簡単に女装レポ
とりあえず萌えた。
思ったよりクオリティ高洲
確かに写真の方が観賞モノとしてはきれいかと思ったりするが、接客も加味すると実物は本当に萌え。
メイド喫茶の接客より全然よかった。
「精神的ブラクラって言ってるけど、本当にそうだったって言われるのも悔しいじゃないですか」
とか
「ネタでやろうって感じだったけど、どうせならちゃんと…」
とかいう発言があって、妙に関心というか、納得というか、かっこいいと思ってしまった。
バレンタインデー企画ということでビックリマンチョコ貰いましたw
そういうセンスもなんか嬉しかったな。
応急的な処置が出来る奴がいっぱいいれば、そもそもの問題もなんとかなる....完璧にゼロにすることは出来なくても、かなり少なくすることは出来るだろう。
つか、昔の地域社会や互助精神ってそういうもんだったんだよな。最近は、目の前で起こっていることであっても、自分がなんとかするものではなく役所や社会に文句言ったりするもんという認識になってるような。個人なら比較的自由に素早く動けることでも公がシステマティックにやろうとすると途端に無理が出たりコスト跳ね上がったりするから、みんなが自分と縁があった分に対応するだけで大分マシになるのにな。
うん
ああいう犬の餓死みたいなの見て
「いつもは気にしないくせに、いざこうやって取り上げられて話題になると途端に救いだすのかよ」っていう批判(今はないけどこういう感じのタイプの批判、っつーことな)は結構多いけど、そんな悪いこっちゃないと思うんだよな。
だってそれじゃ、「この一匹の犬を救うなら他の犬も全部救うんだな?そのくらいの覚悟があるんだな?」みたいな極端な話になってしまう。全てを救う覚悟があるのか、それともないならないですっぱり救うんじゃねえよ、みたいな極端さの観点で批判するのってどうかと思うわけで。誰も助けないよりは一匹、一人でも助けた方がいいわけで。オールオアナッシングじゃなくてベターの観点でいかないとな……現実世界ってとてもオールオアナッシングじゃ渡っていけねーし。
「こうやって取り上げられて話題になると飼うとかいいだしやがって」っていって何もしないよりは偽善でもいいから行動した方がよいだろうと……まぁ捨てるのはどうかと思うがそれでもどうせすぐに殺される運命の犬だったのだから、数ヶ月でも命が延びた、ちゃんと飼われたということは一概に否定しきれないものがあるし
デートの最初で花束渡されたら、その花束どうすればいいんだろう。
そんな状況には一生めぐり合わないと思うが、教えて増田さん!
とりあえず花束持って行くのでデートしましょうよ!
目の前で起ってることを何とかしたい、って気持ちは大事だよな。
喜ぶ女性の方が少ないんじゃないか
別に花とかどうでもいいし
花に詳しい女とか実際は少数派だし
処理に困るだけだし
使える物の方がいい
そりゃ、自分の目の前で自殺しようとしてる奴がいたらとりあえずやめろって止めるけど
普段こうしてのらくら過ごしてる今だって一年に数万人も自殺してるのにその彼らを止めることはしない
のと同じようなものだろ
救いたいけど全ての該当者・該当物をいちいち救うのは個人のレベルでは無理だ
それこそそれをライフワークにするくらいじゃないと
皆それほどまででもない
でも目の前で自分が助けられるくらいのレベルの個体がいるならばそれを助けるくらいの気持ちはある
それだけのことだろう
別に何も不思議じゃない
うん、例の犬の餓死の展示の話だよね。
自分も結構このことについては考えた。
犬が死ぬなんて日常的に起こっているはずのことだよね。
目の前で死ぬか、見えないところで死ぬかの違いしかないのに、
人はなぜそんなに大きな反応をするのだろうか、と。
スマブラっつーゲームは元々やり込んでる奴が弱いのをレイプする可能性の高いゲームだったんだよ
なんか世間の持ち上げ方が「初心者と上級者も垣根なく楽しめる」とか言うのばかりでずいぶんおかしいとは思ってたけどさ
結局、強い人が弱い人をいたぶる場になっているのでした。
どんなにアイテムで逆転できるようにしても、そのアイテムを強い人が取るから今まで以上に腕前の差が結果に影響するようになってるし。
自分みたいな下手くそは一人で遊ぶのがお似合いのようです。
つまり気が小さいと逆境にも弱いってこった。
経済成長ってのは俺の少ない知識によれば結局設備投資なわけで、
経済成長ってやつのためには新興産業が必要なわけさ。
(いまさら山削ったり道路作ったって景気よくなるとはあんたも思わないだろ?)
ロンドンハーツのブラックメールは初めのころはガチで素人を無許可で撮って、最後に出演許可を取り付ける(取れなかったらボツ)って方式だったけど
番組の人気が上がるにつれてボツ率も格段に上がって、最後の頃は10本撮ったら9本はボツってしまい、あまりに効率が悪すぎて止めたと聞いた事がある。
ある芸術家が餓死寸前の犬を展示して「犬の餓死」という芸術を発表した。しかもこれはまだ最初の布石に過ぎず、私が表現しようとする芸術の準備段階だと宣言した。「犬の餓死」だけでも非人道的なのに、それが準備段階に過ぎないと宣言したことで、様々な人から非難が集中した。ネットでは芸術家のブログは炎上し、自宅には反対するグループが押し寄せ、それらをマスコミが取り上げ更に盛り上がり、収拾がつかない程に社会問題化した。
それを受けて芸術家は新たなコメントをした。次の展示に使う犬は保健所で処分される予定の犬を使用することにします。助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。次の展示が行われる日、展示される美術館では初めて開館前に行列ができていた。鉢巻をして襷をかけたいかにも抗議団体ですという集団や、興味本位で初めて美術館に訪れましたというような一般人、そしてそれらを面白可笑しく撮ろうする撮影人。100人以上の人が集まっていたので美術館はいつもより早く開館した。開館するや否や、皆早足で「犬の餓死」が展示されている前に集まった。前回と同じように動く元気もないような犬が元気なく伏せっていたが、そこに立ててあった看板だけは前回と違った。「助けたい人がいらしたらどうぞご自由に。」展示の前に集まった皆が静かに周りを伺う。多くの人が降りる停留所なのに停車ボタンを皆なかなか押さないバスの空気に似ていた。そんな中一人の老婦人が静々と手を挙げた。この犬を引き受けたいのですが。すると奥から芸術家が現れてわかりましたと犬の縄を看板から解き、老婦人へと手渡し、また奥へと下がっていった。縄を受け取った老婦人が屈み「もう大丈夫よ。」と犬の頭を撫でると自然に拍手が巻き起こった。
しかしそんな中、芸術家は奥から飄々と現れ、また連れてきた犬を看板に繋いだ。どういうことだと詰め寄られるが特に気にすることもなく、今日は10匹連れてきましたから後9匹いますよ、と答えた。人々は唖然としたが一度できた流れは変わらず、次々と挙手する人が現れた。自分が引き受ける、いいや自分が引き受けると、我先にと手を挙げた。芸術家は機械的に受け渡しを9回済まし、その日の展示は終了した。マスコミはその様子を何度も放映し、国民もその美談に酔いしれた。
芸術家はその後も精力的に展示を行ったが「犬の餓死」が完成することはなかった。どこの美術館でも用意した犬は全て貰い手が現れたからだ。それは数を増やしても変わらなかった。展示の度に生成され続ける美談が一大ブームを作っていたからだ。そしていつしかある噂が囁かれていた。あの芸術家は処分予定の犬達を救うためにこんな展示を始めたんじゃないだろうかと。
しかしある時、芸術家は突然展示をやめた。ブームの最中だったから人々は不思議がった。そしてとある記者が尋ねた。「噂では処分予定の犬を救うためにこの展示をしていたとのことですが本当でしょうか?」芸術家は答えた。「いいえ違います。それにもしそれが目的ならば展示をやめるなんておかしいでしょ?」もっともな話だった。「では何のために展示をして、そして何故展示をやめられるのですか?」芸術家は答えた。「それはこれからわかります。そして私の準備はこれで終わったので展示をやめます。どうぞ皆様これから行われる出来事をお楽しみください。」展示は終わった。
謎めいた発言は一時的に話題にはなったものの、その後も特に何かが起こるわけでもなかったので、すぐに忘れ去られた。そして数ヶ月後。奇妙な現象が起こり始めた。全国各地の公園などに痩せ衰えた犬が次々と放置され始めたのだ。「助けたい人がいたらご自由に。」と書かれた言葉と共に。引き受けたはいいものの、流行と偽善の気持ちから挙手した人が殆どで、数ヶ月もする頃には飼うことが嫌になっていた。どうしたものかと考えつく先は皆同じで、それが芸術家と同じような手段だった。直接捨てたり保健所に連れて行くよりも心が痛まない。悪いのは助けることができたのに、助けることなく見ていたやつだと。かくして「犬の餓死」は完成した。多くの人の手によって。
でもテレビに出たがる一般人はいるからな。全部といわないまでも一部はガチなんじゃね?
芸能人にひっかかるだけなら放送されても支障ないだろうし。
極端すぎるし、妄想激しすぎる。
日本人の性格なんてそう簡単に変わるもんでもないが20年位前までは融資もどんどんされてたし株も給料も上がり続けてた。
これらがだめになったのはデフレのせいでしょ。物価が下がり続けるのに融資なんかできるわけないし給料だって増えるはずもない。株が上がらないなら結局円で投資するなら日本国債しかないってことになる。
この文も価値さがちゃってるんかな