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はてなキーワード: 水田とは

2017-07-07

京都引っ越して、今ものすごく困っている。

前までは地方都市繁華街に近いところにここ十年くらい住んでたのだが、諸事情京都に住むことになった。

京都って中心街以外はかなり田舎なのを住んで初めて感じた。

水田が割と残っててカエルが多い。辛い。声だけなら我慢できるけど、姿を見たら動けなくなる。怖い。

水田が近所にあるせいか知らないけど今日は家の前の手すりにいた。

耐えられない。怖すぎる。 カエルが寄ってこない薬剤とか無いんだろうか。

ゴキブリなら我慢できるのに……

2017-06-29

和をもって尊しとなす

はっきり言えば十七条憲法フィクションだ。聖徳太子が居たかどうかはイマイチ不明だ。聖徳太子というのは厩戸皇子が後に信仰対象となり聖徳太子と呼ばれるようになったわけだが、その厩戸皇子の業績があまりに凄すぎておかしいので、こんな奴はいないのではないか、全部潤色ではないかという疑惑が発生している。

その疑惑自体は白黒つけるのは難しいのだが、聖徳太子が制定したとされる十七条憲法は、明らかに当時の文章と違うので勝手文章を変えたかそもそも憲法自体でっち上げたかのどちらかになる。おそらくは憲法自体でっち上げであり、聖徳太子の業績も大半はでっち上げのはずだと考えられる。

そのフィクション憲法の中で一番日本人に影響を与えてきたのは「和をもって尊しとなす」の一文だろう。和は尊い。和を乱す者は醜い。日本水田維持管理するために村が共同で土地と水を管理する必要がある社会であり、村から排除されたら水田が維持できず生きられなかった。だからそもそも周りの意見に対して異を唱える事自体生殺与奪につながるほどリスキーだった。

それを一言で言い表したのが「和をもって尊しとなす」である。さすが聖徳太子フィクションとは言え本質をついている。日本書紀の作者には歴史を改変するに足る文才があった。その思想日本人の根幹に今も生き続け、あらゆる問題提起言論封殺し続けている。

2016-12-05

年を食ったせいかバイオレンスに拒絶感が出てきた

M-1見てても錦鯉やカミナリの漫才は一歩引いてしま感覚があるし

あれをげらげら笑って見ている人がいたなら多分白けていた

その場にいない誰かを揶揄するようなネタも昔ほど素直に受け止められなくなったか

M-1で言えば和牛スーパーマラドーナニューヨークあたりのスタイル

(と言っても和牛は決勝以降、水田の演じるキャラ浮世離れさせることでえぐみを減らしていたので見れた。

ただ、決勝1本目の巾着捨てたくだりで「あ、アスペルガーっぽい・・・」と思ってしまった。

インターネットの暗部に僕は毒されすぎているのかもしれない。)

僕の中で段々と「誰も傷つかないこと」が表現評価する前提条件になってきている

何かを傷つけるということを表現に取り入れるならば

そこに重さやそこにおいて暴力必要である理由がないと納得できなくなってきた

暴力茶化すなんてことにはもう軽蔑気持ちすら湧いてきているかもしれない

母は映画アクションシーンなどに拒否を示す人間

僕はそれを「なんだかぬるいなあ」と冷ややかに見ていたものだが

今になってそんな母の気持ちも少しわかるようになった気はする

2016-06-22

[]月面基地建設のための重機がない問題

月面ってさ、大気ものすごく薄いんだ。

から、とりあえず現行の重機群が使えないのは解るよね。

酸素がないと燃焼系のエンジンは回らないし。

じゃあ電動ならどうだって。まず馬力全然足りないんだけど、まあ油圧とかを上手く改良して、条件クリアしても、宇宙線にやられちゃう

コンピュータ保護しても、今度は駆動系をどうするかって問題が出てくる。

月面ってさ、日の当たる所と陰の部分が普通に百度単位で変わるのね。

からゴビ砂漠よりも砂漠

シルト質の土砂と言うより粉末を敷き詰めたみたいな環境機械を動かすと、すぐにまとわりつかれて動かなくなっちゃう。

更には、当然、地面からの反発がえられないから、移動もできない。水田軽自動車で突っ込んでも、まあ思う通りには動けないでしょ。

それで、重たい岩とか重機で持ち上げたら、勢いついてすぐに重機は転んじゃう。

マジで重力6分の1は伊達じゃない。

じゃあどうするかって言うと、人力ウィンチ。これ最強。

ワイヤー巻いて引っ張る。月面は大抵これで解決する。シンプルから掃除も楽。

地面はグズグズだし物は軽い。アンカーだけは二メートル打ち込んだ上に固化剤使って設置しないといけないから大変だけど、まあアンカー打設が終われば作業の半分終わったようなもん。

何が言いたいかって言うと、偉い人たちにはもっと動きやす作業服を作ってもらわないと仕事にならないってことだ。

月面基地建設初期に作業従事し、流星塵の直撃を受け死亡した青年ブログより抜粋。彼はその死因により同死因で人類最初の男として名を残した)

2015-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20150613215407

毎日毎日出かけるわけ

通勤は徒歩で行くの?最寄り駅まで1時間なんてザラなのに…

>途中でタクシー捕まえればいい

問題は、そのタクシーとやらがさっぱり来ないこと。

>車がステータスから

しかにそういう人間も居るが、

大抵は枯葉マーク貼った軽トラが40km/h以下で走ってる。

農繁期には舗装道路水田の泥だらけ…

2015-02-24

趣味サークル団体図書館業務を担う「科学史家」と復興イベント

東日本大震災が発生してから半月ほど経った頃である。或る趣味サークルサイト上で、被災地を元気づけるためのプロジェクトを立ち上げるという告知があった。内容は、趣味に関する書籍を集約して被災地の各地で無償配布すると共に、募金海外サークルメンバー日本に招待し、子供たちに様々な芸を見せて心の平穏を取り戻す一助となろう、というものであった。このサークル団体東京を中心に活動しており、地方にも幾つかの支部があって(東北には無い)、全体としては数百名の会員で構成されている。

当時、私は知人を何名か津波で喪ったにも関わらず、自分としては動くこともできず歯がゆい思いでいた。そこで、このイベント賛同し、大切にしていた書籍を何冊か団体に贈った。この団体と私の関係一方的もので、単にサークル機関紙を購読しているに過ぎなかったのだが、「自分と同好の人々が運営するサークルでそのような活動をしてくれるのならば、何某かの縁もあろうからそれに任せよう」と思ってサークルに託したのだ。後に、保管場所が確保されない状況下で古書を送る行為問題について色々と知り後悔したが、恥ずかしながら当時はそこまでの考えに思い至らなかった。当時は自分も何かの拍子で突然死亡する怖れが頭から離れず、死んだ場合は所有している書籍が活かされぬまま捨てられるということを恐れていた。そこで、所持していた書籍の多くは近所の市民図書館にも置いてあるのでそれを読むことにして、いつでも本を読みたいという若い子の手元に本があった方がいいのでは、と考えていた。書籍を送付後、サークル団体代表から書籍被災地での活動のために有効に利用させていただく」との返信があった。

サイトの報告によると、2011年4月最初活動があったらしく、趣味サークル内の数名と海外サークルメンバー数名が宮城県沿岸部にある数か所の避難所に赴いたようである東北縦断するイメージだったので、宮城県のみに限定した活動であったことに若干の違和感を覚えたが、その後も幾度か被災地へ向かうようであり、「落ち着くまでは様子を見ようという判断なのだろう」と思っていた。

この活動について違和感以上に不信感を抱いたのは9月頃だったと思う。その団体では例年8月に大きなイベントがあり、海外サークルメンバーが何名か来日するため、そのメンバーらと共に再び被災地へと出向いて活動したという報告が機関紙上でなされた。だが、その下に「なお、送付された書籍のうち入手が困難な貴重な書籍については、団体運営する有料の図書館に納入した」と書かれていたのである(この図書館というのは避難所地域図書館に納入したという話ではなく、団体が所有する蔵書を団体東京事務所において有料で読むことができるサービスのようである)。

これには目を疑った。最初の告知にはそのような記述は無く、代表から手紙にもそのような記述は無かった。これでは震災に乗じて個人の貴重な書籍サークルが吸い上げた格好になるのではないか。しかも具体的にどういう書籍を何冊納入したのかという記述も無い。貴重な書籍図書館に納入したというのに、閲覧する権利のある側にその内容を示さないというのはおかしな話だ(無理やり擁護する見方をすれば、一般的にこの手のプロジェクトにおいて自分史が持ち込まれ場合が多々あり、そうした配布しづらい物を自身図書館倉庫代わりに納入したという線はあり得なくもないのだが、もしそういうことがあったのだとしても何らかの説明は欲しいところだ)。そして、活動先は相変わらず宮城県のみであり、岩手県でも福島県でも活動していなかった。

宮城県での活動というのは、このボランティアイベント参加者の一人が宮城県内の教育機関に務める人物らしく、それ以外の地域においては土地勘が無いのかも知れないと思っていた。しかしその機関紙には、当団体とは別の団体組織に属する福島県サークル震災後の自身活動について述べた寄稿を寄せていたので、「寄稿を載せるくらいならばその団体メンバーにも声をかけて福島県で合流して一緒に活動をすればいいのではないか」とも思った(福島の人々に案内の負担を強いるのかということもあるが、そもそも既に宮城県内に在住する人物を連れて活動しているのだから福島県内の人を連れて活動することにさほど躊躇する理由は無いように思えた)。宮城県東北で最も津波被害の大きかった地域であるということは重々承知しているが、図書館の件とあわせて、「被災地に赴くと言いながら宮城県のみというのも少しおかしいのではないか」と若干訝しく思い始めていた。

少し話は変わるが、2011年10月ごろだったろうか。私は当団体活動に関わっている主要なサークルメンバーブログを幾つか覗いていた。そこで、サークル団体において有料図書館運営管理に携わっているという或るメンバーブログが目にとまった。

そのブログにはクリストファー・バズビー氏やアーニー・ガンダーセン氏の名が載っていた。ブログ記事を遡ってみると、LNT仮説に基づいて「福島県では年間千人が癌で死亡する」「トータルでは6桁もの人が死ぬ」などの記述があった。福島県だけではなく、当時千葉県で見つかったホットスポットについても、その周辺で7000人が死ぬと書かれていた。ブログ記事の日付を見ると2011年6月中旬ごろであり、まだまだ情報錯綜していた時期ではあったものの、ブログの内容は怖れによって混乱しているという様子ではなかった(LNT仮説に従ったとて、ガンが発生する人数の予防的な見積もりであって、ガンの発生が100%死に直結するという話ではない筈だ)。ツイッターアカウントもあったので見てみたが、「福島廃県」「日本核武装を目指している」などの字面が踊っていた。

この人物は機関紙上において度々評論を行っていたため、名前だけは知っていた。東京在住で、東京大学大学院において科学史科学哲学を専攻していたらしい(名前検索したところ、在学中に科学技術社会論若手の会に参加したこともあったようである)。また、サークルの有料図書館運営管理に携わるほか、海外メンバー通訳書籍翻訳作業も担っている。どうも他の主要メンバーからサークル入会当初から知的存在として一目置かれていたようで、未だにこの人物の評論サークル誌に載っていることを見ると、その状況はあまり変わっていないようである

ボランティアイベントの報告によれば、そのメンバー名前イベントスタッフの中には含まれていないため、この人物は被災地には訪れていないのだろう。しかし、有料図書館での管理業務を考えれば、貴重書の選別には関与していた筈である。また、仮にそのメンバーイベントに深く関与していなかったにせよ、ブログツイッターで垂れ流される内容やサークル内での立場を考えると、そのイベント活動に何等かの口添えをしている可能性は十分考えられ、イベントメンバー海外メンバーを連れながらも東京により近い福島県には訪問していないという事実個人的に気になるのである。この活動に全く関与していなかったにせよ、被災地のためと銘打った活動をする団体がこの人物の主張をどう考えているのかという疑問は残る。

2012年にもこの団体は同様のイベント活動をしたようであるが、結局今までに宮城県以外で活動したという報告は無い。何故それ以外の県に行かないのかという理由も明かされていない。「こちらが勝手東北縦断するようなイメージ想像していただけだ」と指摘されればそれまでなのだが、協力する側としては、被災地活動すると宣言していた以上、宮城県以外でもこのサークル団体活動することを期待した上で書籍を寄贈したのではないか(募金の一部については額が提示され、育英会に納入されているようである)。

はいえ、未確認なことも数多く、単に私の邪推だと指摘されればそれまでであるため、増田として具体的なサークル名や人物名を明かさずにここに述べた。愉快ではないが、こちらとしても寄付金書籍の使用用途サークルに任せた面もある。目論見には具体的な訪問先について特に記載は無く、書籍の利用方法も「子供に配布するなど」という風に書かれていたうように記憶しているため、最初から宮城県内のみで活動するつもりだった、あるいは有料図書館書籍を納入するのも有効な利用方法の一つだ、と言われてしまえば元も子もない。

件のメンバーはその後も、宮城県石巻市でのがれき処理の背景には巨大利権が絡んでいるとのブログや、甲状腺調査で嚢胞の数が異常に多く見られているというヘレン・カルディコット氏の主張を掲載したブログ不正選挙についてのブログリンクなどをツイートし、先の選挙において安倍首相福島入りをしていないというフェイスブック記事までリツイートしていたりする(なんでも福島水田の前で会見をした首相の影が不自然で明らかに合成なのだそうである)。先日のISISによる人質事件においては、日本において大政翼賛会形成がすでに始まっていると述べている。残念ながら、ここまでではないにしても、彼以外にもこの団体においてそうした主張に近い人物は何名かおり、先日も東海地方の支部で活動する人物がどこぞのブログの「福島県農産物安全ではない」というリンクツイートしていた。百人に一人くらいはこういう人はいるのだろうとは思っていても、少々心配するくらいにはこうしたものを目にする。福島県在住のメンバーがこうした主張を目にした時にどう思うのだろう。私としては混乱時に古書を贈る行為については恥じ入るところだが、敢えて述べれば、もし団体の中枢にこのようなメンバーがいることを事前に知っていれば、贈る前にもう少し検討しただろうとは思う。震災からもう4年近く経過している。周囲の人々も、もう少し目を開いて物を見て、自分で考えてもらいたいと思う。

2013-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20130725022346

じゃぁ、俺に教えてくれ、調べて反論するのが面倒になった。

アメリカ並みの大規模って、どんだけ?

アメリカの米の日本向けジャポニカ米の耕作面積がどのぐらいあって、日本の耕作面積の何倍あんの?

何を論拠にアメリカ並みの大規模化は不可能って言ってるの?数字で示して

アメリカ全土の土地ではなく 実際の農業用地の面積で

 

そもそも砂漠水田なんてできないし 耕作面積がどのぐらいあるかって聞いたことなかったわ

ちなみに、土地の広い中国日本の 面積あたりの耕作量は6.X台でほぼ一緒

2013-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20130619232832

からいかもしれないですが

家を建てるタイミングとかも色々あるんすよ

農地宅地にするタイミング(宅地造成の期間や、水田だと地盤の問題)とか

子供が進学するタイミングとか

うちの子は仲良しがいるのでどうしても引越ししたくないみたいでね

あなた想像以上に色々あるんすよ

2013-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20130427000439

純粋にね、国防とか飢えに備えるためならば、主食トウモロコシ。寒冷地ではジャガイモ

北朝鮮はそれをやってる。

そもそもさ、米を選択する理由ってなんだと思う?

土地の特性)×(その作物の収率)×(その作物の売価)

日本ほとんどの地域で、これを最大にさせるものが、コメだった。

収率がいいのは認める。

一粒の種からとれる米粒は、小麦の数倍ある。

土地あたりどれだけのカロリーのある作物を生産できるかといえば、トウモロコシの出現を待つまでコメトップだった。

しかし、それぞれの土地の特性を考慮しても、その収量面で魅力的な作物だったかといえば、そうではないと思う。

江戸時代の中頃までは、寒冷地は稗粟蕎麦を作っていたし、小麦だってかなりあった。

やはり、売価だ。

税の歴史を各国で比べると、ほとんどの国で税の最初は物納だった。

貨幣経済が発達するにしたがって、物納だった税金を、貨幣に変えた。

日本パネェのは、物納をコメにほぼ一本化したところだ。

自治体収入は米、支出貨幣

おそるべしコメ本位制。

コメ価格の高騰と下落を防ぐために、幕府買いオペ売りオペまでやるという徹底ぶり。

そりゃコメを作るよ。

だって日本銀行券を自宅で印刷していいってんなら刷るもん。

地主制度による効率化で、日本全国水田だらけ。

明治以降、水田一辺倒だったのが、工業用地に転向していくし、新しく開墾した土地を桑畑けにしたり、水田面積は減りはしないものの、新しい土地は違う使い方を始めたりして相対的に水田率は減る。

次の転機は、農地解放

小作農自作農になる。

農家一件あたりの面積は平均で1ヘクタール(わかりやすくいえば100m四方

さらに、土地の集約化が出来ないシステムの完成。

農家が食えるように、コメ価格を支え続けた。

コメ価格が下落しないように、減反政策ってやつ。

1ドル360円だった円が100円前後になったことと相まって、国内の国際価格の7~13倍の高値

それを支える舞台装置の一つが関税600%の背景。

2012-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20120323120644

なに税を増税

税金

水みたいに天から雨として降ってくるものじゃなくて

水田みたいに、肥料巻いて、雑草かって、種を飢えて、手入れして って手間がかかるもの

単純な増税をすると、話を単純化して良ければ、稲田にうえる種籾を半分食うようなもの来年は収穫が半分に、その翌年は1/4にみたいな話でジリ貧

というのが、そもそもの問題点な。

あと、実際に逃げたい人は逃げ始めてるよ。今話をしているのはその逆、誘致がメインだと思われ。

2012-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20120316093302

水田の国土涵養効果(水産資源にも通じる)は絶大だ。

ここを詳しく聞きたい

農家の戸別補償制度」は、似非農家農地持ち利権確保(=票集め目的)、しかも本気の農家をつぶす制度と聞くが

水田の国土涵養効果(水産資源にも通じる)は絶大だ。それと戸別保障制度とはかみ合っていない気がする。

経済至上を言うつもりではない。農業で本気で食っていこうとしてる人に有利になるように農地法もっとうまく改正してほしいもんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20120315223057

林業漁業は詳しくないので書けないが、

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090827

「平均68才の人が、ごくごく小さな田んぼを持っていて、めっちゃ効率にお米を作っています。米作りに関しては年間3万円くらい儲かるだけですが、昔田んぼだった一部の土地パチンコ屋に貸してるんで、その賃料で生活できてます

この人達は本当に農家なのでしょうか?“農家”じゃなくて、“田んぼももってる地主さん”とか、“米作りが趣味のおじいさん”と呼ぶべきなんじゃないの??」

って話らしいぞ。

「極小農家利害関係者の実質的な票数」=1300万票

東京都実質的な票数」=659万票

政権交代が常態化した国における政党の本音は、国の盛衰よりも票の数が大事なんでね。特に民主党露骨じゃん。

2011-10-30

福島の米やばい。。かも

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20111029-OYT8T00181.htm

 原発事故により緊急時避難準備区域に指定された地域コメを作付け・収穫したとして、県は28日、田村市都路町の農業男性(58)に対し、収穫したコメを廃棄するよう食糧法に基づいて勧告した。男性は応じない意向を示した。

 警戒区域計画的避難区域、緊急時避難準備区域(9月30日に解除)について、国は原子力災害特別措置法に基づき、コメの作付け制限を課した。

 男性は、緊急時避難準備区域内の水田約120アールコシヒカリを作付けし、すでに約1・8トンを収穫した。

 食糧法では、作付け制限区域内で収穫されたコメは廃棄しなければならない。勧告に対し、男性は県に「作るのは勝手。作ったコメは販売したい」などと話したという。

関連記事

http://hiro.asks.jp/80745.html

2010-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20100515171437

「みずでん」。

水からの伝言」の略だし。

「すいでん」だと水田を思い浮かべる。

2010-01-20

朝鮮生活水準日本の統治下で向上していた件

http://anond.hatelabo.jp/20100119124726

上のエントリーについて、こちらのブログ(http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034)でコメントを頂戴したので、もう少し書いてみたい。

日本植民地経営朝鮮人の暮らしは悪化したのか?

植民地の立場を脱してからはじめて、旧植民地近代国家経営のお手本としての大日本帝国モデルを自国の発展に生かせたのです。植民地支配体験が韓国民にとって有益になり得たのは、植民地から脱して後のことです。

水田開発や農業技術の向上は、ほとんど朝鮮の民生向上に繋がりませんでした。そのことは統計数字が示しています。

最初にいただいた反論は、日本植民地政策は朝鮮人からの収奪のためであって、朝鮮人生活水準の向上にはまるで寄与しなかったと言う点。こちらのブログでは、その論証として以下の3点をあげている。

  • 朝鮮人所有の土地面積が減少している。
  • 工業化は大して進まず、民族資本もあまりたいしたことがない。
  • 日本統治化で、米の消費量はむしろ減っている。

まず、第2点目に付いては、むしろ韓国人による起業植民地時代に始まったものであると言うKohli教授の指摘と矛盾する(上のエントリーを参照のこと)。また、目に見える工場などの資本以外に、経験や知識が蓄積されていたという彼の指摘は無視されるべきではないだろう。

また、第1の点については、当時の朝鮮人の大半は小作農であろうから、朝鮮人地主土地保有が若干減少したとしても、それで朝鮮人一般が搾取された、収奪されたという結論に結びつけるのは難しい。

重要なのは3点目。朝鮮人の米消費が植民地時代に減少していたと言うこと。これは朝鮮人の生活ぶりに直結しうる大切な指摘だ。しかし、我々は米だけ食って生きているわけではない。代わりにパンかうどんでも食えるのならば、少なくとも私は文句はない。もっと言えば、Quality of Lifeというのは食い物だけで決まるわけではない。教育、娯楽、医療水準、すべて食欲と同程度に重要だ。

で、そんなさまざまな要素を私が知りうるはずもない。ここはやはり専門家の出番だ。で、例によってGoogle scholarにお伺いを立てると、”calories Japan Korea colonization”でど真ん中の論文が見つかった。「植民地時代の朝鮮生活水準大衆の生活は日本統治下で改善されたのか、それとも悪化したのか?」という論文がそれで、著者は帝塚山大学木村教授。ちなみにこの論文はJournal of Economic Historyという、経済史学のトップジャーナルに掲載されており、信頼性は高い。面倒なので最初の要約部分だけ和訳すると、

この論文では日本統治下での朝鮮大衆生活水準の変化について研究した。世帯辺りの農業収入農業部門の実質賃金、必需食料品からの一人当たりカロリー摂取量は減少した。一方で、初等教育の履修者数、識字率、生存率は上昇し、また平均身長は少なくとも減少はしていない。この論文では、識字率や生存率、それに平均身長は、他の条件よりも生活環境により直接的に関係している数字であるということを主張した上で、朝鮮大衆生活水準植民地化から1940年までの間に向上したと結論付けた。ただし、この問題についてのいかなる概括も、さまざまな要素のどれを重視するかと言う点に決定的に依存する。

言うまでもなく、識字率とはハングル識字率のことである。もちろん、生活水準などと言うあいまい言葉は如何様にでも定義できてしまうので、このような研究を胡散臭く思う人も多いだろう。しかし、木村教授はここでノーベル賞経済学者アマルティア・セン生活水準基準を適用することで、一定の客観性を確保している。これは、資産効用といった経済学でおなじみの基準を使わず、平均余命や生存率、識字率栄養摂取などに着目しようというものだ。

ちなみに、木村教授の推計では、米および穀物からのカロリー摂取は1918年までの5年間で急速に向上した後、以降1936年まで年率-0.4%で低下し、それ以降はまた急速に増加している(前者の増加は穀物消費によるもの、後者は米消費の急増によるもの)。これはもちろん好ましいことではないが、この時期の生存率はむしろ改善しており、日韓併合前と比べても朝鮮人身長はほとんど変化していない。少なくとも、朝鮮人健康を損ねるレベルカロリー摂取が減ったわけではなかったようだ。

一方で、男子の就学率は日韓併合直後の20%から1940年には60%へ、女子の就学率もゼロから20%へと、大幅に上昇している。識字率や生存率も統計上有意な上昇を示している。

これらの要素から、木村教授アマルティア・センの基準に基づいて、

日韓併合後、日本の統治下で、韓国生活水準は損なわれた側面も当然あったにせよ、全体としては改善されたと結論付けている。

M Kimura (2005), "Standards of Living in Colonial Korea: Did the Masses Become Worse Off or Better Off Under Japanese Rule?", Journal of Economic History.

http://www.jstor.org/stable/2122408

日本植民地経営だけが素晴らしかったのか

日本英国なんかよりもずっとましな植民地経営をしたというのが、歴史修正主義排外主義の立場の人の言い分ですね。

しかし香港シンガポール英国植民地でしたが、素晴らしく発展していますよね。

経済発展の結果を以て日本植民地経営の良さを言えるのであれば、英国植民地経営もまた良かったことになります。

でも英国植民地が悪い見本であると言うなら、日本だってどっこいどっこいなんじゃないかと。

この点については、Reynolds (1983)の論文が参考になるだろう(著者はイェール大学教授、収録されたジャーナルJournal of Economic Literatureは一流誌)。彼はまず世界中植民地政策は国によって大きく異なることを指摘した上で、まず日本に言及し、『日本は、自国にあっても植民地においても、いつも経済成長重視の政策を貫いていた。そして日本の統治が朝鮮台湾の急速な経済成長のきっかけとなったことは明らかである。フィリピンも、アメリカの統治開始以降高度成長を達成している。またイギリスも概して経済成長志向であったが、イギリスは当地の殖民政府へと権限を大きく委譲する傾向があったため、各地の為政者次第でまるで政策が異なる。』イギリス植民地経営が悪い見本だったと言う主張は、少なくとも私は見たことがない(ミャンマーについては、かなり悪い例に入ると思うが)。一方で、Reynolds教授が「失敗国家メーカー」の烙印を押したのは、ドイツフランスベルギーオランダ、そしてポルトガルアフリカとかでにっちもさっちも行かなくなっている国は大体この辺の国々が荒らし回っている。ちなみに今大変なことになっているハイチ宗主国フランスである。

http://www.jstor.org/stable/2724912

日本の統治はどう有益だったのか

北朝鮮」も日本植民地でしたが、先進国になっていますか。

あの国は自業自得だというなら、逆に韓国の発展は韓国人努力の賜物だとも言えますよね。

まあ経済発展の要因はいろいろありますから、単純には言えませんね。

教育の普及やインフラ整備はたいていの植民地に施されていますから、日本が特に特別な恩恵を残したとまでは言えないと思いますよ。

後段については上で説明したので繰り返さない。1点のみ付け加えると、前のエントリー引用したCumings教授は、日本の統治下で朝鮮鉄道網はアジア最高(日本を除く)のレベルにまで整備されたことを指摘している。

前段については、「北朝鮮経済成長に失敗したのだから、日本の統治はたいした影響がなかった」という議論はやはり無理がある。韓国経済成長韓国人自身の努力の賜物であることは自明だが、努力だけでは補えない経験技術、各種インフラ教育制度官僚機構などを日本植民地経営がもたらした、というのが前回のエントリーで紹介した「学界のコンセンサス」なのだ。もしそれを「経済成長必要条件であった(十分条件ではないのは北朝鮮の例から明らか)」と言い換えることが出来るなら、やはり日本植民地政策は韓国にとって有益であったと言うことは出来ると思う。

2010-01-19

搾取を語るなら論文を読め

http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034

日本韓国統治は善政か否か」問題で久しぶりに面白いエントリーを読んだ。正直、日本韓国統治は悪だ、という議論は感情論ばかりが横行するので辟易していたのだが、こういう数字に基づいたエントリーが出てくるとちゃんと議論になる。実際、コメント欄でも、すれ違いはあるものの真っ当な議論になっているように思う。

でもさ、『ちゃんと学術的に認められた歴史書を読み直されるよう、お勧めいたします。』って書くならさ、もう一歩踏み込んでもいいと思うんだ。学問の主戦場たる英語論文の数々に。ここ20年間、様々な定性定量分析が積み重ねられてるのに、それを無視するなんて余りにももったいない

結局、日本韓国もこの件ではバリバリ当事者な訳で、どうしたって中立的な議論は出来ない。純粋に学術的に中立的な議論をしても、その裏の政治的思惑を勘ぐられるのがオチだ。なら、第三者たる欧米の、それも世界最高峰大学で教鞭を執る学者の議論を参照することは決して無意味な事じゃないはずだ。

それに、10年前と違って、我々はほぼ自由にこれらの議論にアクセスできる。Google Scholarで”Japan Korea colonization”を検索してみるだけでいい。10回くらいクリックすれば議論の形はある程度つかめてしまう。いい時代になったもんだ。

で、2時間ほど仕事をさぼって論文を流し読みした結論。それは、

日本韓国統治が善政だったかどうかはともかく、「その植民地政策が、他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある

ということ。ついでに言うと、欧米開発経済学者と何度か話した時も、この結論をある種自明のように語っていたので、現在でもこのコンセンサスは有効であるように思う。私自身は門外漢なので断言は出来ないが。

日本植民地政策の総論として、大体平均的な見解になっているのは、Bluce Cumings(シカゴ教授)の以下の下りだと思う。

エトウ教授日本の悪徳はヨーロッパの植民者のそれと何ら変わるところがなかった、と述べている。それは正しいのかもしれないが、一方でその美徳はヨーロッパ人のそれとは全く異なっていた。日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。少なくとも何人かのフィリピン人は、アメリカ植民地主義独立というゴールへと至るための良き教師であると信じていたが、日本は良き教師ではなかった。少なくとも幾人かはイギリスインドにとって自由民主主義の良き模範であったと信じているが、日本は良き模範でもなかった。日本がもたらした美徳の数々は、倫理的には(philosophically)正当化するのは難しいが、実際的には(practically)容易に受け入れられるものだ:軍事的成功、強力な国権の運用、急速な経済発展、そして近代的な工業セクター。それゆえ、1945年韓国人達は日本植民地主義に対する全面的な拒絶を唱えて解放を謳歌したが、その一方で日本がもたらした様々な影響からは抜け出すことが出来ないという、二律背反に直面することになったのである。

ちなみに、このCumings教授北朝鮮よりの言動が過ぎると批判を受けているくらいであって(英語Wikipedia参照)、決して日本よりのスタンスを取っているわけではない。むしろ、日本植民地政策は朝鮮政治的に分断される一因となったと書いている(人となりの雰囲気はこの辺りのブログで分かるかもしれない。http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20090208/1234060826)。それでもなお、36年間の日本経済政策については、むしろ肯定的な言及が多い。日本植民地政策についての興味深い言及もあるので、興味のある人は以下のリンクを読んでみると良いだろう。英語は平易なので、特に苦労なく読めるはずだ。

B. Cumings (1984), “The legacy of Japanese colonialism in Korea”, RH Myers and MR Peattie eds., The Japanese Colonial Empire: 1895-1945, Princeton UP.

http://brightrising.com/pdf211/week10/Bruce%20Cumings%20%27The%20Legacy%20of%20Japanese%20Colonialism%20in%20Korea%27%20-The%20Japanese%20Colonial%20Empire-%20p.%20478-496.pdf

似たような議論としては、

LG Reynolds (1983), “The Spread of Economic Growth to the Third World: 1850-1980”, Journal of Economic Literature.

G-W Shin (1998), “Agrarian Conflict and the origins of Korean Capitalism”, American Journal of Sociology.

CJ Eckert (1991), Offspring of Empire, U of Washington Press

などがまとまっている(最後のは読んでないが)ので、興味のある人は参照して欲しい。Google scholar検索すれば他にも沢山出てくる。個人的にはReynoldsが俯瞰的にまとめていて良いと思う(アクセス権がないと入手が困難だが)。

さて、ここからが本題だ。欧米の碩学達はなぜ「日本植民地政策は有益であった」と結論づけたのだろう。正直、上のリンクを読みやがれの一言で済ませてしまっても良いのだが、一連の議論がある程度まとまっている論文を見つけたので、以下で抄訳してみたい。プリンストン大学のAtul Kohli教授論文なのだが、まず彼は94年に「日本植民地政策は、戦後韓国経済発展に重要な貢献を成した」という論文を発表したのだが、これにS. Haggard(UCサンディエゴ校)、D.Kang(ダートマスカレッジ)、C-I Moon(延世大学)の3人が「いやいや日本の影響なんてたいしたことないから」という反論論文(以下HKM)を寄稿した。これに対して更に「いや、君たちの言うことはおかしい」という再反論をKohliが行った、という流れになっている。この最後の再反論の論文が短くまとまっていて論点も明確なので、これを取り上げてみることにしよう。

1.The economic records and legacies

HKMではKohli論文に対して4点の反論を試みている。まず、日本統治下での韓国経済成長と、終戦後韓国経済成長とを過大評価しているという点。『私の原論文では、主によく知られたS-C Suh (1978)のデータに基づいて、植民地時代の米の生産量は年率2%相当の伸びを示しており、その相当量が土地1単位辺りの収量の増加によると議論している。生産性の向上は、日本政府による計画的な灌漑、品種改良と肥料の使用を反映したものだ。

日本の行動が利己的なものであって、多くの韓国人はこれらの植民政策の恩恵を受けていなかったという不快事実に関係なく、安定的で近代的な農業生産の成長は植民地主義歴史の中でほぼ無類の成果であった。この経験韓国を他のアジア諸国(除日台)から一線を画す存在にした。そして、この経験はその後の韓国経済成長へ貢献する一要素となったことは間違いない。』

HKMはこれに反論を試みているが、『HKM自身が提示した資料によれば、1911年から38年までの植民下の韓国農業成長は3.17%増加しており、私の提示した数字よりも更に高い。』Dehliはなぜ彼らはこの事実をちゃんと議論しないのかと指摘した上で、もう少し細かい議論をしている。さらに他の研究を引いて、Myers and Yamada (1984)は1920年から40年までの農業生産の伸びを年率1.15%、S-C Suh (1978)は穀物生産が25年間で45%、米は30年間で100%増加したと推計しており、『これらのデータを前にして、植民政策下の韓国農業生産と米の生産が植民経済の基準から言ってかなりの増加を示したことを誰が疑うのだろうか?』と問うている。

『より重要なのは、これらの、特に米の生産の成長の源泉は何かと言うことだ。Suh (1978)とMyers and Yamada (1984)の双方が、この時期に耕地の大幅な拡大や、農業への労働者の大量投入は見られないと指摘している。これらが強く示唆するのは生産性の向上である。HKMは生産性の向上はあくまで緩やかなものに過ぎなかったと主張するが、30年間で60%もの生産性の向上(Suh, 1978)を緩やかと表現するのは不可能だ。籾付米の栽培パターンの変化は韓国農業に“生物学革命”が起こったことを示している:品種改良された種籾を使用する水田は倍に増え、肥料の投入量は10倍になり、灌漑された農地は年率10%近いスピードで拡大し続けた(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1894, Ishikawa, 1967)。

これらの改善明治時代農地革命の日本から韓国への計画的な普及の成果(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1984)であった。日本植民地政府韓国農業改革の努力によって、“近代的な農業革命が開始され”、日本台湾と同様に、“これはアジアにおける近代農業改革の端緒となったと言って良いだろう”(Myers and Yamada, 1984)。更に、他の研究者達が指摘するように、この革命は終戦後も引き続き行われた。これでもなお、「ユニーク植民地の運営は大戦後の韓国経済発展への足がかりとなった」ことを否定することが出来るのだろうか?』

日本工業政策の影響については、『HKMは3つの伝統的な-そしてあまり説得的ではない-理由から反論している。曰く、工業部門は殆ど日本人が所有していた。曰く、その殆どは北朝鮮に位置していて韓国経済発展には関係ない。曰く、どちらにせよ、朝鮮戦争であらかた破壊されたので関係ない。

日本人への所有権の集中という最初のポイントは説得的とは言えない。韓国1965年以降の経済成長においても、企業所有権はかなり集中していた。こっちは問題ではないとでも?日本資本について言えば、「外国資本ニ支配サレタ工業化ハ真ノ工業化トハ言エナイ」的な議論は、既に説得力を失って久しい。第2に、工業資本朝鮮戦争破壊されたという点は私が原論文で指摘済みの点である。繰り返すが、当時の工業資本の約半数は南朝鮮にあったのである。さらに、南朝鮮にあったのは繊維工場のような軽工業資本であって、北の重工業に比べて輸出産業としては離陸しやすかったはずである。』

Kohliは、更に反論として、脱植民地運動朝鮮戦争破壊からの急速な回復は、韓国人近代工業を運営した経験があったからこそであること、(2) 工業資本戦争破壊されたのは事実としても、知識は消え去らないこと、近年のRomer (1993)などの内省的成長理論においても知識の重要性が強調されていること、などから、日本植民地時代の「正の遺産」は韓国経済発展に寄与したとしている。

2. On the developmental state

政治プロセスの話をしているのだが、「てめーの読み違いだよ」という話なので省略。

3. On the origins of Korean capitalism

『主にEckert (1991)の重要な著作に依って、私は原論文日本植民地主義韓国資本主義が孵化するためのフレームワークを構築した、と論じた。』『HKMはEckertはある特定の例しか研究しておらず、日本植民地政策の影響がなかったとしても、韓国固有の資本主義がいずれ芽生えたはずだ、と主張している。』

これに対する反論として、Kohliは3点の反論を挙げている。(1) Eckert (1991)の“韓国資本主義日本の統治の下で、日本の公式な承認(official Japanese blessing)をもって花開いた”という議論は依然として受け入れられており、仮に例証の少なさが問題だとしても、多くの研究者がいくつもの例証を発見しつつある(例えば、Ho Su Yolの研究によれば、韓国企業家の数と、韓国人所有の企業の規模は、1930年代に共に増加している。(2) 歴史にifはありません。 (3) 『確かに、植民政府利己的な動機で動いていた。確かに、多くの企業日本人に所有されていた。しかしそれでも、その政府で、企業で、多くの韓国人が働いていた。そして、その過程で日本式の資本主義はゆっくりと、しかし確実に韓国に根付いていった。更に言えば、多くの韓国人起業家がそのビジネススタートさせたのはこの時期なのだ (Eckert, 1991)。確かに、有力な財閥企業の多くは大戦後に設立されている。しかし、資本主義というのはある日突然芽生えるものではない。多くの財閥企業(現代、三星Lucky Starなど)の創業者達が最初に事業を興したのは植民地時代なのである。』

5. On the state and lower classes

最後に、日本政府による朝鮮人労働者の使役の問題について。『私は原論文で、韓国での日本人は、きわめて抑圧的でそして日本自身のそれによく似た労使関係の構築に寄与した、と主張した。マネージャー達は若い韓国人を雇い、OJTを施し、愛社精神を植え付け、とんでもない長時間労働を要求し、そして国家権力を後ろ盾として労働組合政治的な活動を禁じた。さらに、“サンポ”システムで「産業愛国クラブ(industrial patriotism clubs)」を組織して経営者労働運動リーダー達を同じクラブの一員とし、彼ら労働運動リーダー達を経営者が雇い挙げる仕組みを作り上げた。この厳格なアメとムチのシステム日本人経営者に「生産性上昇よりも低い賃金アップ」という恩恵をもたらしただけでなく、政治運動を無視して生産性向上に集中させることを可能にした。この仕組みは韓国政府に受け継がれ、その高度成長期まではこの仕組みは維持された。』

以下結論が続くが省略する。残念ながら、この論文大学関係者以外はアクセス権がないので、興味のある方は大学図書館で以下を当たって欲しい。

A Kohli, (1994), “Where do high growth political economics come from?”, World Development.

S Haggard, D Kang, CI Moon (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a critique”, World Development

A Kohli, (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a reply”, World Development.

念のために書くが、別に権威ある意見が全てだと言っているわけではない。自分の足でデータを探して考えるのはとても大切なこと。でも、それだけではたどり着けない議論というのがあることも分かってもらえればありがたい。上で紹介したKohliは帝国主義経済発展が専門分野で、日々そんなことばかり議論する毎日を送っているはずだ。そういう人たちがたどり着いた「日本植民地政策にはありきたりのvices(悪徳)と、ユニークなvirtues(美徳)がある」という結論には、それだけの重みがあると私は思う。

2009-09-03

野菜自給率とかどうでもいいと思った件

だいたいさ、国防としての食料自給率を論ずるならだよ、畜産だと思うんだ。

食料自給率を論ずるうえで、まず満たさないとならないのは第一に考えなくちゃならんのはカロリー需要をみたすことでしょ。

医学的に言えば、一日に必要な水分、カロリー塩分があればすぐには死にはしない。

日本の場合、水と塩はまず足りなくなったりしないわけで。

だからまずはカロリー

ま、妥当に考えれば穀物

カロリーあたりの製造単価が安いし、保存が効くし。

次は植物油

でもカロリーは米で満たされるからなかったらないでいいわけで。

カロリー需要をみたしたらさ、もう少し国民健康考えたらなにからどのくらいカロリーをとるかだと思う。

タンパク質からカロリーをとるか、炭水化物からとるか、脂質からとるか、まあそのバランス

一番安くカロリーを満たすにはオール炭水化物由来、米に塩ふって食ってろってことになるんだけどさ、健康的な生活を考えたらそのバランスだろ。

一番難しいのは蛋白質をどう確保するかって話だ。

だからさ、やっぱ畜産をどうするかっていうことを考えないとなんないと思うんだ。

野菜とかはそれをクリアしたあとの話だろ?

そういうとみんな野菜は大事!ビタミンミネラル!とかいうけどさ。

キャベツレタスもなくたって飢えないよ。保証する。

野菜健康によくて肉は健康に悪いみたいなムードは誰の仕業?

蛋白質を確保したかったら乳製品か畜肉か魚肉、鶏卵でしょ。

ただなぁ、なんか畜産って日本人に合ってないんだよな。

稲作との親和性が悪い。

トウモロコシや小麦に比べて飼料転用や副産物を畜産で使ったりしにくい。

っていうか日本って稲作にこだわったりする必要あるわけ?

植物として生育する北限の北見あたりまで稲作したり、山間にトラクターなんて当然はいれない数畳の面積の棚田つくったり。

無理っしょ。

民主はそれに所得保障するつもりだったんでしょ。

トウモロコシだったら米より生産効率いいしさ、茎まで家畜の餌になるし、水田に比べると設備投資いらんし。

今ある水田の全部トウモロコシに転作しちゃえばさ、ウシのエサもだいぶまかなえちゃうだろうしさ。

まあ、問題はトウモロコシ刺身定食を食うのはすごく嫌だってことだな。

慣れでなんとかなんのかな。

2009-03-16

快楽原則2

ロハス健康志向の僕はいつもリコピンいっぱいのトマトを食べていた。

なぜかみんなが食べるそれと一つ違う事は僕のトマトは体に変化が訪れた。

トマト燻製にし、トマト特有の甘さを楽しんでいると、より食欲が湧き、他の食べ物への興味が尽きなくなり、

のどごしすっきりのコーラは肩まで炭酸がやってき、白米を食べるだけでも、農家の方々への感謝で涙かあふれそうになり、100円程度のチョコレートゴディバに変化した。

こんな美味しいトマトを独り占めしたかった。

欲深い大きなお友達にばれると勿体ないし、外だと害虫に狙われるので、誰にも渡したくない秘密トマトは家で水耕栽培をしていた。

トマトの種は日本では独占企業が寡占しているようで入手が難く、格安の航空券で種を買いに海外まで出かけた。自由競争はすばらしい。

なぜか、日本に戻ると空港では可愛い犬がしっぽを振ってやって来て、空港の職員さん達が別の部屋で手厚いおもてなしをしてくれ、VIP待遇で僕の荷物の検査をしてくれた。

隣の部屋から聞こえる声では外人が職員さんに何か発見されたらしく、大きな声で叫んでいた。同じ別室だが僕とは全く違う待遇で気の毒だった。

日本空港こうやって安全を保っているのかと本当に感心した。

職員さんはカバンの隅々まで確認してくれ、僕の安全を保証してくれた。

トマトを栽培するには、肥料以外のほぼ100%は東急ハンズで揃う。

植物に土は不要で、水と酸素栄養と僕達の真心があれば、僕の学歴が低くても立派に実を付ける。

みんなは知らないと思うから教えてあげるけど、毎日話しかけたりしなくても全く問題ない。

水田はいつも水に浸かっているが、根が腐らないのは水分に酸素が十分にあるからで、

それと同じ原理で500円くらいの花を植えるプランターに肥料が入ったたっぷりの水と金魚のブクブクだけで植物はすごいスピードで育つ。土は不要。

トマトはちょっと馬鹿で一日の日照時間から季節を判断しているようだった。

1日24時間人工的な太陽を当てると、3ヶ月もすれば部屋の中でびっしり枝が生えるので、

タイマーで8時間ぐらいで電気が切れるようにすると冬が近づいたと思うらしく、美味しいトマトが実り始める。

楽しい収穫の日は、先祖代々伝わる仮面を被り、収穫祭を行う。

残ったトマト冷凍庫で保存をし、時々ご飯のおかずにした。

彼女が出来た時に初めて部屋に遊びに来たことがあるが、部屋の一角でびっしり育つトマトを見て絶句していた。トマトなのに。

その後はいろいろあったので、トマトは破棄してしまったが、あんな美味しいトマトを後にも先にも口に出来ないのが残念だ。

http://anond.hatelabo.jp/20090108011802

2008-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20080209200445

それなら日本の人工林とか水田は元の生態系破壊してるってことにはならないんだろうか?

外国から原生林ばかり輸入してるとも限らないだろうし。

2008-01-23

神戸在住』 登場人物メモ

森橋笑子

渡月(チャラ男) 中沢くん 志麻くん 崔月姫 伏見淳美 福井助教授 倉加川(クラリザ) 小田(ボクサー

体育の西尾先生 海棠敦子 花岡くん 成美知枝 富永さん 上原千代子 斎藤行次 十賀峰先生 下沢

常久初子 後藤深津紀 嶺 甲賀 三田村順菜 窪島

伊達

木下ともえ 木下太郎 木下たけい 木下いつこ

司二三

大津(元彼) 本間さん 井原さん 浦澤

エリック・ワイス 瀬畑 学校長の金田 PTA会長水田 森司郎 幸村 田城 流美里

駄菓子屋のバアサン 黄 和美ちゃん 

ミンちゃん 梅井さん 鈴木花子

廣田和名 小西 

藤原新菜 島津カメラマン 

2007-11-03

増田とは

増墾した水田のこと。

安土桃山江戸時代にかけて、水田の面積に比例した年貢の徴収により、同面積あたりの収量の少ない地区の住民は苦労を強いられていた。そこで、検地を免れるために村民は共同で谷戸の奥を秘密裏に開墾し、暗黙のうちに村の共有財産として誰彼となく共同で管理した。「隠し田」ともいう。

田んぼを隠して楽しく村民生活。

2007-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20070626121525

あの社長のセコいヒールっぷりがまた正義感情を刺激するんだろうな。

時代劇で言えば悪代官でも悪代官と癒着する越後屋でもなく、

灌漑用水を勝手にせき止めて自分の水田だけを潤そうとする百姓みたいな。

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