M-1見てても錦鯉やカミナリの漫才は一歩引いてしまう感覚があるし
あれをげらげら笑って見ている人がいたなら多分白けていた
その場にいない誰かを揶揄するようなネタも昔ほど素直に受け止められなくなったかも
M-1で言えば和牛やスーパーマラドーナ、ニューヨークあたりのスタイル
(と言っても和牛は決勝以降、水田の演じるキャラを浮世離れさせることでえぐみを減らしていたので見れた。
ただ、決勝1本目の巾着捨てたくだりで「あ、アスペルガーっぽい・・・」と思ってしまった。
インターネットの暗部に僕は毒されすぎているのかもしれない。)
僕の中で段々と「誰も傷つかないこと」が表現を評価する前提条件になってきている
何かを傷つけるということを表現に取り入れるならば
そこに重さやそこにおいて暴力が必要である理由がないと納得できなくなってきた
暴力を茶化すなんてことにはもう軽蔑の気持ちすら湧いてきているかもしれない
僕はそれを「なんだかぬるいなあ」と冷ややかに見ていたものだが
映画秘宝だって、ライターが年取って丸くなってからのほうが売れてるやん それでええんや