はてなキーワード: いでとは
クローズドサークルって……まるで他人ごとのように言わないでほしい。
ただ今回の事故で明確に可視化されて、その広さに驚いているだけ。
利害関係者は東電の電力エリアにいる関東民、原発の施工/運営に関わる法人個人、
ロシアが支援だいって北陸をそのまま占拠して、関東の米軍どんぱち初めて、そこに国内不穏分子とかが発電所を破壊テロとかしたりしてさ、そんな事をしていたら東海沖地震とかがきたり、富士山が噴火して東京に降灰60センチとかになって、火山活動が活発になってる南九州あたりで喜界島カルデラあたりからも吹き出して、活発な噴火をしているキラウエアがさらに吹きあがって北太平洋プレートやべぇ!とかいってたら過去最大の隆起とかしているイエローストーンが60万年周期の大爆発をおこして、成層圏まで上がった灰のせいで5年ぐらい太陽光が地表に降り注がなくて、平均気温が-70度平均とかになって地球上の生物の97%が死滅してしまうより、全然最悪じゃないよね。だから全然復興できるよ。明日太陽でんじゃん。余裕だろ!
とりあえず、新規の建造はまず無理だよな。
ただ、そういう議論の仕方だと、原発に否定的な見解を持ってる人間を説得するのは難しいんじゃないかなぁ。と思ったことだけは書いておく。
ぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃ
原発止まってまじちょっと大変っすよねー。原発って大丈夫なんですかー?
だいじょーぶだろぉー。問題か?問題ないだろー
やっぱそうっすよねー。俺東電のことマジリスペクトしてるっす、とうでーん!とうでーん!
(スッ)
ぽぽぽぽーん!かっけー!原発で暮らしたいなんてかっこよすぎるっすよー!
「潰れそう」
地元で一番強そうな東電、東電ならマジで日本の経済とか潰せるんじゃないかな。
しかたねぇなー。
やっべーんだけどマジでこれやっべー。べーわまじべーわ。
逃げてくりゃよかった。っべぇなあ、逃げてるとここいつにばれたら東電の威厳がやっべーよなー。
くっそ気づいてねえ内にさっと自衛隊に任せるかー。
いや、やっべぇなあ。変な動きをして気がつかれたらそれこそやべえ。失望されるにきまってるー。
慰謝料も催促されるに決まってる。うわ~どんどん上がってくる~。
こんなんじゃ原発で暮らせねえよ。安全な西日本で暮らすはめになっちまうよー。
っべー!こんなんそのうちばれる、なんとかしねえと。
あれしかねえ。あれなら国民にも気づかれづに温度を下げられる。
あ!だめだわ。電気止まったわ。もうこうなったらどうしょうもねぇわ。冷却装置で取り戻せるもんじゃねぇわ。
壊れたわ。海に置いていく形になったわ。
通りすがりに壁を破壊してく人だわ。通りすがりに壁を破壊してく人にかかればこの通りだわ。
(俺を誰だと思ってるんだー)
っべー、こうなったらこいつが気づかないことを願うしかねえ。
ばれたら終わりだ。
頼む!ばれないでくれ、頼む!頼む国民、気がつかないでくれ、頼むぞ!
ばれた!?
……
えーマジっすか!マジありえねぇんすけど、原発放っとくとかまじありえねぇんすけどーーーーー
ふっ、でも国が保証してくれるしこいつらちょろいわ
貯金ってのは結果的に金がたまってるだけで、彼らは基本的に浪費が嫌いで、節約する自分の美しさを肯定している。
それに加えて節電、しかも今後のエネルギー政策で「もう今までのような浪費はできない」などと吹聴をするのがいて、やはりここでも「無駄遣いしないさせない俺カッコイイ」という精神が透けて見える。
もちろん彼らの思考に「供給に見合うだけ発電する」という発想は初めから存在しない。
なぜなら彼らから見れば原発依存の日本の電気事情はそれまでこそが過ちだったのであり、翻ってそれを拠り所とすることで自らの発言に正当性を与えているわけだ。
しかもそういう構造があるゆえに、自らと異なる考えは必然的に悪とみなすことが集団内で肯定され、実践されていく。
それは「甘え」を許さない精神によって補強され、増長する。
「世界ではエネルギーが行き届かない国がたくさんあるのに何を贅沢な」という思考は失業者やニートに向けられたそれと同じであり、そしてそれらもまた、震災によって死んだ人間を引き合いに出し、世界の貧しい人々を引き合いに出して肯定される。
「これまでが間違っていた」という主張は集団のあり方、社会のあり方、個人のあり方すべてを否定するものであり、その主張自体に超越的目線、神や英雄を見る目線が注がれがちである。
これまでされたことは悪であり、これから道を変えれば正しくなるという発想は、たとえば新卒採用のような、旧来的社会構造の糾弾によくなされる言説であり、その構造からわかるように、「大きい主張」だ。
善悪を大きい主張で唱えるがゆえに心うたれる人はあとを絶たず、それが半ばカルト化していったのはネトウヨを見れば明瞭である。
彼らにしてみれば原発という存在も、それを擁護するものも、それに依存して肥大した東京という存在も、それを容認してきた政治家も、管理する東電もすべて悪なのだ。
そして彼らはかつての大政奉還や、コンクリートから人へというパラダイムシフトを待望し、この震災という契機をもってついに噴き上がったのだ。
http://1-byte.jp/2011/03/20/20_tips_you_need_to_learn_to_become_a_better_php_programmer/
良いPHPerだって?そんなものは丸めてゴミ箱にでも捨ててしまった方が資源の再利用になる分いくらかマシだ。
つまり俺たちがしなくちゃならないことは「より良いPHPerにならないため」に何ができるかってことなのさ。
それじゃ、始めよう。
?>なんて使っちゃいけない。そう俺たちはBAD PHPer。
無駄なホワイトスペースの出力に悩まされるくらいなら対称性なんて丸めてゴミ箱にでも捨てた方がまだマシだ。非対称性こそが賛美。
require_once("config.php");
未だにこんなことやってるやつがいるのかいベイベー。絶対にダメだ。この一行を見たら俺は悶絶する。
ダメだ、早く何とかしないと。
大抵このconfig.phpの中身はこうなっている。見て絶望だ。
$hoge_path = ''; if (!LOCAL) { define('FOO_FLAG', 1); if (HONBAN) { define('HOGE_FLAG', 1); } else if (TEST) { define('HOGE_FLAG', 2); } } else { $hoge_path = '/local'; define('FOO_FLAG', 2); define('HOGE_FLAG', 3); } define('HOGE_URL', $hoge_path.'/hoge/');
こういうのが延々と続くわけだ。もういやだ。もう見たくない。
本番環境とテスト環境でどういう値の違いがあるのか、ローカル環境だとどうなるのか、まったく把握できる気がしない。
なまじPHPな設定ファイルのせいで、処理をついつい書いてしまう。そしてどんどん複雑になってしまう。
やはり設定データは基本的にYAML等のデータしか定義できない形式のもので用意すべきだ。そして環境ごとに設定ファイルを分けるべきである。
そうすることで何にどういう違いがあるのかすぐにわかるし、diffすれば一度にすべて把握することができる。
# 本番環境設定ファイル foo_flag: 1 hoge_flag: 1 hoge_url: '/hoge/'
# テスト環境設定ファイル foo_flag: 1 hoge_flag: 2 hoge_url: '/hoge/'
# ローカル環境設定ファイル foo_flag: 2 hoge_flag: 3 hoge_url: '/local/hoge/'
// ここで後の処理のためにhogeメソッドを呼び出しておく $q->foo(); // $a['foo']はここに来る時点で真のはず // 2010-03-10 判定がおかしいので修正 // 2010-06-21 やっぱり値が入ってる方が正しい if ( !isset($hoge[0]) ) { }
コメントは保守されない。そう、それは真実。こんなコメントを発見したら即効削除しよう。コメントは基本信じるな。
俺たちにちょっとしたヒントと大きな損害を与えてくれる、それがコメントの役割なのだ。
わかる。いいたい事はとてもわかる。俺たちはしばしばインデントにスペースを使うはずだ。一方でIDEのしっかりした言語ではタブも使うことがある。しかし悪いことに、両者を混同しているプログラマも一定数いるのだ。
タブを画面上で認識しにくいエディタが世の中には存在する(何とは言わないが)
そして画面上で認識しにくいことを理由にタブを気にしないプログラマがいる。
この二つの条件が重なると、タブとスペースの交じり合ったインデントが完成する。もうぐちゃぐちゃだ。これは永遠に続く戦いだ。
私たちが勝利を掴むためにできることなどせいぜい、常にスペースしか使わない。タブを見つけたらその都度スペースに変換する。そういった地道な活動が明日へとつながるのだ。
われわれがプログラムをするとき、何に一番時間がかかってるか。実は変数の命名なのである。ここで拘り過ぎて時間をかけ過ぎては何も進まない。
御託はイイからさっさと書け、だ。しかしとはいっても変数名は重要。日頃からどういうときにどんな名前を使うかを決めておくといい。
そして変数名に型はまったく必要ない。型宣言のないPHPにおいて、型の変数名をつけること自体ナンセンスだ。
$iNumber = 'aaa';
になんの意味もない。コメントを信じるなでも言ったが、これはプログラマを混乱させるだけの害悪なものだ。
変数を使う前に初期化するのは、警告を出さないという意味でも良い癖だ。しかし具体的にどこでやるかが問題だ。
$foo = null; $foo = $q->foo();
こんな初期化に意味はない。よくあるのはやはり、if文で値を振り分けるケースだろう
$foo = null; if ( $hoge ) { $foo = 1; } else if ( $bar ) { $foo = 2; }
このときの初期化はとても有効だ。もしnullの初期化を忘れたまま$fooを使うと警告が出るが、ちゃんと初期化してるので出ない。基本中の基本だ。
function getStatus() { $bReturn = false; if ($i == 2) $bReturn = true; return $bReturn; }(中略)
もし、何かしらの理由で、あなたの書いたif文が間違っていたら?
この書き方をしていれば、間違った値に対して、常にfalseが返る。
私たちが、PHPでsensitiveなデータを取り扱うなら、正しいデータが入力されるまでは、動かないコードを書くべきだ。
trueとfalseの条件がいまいち明確ではないが、本当に動かないコードを書けというのであれば以下のようにすべきだ
function getStatus() { $bReturn = false; if ($i == 2) $bReturn = true; else if ($i == 1) $bReturn = false; else throw new Exception("bad status! $i"); return $bReturn; }
中途半端にfalseを返して生存させる必要性はまったくない。今すぐ死ね!
連想配列のキーを指定する場合だけ定数と間違わないようにクオートで囲まなければならない。そして逆に定数を使いたい場合はクオートで囲ってはいけない。
更に後世のプログラマが処理を見たときに、定数が使いたかったのか、文字列が使いたかったのかを明確にしたい場合はconstantを使うと良い。
// 定数のFOOを使うよということが明確になる print $a[constant('FOO')];
もし、文字列を変数の値と一緒に出力するとき、PHPではコンマの代わりにprintfを使うことが使える。
printf( “Hello, my name is %s“, $sName);
以下の代わりに上記のコードを使う。
echo “Hello, my name is “, $sName;
出力すべき変数が増えれば増えるほど、有効になっていく。とにかく迷ったならば、printfを使え、だ。
三項演算子はとても有効だ。しかし優先順位に難があるせいで、三項演算子をネストしようとすると以下のようなコードになってしまう
$n = (($i == 1) ? 2 : (($i == 2) ? 3 :$i));
括弧だらけで読みにくいったらありゃしない。三項演算子を使うなら一回まで。約束守れないやつは丸めてゴミ箱にでも捨てちまえ。
if ( $flag ) { }
仕様をちゃんと把握しているなら真偽値のチェックなどこれで十分。
もし事前にbool型だというのが確定してるのなら「$flag === true」を使えばいい。
インクリメント、デクリメント演算子は前に付くか後ろに付くかで意味が変わるので慣れるまでは非常にややこしい。
わけがわからなくなるくらいなら初めから使わないほうが良い。見極められないなら使うな。それがPHPerなのだ。
文句なしだ。これは文句がない。
他にも色々あるので覚えておこう
$a %= 1; $a &= 1; $a |= 1; $a ^= 1; $a <<= 1; $a >>= 1;
てっとり早く画面に表示する際にpreはよく使うが、デザインの関係上画面の文字が見えないときがある。
なのでdivを使って以下のようにしとくと便利だろう。
function p($var) { echo "<div align='left' style='background-color:white;color:black;'><pre>"; print_r($var); echo "</pre></div>"; }
君らが通常作るアプリケーションなんぞに、定数なんぞ必要ない。いいか、もう一度言う、お前ら程度のもんが、定数使おう何ぞ、おこがましいわ!
大丈夫。なんでもかんでも定数にする必要はない。結局設定ファイルに定数をずらずら作りまくってわけがわからなくなってるパターンが多い。
貴様みたいなもんに、定数は制御できん。いいか設定ファイルはYAML等のデータで持つようにし、その連想配列のデータ構造を一つ持ってるだけで定数の変わりになる。
このメリットに比べれば、定数だと書き換えられなくて良いという利点などこの歯のカスほどのものだ。そんなものは丸めてゴミ箱へ捨ててしまうといい。
認識を改めろ。俺たちはより良いPHPerにならないために努力している。
class Request { private $parameters; private $method; function __construct () { $this->method = $_SERVER['REQUEST_METHOD']; if ( strtoupper($this->method) === 'POST' ) { $this->parameters = $_POST; } else { $this->parameters = $_GET; } } function param ($key) { return isset($this->parameters[$key]) ? $this->parameters[$key] : null; } }
これだけでもいい。たったこれだけでもとても便利だ。ここから拡張してGETやPOSTを明示的に取るメソッドとかも作ってみるといい。自分の手を動かすのだ!
例が良くない。こんなのは引数が20個ある関数から、setを20回呼ぶオブジェクトに変わっただけではないか。
そもそもこの20個の引数とはなんなのか。何かのデータ構造なんであれば連想配列にして引数一つとして渡すべきだし、それぞれまったく異なる用途の変数なのであればWindowsプログラミングじゃあるまいし、20個も引数取る時点で設計が間違えている。
何がいいたいか。別に関数でもオブジェクトでもどっちでもいいということだ。
そんなことで悩んでる暇があったら設計を見直せ。
スキあらば自分自身を返せ。スキあらばオブジェクトを返せ。配列はArrayObjectのARRAY_AS_PROPSで返せ。
ひたすらメソッドチェイン。来る日も来る日もメソッドチェイン。とにかくメソッドチェインを使い続けろ。そこに未来はある。
どんなコードも繰り返すな。もし、少しでも同じコードを書いていたなら、それは関数に置き換えてしまえ。
・・・と、いうのはやめなさい。
一見同じように見えた処理でも前後の流れでまったく違うものということが往々にしてある。
まとめ方にも問題があるケースもある。何でもかんでも関数化すると、関数が膨大に増えていく。君は見たことがあるだろうか。common.phpやfunction.phpの恐ろしさを。
確かに細かく関数化はされているが、適切に関数化していないのである。結合度が非常に高い。なんでもかんでも盲目的にまとめれば良いという話ではないのだ!
あまりに極度に意識しすぎると、プログラムそのものができなくなる。そういう状態に陥る。
気を抜いて。そう気を抜いて。所詮あなたのコードなんてすぐに消えてなくなるよ。きっともっと偉い人が作り直すよ。だからまずは思うが侭にやるといい。
結合度を減らすというのは非常に難しい。何度も何度も失敗し続けて、ようやくここは分けた方が良かったんだなと気付く。次に活かそうと心に決める。そしてまた同じ過ちを繰り返していくわけだ。
まずは実装することだ。これが一番の早道だ。まずはがっつり結合した関数をあえて作るといい。何も考えずに作ろう。
そしてその後に、一部分使いまわしたいとおもうことがあるはずだ。その時に関数に切り出そう。それを繰り返すといい。そのうち初めから分けた方が良いと気付く。
何事も経験が必要である!経験を積まないプログラマは丸めてゴミ箱に捨ててしまえ。
さて、先の例で言うならば、私ならadd_result_outputという関数を作ってしまうだろう。だって、addとresultを連続して呼ぶのはめんどくさいんだもん。一連の流れをいつも使うのなら、その流れをやってくれる関数を作ればいいじゃないか。
function add_result_output ($iVar, $iVar2) { $r = add($iVar, $iVar2); echo result($r); }
もっと言えばクラス化してしまってもいいかもしれない。どんな感じになるかは君の手を動かして確認しよう!
このTipsはとてもわかりにくく、ニッチ過ぎる部分も多いかもしれない。
あくまでも「より良いPHPerにならないための20Tips」なのだ。
君はこの記事を鵜呑みにしてはならない。PHPをPHPと見抜けないPHPerはPHPを使うのは難しい。
もし、あなたがPHPプログラマなら、公式のPHPドキュメントはあなたのケツの穴を拭くための紙になるだろう。
私は、それぞれのセクションを眺めて、各関数でどんなことが出来るかなんぞ、歯クソのゴミ程に役に立たないとおもっている。動けばいい。はは。
あなたは、PHPで用意された既製関数で多くのことが実現できることに、(俺の仕事を減らすなと)驚くはずだ。
この記事があなたの役に立たない事を。
ふざけんな!
本当です。邪魔です。救命最優先でインフラのエンジニアすら物流負担を考えて現地入りを遠慮するのです。
ただしそれは被災後3日間とかの話。
時間がたてばた立つほど、物流負担の弊害よりも人手不足の弊害の方が高くなります。
1週間もあれば、ホントにひどい場所以外は素人でも役に立ちます。
すでに10日間が経過しようとしている現在は素人でもやる気さえあればOKです。
救命のフェーズで素人が混じろうとするなら、それは殺人同然ですが、復興のフェーズなら素人でも労働力です。
これからは「さあボランティアに行こう!」キャンペーンをおおいにやってください。
どっかのブコメに「逃げたのは合理的なのかもしれないけど、思想家としては尊敬しない」とか、「こいつはもともとこういう奴だ」とか書いてあったね。誰とは言わないけど。
物書きに対して、(たとえ今般のような非常時ですら)「自分の書いた物」と「言動」を一致させることを求める、よく分からない風潮って何なんだろうね。
最近、Twitter上で東浩紀が実に色々な人間と喧嘩しているのを見ると、「気の迷いで出版業界とかに行かなくて良かった」と心から思う。結局、論争で明確に決着を付けることなんてできないから、そういうどうでも良い揚げ足取りでお互いを蹴落としあうしかないんだろうな。
そうなると、勝敗を決するにはとにかく「相手をうんざりさせる」ということしかなく、結局勝つのは一番の暇人ということになる。はっきり言って、俺は絶対に関わりたくない。
まぁ、少なくとも東浩紀に関しては、「物事に対して異なる視点から光を当てる」という批評家としての本分を発揮している数少ない人間だと評価しているので、これからも彼の仕事はフォローし続けるけどね。
『ある「状況」でどう行動するのが正義に適うか』とか、ほんと、どうでもいいです。『「状況」を変えるための仕組みを作る』事を考える方がよっぽど生産的だ。勝手にやっててください。
えー
俺ははてサじゃないけどさ(はてサとしょっちゅう口喧嘩してるから)、
あずまは普段そこでいう「踏みとどまれ」式のマッチョ説教ばっかしてる奴だから
有事に真っ先にションベン漏らしながら逃げ出した姿は忘れられんわ。
今後、奴のマッチョ説教は全部「腰抜けがなんか言ってるw」と冷笑で迎えるつもり。
いや勿論
これまでだって東のくだらねえ説教に真面目に取り合ってたわけじゃないけどね。
こういう事態が起きる前からこの程度の奴だとは思ってたよ。
中味もないのに説教好きで、最近は何やら年下のフォロワーが欲しくて欲しくてたまらないって顔だが
近くにいる若者を腐らせるだけだ。
そうだね。計画停電中の自宅待機には給料が払われなくとも構わないと厚生省が通達だしたし、社畜の皆さんはやっと自分たちの行いを正当化できるのではないでしょうか。
「こんな時に野球じゃ/お笑いじゃないだろう」ではなく、こんな時だからこそ積極的に活動をして欲しい。
でも、後ろを振り返ってほしい。あなた方と同じように心配で、不安で、何もできなくて精神病のようになっている人が、日本中にいる事に気が付いてほしい。
今、あなた方が被災地に駆けつけても、一般の人と同じくらいにしか役に立たない。
でも、普段の活動をすれば、不安になっている方の気を楽にすることはできます。
うちの母は連日放送される被災地の様子を見て、全然動けなくなってしまっていました。が、TVで仮装大賞のVTRを見て笑い、それをきっかけに立ち直りました。
「被災者の人たちのためにもがんばらなくちゃね」と、普段の生活を取り戻しつつあります。
今のあなた方は、いちお笑い芸人、いちスポーツ選手であると共に、大いなるセラピストです。
他の人にはそんな事はできません。あなた方はそういう舞台に立つノウハウを持っているんです。それを今、使ってください。
中には「不謹慎だ」「被災者の事をどう思っているのか」という批判もある事でしょう。当然です。
でも、確実に癒される人がいる事も忘れないでください。
心が折れかけている人を励まし、被災者を助ける活力を取り戻すためにも、今こそ、立ち上がってください。
批判されるからとか、自分はそんな気分じゃないから嫌だ、なんて言わないでください。
読売巨人軍など主催のセ・リーグが、29日に開かれる。NPBの加藤良三コミッショナーは「今年の公式戦は全試合被災地、被災者へのチャリティー試合とする。」と表明した。しかし、東日本巨大地震の犠牲者の全体数さえまだわからないこの時期に、セ・リーグを開幕しければならない理由はあるのか、疑問だ。
コミッショナーは「『野球』を通して被災地、被災者はもちろん、日本に、世界に元気を与えることが仕事であり、責務であり、使命でもあると考え、『前に進む』決断をいたしました」と説明する。
試合収入を少しでも多く集め、カネを儲けたいとの気持ちはわかる。しかし、興業が主眼で、エンターテイメント要素があるプロ野球は、今開くべきかどうか。
スポーツ界では、Jリーグが公式戦全試合の月内中止を決め、同じ20日開催予定の板橋Cityマラソン(東京都)と全日本実業団ハーフマラソン(山口県)も中止された。予定通りの開催を決めた大会もあるが、一般のイベントにも自粛が広がっている。
フジテレビが行ったアンケートではセ・リーグの開幕延期を求める意見が93%。選手会ではボイコットやストライキを求める声が、相次いでいるという。
いつからなら開催OKという答えはない。しかし、少なくとも29日ではないと思う。義援金集めが目的なら、もっと効果的な方法があるはずだ。被災者の心の傷は、遠く離れた東京に住む私たち都民の想像をはるかに超えているだろう。主催者や参加する選手にはそれを忘れてほしくない。
僕は多国籍軍が正義だと訴えたい訳ではなく、リビアの国民、カダフィに対抗する人たちの事を想うからこそ、多国籍軍ができるだけ少ない犠牲で迅速に成果をあげることを願っている。
介入までの経緯を忘れてる人が多いので、これを書こうと思った。
この文章 自体にたいした問題はないのだが、これを読んで「多国籍軍が悪い!カダフィは英雄!」と言い出す知り合いがいるのに驚いた。かなり平易に噛み砕いて説明してるから、仕方ないのかもしれないが、これを読んで「カダフィと反政府側がにらみあっただけで、世論を無視して多国籍軍が急激に推し進めて戦争始めた」と取る人がいる。
自分は、最後の最後までリビア反政府側の人々、つまりリビアの国民殆どを思えば、できることなら介入が行われない方が良いとずっと思ってた。事の経緯を見守ってた人の多くがそんな想いだろう。介入は望まないという大きな旗、あの写真は今でも忘れらない。リビアの民主化は、リビアの民衆の力で行われるべきだった。
しかし、一ヶ月あまりの間、あまりにも多くの民衆が犠牲になった。
今でこそ武装している民衆もいるが、多くが無抵抗やせいぜい棒や投石程度の武装で虐殺された。非人道的な兵器が民衆に対して使われた。爆撃を命令された戦闘機が命令を遂行できず、マルタに亡命したのを覚えているだろうか。掘り出されただけで数百人という単位で、命令に背いた高官が埋められていた。数千人が地下に閉じ込められていた。多くの幹部がカダフィから離反し、同胞を虐殺することを望まない軍も離反し始めたために、カダフィは傭兵を使って国民を攻撃し続けた。
その間、何度もいまこそ介入すべき時ではないかという論争があった。しかし、リビアの人の誇り高き「死は覚悟の上だ、最後まで自分たちで戦って自由を勝ちとりたい」という命がけの訴えを見て、出来るなら介入なしでカダフィの降伏まで行って欲しいが…と犠牲者数に呻きながら祈るような世論がTwitterでは主流だった。
むしろ、これだけの非人道的な虐殺が行われているのに、介入が今まで起きなかった事に、国際社会は本当によく我慢したとさえ思える。ブッシュだったら半月は前にもうリビアにミサイルを撃ち込んでいたのではないだろうか。オバマは最後の最後まで乗り気ではなかった。(昨日の声明がどっかに上がっているだろうから、読んでいただきたい。)
国連の決議が行われた直前には、反政府側の最後の拠点であるベンガジに総攻撃をかける、残り24時間で全てを終わらせるというカダフィ側からの通告があった。この時点では、介入も致し方なし助けに来て欲しいという意見もリビア国民に見られるようになっていた。もしカダフィ側が本気で空爆を始めれば、多くの国民が一瞬で死ぬ。これを受けたギリギリのタイミングで国連の決議が通った。
決議のすぐあとに、カダフィ側は「即時停戦する」という声明を出した。国連はすぐに攻撃を行わず、カダフィが本当に攻撃をやめるのか見守った。しかし、言っている事とは裏腹にミスラタへの攻撃は止まぬどころか、ベンガジにまで爆撃が行われた。
どうみても崖っぷちの状況だ。
介入はここで始まった。昨日のことだ。
介入を認めたくない、リビア人の手で民主化を成し遂げさせたいと思っていた自分でさえ、これ以上は無理ではないかという瀬戸際のタイミングだった。
しかし、多くの人はこれを聞いて「戦争が今始まった。多国籍軍が戦争を始めた」と取る。違うんだ、一ヶ月前からリビア国民の戦いは続いていたんだ。カダフィの虐殺は行われていたんだ。
一度介入が始まったからには、いかに民衆の被害を少なく、迅速にカダフィを降伏させるかを論点として欲しい。
英国はともかく少なくともオバマは最後まで消極的で苦渋の決断として今回の決定を飲んでいる。米軍は地上制圧しないと言っている。ブッシュのようにやらせまで使って世論を煽って正義を振りかざして攻撃したわけではない。始めに上げたブログで、世論は介入に傾いていないのにとあるが、それはオバマがブッシュのように世論操作しなかった、比較的冷静であった証拠だろう。
イラクがあのような事態になったのは、操作された世論によるところも多く、多国籍軍も正義を振りかざして攻撃しにいった感が強いが、今回は違う。介入が始まったからといって、絶対に最悪のストーリーになると決まったわけではなく、まだどのように被害を最小におさえつつ、どれだけ早くカダフィを降伏させるかという目的が残っているのだ。
たしかに、この介入で得をする国もあるだろうが、これまでのような「反米か親米か」「宗教戦争」「米帝」「イスラム教が悪い」などといったイメージにむりやり押し込めてリビアの状況を捉えないで欲しい。そして、そういうステレオタイプでしか見ない論争によって、カダフィの行った戦争犯罪、虐殺行為、なによりもリビアの民衆の意思と行動と犠牲がおざなりにされることだけは無い様に願う。
カダフィを擁護する意見の中には、カダフィの演説する支離滅裂な内容を信じている方もいます。カダフィは自分の敵を西側諸国の回し者だと言ったり、アルカイーダだといったり、麻薬漬けにされた反逆者だと言ったり、国民が電話を使えないように情報統制しておいて、「国民が私に電話で助けを求めている」等と言ったり、しまいにはアルジャジーラが黒幕だとまで言っていて滅茶苦茶です。最近は「英雄である私が国民を守る為にアルカイーダと戦っている所に多国籍軍を名乗る十字軍が侵略してきた」ことにしたいようですが。次に何を言い出すのか注目しておいてください。
さらに、多国籍軍によって国民が攻撃されたとリビアの国営放送では虚偽の内容を流し続けています。リビア人の中には「カダフィは捏造の為に、冷蔵庫に数千人の死体を用意している」という噂を語る人もいます。そんな噂が本当に信じられるような状況なのです。
多国籍軍が正義だとは言わないけど、それ以上にカダフィの言う事を信じるのは陰謀論がかわいらしくなるほどトンデモな事だと自覚して欲しいです。
パソコンの前でしたり顔でキーボード叩いて誰の役にも立たないような駄文を書き散らしているような俺等のような人種ではなく、
日々こつこつと真面目に働き体を動かしている方々こそが、今後の日本を復興させるのだということが改めてはっきりしましたね。
は?俺等の出番はずっと後だって?そんなこたーねーよ。どんだけ待ってもこれまで何もしてこなかった奴に回ってくる出番は無い。
今一番邪魔なのは、首都圏で何をするわけでもなく自分の無職を棚に上げて社会を叩いているような日々を生きているネット民(笑)。
流させてあげないから。
「でもいいわ」じゃなくてそうじゃないと君が困るだけだね。
「めんどくさいし」じゃなくて焦ってるだけだね。
相手を東京人だと勘違いして始めた君の話が成り立たなくなっちゃったから。
そんな話だれもしてないよねえ。君が今わめき始めただけ。
話は「ネットに多く現れてる東京コンプレックスについて」だよ。
「俺達は一方的に叩かれてる」ってのが
ヘマこいて恥ずかしい時は照れ隠しで暴れるよりサッと消えた方が結局傷が浅く済む。
具体的に言えば高齢化。
世界中のいろんな国が高齢化してるけど東京は日本にしかないよ。
地方で少子化しようが都市部で少子化しようが少子化は少子化だよね。
なんか違うの?
でしょw
まとまってるほうがインフラの整備も維持も安上がりだよね。
東京のせいにして東京を引き摺り下ろせば地方が栄えると思ってる?
地方に交付金出してくれる財布がなくなるだけだよ
以上、
君の理路は支離滅裂でお話にならない。
奪っていっているって何ぞw
リンク先は読んでないけど
この人の説明によれば、社会のなかでの少数派にすぎない人たちが、反対運動をやって騒ぎまわってきたせいで、
原発ではまともに震災対策(新炉建設とか)を取りづらくなった。環境保護団体が対案をつくれずに、
いろいろ文句ばっかりつけるのも悪かった。
つまり、そういう奴らにも表現の自由が認められたこの国では、
原発を使うのはやっぱり危なかったってことでしょ?
こういうのって
「マッチポンプ」って言うんだよね?
自分達で阻害しておいてその為に上手く行かなくなったら
「ほらみろ!そういうことも考慮に入れないと!」っていうの。
別の例えをすれば
「差別されてる人がこの辺に住むと地価が下がるからねえ!」っていうようなもの。
http://technohell.tumblr.com/post/3918493586/50hz
http://b.hatena.ne.jp/entry/technohell.tumblr.com/post/3918493586/50hz
疑問です。
この人の説明によれば、社会のなかでの少数派にすぎない人たちが、反対運動をやって騒ぎまわってきたせいで、原発ではまともに震災対策(新炉建設とか)を取りづらくなった。環境保護団体が対案をつくれずに、いろいろ文句ばっかりつけるのも悪かった。
つまり、そういう奴らにも表現の自由が認められたこの国では、原発を使うのはやっぱり危なかったってことでしょ?
推進派の人たちは、当初から、そこらへんのリスクを考慮に入れてなかったの?
反原発の運動にしても、環境保護団体にしても、社会的影響力はけっして大きくないはず。それでも、数が増えるか減るかは分からないが、今後も彼らはずっと活動していくだろう。そして、最新設備をそなえた新炉建設に反対することだって、たびたびあると思う。
となれば、この人が言っているような「愚行」が繰り返されて、原発の安全はなかなか保証されなくなってしまう。彼らを徹底的に思想弾圧して、投獄にでもしないかぎり、原発のリスクは減らないではないか。
この記事に賛同している皆さんは、そこらへんをどう考えてるの?