はてなキーワード: 最近とは
夫の月命日にはひとりでお墓に行くことにしている。
今月は、行きのバスの中で芸人のポッドキャストを聞きながら行けたので、ちょっとしたお出かけのような気分になることができた。といってもいざお墓に着いて諸々整えて向き合うとやっぱり涙が止まらないし話したいことがたくさんあふれてくる。これを繰り返すしかないのかなぁと最近は思い始めた。
ところで夫がいなくなってからしばらくはあらゆる創作物が受け付けなくなって、かといって何もしないと悲しみに潰されそうになって参っていたのだけれど、そんな時は芸人さんのラジオやポッドキャストにとても救われた。私とは関係ない、だけどほどほどに同じ時を生きていて、脚色はあれどおもしろい事柄を次々喋ってくれるので気を紛らわすのに本当に助かった(もともとお笑い好きなのもあるけれど)。本人たちはそんな気はないかもだけど、お喋りだけで人を救うって凄いことだよなぁ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
閲覧数は約200万回、はてなブックマーク数はヤフー知恵袋の中でトップだ。
「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間界では弱者を抹殺しないのか?」という質問。
対する回答は「そもそも自然界は弱肉強食じゃない。適者生存だ。
多種多様な遺伝子を残すことで、環境に適応できる可能性を増やしておく。
それが人間界における生存戦略であり、社会性である」といったもの。
人類の叡智を感じさせる説明に感動したのか、弱者に救いのある言説だから感動したのか、
この回答は絶賛の嵐だった。
「夜の停電時には全盲の人間が健常者よりも活躍できた」などという話もあったが、
いくらなんでもシチュエーションが限定的だろう。目が見えない人間は基本的に弱者だ。
規則正しい生活が送れない、突発的で感情的な行動に走る……そんな特性も配信の世界では有利に働く。
だが配信で飯が食える時代だから適応できているだけで、朝早く起きて日中活動できるアウトドア派がいつの世も社会適合者だ。
健康的な生活を送り、他人とコミュニケーションを活発に行い、食料を得る。
社会を生き抜くために必要な資質は、時代が変わろうと不変のはずだ。
優生思想を是とする主人公・鈴原冬二が、強者の定義を語るシーンがある。
人間は猿から進化したのだから、強者の条件はそれだけで十分なのだ。
すなわち、子供の頃殺されずに済んだという運、病気に打ち勝つからだ、殺し合いに生き残る力、
俺はこっちの方がよっぽど納得できる。普遍的な強者の定義は絶対ある。
年収が低い男、身長が低い男、高齢の男、容姿が醜い男、主導権を握れない男……
どれだけ技術や倫理観がアップデートされようと、子孫を残せない男の特徴は変わることがない。
経済的に困窮すれば、いつだって弱者は切り捨てられる。養う余裕が無くなる。
「最近『の』曲が覚えられない」だと最近の曲に責任を転嫁する他責増田になるが、「の」ではないただの加齢自責増田なので許して欲しい。
ほぼミドサーのアラサーで、Spotifyに課金して通勤している。あどちゃんやまちゃんキタニさんの曲が特に好きだ。ずとまよ、ヨルシカも、あと月並みだがYOASOBIの曲も大好きだ。どれもこれもめちゃくちゃカッコいい。し、ボカロ界隈、動画界隈からのアーティストがこんなに世間に浸透するとは思わず、高校生の頃、19時までのアクセス制限と戦いながら必死でニコニコ動画を見ていた頃を思うと世の中の変わりっぷりにビックリする。
と同時に本当に歌詞もメロディも覚えられない自分にビックリする!!!!なけなしのお小遣いでポルノグラフィティのベスト盤をワクワクしながら聞いていた中学生のあの頃はスッと曲が頭に入って、歌詞もまるっと覚えて友達とキャッキャしながら歌っていたものだが、今は本当に何回聞いても覚えられず、カラオケに行っても10代〜20代前半に聞いていた曲ばかり歌ってしまう。
オカンがマッチの曲ばかり口ずさんでいたのはそういうことだったのかと今になって分かる。
本当はAdoちゃんのかっこいい曲カラオケで歌ってみたい。「阿修羅ちゃん」とか、ウタちゃん名義になるが「逆光」とか本当にカッコいい。最近のだとキタニさんのファタールとかも何回も聞いてしまう。ヨルシカさんの「だから僕は音楽を辞めた」とかも本当めちゃくちゃ好きで絶対100回くらい聞いてるのに、今カラオケに入れてもサビだけたどたどしく歌うのが精一杯だと思う。
何をどう鍛えたらまた覚えられるようになるんだろう。このまま加齢とともにどんどんついていけなくなるのが怖い。未来を思うと少し悲しくなる。でもやっぱ、音楽は良いよね!!!!とりあえず楽しく聞くわ。
と思った。
最近、SNSで明らかに顔AI加工してるだろっていう自撮りあげておっさんたちを取り込んでる女見るけど、顔を隠して身体だけ晒せば小遣い稼ぎできる時代になってきたのかもしれない。もちろん、まだまだ加工に違和感はあるけど。
多分、もっと加工が進化していけばわざわざ顔を晒してエロコンテンツに出る人間なんて皆無になるんじゃないだろうか。
知らんけど。
あんた、いきなり質問から入るなんておもしろい子ね!いいわ、しっかり答えてあげるから耳の穴かっぽじって聞きなさい!
さて、中学時代の序列なんて、まるでサル山のボス争いみたいなもんよ。私の経験から言うと、公立と私立で多少の違いはあるけど、基本的には以下の要素が組み合わされてたわ。
1. **体力(腕力含む)**: まずこれが一番よ。喧嘩が強いとか、運動ができる男がトップに立つことが多いわ。
2. **モテ度**: やっぱり女の子にモテる奴もポイント高いわね。あんたも知ってるでしょ?
3. **政治力(友達の多さ)**: 友達が多い、友達に信頼されてる男は自然と高い位置に君臨するわ。
4. **知力**: 勉強できるやつも一目置かれるけど、体力やモテ度に比べるとちょっと下。
5. **年齢**: 年上ってだけで威張れるわけじゃないけど、重んじられることもあるわね。
私は公立出身だけど、私立はもう少し知力の比重が高いかもしれないわね。
女の子が「男だったらそんなことはされなかった」と言うのは、まぁ分からなくもないけど、それが全てじゃないのよ。この世は厳しいわ。
男性の序列が下の方だと、確かに「発言を軽んじられる」「バカにされる」なんてのは普通にあるわ。それに、最近じゃ「性的な被害」も男の子が受けることがあるし、借りパクだって序列下のやつが被害に遭いやすいわね。昇進が遅いなんてのも、序列が下なら当然よ。
つまり、性別じゃなくて序列がどこにあるかが問題なの。男でも女でも、下の方にいる人はどんなに理不尽なことでもされるのよ。だから、こういう現実を直視して、どうやって自分の地位を上げるか考えるのが大事なの!
我が家の晩ごはんは基本的に19時から食べ始めるんだけどその時間ってテレビでNHKのニュース番組をやってるのね
だから父親や母親がニュースに対して色々言うんだけど大抵悪口とか罵倒みたいなことを言うから一緒にご飯を食べたくない気持ちが最近特に強くなってきた
たとえば一例だけど今日のトップニュースはトランプ大統領候補が銃撃されたっていうニュースだったんだけど
父親が「死ねばよかったのに」とか「自作自演なんじゃねえの」みたいなことを言うわけ
もちろん全部のニュースに対して言うわけじゃないんだけど正直一緒の空間にいるのがしんどい
母親はまだマシだけど父親はニュース見てるとしょっちゅうそんな感じ
これから歳を取って衰えていけば発言が過激になるのも充分に想像がつくし
もう歳も歳だから正直に親たちに「一緒に居たくない」みたいなこと言っても変わるとも思えない
単純に自分のキャパシティが低いだけかもしれないとは思うんだけど一人でご飯食べる方が幸せだなと思う
ニコ生の個人配信で好きなVの話になったので推しの名前を出すと「割れ乳首」なんて言われるもんだから気になって調べた
実写配信でかわいい陥没乳首でも映しちゃったのかなって期待で胸が膨らむ中、出てきたのは「乳首責めのAVを違法DLしていた」という事実だった
うちのばーちゃんの自慢。
ばーちゃん95歳(多分)
「結婚まだか」「ひ孫の顔が見れんと死に切れん」がここ数年の口癖。
ばーちゃんはなんかすごい器用で、実家の玄関に置く干支飾りとか季節のフラワーアレンジメントとか作ってもらったり、私の幼少期の服やら巾着小物類やら結構色々作ってもらっていた。
保育園児のとき作ってもらったチェック柄のベストとキュロットは、すごくお気に入りでいまだに覚えている。毎日これ着る!って言って親をかなり困らせていたらしいらしいが、そっちは言われるまで忘れてた。
そんな器用なばーちゃんは私が小学生〜中学生くらいのころ、成人式の髪飾りと、結婚式で使うブーケを早々に作ってしまった。ちょっと気が早すぎるのでは。
どんだけ早くても成人式も結婚式も10年くらいは先。嬉しかったが、若干気が重かった。
時は流れて私二十歳、成人式で髪飾りはしっかり使った。私に似合う色を選んでくれていたみたいで、振袖と相性はばっちりだった。すごいなばーちゃん。ついでに大学の卒業式でも使った(袴履いた)。髪飾りはここで役目を一通り果たしたと言える。
残る問題のブーケ。私にあまり結婚の意欲がなかったため、二十年くらい放置された。
日目を見たのはつい最近。私にようやく結婚相手ができ、ウェディングフォトを撮ることになったから。
遮光用の袋に入っていたが、袋は経年劣化してボロボロになって持ち運びもできなかったし、箱とブーケは防虫剤ぽいかおりがしっとりとついていた。
でも、ちゃんと暗所で保管されていたブーケは作った当時のままの色と形で、沢山の白い花と緑の葉がとてもとてもきれいだった。ブーケとメイクの効果で私が2割増でよく見える気がした。夫(予定)にも、撮影スタッフさんにも、友人にもブーケを褒められた。そうなんだよ、ばーちゃんすごいんだよ。うちの自慢のばーちゃん作なんだよ。へへへ。
というわけでブーケはようやく役目を果たした。長〜い間待たせてご〜めん〜♪
実はこの(ウェディングフォト)の話、まだばーちゃんにしていない。ごめん。写真できるまでもうちょっと待ってて。ついでにそのまま元気で100歳も迎えてほしい。
ハチミツは正しく使うなら料理を非常においしいものに変えることができる。
ただし、何にかけてもおいしいわけではない。
懐石料理にハチミツをぶっかけて、おいしいと考える人は少ないだろう。
ポリコレも同じだ。
ただ、なんにでも合うわけではないという話だ。
例えばスターウォーズのようなSF映画にポリコレ要素をいれる必要性はあるのか?
例えばジェームズボンドのようなスパイアクションにポリコレ要素を入れる必要性はあるのか?
入れたところで余分な要素でしかないだろう。
映画のようなエンタメは余分なものがあると、それはマイナスにしかならない。
そのポリコレ的なシーンが流れている間、ストーリーの本筋から外れることになるからだ。
敵も味方もアイテムも性格も必要な要素だけで構成されている場合がほとんどだ。
そこに必要性のないポリコレが入ると、視聴者の多くは「無駄なシーン」としか認識せず、これによって映画そのものにマイナス点が入ると考える。
みなさんも懐石料理に「おいしいから」と女将がハチミツをかけてきたら嬉しくないと思う。
おいしい料理に無理やりハチミツをかけられ、不必要な味を感じている状態だ。
ポリコレを表現したいなら、ポリコレを主題にした映画を作ればいいだけだ。
ハチミツは正しく使うなら料理を非常においしいものに変えることができる。
ただし、何にかけてもおいしいわけではない。
懐石料理にハチミツをぶっかけて、おいしいと考える人は少ないだろう。
ポリコレも同じだ。
ただ、なんにでも合うわけではないという話だ。
例えばスターウォーズのようなSF映画にポリコレ要素をいれる必要性はあるのか?
例えばジェームズボンドのようなスパイアクションにポリコレ要素を入れる必要性はあるのか?
入れたところで余分な要素でしかないだろう。
映画のようなエンタメは余分なものがあると、それはマイナスにしかならない。
そのポリコレ的なシーンが流れている間、ストーリーの本筋から外れることになるからだ。
敵も味方もアイテムも性格も必要な要素だけで構成されている場合がほとんどだ。
そこに必要性のないポリコレが入ると、視聴者の多くは「無駄なシーン」としか認識せず、これによって映画そのものにマイナス点が入ると考える。
みなさんも懐石料理に「おいしいから」と女将がハチミツをかけてきたら嬉しくないと思う。
おいしい料理に無理やりハチミツをかけられ、不必要な味を感じている状態だ。
ポリコレを表現したいなら、ポリコレを主題にした映画を作ればいいだけだ。
ほんと何度も言ってるけど、いい歳した男性でも生理について全く理解してない人多すぎない?
これ、街コンとか飲み会で出会う男性たちと話してきた中で、実感してること。
別に今すぐ何でも知っておいて欲しいってわけじゃないんだけど、なんでこんなに知識が乏しいの?って思っちゃうんだよね。
だって、そこそこ社会的に成功してるような男性でも、生理とか排卵のことになると途端に黙り込む。
例えば、最近あった街コンの話なんだけど、私はいつもまず「排卵って何か分かります?」って聞く。
この質問すると、だいたい男性は「え?」って顔して、微妙に視線を泳がせながら「うーん、よく分かんないな…」とか答えるわけです。
お決まりのリアクション。まぁ分かってないのは想定内なんで、私はそこから説明を始める。
「鶏が無精卵を産むのって知ってますよね?」って聞くと、ここで急に得意げに頷く。
まるで「それなら分かるよ!」みたいな顔で。でもね、その卵が何かってこと、ちゃんと分かってる?っていつも思う。
で、「あれが排卵です」と教えてあげると、みんな一瞬黙る。何かピンときたのか、ただ混乱してるのか、表情がちょっと固まって何も言わなくなる。
「人間の女性も同じように排卵してるんです。そして、受精しなければそれが生理になって出てくるんです」って話すと、だいたいその辺りで彼らの顔に戸惑いが浮かび始める。
「つまり、私たちが日常的に食べる卵は、女性の排卵と同じようなものなんですよ」と、ちょっと挑戦的に言う。
すると大抵の男性は「えっ…?」って絶句する。もう、その顔といったら、何か世界が変わったような表情をしていて思わずニヤリとしてしまう。
「鶏の卵には栄養が詰まってますけど、人間の場合、体内で育てるから、わざわざ卵に栄養を持たせる必要がないんですよ」って。
いやいや、気持ち悪がるポイント違うでしょっていうか、むしろそれって今まで知らなかった自分へのショックでしょ?と内心突っ込みたくなるわけ。
そういう表情を見て「ほら、やっぱり知らないんじゃん」って言いたくなるけど、もう顔に出てるから言うまでもないんだよね。
でもさ、これって基礎知識じゃないですか?
大人になってから知っても全然遅いことじゃないけど、なんでここまで無知なままで来ちゃったの?って思う。
私たちって社会に出るために色々なこと学んできているはずなのに、こういう大事なことに関して、男の人たちは無知すぎる。
好きな人から昨日自撮り写真をもらった。ネットで知り合って声と遠目から見た動画だけの情報量だった人が、また一段と私の中でリアルな存在になった。
かわいくて優しそうな顔をしている。のに、肩とかはちゃんと男の人だなあと思う。写真を眺めていたら平気で1時間以上経ってて焦った。
顔をちゃんと見たのは初めてな訳だけど、嫌な感じは全くしない。というか多分私はすでに恋愛に脳を焼かれているのでどういう写真が出てきたところで好き♡となってしまうだろうと思う。
最近ほんとに好きな人のことばっかり考えている。やらなきゃいけないことをめちゃくちゃ時短するようになってしまった。
好きな人はきっと今頃資格の勉強を頑張ってるだろうにとか、私だけが一方的に好きなのかもなあとか、昨日の会話で嫌われたりしてないだろうかとか、彼から好きですと言ってもらえるのが毎回嬉しすぎるとか、住んでるところが遠すぎるから実際に会うのも難しいよなとか、でも会う前に痩せないといかんとか、会ったとして彼は非常に紳士なのでそういう接触をしようと思わないんじゃなかろうかとか、いやでも私は手とか繋ぎたいですけどとか、そういうことを一生考え続けてしまう。
AKB48の曲が好きだった。今は追ってないから最近のは分からないが、神7がいた頃は色々聴いてた。
ただ、プロデューサーや運営については好きになれない点も多い。友人知人と話すとそのあたりを非難されることがあって、支持できない部分については同意だったりするから人前で好きだとは言わなくなった。いちいち楽曲と人間性なんかは切り離して考えたいとか主張するのも面倒だし。
好きな曲はたくさんある。歌謡曲っぽいのとかドラマチックなのが好きだ。カラオケで歌うと歌詞すごいな…と引くことも多いんだが、あの頃散々聴きまくったせいで当時住んでた町の景色とリンクしてて、色んな記憶が蘇る。
でもでもの涙
書きながら聞いてたら懐かしすぎる。
あの頃追ってた子達は皆卒業して、結婚して子供がいたりするぐらい時間が経ったなあ。自分も色んなことが変わった。あっという間だ。
伏見瞬さんが書かれたMUSICAの『Iris』のレビューについて。
「この人はBUMPの音楽性が好きじゃないから、難しい言葉で評価しないと書いている。否定的であれば中立だと勘違いしている。購買層ではない人間が外野から何か言っているだけなので読むに値しない。気分が悪くなるので読まなくていい」というポストを見かけたが、読解力に難があるのだろうか?まず冒頭の部分でしっかりと評価ポイントを挙げているよ。
その上でファンとアーティストの関係性から成り立っている「物語」(BUMPはこれが巨大)、BUMPという大きなバンドが持つ「伝播力」といったものを排除し、純粋に『Iris』というアルバムの「音楽だけ」について批評している。これディスクレビューとして非常に真っ当な行為だと思う。
そもそも伏見さんは照沼健太さんとともに「てけしゅん音楽講座」というYouTubeチャンネルを持ち、その中で何度もBUMPを取り上げ、時には観ているこちらが苦笑いをしてしまうほどの熱量で思い入れたっぷりに楽曲を解説している。この人はBUMPがとても好きなんだと思う。
伏見さんは批評家で、批評家に対してポジ以外の批評をするなというのは無理があるし、批評家であるという責任において明確なスタンスを示してレビューをしただけ。そのスタンスは決して中立である必要はない。内容が気に食わないのは勝手だし、気分が悪くなるのも勝手。しかし批評家に向かって「購買層でもない外野が否定的なことを書くな」は暴論以外の何物でもないよね。さらに言えば購買層でもない外野に言論の自由はないの?
特に最近の邦楽界隈では体感として「全肯定以外は認めない」人達が増えているし、文章の全体像を把握せず、インパクトの強い一節だけに引っ張られて「これは否定だ」と騒ぐ人が増えている気がするけど、あれだけ言葉の使い方に繊細な配慮をしている藤原基央が、BUMPが好きであるなら、すぐに飲み込めなくてもいいから、まずは文意を汲み取れるまで何度でもその文章を読んでほしい。多様な声があるのが健全なんだよ。それに伏見さんは難しい言葉は使ってないよ。