はてなキーワード: 反吐とは
お前こそ、偉そうに新人に教える前に、小学校から分数と比を勉強し直してこい。いってることが論理的に出鱈目ずぎて反吐が出る。
はてな匿名ダイアリーやツイッターでよく目にする「吐き気がする」という表現。
「反吐が出る」とかと同じで強い不快感の比喩なのだろうと思ってたんだけど、もしかしてリアルに吐き気をもよおしている? たとえ比喩であっても「吐き気がする」っていう表現は汚らしいし下品だしちょっとどうかなと思ってるんだけども、
https://anond.hatelabo.jp/20170926070754
「オエッってなる」はさすがに本当にえずいてるよねこれ……小さい「つ」がダブッてるくらいだし……。
だとするとネットで頻繁に目にする「吐き気がする」人たちも、本当に吐きそうになってる?もしかして。
日常生活でえずくってけっこうな体調不良ですよ。俺、前回「医学的な意味での吐き気」をもよおしたの、いつだか思い出せないくらいだもん。
上の人の場合だと「新人のコ」とか「営業のコ」とか聞くたびにオエッってなってるわけでしょ。
それ病気じゃないですか?
俺が隣の席の同僚だったら「大丈夫?気分悪かったら帰りなよ?」って言うレベル。だって隣のやつが今にも吐きそうになってたらオチオチ仕事してらんないもん。ビニール袋何枚か握らせて家に帰しますよ。
だってふつう、「新人のコ」とか「営業のコ」とか聞くたびにオエッってはなりませんよ。さすがに。
「新人のコ」とか「営業のコ」でオエッってなるんだったら、世の中もっと気分の悪いことは毎日たくさんあるだろうから、そのつど実際に出してるんですかね。まあ、嘔吐ということになりますけれども。
昔のアニメはもっとこう『ロボが戦う熱血物』とか『パンチラと声優に一点特価のオナネタアニメ』とかわかり易かった。
最近のは分かりにくいよ。
どういう層にどう楽しんでもらいたいのかがキービジュやPVだけじゃ分からん。
スタッフも作品によって作風をコロコロ変えるから、「AさんとBさんとCさんがいるからこのアニメはこういうタイプ」って予測が立たなくなってきた。
これって全部1話を見ろってことか?
無理だよ。
プロの花田先生ですら血反吐を吐きながら何とか見終えたこれは苦行だアニヲタ怖いと言ってたんだぜ。
それなのにトーシロが新しく始まったアニメを全部チェックとか無理だよ。
気になったアニメだけ見ろと言うなら二期以外は全部気になるよ。
ほとんど真っ黒なカプセルに入ったガチャガチャみたいなもんさ。
開けてみないと中身なんてよく分からないんだ。
そりゃ中身が気になるさ。
でももうちょっと外から見てどういう作品なのか分かりやすくても良くないか。
強いていうならホモがホモホモするアニメの一部だけは、そういう作品だって一目で分かる。
他のもあれぐらい分かりやすく頼むよ。
私は家庭に失敗し離婚した人なので、映画の家庭の荒廃が心に迫りました。
旦那と息子は枯れた木を植え、その成長を願う。妻は他所のいい男に、旦那の不満をぶちまけ、女としての姿を見せる。旦那はそれを見て絶望する。旦那は終わりゆく世界に聖母マリアへの信心こそが自分を救うと考え、その世界に入って行く。全てできることをした旦那は、いままで築き上げたものを焼き尽くし、気がおかしくなった人として病院に連れていかれる。そして息子は言葉を取り戻し世界が始まって行く。
うーん、私の人生と全く同じだと思いました。私は息子と一緒に育たない木を育てようとがんばった。でも妻は私をいつもなじり、要求し、浮気をした。私は徐々に狂気に囚われ宗教の道に入った。そこでは救いがあった。しかしその後に離婚した。息子からは離れてしまい月一回の面会交流をしているが、面会ということ自体が何か私と息子の間に大きな壁を作った。私はおかしくなってなどいないのに、私を取り巻く世界は最愛の息子と私を切り離そうとする。私の犠牲は息子と会えなくなることだった。そしてその犠牲を払った後に、息子はパパと一緒に住みたいよ、次はいつ会えるのと聞いた。私はいつからか生きる意味が息子のためであったのに、その息子と離された。私の犠牲で息子は何を得たのだろう。私の犠牲で息子が苦しむことになったのか、それとも崩壊した苦しみの家庭を見せつけずに済んだことがせめてもの救いなのか分からない。私がよかれと思って耕した家庭という庭は、映画と同じように自然からかけ離れ、反吐を吐きたくなるような現実を生んだ。実際に家庭問題が行き詰まって吐いたこともある。それら全ての拘りをマリアの元に連れていき、思っていた人生を焼き捨てた。
年収100万円「52歳ゲイ男性」の深すぎる苦悩(http://toyokeizai.net/articles/-/185474)のコメント欄で
ゲイの社会的弱者は生きていく上でストレートよりも何重もの苦しみを味わってるんだよ
ストレートからゲイってだけで気持ち悪がられて差別されるだけでなく、同じゲイからも存在を否定される
LGBT運動をしてるゲイリブ達はヒエラルキー上位に君臨するエリート層だからね
ゲイとして生まれたのにアイデンティティを確立出来ないって相当苦しいと思う
奴等は多様性ってよく言うけどその多様性の中ににゲイの社会的弱者は入っていない
こういう勝ち組共が差別ガーって叫んで弱者を騙って権利を貪るとか本当に反吐が出る
そんなんは前提なんだよばかやろう
ここまではネタだすまん
おまえは当たり前のこと言ってるだけだが意外に理解されてない感じがするな
すべての倫理的な正当性ってのは、なにかを盲目的に真としなければつくれなくて、
お前の言う通り「実在する人」「自分から観測できる人」などの環境、
これらをふまえつつパワーゲームを行った結果、
「差別はいいけど区別は必要」とか言ってるやつを見ると反吐がでる。
(いや、それはそうなんだけどよく考えもしないでフレーズだけ言ってるやつも多い)
そこに境界なんてもんはない。
あるグループにはそこに属する者の帰属意識や連帯感が必ず生じるし、
「こうするべき」みたいに大上段に言ってるやつは
学がないことを露呈していて恥ずかしい。
存在しないけど、存在するかもしれない身長1mmの人間とかに配慮しなくていい理由。
そこに明確なものはなくて、結局のところ、そのグループがどの程度の勢力か、
それぞれがどんな心象ももつか、
そんな曖昧なことで決定される。
実のところパワーゲームなので、
声をあげたほうが強くなる。
でもな、
増田(いや、よくしらんが)やオレのような、
変化をもたらせないないんだよ。
変えていくのは、盲目的に主張するアホ共だ。
(変革者の全員がそうだって話じゃなくて、変化の大部分はそういう人間によって
つくられている)
# まぁ結局、日本の教育自体が何か絶対的な正しさがあるような前提で
# つくられている(「こうすべき」を押し付ける)傾向が強いから
# ってところが大きいと思っているので、個の責任ではないんだろうけど。
程度によることは、よーくわかってるのだけど、
聞いてみたい。
片付けられないオンナが、片付けられるようになるんでしょうか。
元々、片付けが得意ではない。
先日、久しぶりに会った女性の友人から「実は少し前にADHDの診断をうけて、コンサータを飲んでいる。効いてる」という体験談を聞いて、私も処方してもらった方がいいのかな、と、初めて思えた。
とっくに診断がおりている我が息子2号への対応を学ぶ中で、どう考えたって私も特性持ちだよねーと自覚しながらも、息子2号含め、私も薬に頼ることまでは考えずにすでに約5年が経過している。
息子は、いい状態だと思う。
落ち着いて学校に通えている。
対して私は、もう、この5年ほど、
何もかもが空回りしている。ような、気がする。
子ども達の色々で、本当に疲れてるんだろうなぁ、とは思う。
子ども2人のうちの1人、息子2号だけでも、
カウンセリングの予約、児童放課後デイの利用や、それに伴う様々な手続き。
そこに来て、仕事部屋を共有している夫から「(この部屋に)反吐がでる。殺意覚えるわ」とまで言わせてしまった。
「レベルわけせず、全部一気にシュレッダーかけてもいいの?」とも。
夫婦で共有している20畳ほどのスペースは、仕事の資料がかなりあり8割が私の所有物。
基本、物質に全く未練がない夫からは、私の片付けられなさに対して、とっくに限界を超えているのは分かってる。んだけど、後回しにしてきた(出来ていた)のは、どこかで「まだ大丈夫」だと、どこかで思っていたからだろう。
ついつい、目の前の急ぎの仕事に手をつけてしまう。の繰り返し。
さすがにあれだけ言わせてしまって、これは最終通告、だと。
マズい。
と思いつつ、なかなか体は動かない。
ハッキリいって、逃げている。それはよく自分でもわかっている……。
ので、気合いを入れるためだけ、という動機で初めて増田に書いてみました。
「こんなに楽になるんだったら、さっさと処方してもらったら良かった!」になるのか、
はたまた、合わなくてすぐ手を引く事になるのか。
試す価値はあるんだろうな、とやっと思えたので、自分のためというより、夫のために、一歩踏み出してみます。
まだ私自身がカウンセリングも何も受けてない状態なんですけど、
こういう時に増田は便利だね。
さぁ、初診の予約を入れて、
どこかで「絵描きにとって絵は衝動であり、描かざるを得ないものだ」みたいな言説をみた。
そうだろうか?
俺は下手なりにもう10年位絵を描いてるし、将来にわたって昇給が望めないことが確定し、
スキルの低さから転職もままならないことから、デッサン教室に通い始め、1日最低1枚デッサンをし、真剣に絵を勉強し始めている。
金の為に同人イナゴを目指すつもりだ。今はやってないが、ある程度見切り発車で流行りのソシャゲも課金しない範囲でやっていこうと思う。
で最初の話に戻る。
絵は衝動か?
俺はこの問に真っ向から否と答える。
俺は絵が大っ嫌いだ。話の構成や設定を考えるのは好きだが、こと絵を描くと言う行為に関しては死ぬ程嫌いだ。
正確には嫌いになったと言う方が正しいか。我流で10年やってきて何一つ成長せず、デッサン教室では初回は苦笑された。
上手い絵、認められる絵とは常に俺のはるか遠くにあって決して手の届かないものだった。だから俺は絵が大っ嫌いだ。
だが結局、俺が続けられてきたのも絵だけなのだ。
プログラムもウェブコーディングもブログも小説もアフィブログもやったが何一つ続けられなかった。
絵だけが、いつも近くしかし決して手の届かないところで、俺をあざ笑っているのだ。
俺は絵が憎い。反吐が出る程嫌いだ。