はてなキーワード: 光源氏とは
内輪受けみたいでよくわかんないから、
寸評でも述べられているように字下げスペースなので一目でわかる。トラバがanond:〇〇の形式ではなくURL直貼りなのも特徴。あと英数字が全角。
キーワード:「安倍政権」「刑務所」「延岡」「東大法学部」「GLAY(※全角)」「数学オリンピック」「MONOくん(※有名な女装子らしい)」など
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愛されたいと願うことを諦めてしまった やっちまった犯罪の意識もないさ はいつくばった自宅に古い写真がある 罪人になる前の俺と無邪気な笑顔
●脇は 時として人を傷つけた 不器用に生きた20年の果てにたどり着いた愛で舌を噛み切る 言葉を持たない血液はただ静かに流れたまま朝を待ち続けては
戻れない旅と知る 今誠実さにおぼれてく
光を目指す自分のために何もかも捨てたさ 戦後 高度成長そして、 活況さえも ウソや欺瞞に目を潰して 手にした平成(8年は) 明治や昭和の暮らしほどの夢はなかった
昭和がここに いたなら金を間違いじゃないと許してくれるかな
泣きたくなるほど切ない令和 タテマエよどうぞ消えないで 孤独に震えて照らすライトを ぶち壊す力は持てなくて
不器用に生きた安倍晋三の果てに 大切な昔をなくしても 暗闇に浮かぶ アムロナミエにいくら尋ねてみても つべで踊ってるだけで 生存確認しえない
今夜は 斉藤秀司のモチーフ理論に酔い きゃべつのような声に身を任せたい 生き急ぐことで分かりえると 理学部数学科の教授たちはつぶやいた
泣きたくなるほど切ない令和 数学よどうぞ消えないで 孤独に震えて講ずる 戸田方程式を クソと言い切る力は持てなくて
不器用に生きた安倍政権の果てに大切な平成をなくしても 金もうけに生きた安倍政権の果てに 大切な昔を無くしても
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2002~2005年の小泉純一郎政権時代に海上自衛官を勤務し退職している。41歳。平成の全盛期を知る典型的な昔の若者。殺害段階は7月8日、
散弾銃を撃つというもの。警察の調べに対し、 安倍晋三に恨みがあったが、政治信条によるものではない、と述べている。
殺害動機は幼稚で主観的なもの、既に総理大臣を退職している者を、大して高邁な理由もなく突然凶器で襲い、死亡してもかまわないという姿勢に酌量の余地はない。
むろん被害者が愚劣な政治家であることは周知の事実であり、その死亡結果につき、さほど重大性はないが、犯人側の殺害動機すなわち主観面は、
安倍晋三という4文字の言葉だけに過剰反応し、その政治信条などには興味がなく、突然思いついて他人に散弾銃を放つという犯行は、社会的に極めて危険であり、
社会が法によって安定し、法によって守られているという法的安定性を大きく揺るがす危険な行為で、社会に与えた不安は甚大なものがある。
特に殺害動機という主観面は極めて幼稚なものであり、主として自己のコンプレックスからくるものであり、それ以上の高邁な殺害動機が見当たらない。
確かに安倍政権になってから法令の機能不全が起こり多くの社会的事件が起き、その中で被告人も被害にあった側面は否定できないものの、捜査段階の供述には具体性がなく
個人的に恨みがあったとしか述べていない。幼稚な動機以上に高邁な動機を推察できない。
❌⭕️チェックが特徴。なぜか猛虎弁。
キーワード:「パリコレ⭕️(※ポリコレ❌)」「笛民⭕️(※フェミ❌)」
フェミ❌
笛民⭕️
ポリコレ❌
パリコレ⭕️
覚えようやで
ワイに逆らったらだめやで
オウム真理教や昔の雑誌「なあぷる」の名を出せば釣れることがある。ただしすぐにエントリが消える。
返事は来たが、はてなは削除に応じないそうだ。
したがって、やべーやつ番付の作者が●●●●●●.hatenablog.comであることはほぼ確定。
AV新法に批判的なanondユーザーは●●●●●●.hatenablog.comの末端子分かもしれない。
やべーやつ番付の作者と●●●●●●が関東地区で同居している可能性がある。
おそらく、はてな社は●●●●●●と●●●●●●と「山田らの集団」の山田美沙子には逆らえないのではないか?
そのあたりははてな社も明らかにしていないし、松永英明がことのは騒動で揉めたときも、はてな社として謝罪会見はなかった。
なあぷるは週刊光源氏とか週刊聖書とか、変なムックばっかり売ってた会社。
1990年代はまだインターネット回線をすべての人が所有しておらず、
BURRN! PRESENTS 炎も面白い議論がかわされていて、まだカセットテープは現役だった。
ようつべで仔猫動画を観た。その動画の内容はというと、拾われた元気一杯の仔猫が、ある朝急に元気をなくして瀕死状態になってしまったというものだった。
その後、仔猫は無事一命をとりとめるのだが、経緯からして仔猫が元気をなくし体調不良になるのもむべなるかなって感じだった。
仔猫はずっと鳴き続けていたのだ。飼い主は仔猫にエサと適切な環境を用意し丁寧に世話をしたが、鳴いている仔猫を鳴かせたままそっとしておいた。
壊れそうなほどに小さな仔猫。しかも怪我を負っていた。それでは触らずにそっとしておくのが善意というもの。だが、赤ちゃんにとってただの「鳴く」という行為は、実は大変な重労働だということを、飼い主は知らなかったのだと思う。
赤ちゃんがお腹が空いている訳でも寒くもなく便秘でもないのに鳴き続けるとき、それはおおかた親を恋しがってのことだ。だが、しばらくすれば赤ちゃんは鳴き疲れて静かになる。おとなしく、従順に見えるかもしれない。ところがその時、赤ちゃんは疲労状態にある。そして疲れて眠るうちにお腹を空かせて低栄養状態になる。実はこの時、赤ちゃんは寝ているというよりは失神している。
鳴かせ過ぎというのは良くないのだ。保育者としては手がかからず楽な気がしてしまうけど、赤ちゃんは疲労と栄養失調で消耗し、やがて発育不良に、あるいは最悪死んでしまう。
だから、過干渉に見えても、鳴いている赤ちゃんは抱き上げてあやした方がいい。人間の腕の中は母親猫のお腹ほど温かくないけど、それでも抱っこによる安心感は、仔猫には必要だ。
衰弱し、回復した仔猫の動画を見て、昔、私の家にもその仔猫と同じくらい小さくてヨチヨチな赤ちゃん猫が迷い込んできたことがあったのを思い出した。
その仔猫はあまりにも小さな孤児だったけれど、人間が特別介入しないまま、大きく育った。というのも、うちで飼っていたオス猫に面倒を見られていたからだ。
オス猫は所詮オス猫で、母親猫のように乳も出せないし仔猫のためにエサを捕ってくるようなことも出来なかったが、仔猫を抱いて眠ることは出来た。仔猫はいつもオス猫にくっついていた。寒い夜は、二匹は狭い段ボールの中に一緒に入り、オス猫が仔猫を抱えて丸くなって寝ていた。
そんな感じだったので、オス猫は特別面倒見が良かった訳ではないのだけど、仔猫は無駄鳴きで体力を消耗することなく、すくすくと育った。
夢に、たいそうこざっぱりとして美しい僧で、黄色い地の袈裟を着ている人が来て、 「法華経五の巻をはやく習いなさい。」と言う夢を見たのだが、人にも話さず、習おうとも気にかけず、物語のことだけで心をいっぱいにして、 「私はまだ器量がよくないわ。年ごろになれば、見た目もこの上なく美しく、髪もきっとたいそう長くなるだろう。きっと光源氏の愛人の夕顔、宇治の大将の愛人の浮舟の姫君のようになるのだろう。」と思っていた心は、(今思うと)あさはかで呆れ果てたものである。