はてなキーワード: 検察とは
略取誘拐、人身売買、強制わいせつ、強姦の被害者は、女性がほとんどだ。
暴行、傷害、誘拐、強制わいせつ、強姦などは、九割が男性の犯行だ。
女性は、おびえながら暮らしている。被害にもあっている。それで、男性が言葉での攻撃も恐ろしいというのは無知から来ているのか、現実を見たくないのか。
犯罪者の九割が男性なのに、女性が、どうして、男性を恐れないでいられるだろうか。
女性が起こす犯罪は、窃盗か万引きが多い。それは、もちろん犯罪だが、女性が恐れるのは、物理的な攻撃である。物理的な攻撃を行うのが男性だと感じていて、そして、数字からも裏付けられる。
また、強姦、強制わいせつ、人身売買の被害者が、65歳以上の女性まで存在することも注目すべきだろう。
男子の受刑者が19744人に対して、女子の受刑者は2122人しかいない。おおよそ9:1の割合
女子の犯罪で九割を超えているのは、えい児殺しだけだ。それも年に十件。
(追記 すべての犯罪について、万引も含めて、女子比が5割超えているものは一つもない。
比較的女子比が高い犯罪が万引だが、それも4割にとどまっている。窃盗を比較すると女子比は3割にとどまる。万引が多いというのは比較したらの話だ。
これは、未婚の母(多くは子供)が妊娠して、支援もなく、殺すに至ったものが多いだろうし、男親の不在、社会の支援のなさから招いた、社会的な問題が背景にある。女がせざるを得ないように追い込まれていること、子育てを女がするものだと思わされていることが原因だろう。
http://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/boryoku/houkoku/pdf/hbo07s-10.pdf
総数 1,289男 女1,289
総数7,027 男161 女6,866
強制わいせつ 総数2,189 男2,180女 9
9/(803+2189)=0.003008
これをパーセントに直すと、0.3パーセントが女性の起こした性犯罪になる。
ということは、性犯罪の九割九分は、というか、99.7%は男性が起こしていると言える。そして、その被害にあうのは、年齢問わず、「女」。
犯罪白書に書いてあるが、性犯罪については、暗数がとても多い。ほかの国で「性犯罪」となることが、日本では犯罪ではない。また、警察に訴えることができない、レイプ検査キッドがない、警察の対応が悪い、捜査されない、などの問題が多々あることをお忘れなきよう。
ただ、強姦に関しては、定義が「性器に性器を挿入すること」であるので、「異物を体に挿入する」ことに変えるべきだ。男性差別を訴える人は、まず、ここを言えば、男性の性犯罪被害者を救える。ただし、女性に言うんじゃなくて、公権力に言うように。そして、その公権力のほとんどが男性たちが占めていることも忘れないように。
日本の検察って「100%勝てる」くらいの自信がないと起訴しないんだよね。(なので日本の刑事事件の有罪率はほぼ100%になる。)それを考えれば「不起訴」になるのは何も不思議じゃない。(そもそも前提の"「100%勝てる」くらいの自信がないと起訴しない"部分は批判すべき部分ではあると思うが。)日本の司法がどれだけ腐ってても、刑事事件では「疑わしきは被告人の利益に」の原則がそれなりに守られてるからね。
対して民事では普通に伊藤氏の勝訴。それもまた妥当な判決だろう。判決文読めばそれまで擁護してた連中も裸足で逃げ出すレベルで「真っ黒」だもんね。
刑事と民事で裁判の基準が違うのは当たり前。「国家が罰を与える」ことと、「民間の諍いを国家が収める」のは、それぞれ全く性質の違う案件だろう。
日本では、右や左のポジショントークに、フェミニストやブーマー(団塊世代で聞き分けのない人たちのこと)が入り乱れて議論を繰り広げているが、あえて筆者はこの事件でどの言い分が正しいのかを検証する気はない。
しかしこの期に及んでどっちつかずの態度を取るのは卑怯じゃないかね? 読者は「主張など何もなく、ただ日本叩きしたいだけじゃん」という「印象」を持ちますよ。
しかしまあ、仮にその海外の「印象」が事実だとして、海外に向けて「デマを拡散しないでくれ、と抗議する」という解決法もあるだろう。そういう意味では決して「日本叩きしたいだけ」の記事とも言い切れないかもしれない。半分は皮肉だが。
普通の性被害者ならそんな懸念をする必要は全くないのだが、伊藤詩織は病的な嘘つきである可能性がある。山口氏がそう言うからではない。彼もまた信用に足る人物ではない。最近話題になっている盗聴器がスイッチから電源を取るのがあり得ない話であったり、彼女の著書での警察や検察の描写もステレオタイプにまみれていて実態に即していない事が根拠だ。海外メディアのオリエンタリズムを利用する手法も手慣れている。
それだけなら良い。問題は彼女が所属する界隈の体質と彼女の主張の悪魔的な組み合わせだ。あの界隈は身内に甘い。フェミニストを名乗る男性が運動を手伝う女性をレイプするような話はよく耳にする。そして彼女の主張を指示する女性達は警察や検察への不信感を刷り込まれている。安倍総理のお友達の敵である彼女達を守らないよう圧力がかかると信じていておかしくない。隠蔽体質のコミュニティ日本の警察や司法制度を信用していない女性が集まっているのである。良からぬ事を考える男性にとってこれ程好条件の狩り場はないだろう。それが一番懸念されることである
怖そうな人を、「支持してます!支持してます!」と連呼してるだけの状態に見える
支持されているとされてる組織の全部が、自分に危害を加えそうな可能性のある組織じゃないか
「信頼できる」が最も高かったのは自衛隊で60%に上った。5割を超えたのは自衛隊のみで、次いで信頼度が高かったのは裁判所(47%)、警察(43%)、検察(39%)、教師(32%)の順で、司法・捜査当局への信頼が高かった。これらはいずれも「信頼できる」が「信頼できない」を上回った。
同じアンケートにヤクザが加わっても評価するが市内を上回るんじゃないのか
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40237230Q9A120C1905M00/
山口敬之の民事敗訴の件で刑事と違う結果になったがO.J.シンプソン事件とそっくりだ。
この事に混乱している人が見られるが、これは法の「仕様」上正常な動作なので少し説明したい。
まず、刑事事件で訴えられた者を「被告人」といい、民事事件では「被告」という。両者の混同も多い。
この刑事裁判では、被告人が有罪であると証明するのは全て検事(国)の責任だ。
更に「相当程度明らかに」まで証明しなきゃいけない。「どっちかというと有罪かな」という程度じゃ駄目なのだ。「こりゃほぼ間違いなく有罪だろ」ってぐらいじゃないと有罪にならないというのがルールなのである。
だから被告人としては検事の主張や事実の摘示に「疑いがある」程度まで崩せればいい。その場合は無罪判決となるというのがルールなのだ。
一方民事事件では請求(金払えとか広告掲載しろとか事実だと認定しろとか)にしろ、それへの被告の反駁にしろ、自分の利益、主張には自分方に証明責任がある。
相手方の主張に証拠を出して上手く説明できない場合は相手方の主張が通るのだ。
更に証明の程度は半分を超えていればいい。つまり「どっちかというと原/被告の方が正しいな」という程度で勝ち負けが決まるのである。つまり民事裁判は天秤掛けなのだ。
その為、自白の扱いも違う。
刑事では罪を認めた、警察検察が適示した犯行事実を認めた事が自白となる。
一方民事は「~~という主張がなされていますが認めますか?」と問われて「認めます(認諾という)」と答える事と、「主張を否認しなかった事」が自白となる。
認諾すると答える事も否認しない事も証明責任の放棄で同じ事だからだ。
刑事での黙秘は被告人の不利益にならないが、民事での黙秘は相手方の主張の全面的な認諾となるのである。
黙秘するって事は言いたくない可能性が高い。→「だからそれってやったって事だろ?」という推定をしてはいけないというのが黙秘権の権能の一つだ。
この黙秘により出来た「被告人の自白が無い」という穴を埋めるのも検事の責任だ。
またやっていないアリバイがある、止むを得なかったので情状酌量して欲しい、という主張まで放棄する事になる。
だからこの点まで黙秘してしまうのは被告人の不利益となるのは論を俟たない。
有名フットボールプレイヤーで俳優のO.J.シンプソンが恋人とその浮気相手を殺した事件でもOJは刑事で無罪になったが民事では殺人を認定され天文学的な賠償金支払を命じられる事になった。
・法廷で犯行現場に落ちていた手袋をOJの手にはめようとしたらきつくて入らなかった
すると「どうみてもOJが犯人だろ」という状況証拠しかなくなってしまう。この疑いが残る状態で有罪としてはいけないというのが法の精神なので無罪となったのである。
だが民事では「こいつヤッただろ」を覆すのも被告の責任であり、合理的疑いを生じさせただけじゃ駄目なのだ。
刑事と民事の証明責任の違いで、民事では天秤が傾いている方の勝ち、刑事では重い方が地面にぺったり付いてなくて少し浮いてゆらゆらさせれば被告人の勝ちなのである。
100kgの錘に対して101kgを用意して自分の手で天秤に持上げないといかんのが民事、0.5kgでちょっと浮かせりゃいいのが刑事だ。
この中間にある事例ではOJや山口敬之強姦事件の様な逆転が起こり得、それは法の仕様だ。
こうなっているのは無論刑事事件が国家vs.個人という特殊状態であり身柄の拘束もあり得、捜査能力も段違いだからである。
尚、国家vs.人でも行政訴訟は民事のルールに則っているので注意が必要だ。
また、刑事事件はニュースやドラマになりやすいが民事はそうではない。
その為司法に疎遠な人の間では刑事事件のモデルが想起されやすくアジェンダ化しやすいという特徴があり、はてなでもそれが顕著だ。
そもそも何故逮捕取りやめという介入があったかといえば、「証拠収集の放棄」の為だ。
日本の警察は自白偏重であり逮捕して自白調書をとろうとした。これを停止させれば決定的な証拠がなくなるから裁判所では有罪としにくいのである。
この為、無罪判決が出る可能性がある事件では起訴猶予とする事が一般的だ。
逮捕取止めはこれを狙ったものだ。本人自白調書が無い事件の公判維持は困難だ。こうする事で警察側から検察の行動を制御できる訳だ。
だがこれが昭和の検察ファッショを招いたと問題視したGHQは警察に一次捜査権を与えた。検察の管制からある程度独立で捜査する権能を警察に与え、検察の権能を限定化したのである。
それは汚職や検察ファッショを防御する為にそうしたのであり、こういう事をする為ではない。
起訴便宜主義と警察の一次捜査権の脆弱性を利用した悪質な制度ハックだ。
そしてこの事件で逮捕中止を命じた中村格氏は順調に出世して現在警察庁長官官房長であり年齢からしてまだ10年はキャリアの残りがある。
この事件は全世界でも報道されており、各国のメディアが注目しているのはこの政治的なスキャンダル性だ。
こういう有名事件のキーパーソンとして周知のトップの下で全国の警察官はこの先働くのだがどうすんのこれ?
・最高裁まで争うと安倍総理が任命した判事が居るから伊藤氏不利云々
最高裁が法廷を開く事件は限定されます。基本的に憲法判断が無いと審理しないと思ったほうがいい。
あと、人事権に注目した方がいい。
裁判所は内閣から人事権を独立させている。これは大変重要なことで、人事権を掌握されると無言の圧力で利害が誘導されるのです。
そして内閣人事局を設立しなきゃこの事件にしろ、内閣府の職員が公選法違反の有権者への飲食提供などに従事するなんて常識外れな行動も起こりえなかった。
だから裁判所の判断で「総理への忖度が~」とか言ってる人は人事権の問題を理解してないと思うよ。
因みに事件の事実が明らかでも不起訴となるケースは結構多い。特に強制わいせつと強姦では。
それはこれらでは謝罪と示談の成立があれば罪を課さない為に起訴猶予とする事が多いからで、このように被害者が争っているのに不起訴というのは異例というか相当に異常な事例と言って良い。
最後にマスコミへの不満なんだが、警察が空港で張っていた(そこへ逮捕中止の掛電)という事は、警察がTBSに聞き込みで社に発覚→TBSが降格人事で帰国命令→警察が帰国の日時を聞き出して逮捕状請求という流れがあったと見るのが自然だ。
なのにTBSはその事情を知っていたかをコメントしてないしマスコミも突っ込みいれて訊いていない。
更に山口敬之はTBS退社の理由を「韓国軍の慰安所取材のせい」と述べているのだが、実はこの退職理由を言う様になったのは夕刊フジがそのストーリーで韓国叩き記事を掲載した後なのだ。
「なんでそれ以前の説明と変ったのですか?」は意地悪な質問であろうがマスコミは訊いていない。
突っ込み力が足りないですよ。
自分は安倍や麻生や菅には一刻も早く議員辞職してほしい派だけど、野党のムーブ見てると外野から石投げたいだけにしか見えなくてうんざりする。
政権側には常識も通用しなくて開き直って逃げようとしてるので攻めづらく感じてるんだろうけど、そんなことはもうずっと前から分かってるんだから、桜の会で攻めるにしても検察が動いてくれやすいように事前に関係者の言質とっとくとか各方面に根回ししとくとか色々できることなかったのか?うなぎを素手で掴もうとして、うわぁぬるぬるだぁ逃げられちゃいそうですぅってやってるみたいにしか見えないわ。自分らが政権とるつもりないどころか、安倍政権を倒すつもりも算段もあんまりないんでしょ実際。外野のぬるま湯で満足してるようにしか見えない。
「アベとそのオトモダチの人格や行動が破綻してるからこんなことになったんだ!やつらを降ろすのが一番の解決だ!」みたいなノリでやってる限り応援できない。安倍派以外の人らが政権とったら同様の事態にならないなんていう保証は今のところ全くないよね?
せめて今後同様の不正が起きたとしても閣議決定とか意味不明答弁とかでごまかせないように、法律や制度を整備するところまで目指して動いてくれ。
検察の求刑の後で被告の最終陳述だから安心して「死刑判決でも控訴しない」って言い切ったんだろうから、死刑判決言い渡されて、後に引けなくてめちゃくちゃ後悔するか、プライド捨てて控訴するのか選ばせるために死刑判決にしてほしい…って言ったらダメかな…
いわゆる「2018年東海道新幹線車内殺傷事件」で、検察は被告に無期懲役を求刑した。世間の憤りは大きいわけだが、検察側は被告が若いこととその人格障害を考慮して、このような求刑となったらしい。
私とカミサンは死刑反対派である。こう言うと「何を甘っちょろいことを。テメエの親族や配偶者が殺されても同じこと言えるのか」とか言われそうなのだが、私とカミサンは、
と考えているだけのことである。率直に言うと「死刑などでは足らない」のだ。そして「悔いと苦しみを以て」償わせるためには社会的コストが発生してもやむなし、というわけだ。
とは言うものの、こういう事件、しかも「無期懲役狙い」なんて話を聞くとさすがにムカムカしてくるわけだが、こういうときにカミサンが決まって主張するのである。「だからさ、地雷除去刑だよ」と。
地雷除去刑とは何か。この刑に処された者に最低限の教育を施し、たとえばカンボジアやスーダンのような、地雷で人々が苦しんでいる地域に派遣し、厳重な管理の下、地雷除去に従事させる。当然、事故が発生するかもしれない。その際には万全の手当てを施し、治癒したところで現場に復帰させる。腕や脚を吹き飛ばされようが、極端な話、江戸川乱歩の『芋虫』のような状況に陥ったとしても、躄って動かさせ、口を使わせて除去に従事させる。そこから逃れさせない。
逃げ出そうとしたり、自殺だとばかりに地雷原に踏み込もうとする受刑者もいるだろう。しかし、対人地雷は人を殺さないように作られている。そして彼らに「引退」はない。万が一彼らが死に仰せたとしても、少なくともいくつかの地雷は除去できるのだ。人柱としては少しは役に立つだろう。
中には、覚悟を決めて、有能な地雷除去のプロフェッショナルになる者も現れるだろう。現地の人々から尊敬を受ける者も出てくるかもしれない。しかし、彼らが現場から解放されることはない。もし天寿を全うしたいなら、地雷を除去し続けて生き残るしか術はないのだ。それができるなら、受刑者をただ execute することよりも、その命の価値というものが活かされるだろう。受刑者も命の価値を思い知ることだろう。