はてなキーワード: 有色人種とは
ノルマントン号事件で白人の客だけが助けられ多数の日本人が死んだ
原爆が落ちた
個人的なことであるが、十代のときイタリア旅行で、混んでいるわけでもないレストランでメニュー表が来なかった
母と父は、居心地が悪そうな、傷ついたような顔をしていた
このような歴史や今も続く差別から、白人による日本人やアジア人描写には過敏になる
サウスパークのような作品は気にならないし、活躍させろというわけでもない
また、記号がステレオタイプとして扱われ(日本人の出っ歯と眼鏡とツリメ)、
多民族国家で明らかに白人が優位の世界に住んでいる有色人種はなお感じるのではないか
日本でも、一昔前だが、テレビでのオタク描写にネットユーザーが問題提起し、
当時の増田はどのような反応だったのか知らないが、オタクが多いことから称賛したのではないか?
自分のアイデンティティー、それも劣位となっているものに対しては、傷を与えることがある
おそらくジェンダーギャップ指数のことを言ってるんだと思うけど、あれは男女の対等・平等度を図る指数ではないし、暴力や治安とは特に関係ない指数。
それはともかく日本が未だに女性差別の傾向を有しているということはよく知られている。ただしそれは、「女性は常に、一方的に差別される側である」という意味ではない。
例えばアメリカは黒人差別の根強い国だが、ラップミュージック界隈では白人が差別されがち。
何にせよ、ジェンダーギャップ指数と女性専用車両の話はまるで関係ない。
避難場所を設ける考えには別に反対しないけど、避難場所を必要とする人/しない人の切り分け方として「(見かけの)性別」は雑すぎるでしょ。
避難場所を必要としているのはすべての女性?女性だけ?電車内での危険は痴漢だけ?
言い方は悪いけど、高齢の女性やひと目でわかる不美人は少なくとも痴漢被害のおそれはないよね。
男性でも女性っぽく見えたり単に小柄で長髪なだけで痴漢にあったりするよ。顔つきや服装などの要因で、絡まれやすい男というのも多いよ。
監視カメラで車両全体をくまなく監視するなり警備員を置くなりして、痴漢を恐れる人、チンピラやヒステリーおばさんを恐れる人、スリを恐れる人など、属性にかかわらず必要とする誰でもが入れる避難場所ならあり。
それで男にはろくすっぽ実害がない女性専用車両に
実害がないということは差別を正当化しない。「黒人が座れない席があるだけで、黒人をバスに乗せないとは言ってない」「手洗い場が白人用と有色人種用に別れてるだけ」は人種差別を正当化しない。
男性差別への抗議は女性差別を肯定するものでも、女性差別への文句を黙らせようとするものでもない。
俺はガキの頃から格闘技やってて、ブラジルとアメリカを行ったり来たりしてた
それはまぁ別として、アメリカとブラジルでは差別が全然別物だと感じた
アメリカではそもそも有色人種を人間扱いしないレベルの差別主義者がウヨウヨいる
表向きには差別反対と叫んでいても、絶対に恋人や家族になることを選ばない
肌の濃い人と白いカップルなんて腐るほどいる
けど、偏見はめちゃくちゃあって、黒人がたまってればなんか悪さしてるだろって感じで警官がワラワラ沸いてくる
んで、実際悪さしてることが多い(笑)
日本で言うところのヤンキーみたいな奴らの半分以上が黒人だからだ
正直、アメリカは差別に厳しい先進国面してるけど、実際は根っからの差別主義者だ
だから、差別反対を掲げてる奴らだからと言って、差別主義者じゃないなんてのは妄想
どう生きてるのかを見たほうがいい
そもそもアメリカという国は、ヨーロッパから移民してきた白人の人たちが作った国。
白人が社会のメインストリームになっている仕組みの国になっているので、そこに遅れて入ってきた黒人が下位になるのは当然。
独立戦争でその仕組みの基盤が作られ、南北戦争でその仕組みが更に強化されて今日に至っている。
白人側からすれば、血を吐くような思いで先人の白人たちがこの地に国を作ったのに、後から来た黒人や有色人種に我が物顔されるのは嫌だろうし。
日本だって同じことだよ。今の日本は天皇家を中心とした西日本の人達が作り上げた国。
西日本の人たちの心の中には「日本の中心は西日本であり、東日本や東北北海道は蝦夷の未開人であり、あいつらは日本人ではない」と思っている。
なんなのそりゃって、がっくりくるわ。
ポリティカルコネクトレスって、もともとは差別してる自覚も、差別に苦しむひとの声を聞く耳と理解しようとする姿勢のないひとたちにも分かりやすくと始まった目安じゃないのか?自分の記憶だとツイッターで映画ファンが映画の王道またはありがちパターン、こういうのって差別だよとイラストで連作したやつがネットのニュースで取り上げられていた辺りからだよね?
宝塚はまったくしらないので元増田にききたいんだが、宝塚に出てくる黒人というのは、皆馬鹿にされるためのポジションなのか?笑い者なのか?
黒塗りはNGとか単純じゃないし、申し出をする当事者はそんなワードにだけ反応するひとからしたら、きちがいじみた自問自答自責と自制を繰り返してもの申してると思うよ。
https://togetter.com/li/1148803
なんかこういうのがいるらしい
「設定変更が気に食わない」ってのは建前で、
実際は「女や有色人種が持ち上げられてるのが気に食わない、白人男至上主義に戻せ」が本音なんだろうね。
勿論今時そんな事やったら売れなくなるわけだが。
(オタクは「ポリコレなんざ気にするのはノイジーマイノリティ、大多数の人はそんな事気にしていない」と言いたがるが
ポリコレ重視作品の方が売れる、ってのは数値として出てる事実なわけで)
SWもそれっぽいけどね。
女や黒人やアジア人が全面に出て来るのが気に食わない、(スカイウォーカーという)白人一家の男がメインの話に戻せ、が本音なんだろう。
当たり前だが、ネタバレだらけだ。だが知ったことか。こんなクソ映画。
人生で一番のクソ映画だった。(いままでのナンバーワンはロボコップ3)
「ローグ・ワン」も「フォースの覚醒」も大した映画じゃないが頭には来なかった。
プロットホールは皆が話しているとおり。出て来る登場人物一人のこらずアホで感情移入を拒む。お約束を破りたいがためのめちゃくちゃな展開。
設定無視はフォースの新能力やイミフな爆撃機、一番ひどいのはハイパードライブ・アタック。あれがありなら今までの戦いはほとんど無意味になる。
だが、こんなものは平凡なクソ要素だ。べつにスクリーンを切り裂いて、なかったことにしたいほどのことじゃない。
一番頭に来たのは「差別構造」肯定だ。スター・ウォーズは世界観のなかで基本的に「人間」中心主義がある。共和国にもあったが帝国が勃興してよりそれが強固になったわけだ。だから帝国に基本的にエイリアンはいない。(例外が映画以外のメディアでいるのは知っている)
エイリアンと人間の差別、被差別関係は作品で何度も描かれる。そしてそれよりも下の被差別階級としてドロイド。この3つの種族関係はそれぞれの立場がきちんと映画で描かれ続けてきた。ジャージャーやイウォークの存在も「スター・ウォーズ」の必須の要素だった。
それが今回はじめてまったくないがしろにされている。もっともレジスタンス側で位の高いエイリアンであるアクバー提督を雑に殺し、その代わりに人間の紫おばさんをコネ抜擢する。老齢の身でありながらレジスタンスに身を捧げた大提督は人間とエイリアンの友愛の象徴だったはずなのに。
エイリアンに見えるファースト・オーダー最高指導者も、彼が受けてきた恥辱や野心もまったく描かれず、雑に殺される。
その他のエイリアンは背景に押しやられ、奴隷(または逆に低能な人間差別者)としてしか描かれない。ジェダイテンプルに仕えるエイリアン原住民を愚者のように描き、あまつさえルークはそれをあざ笑っているかのように描く。ポーグのような意識を持たない「かわいい」エイリアンしかクローズアップされない。この映画でエイリアンは全くの差別されて然るべき存在としか描かれないし、登場人物全員がそんなように行動する。(指導的なエイリアンは二体でてくるが実体として描かない狡猾さまで備えている)
ドロイドはそれにまして影が薄く、まったく雑な扱い。
この差別構造の肯定はもっとエスカレートする。有色人種と白人との分断まで肯定してくる。
黒人と白人は絶対くっつけないために、容姿の悪い愚鈍な黄色人種をわざわざ黒人主人公に割り当てる。
最後には白人女主人公と白人パイロットが出会うと今後の結びつきを予感させる、例の言葉を口にするのだ。
そしてラストシーンにはエイリアンに奴隷化された白人少年がフォースに目覚めるかのように描かれる。過去ジェダイ・ナイトとしてたくさんいたエイリアンではなく、新しいジェダイは白人少年なのだ。
馬鹿にしてんのか。別にエイリアンを主人公にしろとか有色人種を活躍させろっていってんじゃない。出すならちゃんと扱えよ。過去に敬意を払えよ。ルーカスはつたなくとも他者(エイリアン、ドロイド、有色人種)にたいして良い奴も悪いやつもいるし、バカも利口もいるように描いてきたぞ。
だから「スター」ウォーズだったんだ。主人公たちがエイリアンやドロイドに対して見せる豊かな感情に共感してきたんだ。
聖書に則ったテーマがあれば絶賛するクソ評論家の町山には心底失望した。こんな酷い、悪意の塊のような映画はまったく認めれらない。
白人の人間だけにクローズアップされた「スター」ウォーズなんてスカイウォーカーの血筋の物語の百倍クソだってわかんないのか。神話を民主化したというが、個人(家族)の話が人種の話にすり替わるほうが何倍も悪質なのがわかんないのか。
ヴィクトリアズシークレット(めんどいので以下VS)という有名下着ブランドがある。その有名モデルはとくに「エンジェル」と呼ばれていて、かのミランダ・カーさんもここのエンジェルとして有名になった。VSのモデルは、もともと白人だらけだった。白人の健康的で美しく、セクシーな女性を芸術的に飾り立てるブランドだった。有色人種モデルも中にはいたが、もちろんごく少数で脇役だった。なんというか、同じものだと飽きるのでたまにスパイスを入れることで引き立たせるみたいに使われていた。
VSは毎年恒例のファッションショーをやっていて、今年は上海で行われたのだが、これが本当にがっかりだった。人種多様性を軽視することが命取りになりかねない昨今アメリカでは、白人至上主義的な世界観はなりを潜め、モデルには黒人とアジア人が前より多く登場するようになった。私はこれが本当にショックで、VSは死んだと思った。もちろん間違っているのは私である。VSはアメリカの有名企業で、人種多様性を肯定する社会的な義務があるし、お客さんは白人だけではない。世間は、VSは「良い方向に」生まれ変わったと評価するだろう。おまけに、一流ファッション誌までが、人種多様性に加えて、昨今話題の「プラスサイズ」(大きなサイズ。ぽっちゃりサイズ)が盛り込まれたらもっとクールだよねみたいに言い出した。冗談じゃないとおもった。それはもうVSのショーではなく、ただの下着ショーだ。H&Mの下着ラインのショーとかそういうのでやればいいじゃないか。VSに来ないでほしい。VSという特殊な世界では、細くて背が高い女性だけを美とする空間でいいじゃないか!と。
私は間違っている。私は白人至上主義のVSが大好きだった。地上の楽園、夢のような世界で、憧れそのものだった。率直にいうと、黒人もアジア人もそこにはいてほしくない。美しくないしかわいくもないとおもう。恐ろしいほどの人種差別だ。私もアジア人で、しかも普段はリベラル思想に共感して、美の多様性を積極的に肯定しているのに。それなのに、VSが白人至上主義でなくなったことを心から嘆いている。本当に意味がわからないし混乱している。