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2022-01-09

anond:20220109171602

被害者立場になって考えたら死んでもそんなこと言えないよ。

例えば、ほぼ動物同然の不良少年家族を殺されたとしたら、無垢少年から、、なんて言っていられる???

トラにも責任はあるし、相応の刑罰必要だよ。

2022-01-03

anond:20220103231040

横だが、元増田の前提がそもそもおかしい。

死刑に反対する人は死刑人為的かつ重い懲罰として適切かどうかを争っているわけで、車による事故死は故意や過失はあれど基本的には偶発的なものだ。両方とも結果だけが似ているけど仮定現象が違いすぎて比べようがない。前者は完全な人為的法律に則った刑罰後者法律違反などの複数の要因が絡む事故事件

2021-12-31

anond:20211231023543

谷本は青葉に憧れていて、新聞スクラップして、報道された事実をかき集めてテロに生かしたんだよ

表現悪用される

仕事経験で知ってる人、簡単に思いつける発想力ある人、は情報が無くても理解計画が立てれるかもしれないが

具体的に丁寧に教わらなければ、具体的なやり方どころか、そういう事が可能なんだという発想ができない人も大勢いるの

親不在の住宅児童への性犯罪具体的なやり方を教える事

分かりやすイラストを使い、そのまま犯罪に流用できそうな情報やこんなことが可能ですよというプレゼンをした

刑罰対象となるかはともかくとして犯罪支援する行為で間違っていない

2021-12-28

日本司法制度は、法曹負担を減らすことと、民衆弾圧のためにはクソ上手くできている

1)弾圧相手加害者として犯罪に巻きこんで刑罰を与える

2)弾圧相手被害を与え、立証責任負担を与え、さらにその証拠採用却下する

3)司法職員が訴えられたら内閣に頼んで処罰逃れ人事を講じてもらう

anond:20211228123035

まりさなければどれだけ恐ろしいことしても死刑にはならないということか

いや、表の上3つ、つまり内乱外患誘致・外患援助については、人を殺さなくても死刑になることがある。

罪名求刑
内乱死刑又は無期禁錮(首謀者のみ)
外患誘致死刑未遂罪も含む)
外患援助罪死刑又は無期若しくは2年以上の懲役

特に外患誘致罪の「求刑死刑のみ」+「未遂罪も罰する」という規定は、現行刑法で最も重い刑罰とされている。外患誘致罪に問われ有罪となった場合は、裁判所による刑の裁量余地がなく、必ず死刑になる(これを絶対法定刑という。ただし法廷による減軽可能だそうだ)。これは日本刑法の中でも極めて例外的規定になっている。

死刑制度について思うこと

日本刑法刑罰として死刑が課されているのは以下だ(刑法以外での死刑も少しあるが割愛)。

罪名刑法保護法益
内乱77条国家対内的存立
外患誘致81条国家対外的存立
外患援助82条国家対外的存立
現住建造物放火(致死の結果を生じた場合108条不特定又は多数の者の生命身体及び財産
激発物破裂(致死の結果を生じた場合117条公共安全、人の生命
現住建造物等浸害(致死の結果を生じた場合119条公共安全、人の生命
汽車転覆等致死126条交通安全、人の生命
水道毒物等混入致死146条公共安全、人の生命
殺人199条人の生命
強盗致死・強盗殺人故意殺の場合240条人の生命身体
強盗強制性行等及び同致死241条人の生命身体


人の生命は、刑法における個人的保護法益のうち最重要法益で、国家法益国家の存立)と同じぐらい重視されている。しかし、死刑はその「人の生命」を奪う刑罰である。「人を殺したら、その犯人を殺す」という報復原理(同害復讐原理)は一見わかりやすいが、そもそも刑法が「人の生命」を至上の保護法益としていることとは矛盾した関係にある。死刑は、すでに有罪判決を受け、拘置所収監され、これ以上他者生命危険さら懸念がなくなっている人間から刑法自体が最大限に尊重保護しようとしているはずの人の生命を奪う刑だからだ。

これは憲法36条(公務員による拷問や残虐刑禁止)に反しており違憲であるという観点から1948年死刑制度合憲判決事件において最高裁法廷違憲審査がなされたこともある。当時の判決文は次の通りだ。

生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…憲法十三条においては、すべて国民個人として尊重せられ、生命に対する国民権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している。しかし、同時に…もし、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民権利といえども、立法制限ないし剥奪されることを当然予想しているといわねばならぬ。そしてさら憲法第三十一条によれば、国民個人生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性は承認されている。



「全地球より重い価値がある、尊貴なもの」を奪う刑罰が、「社会公共の福祉のために」正当化される。こういうインチキくさいレトリックは、この後も死刑肯定論の随所に顔を覗かせる。こういうインチキで辻褄を合わせざるを得なくなってしまうのは、結局は「人の生命」が個人的法益として最大限に尊重保護されるべき尊い権利なのか、国家従属する劣位の法益なのかが、刑法条文の自己矛盾によって曖昧になってしまっているからだ。

(いっそ死刑を存続する国家は「国家には生殺与奪権がある。国家の円滑な運営社会秩序の維持のために、国家施政権の及ぶ範囲に住む国民住民生命を恣(ほしいまま)にしてよい」と明言したほうがいいと思う。そのほうがずっとわかりやすいし、現実に即してると思う)

死刑制度を存置する国家では、「個人他者生命を奪うこと」と「国家他者生命を奪うこと」の倫理的な違いはぼんやりしたものになり、逆に両者の権力執行力の違いが決定的な差として立ち上がってくる。国家というシステムは、国民住民に対して法的な権力執行力を持っているから、人を殺すことができる。個々の国民住民は、国家権力執行力に従属しているから、人を殺して捕まったら国家に殺される(こともある)。このような制度は、「人を殺すこと」の意味と是非を、価値ではなく制度問題倫理ではなく力の問題還元する。

死刑制度を存置する国家では、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにきちんと答えることができない。「国が『人を殺すな、殺したらお前を殺すぞ』と決めているからだよ」「人を殺して捕まったら自分死ぬから損だよ」という風に権力関係因果関係を説くことはできても、それは「人を殺してはいけない」というモラル根拠にはならないし、むしろ一定の条件では人を殺すことが許される」ことを追認してしまうからだ。

死刑制度廃止(または執行停止)しない国家に住み、その現状を受け入れている自分は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子どもの問いかけに「人を殺すと殺されるから」という損得勘定以外の答を返すことができない。それが嫌なこともあって、自分死刑廃止すべきだと思ってる。

2021-12-27

死刑存置派の考え:no.02

 死刑存置派としての考えを書き残すメモ

 前回の分はこちら。anond:20211225174826

《2.死刑反対派に対する、死刑存置から反駁

と題して、死刑反対派の反対理由として想定される考え方を簡単な形で挙げて、それに対して私の反論を述べることにする。

 〈反対理由その1〉:冤罪可能性があるので、死刑には反対する。

 〈反論その1〉:それは「医療過誤可能性があるので、ガンの外科的な切除手術は廃止すべきである」と言っているようなものである。目指すべきことは、外科的切除の廃止ではなく、ガンであるか否かを間違えるような誤診断の発生を無くす/減らすことである

 誤診断が存在する可能性をゼロにはできないが、だからといって外科的なガン切除技術価値ゼロになるものではない。それと同じことで、冤罪の発生する可能性が有ろうと、死刑の存置を選択肢に入れることには合理性がある。

 〈反対理由その2〉:冤罪による死刑は取り返しがつかない。

 〈反論その2〉:死刑以外の懲役刑などであれば、冤罪であっても取り返しがつくのだろうか?そんなことはない。

 かつて、強姦の罪で服役した人物冤罪が判明した(実は、被害が虚偽申告による全くのデッチ上げであったことを、後に"被害者(を騙っていた女性)"が自供した)という事例があった。強姦の罪で服役した人物は、懲戒解雇仕事を失い、妻から離婚された。さて、この冤罪被害者のことを「生きているので、損害を取り戻すことは可能である」と言えるだろうか?答えは否である

 ならば「取り返しがつかないから、懲役刑は無くすべき/反対するべきである」と、あなたは言うだろうか?おそらく言わないだろうと思う。

 仮に冤罪の虞を理由にするならば、死刑だけではなく、懲役刑罰金刑など全ての刑罰廃止を主張しなければ辻褄が合わないであろう。

 ー ここから補足(a) ー

 死刑反対派の中には「国家による殺人である死刑は、取り返しがつかないものであるが、個人による殺人は、取り返しがつく」と考えている人たちが存在するように外部からは見える。しかし、その考え方は、非・死刑反対派の目から見ると、論理性を欠くように感じられる。上でも述べたとおり、死刑以外の刑罰も、取り返しはつかないかである

 おそらく、死刑反対派は次のように2つの派閥に分かれるだろう。

A.同次元派:「死刑国家による殺人である。同じ殺人なのだから死刑には反対である」と考える人

B.別次元派:「『個人による殺人』と『国家による殺人(死刑)』は次元が異なる。異なる次元であるが故に、死刑には反対である」と考える人

 「死刑は取り返しがつかない」と言う人たちは、おそらく別次元派であろう。取り返しがつかないことは反対理由にならないというのは、私から反論として上に述べたとおりである

 「殺人の取り返しはつく」と考える人は、おそらく同次元派であろう。同次元派に対する反論は、また別に述べることにする。

 ー ここまで補足(a) ー

 本稿はここまでにする。次回の投稿も引き続き、死刑反対派の考えに対する反駁を述べる予定である

死刑存廃議論で存置派に受け入れられた死刑廃止論

今まで何度か現実死刑存廃の議論したことあるけど一番受け入れられたのがこれだった

凶悪犯罪に対して、懲役刑では軽すぎる。そこから死刑やむ無しとなるひとが多いのだけれど、実際死刑でも刑罰は軽すぎる

目には目をで考えるなら、凶悪犯罪に対する死刑は、目には爪をぐらいの話で全然成立してない

それなら現行法のなかで運用されてる刑罰懲罰アレンジして妥当な罰を与える続けるしかない

例えば、こんな感じ

無期懲役を完全な終身刑にして、今も運用されてる座らされて壁一点を見つめ続けるという罰を生涯かす

身体的だけでなく、一日の大半を精神的にも監獄に入ってもらう

いわば、一生反省させ続ける刑

これが、一番死刑存置派に受け入れられる廃止論だった

廃止論者の意見ほとんど被害者蔑ろにしてることに無自覚から受け入れられないんだよ

シンプルに攻め方が馬鹿なんだよ

人権派をもち出したら被害者人権はどうなると反発来るに決まってるだろ

その他の意見も反発招くものばかり

2021-12-25

俺が死刑廃止に反対する理由

俺は被害者やその遺族が加害者報復を望むことは人が"尊厳"を持って生きるために当然保証されるべき"人権"だと考えているから、死刑廃止には大反対なのよね。

たぶん現代の法理念からはズレた考えなのだろうなとは自覚いるけど。

もちろん私刑による報復は(子供喧嘩とかでは済まないレベルでは)駄目だ。

ただそれは、俺達社会構成員報復権利国家委譲しているからであって、委譲された側の国家刑罰という形で妥当なだけの罰を加害者に与えるのは義務だと思う。

から死をもって償うのが妥当なだけの罪を犯した者には、国家死刑を与えるべきであり、その義務国家放棄することは『国家による被害者に対する人権蹂躙』と言うべきだろう。

死刑廃止するのならば冗談ではなくを復活させでもしないと帳尻が取れないと思っているよ。

あれはあれで当時の武士や藩体制理屈なんかに基づいているからそのまま現代に持ってくることはできないけど。

加害者にも事情がとかいう話は分からなくはないけど、被害者尊厳より優先する理由にはならないと思う。

完璧でない国家や人に命を扱わせることへの不信っていうのは一理あるとも思うけど、まあそれを言い出したらキリがないモノで、こういうのをどこまで国家に許すかっていうのは線引きや程度の問題として国民が決めるものだと思うし、現状、8割くらいの人が死刑を許容=国家刑罰を行うことを許容している以上、それが廃止理由として十分なモノだとも思えないんだよなぁ。

思考実験正義の天秤はどちらに傾く?

罪には罰が与えられる 

犯罪には刑罰が与えられる

自分の心なかにある正義の天秤に、罪と罰をのせて見よう

さてどうなる?

例1

貧しいホームレスがひと切れのパンを盗むという罪を犯した。権力者はそのホームレス終身刑を言い渡した。

さて、あなた正義の天秤はどちらに傾くでしょうか?

答え

飢えたホームレス窃盗終身刑は罰が重すぎる

人はこの不釣り合いに対してとてつもない不正義を感じます。この均衡を取ろうとするのが人の正義感と言えるかもしれません

では、次

本題

強盗目的で民家に侵入した男は一家の先ず娘を強姦、その娘を巻き込むためその弟を殺すよう命じます。娘が拒否すると目の前で弟を刺殺。帰宅した家族も次々と刺殺。両親、祖父母も含め合計5人を殺害しました。この加害者には、終身刑が言い渡されました。

さて、あなた正義の天秤は、どちらに傾きましたか

私が死刑やむ無しと考える理由は、終身刑では罰が軽すぎると感じるからです

皆さんはどうなりましたか

(例はあくま仮定です)

死刑存置派の考え:no.01

 死刑存置派として、個人的な考えを書き記して残すことにした。これを書くのは「死刑廃止派って何がきっかけでそうなるの?」と題する増田を読んだのが切っ掛けである

 あくまでも現時点で死刑存置派なのであって、私が未来永劫、死刑反対派にならないとは限らない。

 私は人文・社会科学を修めていない人間なので、専門知識がある人から見れば、私が述べることには愚かなところが多々見つかるであろう。しかし、死刑について広く社会的議論が行われるべきであるとするならば、私のような市井愚か者一人の考えをサンプルとして書き残して提出しておくことにも、何らかの意義はあるであろう。

 「馬鹿の考え、休むに似たり」とも言うが「お前が考える程度のことは、既に先人が考え尽くし、議論し尽くしている」と、学習すべき資料などを御教示してもらえれば幸いである。

 最初は箇条書きのメモ程度にするつもりだったのだが、書いているうちに思ったよりも長くなったので、分割して投稿する。

 本稿では、犯罪死刑に関連した考え、人間観とか世界観とでも呼ぶべきことについて記す。

ーーーーーーーー

《1.犯罪死刑に対する私の捉え方・解釈位置付け》

 人間は「社会という大きな有機体構成する細胞である

 細胞というものは、ある程度の自立性は有るものの、基本的には有機体の一部としてしか生きていく術はない。そのため、細胞同士が連携して、有機体全体の存続を図ることには価値がある。

 犯罪とは「社会という有機体の内部で発生する、病理現象である社会という有機体存在無しには、犯罪という現象は起こりえない。

 犯罪者とは、社会という有機体にとって「病理を引き起こす、悪変した細胞である

 犯罪とは「悪変した細胞が、他の健康細胞に害を及ぼす現象である。この「害」には2種類がある。それは

・害(1):他の細胞を餌食にすること=同じ社会構成である、他の人間犯罪被害者にすること

・害(2):他の細胞を悪変させること=同じ社会構成である他の人間を、自分と同じく犯罪者にすること(共犯関係に引き込むことや、犯行動機思想犯行手口等に関する情報を与えることによって模倣犯化させること等を指す)

の2種類である。したがって、仮に社会という有機体から全く独立/孤立した状態細胞(=構成員たる人間)が存在するとしたら、犯罪という病理現象を引き起こすことはできない。害を及ぼす対象存在しないかである

 犯罪を「病理現象」と見なすならば、対処方法は大きく3つに分けられる。ただし、互いに完全に分離することが可能という訳ではなく、重なる部分もある。

対処(1):予防=健康細胞が悪変しないようにすること。

対処(2):対症治療=悪変した細胞発見した場合処置

対処(3):リハビリテーション治療が終了した後の元・悪変細胞や、悪変細胞によって害を被った周囲の健康細胞へのアフターケア

 捜査逮捕裁判刑罰という一連の司法的な処理は、このうち対処(2)に該当する。死刑やそれに相当するような犯罪に関する話とは関係が少ないので割愛するが、対処(1)・(3)に該当するのは、主に教育経済的援助などの社会的セーフティーネットである。ただし、死刑以外の刑罰を受けている間、犯罪者が更生教育を受けることもあるので、ここまで簡単に3つの領域を分離できるわけではないことは承知している。

 死刑に処すほどではない犯罪者は「健康状態に戻すことが可能細胞である

 死刑に相当する犯罪者は「除去するしか方法が無いガン細胞である。また、ガン細胞単独活動による害だけでなく、周囲にシグナル(情報)を発して、他の健康細胞を悪変細胞に変えて、ガン細胞集団を生み出すこともある。

 現時点の私が、死刑の存置に賛成する根底には、このような人間観/世界観がある。死刑反対派と存置派の対立理解するには、両者の間に人間観/世界観の相違が有ることを踏まえる必要があると思ったので、私のそれを書いた。

 おそらく、死刑反対派と存置派を分けるのは、個人自由に至上の価値観を見出すか否かの相違ではないか個人自由に至上の価値観を見出すことで「死者は権利を主張しない」「だから、死んだ人間のことを考えても仕様がない」「それよりも、生きている人間である加害者のことを優先的に考えるべきである」という考えに行き着くのではなかろうか。

ーーーーーーーー

 次回からは、死刑反対派の意見に対する反駁のようなものを述べる予定である

 続きはこちら。anond:20211227182518

2021-12-24

死刑廃止理由に納得出来ない

冤罪冤罪じゃない現行犯映像衆人監視犯罪死刑ありなの?

死刑人殺し刑罰人殺しじゃない。懲役監禁じゃないのと同じ

刑務官負担→俺が押そうか?執行ボタン押しても負担ないって人を沢山いるよ

死刑賛成派がエンタメとして消費してる→懲役刑では不釣り合いだから死刑やむ無しってだけだよそれ妄想じゃない?

死刑になりたいって人がいる→死刑にならないからって凶悪犯罪するやつもいるよ

その他全部、いやそれは反論出来すぎて納得出来ないってものが多すぎる

一番納得出来るので、そういう宗教観なんですってやつ

これはそれならしょうがいねで終わるんだけど

みんな廃止のための礎にしてるものボロボロ過ぎんか?

anond:20211224104645

刑罰だけじゃないぞ

お前を守る為にも殺していい

お前は守られなくていいのか?

嘘だろ?

anond:20211224172609

日本では言うほど沢山いないんだよな

例えばだけど、女子中学生強姦された挙げ句家族まで殺された事件被害者だったとして

どんな刑罰だとお前の中の正義の天秤は釣り合う?

本当、ここはめちゃくちゃ興味ある

anond:20211224080647

死刑人殺しとは違う

刑罰から

死刑人殺しとするなら懲役監禁になる

そもそも人を殺したらダメなら自衛戦争すら出来ないし、人を殺そうとする人から人を救うことも自分を守ることも出来なくなる

根本的に間違ってる

anond:20211223171928

国家人権制限するのは必要最低限に留めないといけない、というのが基本的思想としてある。

まずここで相容れないなら話をするだけ無駄

とりあえず、社会全体の秩序のために秩序を乱した者の人権いくら制限する合意が取れたとして。

秩序を乱した度合いに応じて、一定の期間身柄を拘束し、社会復帰のための教育作業従事させることにする。

これが懲役

じゃあ、どうしようもないくらい秩序を乱して、更生もほとんど望めない場合は?

無期懲役というものがある。無期限に身柄を拘束することで、再び秩序を乱すことを防ぐ

無期でも出てくることがあるじゃないか、という指摘をする人には、現代無期懲役運用を調べてもらいたいと思う。

それでも足りないという場合でも、そのことがすなわち死刑必要を生むわけではない。

無期懲役運用を変えるか、終身刑を導入すれば良い。

(ちなみに私は死刑と同様終身刑にも反対である。たとえ建前上のものであっても、人権制限一時的もので、更生を期待するものであってほしいと思う。)

ここで、釈放される見込みのない無期懲役(あるいは終身刑)と、死刑の違いを考えてみる。

冤罪について言われることも多いが、個人的にはそれは別ベクトル問題だと思うのでここでは言及しない。

まずひとつコストの違いだ。刑務所は金がかかる。人ひとりの生活費に加え、土地建物人件費、とても刑務作業では賄いきれないコストがかかる。

死刑で済ませてしまえばある程度は浮く。とはいえ現段階で死刑囚は112名。

死刑囚なんかに税金を使いやがって、という感情面を抜かせば国家予算からすると微々たるものだと考えられる。

もうひとつ感情問題だ。死刑になるような犯罪はほぼ間違いなく殺人が絡む。

遺族の気持ちからすればなんでアイツだけ生きているのか、殺してほしい。と考えるのは当然のことだ。この気持ちは十分に尊重されなければいけない。

しかし遺族を盾に無関係人間社会正義を振りかざし、エンターテインメント的に悪人断罪するのは下種の極みだ。

これはハッキリと区別して考えなければいけない。

というわけで、釈放される見込みのない無期懲役死刑に置き換えることによって得られる社会的なメリット

ということになる。

殺人という罪に対して市民が被る刑罰との天秤を鑑みても、

私にはこれらのメリット死刑という人権侵害の権利国家に与えるに値するものとは到底思えない。

なので私は死刑廃止派です。

anond:20211224114331

死刑廃止終身刑はセットじゃなきゃダメでしょうな。

合算方式でもいいと思うし、刑罰根本から考え直さないと意味がないと思う。

anond:20211224083210

死刑刑罰から

死刑人殺しとするなら、懲役監禁だし刑務作業強制労働

そもそも人殺しダメってのも間違いだ

戦争はだいたいの国で合法だし

殺されそうな時自分を守る為に殺すのも正当防衛全然あり

大人なんだから子供理屈から卒業しな

anond:20211223171928

償うって二者間取引になるんじゃないの?

日本死刑は全権利剥奪結果的生存を含んでないだけで、刑罰制度として国家個人干渉できる介入制度からではないので

自由副産物なんじゃないか

自由の国アメリカとかは国家指導のもとなら自由であるという母国愛ありきなので実質そういうとこは社会主義に近いよね

anond:20211223171928

死刑反対論者です。

はっきりいうと、そもそも「死を持って償うしかないだろ」というのが、理解できません。あるいは、「罪」とか「償う」とかの意味がわからない。これって、ただの宗教的信念でしょう。

とはいえ、殺し合いが起きていると社会が成立しないから、司法刑罰手続きを整備するのは理解できるので、「社会」を肯定的評価する限り、刑罰一般肯定できるわけです。しかし、死刑制度は無くても社会は成立するので、「罪」のような宗教的信念を共有できない私のような人にとっては、他の政治的・法的ロジックとの整合性こそ問題になる。

そういう便宜的にアプリオリとされる信念は極小にすべきで、社会の仕組みも、少数の公理から導出されるようにするほうが、私は美しいと考えます。ここで、近代社会を成立させる上で、最少の公理を定めるとすると「人権」を出発点にすることが妥当に見えます。(犯罪処罰妥当性も、人権から導出できる)

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