はてなキーワード: ベッドタウンとは
シンプルに宇治が知名度高く、京都府であるということが変に知れ渡ってるってのが絡んでそうだなあと
こういう話で(例えば)長岡京市は京都市内とは事情が違って~みたいな話は聞いたことがない気がする。
京都ぐらいの都市にもなれば周辺の市がベッドタウンとして中心市街地とは事情が違う地域になるのはある程度仕方ない部分があるんだけど
名所旧跡や抹茶で有名な宇治すら立地的にそうなってしまったが故の不幸というかなんというか
八幡市とかも距離的には同じぐらいで石清水八幡宮という大きな名所があるのに特に言及されないってのもなんかそれだけ宇治が特別なんだろうなと。
地域クラブということは、一般の吹奏楽団とほぼ同じような団体になるので、一般楽団を複数経験している増田が「お金」の面を試算してみたよ。
練習場所の費用、楽器保管場所の費用、楽器保管場所から練習場所やコンクールなどの本番演奏の場所まで楽器を運搬するための費用、外部講師の費用、個人保有が難しい楽器や設備(主に打楽器、ハモデレなど)の維持管理費用、譜面購入費などだ。
・地域は首都圏のベッドタウンレベル。今話題の柏市クラスとする。
・練習は週3回(平日2回、土日どちらか1回)、1日あたり3時間とする。一般楽団は初心者を断っていることもあり週1回の練習がほとんどだが、学生を対象とした地域クラブの場合は初心者教育も行わないといけないため、週3回とする。
・練習準備と後片付けにかかる時間はそれぞれ1時間とする。つまり練習場所の確保は5時間必要。
・外部講師は毎回の練習に来てもらう常任指揮者1名と、土日練習で管楽器や打楽器などを見てもらう講師2名が居るものとする。
・練習場所は公民館のホールレベル、保管場所は8帖のレンタルボックス、楽器運搬に使うのは2tトラックのレンタカーとする。楽器運搬に使うレンタカーの運転は団員の親が持ち回りで担当するものとする。
・本番は吹奏楽コンクール2回(県大会、地区大会)、定期演奏会1回とする。→これは学校の部活と同じ条件なので、費用試算では考慮しない。
・大型楽器や打楽器のラインナップは地区大会まで出られるレベルの吹奏楽部と同等とする。ティンパニ4台、鍵盤楽器一式、ピアノなどを保有。また、楽器購入費は考慮しない。
練習場所の公民館は5時間利用だとだいたい5000円くらい。意外と安い。これが年間150回になるので75万円。
講師の費用は、まともな人(何処かのプロ楽団に常任メンバーとして属しているクラスの人)なら1人あたり3時間で2万円くらいが今の相場だ。常任指揮者には2万円×150回=300万円、講師2名は2万円×50回×2名=200万円。合計500万円。
保管場所は、8帖のレンタルボックスは1か月あたり3万円~4万円が相場。3.5万円とすると、年間42万円。2階建てのレンタルボックスの2階だともう少し安くなるが、レンタルボックスの2階は楽器の保管には使えない。階段の傾斜が急すぎて大型楽器の出し入れが物理的に不可能だからだ。
練習場所への運搬費用は、レンタカー費用が1回当たり1.5万円なので、150回を掛けると225万円だ。
合計すると、862万円。
この中で学校の部活動だとかからない(学校側が負担してくれる)費用は「練習場所費用」「常任指揮者の費用(顧問が担うため)」「保管場所費用」「練習場所への運搬費用」であり、それらを差し引くと300万円。
これは大雑把な試算だが、部活動を地域クラブ化することで、かかる費用、つまりクラブ活動の参加者が負担するお金は2倍以上になると言うことは覚えておくとよいだろう。もちろん団としてのレベルを下げて、ティンパニは保有しない(ティンパニを使う曲を一切やらない)で4帖のレンタルボックスで間に合うようにする、練習回数を減らして楽器運搬もミニバンで間に合わせるようにするなどしたらかかるお金はもっと減るが、それは吹奏楽団の「質」とトレードオフになる事も覚える必要がある。
岡山ディスり創作文読んだ。私も今は西の地方都市在住だけれど、もともとは首都圏ベッドタウン出身で、首都圏だと東京の影響が少なからずともあるから西はまた違う雰囲気の地方都市にいる。
転勤族なので岡山の人口多めの地方都市とそんなに変わらない規模のところを転々としてきたと思うんだけど、あの創作文を読んでまず設定が雑だなーと思った。
あの文の主人公は30歳と言っているけれど、その母親世代にしても英語を覚えるためのCDとして流行りを過ぎたビートルズをチョイスするかな?音楽にも英語にも興味ない主婦が気軽に手に取る1枚と違う気がするんだけど。
そもそも英語に興味もたない気がする。地方都市に住んで愛読書が花より男子という設定の20年前の母親がなぜ英語の必要性を感じるのか。
ある程度落ち着いた大き目の地方都市在住の人は、その場所から出たがらないし外の世界への興味も薄いというのはちょっと話すとどこででも感じる。
身の回りのコミュニティが充実してればそれでOKなところ。そこが地方都市のいいところでもあるのだから。
そのへんの設定にまず違和感を感じえなかった。
そして娯楽と知性がないという表現。それは東京に比べたらどこでもそうだと思うけど、地方コンプレックスをこじらしてる人が主人公設定だからそうなるのかな。
実際に国道沿いに大型店舗が並んでいて駅前はさびれているというのは仕方ない。生活のスタイルが車前提の社会になってるから。
でもイオンとドンキだけではない。各地方ごとに面白い大型店舗はいろいろある。自分は産直市が好きでよく行くけれど、季節のもの、その地方ならではのもの、個人が作った細やかなものなどが売られていて文化を感じるがね。
ほかにも地域ごとに特色のある文化や人、歴史、工芸品などの博物館・資料館・美術館・庭園・公園・寺院・神社などいろいろあって、自分はそういうところをいろいろ巡るのを趣味の一つとしている。
結論としては、「現在社会(およびアパート管理会社)はそんな状況を想定していないので、リカバリーが大変」
大手アパート管理会社(家具付きで有名)のアパートに一人暮らし
2週間前ごろ Sesame4(スマートロック)を購入し初期設定を行う。オートロック機能をオンにする。
先週土曜日
9:30 ごろ つい癖でスマホを持たず手ぶらでゴミ出しに行く
9:35 ごろ Sesame4のオートロック機能で締め出されてしまったことに気づく
9:40 ごろ 大手管理会社が運営するアパートだったので、入り口の張り紙で「Service Center Phone Number」と書いてあった番号を暗記
9:50 ごろ 最寄りのコンビニ店員に電話を借りて電話するが、外国語のアナウンスが流れ続けて繋がらない(外国人入居者用の番号だったらしい)
10:00 ごろ アパート入り口に戻り、張り紙にあった別の電話番号(近くの管理会社の支店につながる番号)を暗記
10:30 ごろ 最寄りの交番に行って電話を貸してもらい電話する
11:15 ごろ 何度かたらい回しにされたり、折り返し電話があったりしたが、業者が鍵を開けに来てくれることが確定する
11:25 ごろ 家に戻り、ドアの前で待機
12:15 ごろ 業者が到着し、無事部屋を開けてもらうことができた
手ぶらだったので、アパートの管理会社に連絡するのも一苦労だった。
最終的には交番で電話を貸してもらったが、たらい回しにされたり折り返しでやりとりがあったので1時間近く交番にいた。
そのため、最初にコンビニで電話を借りたまま成功してやりとりを続けてしまうと長時間かかってしまい迷惑をかけてしまう可能性が高かった。
また、アパート管理会社自体も「鍵を閉じ込めて自分は財布もスマホもない」という状況が珍しいらしく、対応のノウハウがあまりなさそうだった。
単に「鍵を紛失した」という状況に勘違いされてしまい自分がスマホも財布もない状況(なので急いで欲しい)ということをわかってもらうのが大変だった。
朝ゴミ出しに行った服装のまま長時間外にいる必要があったので、普通に寒さもきつい。
自宅は関東圏のベットタウンという立地だったので鍵を鍵を解錠してくれる業者が来てくれるのに1時間程度ですんだが、
もっと田舎の地域であったり寒い地域だったりする場合は、薄着で長時間待たされるケースも考えられるため、より危険。
根本的な対策としてはオートロックを使わないことがもっとも確実
Sesame4ではオートロックを使わなくてもSiriを使って施錠することもできるので、こまめに施錠する癖を付けておく。
どうしてもオートロックを使いたい場合は常に物理キーを持ち歩くようにする必要があるが、なかなか難しい。
解錠できるスマートウォッチを身につけておく方法も考えられるが、スマートウォッチをつけ忘れると同じことになるので根本的な対策にはならない。
手ぶらで締め出されてしまった場合を想定して、いつでも部屋に入れてくれて電話を貸してもらえるような人間関係を地域に作っておくというのが一番汎用的かもしれないが、都会だと難しそうだししんどい。
そこはベッドタウンであることだけが取り柄のしがない町であった。
しいて特産品を挙げるのならのなら、現代の価値基準で言えば圧倒的な勝ち組家庭がモーレツに嵐を呼びがちな国民的アニメぐらいである。
私はそんな都心に近いことだけが拠り所のそこで、そのアニメの主人公たちからは1回りぐらい下の家庭に産まれた。
十二分な中流であった。
私を産んだ時に既に母は40を超えていて、父はそこから更に2歳ほど年を取っていた。
両親の性格は今で言えば大人の発達障害、その血をかけあわせて出産適齢期を過ぎた母体から世界に飛び出した私は、当然のように見えざる発達障害を抱えていた。
物心ついた頃、テレビで見た自閉症特集で「自分はこれをギリギリ回避しただけなのだ」と子供心に嫌というほど感じたものだ。
発達障害からくる情緒不安定、また生まれつきの運動音痴とリズム感の無さが幼少期の私を苦しめた。
せめて産まれたのが3月でなければ……。
持って産まれた才能と産まれた時期によって本能レベルの優劣を植え付けられた幼稚園時代、思い出せる記憶はおゆうぎ会で失敗した結果泣き出して最後には小便を漏らしたことだけだ。
他の記憶はどうでもいいものと辛いものしかないので忘れてしまったが、一番辛い記憶は忘れきることが出来ていない。
小学校に上がってからは、持ち前のコミュニケーション不全と癇癪持ちにより友人を作りかけては次々に失っていった。
ただ、両親が共働きの鍵っ子で、ゲームや玩具だけは持っていたため、それを目当てに厚かましい連中によく家を遊び場にされていたことを覚えている。
私にとって人と一緒に遊ぶことは食い物にされることだった。
結局彼らとの間に友情が芽生えることもなく、クラスで班分けがあると決まって彼らは本当の友人たちと群れあい、私は余り物のグループにいた。
同じグループにいる者たちは、今思えば全員が発達障害だったのだろう。
その顔つきは目がつり上がってこそいないが、うっすら自閉の色に染まっている。
スポーツは苦手だった。
ゲームも自分で遊んでも家をたまり場にしている連中よりうまく出来ないことにイライラしがちだった。
それで暗記が好きな子供だと勘違いされたのか、学校の教師は私に自信をつけさせようとよく電車や動物の名前を答えさせようとしたが、私は物についた名前に興味はなかった。
科学や論理に基づいてどういう事が起きているのかが好きだったのだ。
その理由は結局の所、生まれつき物覚えが悪い自分でも、名前を覚えなくても概念だったら分かるし、テストで出るときも穴埋めの周りにヒントが沢山あるので昔の偉人の名前なんかよりはずっと覚えやすいと感じたからだろう。
私の中にただ一つ人より出来ると感じられるものがいつの間にか産まれていた。
そんな私を見て、両親は中学受験を勧めた。
勉強が好きだと思ったのだろう。
新しい環境で、勉強の好きな同級生と一緒になれば、自閉症じみた我が子にもちゃんとした友達が出来ると信じた両親は、私を塾に通わせることにした。
塾に通うことの条件として私は大嫌いだったスイミングスクールと習字教室を辞めることを提案した。
取引は成立した。
それから私は受験勉強をそれなりに頑張り、それなりに手を抜き、結局暗記が得意でないことで躓き、志望校から2段階落ちる滑り止めの私立に入学した。
中学受験の勉強どころか学校の授業さえ本当に真面目にやっていれば受かれるような学校だったが、親戚や両親は私を賢いと褒めてくれた。
私だけが、自分がいかに努力しておらず、そもそも勉強自体も苦手なのかを思い知らされていた。
そして、同じく受験勉強をする塾の同級生を見ているうちに、自分が得意げにしていた「記憶力が足りない代わりとしての理解力」というも、実際は大したことがないことを嫌というほど分かっていた。
我が子を無事私立へと送り出したと胸を撫で下ろす両親とは裏腹に、私は自分という人間の程度を思い知らされた烙印としてその学校の制服へと袖を通した。