はてなキーワード: ライスとは
広島旅行に行ったときに1回行っただけなんだけど、すげーいい店だった
トルコ人…なのかは不明なんだけど、髭を生やした中東っぽい雰囲気のお兄さん〜おじさん数人で回していて、客も外国人がわりといる印象
店内は薄暗く、清潔感がある印象
一皿がでかめで嬉しい
食べ終わったあと、原爆ドームの方に歩いていって、川沿いを散歩しつつ近くにある店でジェラートを買って食べたのもよかった 広島の黄金コースとしたい
ダイス状の焼かれたチーズがそこそこ入ったサラダで、大きめに切られたキュウリの食感がよく、チーズそのものも非常に美味くて、総じてサラダとは思えない満足感があった
すりおろされてるわけではなさそうなんだけど、そういう質感の豆が入ったオレンジ色のスープ
俺は豆の粉っぽさみたいなものがわりと苦手なんだけど、このスープにその食感はなく、スパイスの風味が感じられ、なんつうか滋味という感じで、すげえうまい
二人で行ってひと皿頼んだら、何も言ってないのに取り皿を2個出してくれて嬉しかった
各種ケバブ(チキン・ビーフ)とキョフテ(ハンバーグのようなもの)とライスなどが盛られたでかいプレート トルコパン(エキメッキ)を頼んで一緒に食った
まあ、うまいっすよね
途中で結構お腹いっぱいになってしまってちょっと苦しかったが、しかしうまさを推進力に食い切れたので、うまかったということなんだと思う
雰囲気も照明も明るかった印象がある
オリジナルのクミン入り食べるラー油を売っていて、それもうまい
何食ってもうまかったけど、ひとつだけ紹介
付け合わせとかナシで、スライスされた肉だけデンとでてくるので迫力がある
塩か前述の食べるラー油をつけて食う形
羊ってうめえなあ…ってなる
クミンのきいた食べるラー油をつけると異国情緒を感じられるが、じつは塩で食うのが本国風らしい
うまけりゃいいんだよ 本当に良い
品数が多くて全然食いきれてない
注文から提供がバカ早い(5分とかで出てくる) どうなってんの?と思う
一本220円とかで、好きな数頼める
机に七輪がついてて自分で焼くこともできるが、店側で焼いてもらうこともできる
卓上スパイスが配られるので、それをつけて食う
春雨はきしめんみたいな太さ・平べったさで、モチモチした感じもあり、通常の春雨とはまったく異なる
どううまかった、というのを思い出せないが、やたらうまかったのは覚えている
あとボリュームがすごい 一人ならこれだけで満腹になるだろう
肉とか入ってないんだけどすげえうまい
それぞれの食感がベストで、野菜炒めってこんなにうまくなるのか…と感じ入った
低音で長く加熱するのがテキサス流らしく、食ったことないくらい柔らかい肉が食える
牛の肩バラ肉で、通常だと硬いらしいんだけど、箸で切れるくらい柔らかく焼かれて出てくる
そう、焼き料理と思えない柔らかさなんですよね 角煮みたいな柔らかさだ
味は当然うまいが、そのままだとわりと素材の味・塩味という感じなので、卓上に出されるバーベキューソースやビネガーソースを適宜かけて食う かけることで完成する感じがある
タバスコソースも希望すれば出してもらえるが、個人的にはこんなにうまいものを辛くして(舌を麻痺させて)食べるのはもったいないかも…と思った
肉だけ食ったけど、パンとかをつけてもよかっただろう
(ラーメンショップは別として)家系の元祖である吉村家から喧嘩を売るかのように独立して生まれたのが六角家だ
家系の元祖は確かに吉村家だが、昭和63年に生まれた六角家が家系のベンチマーク的存在だと私は考えている
その理由は、現在家系を自称するお店は吉村家よりは六角家の味に近いからだ
吉村家は醤油ダレをガツンと効かせるのに対して、六角家はスープ(出汁)を重視して家系ラーメンに変化をもたらした
その変化は、吉村家と比べると六角家の方が食べやすく、多少は万人受けするラーメンになった
万人受けといっても吉村家よりはマシと言う程度で、昔は獣汁と呼ばれるくらい臭いしクセがあった
六角家をもってしても、その頃の家系はまだまだ人を選ぶラーメンだった
壱六家はげんこつを使わずに豚頭を使うことでクリーミーな家系を発明した
壱六家以後、スープの獣臭さは年々弱くなり、ラーメン本から獣汁という言葉が消えていったのではないかと私は考えている
(横浜の都市化が進み、店で獣臭いスープを炊けなくなったこともあるだろうけど)
壱六家は吉村家や、そこから独立したお店で修行したわけでもない非直系
この壱六家を元祖とし、壱系と呼ばれるくらいに広がり、現在展開されている資本系とか呼ばれるのをたどると壱六家に行き着く店も多い
https://hamarepo.com/story.php?page_no=2&story_id=2328
本当に壱六家発祥なのか怪しいと思っているけれど、昔は今ほど家系でライスを食べる文化は定着していなくて、直系でもライスを食べる人が増えてきた頃は違和感があった
直系以外は認めないという方も、壱六家発祥とされるライスの美味しい食べ方を実践しているのではないかと思う
なので、スープに浸した海苔でライスを巻いているラオタがいたら「それって壱六家発祥だから直系の食べ方じゃないよね」といじめてあげよう
ライスの食べ方だけじゃなく、直系ですら壱六家の影響を受けた食べやすい臭くない家系になっていて、現在直系にこだわるほどかなと私は考えている
ただ、資本系と呼ばれるお店には家系とは呼び難いものも多いから、資本系を家系と一緒にしたくないという気持ちも理解できる
二郎系はインスパイアと呼んでも、資本系の家系をインスパイアと呼びたくないラオタの微妙な感情があるのです
直系とか資本系とか知らねーよって方も直系と資本系をそれぞれ食べたら違いがわかると思うので、直系を探して食べてみて欲しい
食について一切語るなよな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20240726/1721919600
困難でもあるまいし実際抗ってる部分集合もあろうに
今頃あるいはもっと
その法華狼はジャパンの蔑称啼き喚き蔓延らせて17年以上でござい
しかも結果に最低限向き合うことすらできませぇぇぇぇぇぇんままであるが
そして語るに落ちる
https://b.hatena.ne.jp/entry/4756965084892655680/comment/Sakana_Sakana
札かけられて矯められる方が悪し様にみなされる世界線て誰のだ?
「堤に穴開けさせてよぉぉぉ」
「それで崩しても見逃してよぉぉぉ」
「穴開けぞにお前がブッコメよぉぉぉ」
「我々はブッコマナイけどぉぉぉ」
これらで倍増の季節まであるんか…?
これは弥助問題の元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文をちゃんと読んでください。
っていうか,こういったテーマについては,藤田みどり『アフリカ「発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店,2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文は国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本史研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?
はい,問題ありません。なぜならこれは,タイトル「アジア人と黒人のあいだでの人種と人種観の利用――日系・アフリカ系アメリカ人の場合」からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカ系アメリカ人を主題にした論文だからです。
これはどう読んでも,アメリカの黒人の日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりはアメリカ黒人の歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!
こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか? っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper, comp. They Came to Japan: An Anthology of European Reports on Japan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人が日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early Modern Japan, 1543-1900, Japan Forum 7, no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めます(https://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料や英語で書かれた論文を典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。
仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまでアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説そのものについて研究するなら,古い時代の英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。
なので,ふつうの日本中世史研究者が,この論文を典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います? そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文を引用してるとか)を持ってきてもらわないと……
(もちろん,最近は中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象の研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)
この論文,表象の研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文のタイトルから「アジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくまで黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人の歴史は黒人史の添え物とちゃうねんで。
ちゃんと読むっていうのは,この論文のテーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文が日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。