュータン」とは全然違う。
まあ、putainがピュタンでもピュータンでもいいのだけど、ひろゆきのフランス語のレベルはツイートの文章だけで、よくわかるよ。
putainは、ひろゆきが言うように「英語でいうveryと同じで強調するときに使う」という人は自分の周りにはいないけど。日本語でも「クッソ暑い」「クッソまずい」みたいに、何でも「クソ」を付ける人はいるようだから、veryの意味で使うフランス人もいるのかもしれない。ヤバイ人だと思うけど。
仮に、putainはフランス人なら1日100回くらい使うとか、単純にveryの意味でもいいのだけど、言葉そのものが差別なんじゃない。
自分が言いたかったことは後半に書いたように、言葉自体が差別かどうかじゃなくて、状況と合わせて差別だっていうこと。
putain la langue(ひでぇ言語)とだけ言ってたなら、問題にはならなかった。デンベレが「アニキ」と呼ぶほど仲がよいチームメイト同士のくだけた会話だから「putain la langue」くらい言ってもおかしくない。日本人をさしながら「きたねえツラが揃いやがったぜ」という意味のことを言ったり笑ったりして(こっちのほうが問題)、「ひでぇ言語だぜ」と言った。この一連のセリフが問題発言。
そもそも、この動画を流出させた人は「これは差別だから問題になる」とわかってやったわけで。それを、なんで日本人がよってたかって「差別じゃない」って擁護するのか理解できない。
おかしい。明らかに男性なのでLes Japonais。大文字、小文字のミスは大したことない。面倒で全部小文字で打つこともあるし、ネイティブでもあまり気にせず小文字のこともよくある。
フランス人のサッカー選手がフランス語で日本人/アジア人を差別する発言をしたことに関して、フランス在住の日本人作家が「これは差別発言ではない」と擁護していた。これを擁護した理由は、彼が「仮想的(ヴァーチャル)フランス人」になりきっているからだろう。
昔から日本では「仮想的(ヴァーチャル)外国人」になりきって「日本/日本人はダメだ。ただし『ヴァーチャル外国人』である自分は例外とする」というスタイルで、自分たちが棄てた日本や日本人を腐すビジネスを行う人間がいる。例えば、外国人と結婚してパートナーの出身国に移住し、日本人向けに「ダメな日本人とは異なり、X国人はこんな素敵な生活を送っている」的な日本語書籍を出して小銭を稼ぐタイプの人間である。
万葉集には、桜を詠んだ歌よりも梅を詠んだ歌の方が多い。それは、梅を愛でることが、当時の先進国であった中国大陸の文化だったからである。実は、昔から日本人は舶来信仰が強いのである。それでも万葉人たちは、大陸文化に憧れる一方で、日本列島に生きる自分たち自身の文化を、自らの手で作り出そうとする気概も持ち合わせていた。しかし、現代の仮想的(ヴァーチャル)外国人は、そうではない。日本のダメな部分を何とかするべき当事者としての責任を持つことや、日本を改善する為の具体的な営為に携わる泥臭い努力を、彼らは好まない。それよりも「ダメな日本/日本人のことを罵ったり嘲笑する」ことの方を好む。言うまでもなく、その方がラクだからである。
仮想的(ヴァーチャル)外国人としての思考の持ち主は「日本死ね!」が流行語大賞に選出されれば快哉を叫ぶし、外国人による日本人差別発言に関しては「これは差別発言ではない」と擁護したりする。こんな彼らの根底に有るものは何かと言えば、仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムと、それに加えて、没落国/発展途上国の人間が相手ならば何をしても/言っても許されるという強烈な差別意識である。私は、このような仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムを“盲目的愛異国心”と心密かに呼んでいる。
最近よく「もう日本は没落し始めた国なのだから、その国民である日本人も何かを言う資格は無い」的なことを言う人間を、はてなブックマークでも見かけるが、こういう人間も仮想的(ヴァーチャル)外国人の一つの例と言えるだろう。これも「日本がダメになったのは自分以外の日本人の責任である」という考え方である。
さて、人間は大なり小なり、他者を差別する欲求を持つ。とはいえ少し知恵が身に付くと、己の差別意識をそのまま表明することは、社会的に良ろしくない振る舞いであると(よほどの愚か者ではない限りは)学習する。その時、真っ当な人間たちは、差別をしない方向に努め始めるが、他方では、何とか理屈を付けて合法的(?)に差別欲求を満たしたいという明後日の方向に努力する人間も現れる。そんな彼らが編み出したのが、仮想的(ヴァーチャル)外国人になりきって、日本/日本人を馬鹿にすることで、己の差別欲求を満たす手法というわけである。「日本や日本人を罵ったり嘲笑することは、差別ではない。何故ならば、言っている自分も日本人だから」という理屈である。
「これは嘲笑や罵倒ではなく、自嘲的な批判である」「ダメな日本/日本人を何とかしたいと思っているからこそ、敢えて汚い言葉を使うのだ」という論法も頻繁に用いられる。そんな彼らの言う「ダメな日本/日本人」に、彼ら自身が含まれることは決して無い。彼らの中では、あくまでもダメなのは「彼ら以外の日本人」である。また「日本を良くしたいから汚い言葉を使う」とは言うが、その汚い言葉使いを、彼らが属しているつもりになっている、仮想的母国であるX国を相手に使うことは無いと言っても過言ではない。欠点の無い国や過ちを犯したことの無い国は存在しないのだから、従って、彼らの精神的・仮想的(ヴァーチャル)母国に該当するX国も、日本と同様に汚い言葉で罵ったり嘲笑しても構わない筈なのだが。
件のフランス在住作家や、彼のサッカー選手擁護を鵜呑みにしていた人間たちも、仮想的(ヴァーチャル)フランス人になろうとしているようである。それだけならば、別に彼らの勝手だから好きにすれば良い話ではあるのだが、しかし彼らのしていることは、畢竟「おフランスのダンナ。あっしは他のニホンザルと違って、ダンナのすることに逆らいやしませんからね。あっしのことを、他のニホンザルと同じに扱わないで下さいね?あっしはダンナと同じく『フランス人』ですからね?」という阿り以外の何物でもない。ビリー・アイリッシュのC-word発言映像に対して「自分はアジア人だけど気にしない」と、彼女に阿るコメントをする日本人やアジア人が多数いたのも、これも同じ動機である。
日本人(アジア人)としてのダメな部分に、きちんと当事者として向き合っていないから、いざ日本人(アジア人)差別に遭遇した時に「これは差別ではない!非日本人(非アジア人)に生まれ変わった現在の自分が、アジア人差別なんかに遭うはずが無い!」と現実逃避する羽目になるのである。
X国の部分をフランス以外の国に入れ換えれば、同じことをしている人間は沢山いる。貴方の周囲にだって、一人や二人はいるだろう。そういう人間は、件のフランス在住作家と同じ轍を踏む可能性が有る。気をつけた方が良い。
みんな白人にあこがれてメイクしたりするわけだし、事実、白人や白人とのハーフのタレントは日本でも受けが良いし。
黒人にそれを言われちゃうとゴリラがサルに見た目の話をするかねって気持ちにはなるけど。
まぁただ、白人とアジア人とどちらの見た目が好きかって言われたら断然アジア人だよ。
それも当然許された自由で、彼らが日本語をなんて言葉だってコメントしたのだって、まぁ好き嫌いの範疇だよな。
動画もプライベートだったものを誰かが勝手にアップしたわけで、ギルティなのはアップした人物なんじゃないの?
彼の発言を擁護するつもりはないけど、いちいちそれを「人種差別だ!」ってうんこ投げ合う世界より、「お前がそう思うのは自由だ。俺もお前の見た目が好きではないし、二度と応援などしない。」って堂々と言い合える世界のほうが住みやすいと思うよ。
その上で、プライベートの動画を勝手にアップした人間を断罪するべき。
フランスに行ったときたしかにいろいろな差別にあったし目の当たりにしてきたけど、店の端に追いやられたときは窓際にしろって文句をいったし、断られたらふざけんなってそのまま店を出た。
それをいちいちSNSでフランスは差別的だ!ってシェアしたって、ただ単に正義のふりして殴り返したいだけだろ。
どうしたって優劣はつく。
それをなくしていくほうが不自然だし、劣っている土俵で戦おうとすることのほうが間違ってる。
はー。白人様は見た目優れてますね。我々は別の分野でがんばります。でよくね?
いちいち見た目の侮辱で怒ってたら他に勝てるところないのかよって思えてきて悲しくなるよ。