はてなキーワード: パズドラとは
普通よりも多く夜行バスに乗った時期があり、増田を読んで覚えている内に当時の記憶を書きとめたくなった。
始めて夜行バスに乗ったのは中学生の頃、カードゲームの公式大会に出場するために友人2人と東京にいったのが最初だった。宿泊先はネットで知り合った同じプレイヤー宅で、親はよく許可したと思う。大会の結果は予選スイス抜けて決勝トーナメント即負け。宿泊させてくれた友人が優勝して祝勝会をした。夜行バスそのものの記憶はあまりなくて、初めて親元を離れて旅をして感じた非日常感を強く覚えている。
次に夜行バスに乗ったのは学部生の時、中学卒業以来あっていない女友達に会うために夜行バスに乗った。わざわざ夜行バスに乗ってまで会いに行く(来させる)という時点である程度答え合わせが済んでいる部分はあり、再開初日に交際に至り彼女の部屋に宿泊した。宿を取っていなかったので、答え合わせが勘違いだったら路頭に迷っていた。
そんなこともあり、その後修士を取って就職するまでの間、彼女に会うため毎月のように夜行バスにのった。元々乗り物で寝るのが苦手なこともあり8時間程度の道のりの内2〜3時間寝られれば良い方で、いつも窓側の席を希望して光が漏れないようカーテンに隠れてパズドラとTwitterで時間を潰した。通路側になってしまったときはひたすら時間が経つのを待っていた。
そんな夜行バスの車中は嫌いで仕方がなかったけど深夜のサービスエリアや早朝の駅前の空気は好きで、彼女に会えるワクワク感も含めて旅そのものは嫌いじゃなかった。特に早朝の海老名SAは最高で、規模の大きさと駐車場に並んだトラックとバス、そしてもうすぐ彼女に会える期待が胸を高まらせた。
乗客が季節によって移り変わったのも印象深い。連休前後は大学生のグループが目に付きやすいのに対して、通常のシーズンは出張のサラリーマンやインバウンド、アイドルやアーティストのライブ遠征組、そして遠距離恋愛をしていると思われる一人客が多かったように思う。
そのような事情で5年程度(修士の途中からは関東方面の出張があったりそこそこ給料が入って新幹線と半々位だったが)夜行バスのヘビーユーザーをしていたが、その間で最も大きく夜行バスを取り巻く景色が変わったのは2012年の関越自動車道高速バスの事故の後だったと思う。事故を起こしたハーヴェストライナーは比較的大手の会社であり本数が多く、値段も安かったことから頻繁に利用していた。GW前半に発生した事故でその直後に彼女に会いに行く予定であり、幸い運休とはならなかったが「絶対に寝ないでくださいね〜」と運転手を囃し立てる大学生グループを見るなど利用者への心理的な影響は大きかったように思える。実際にGWを過ぎるといつもは満員の座席に空席が目立ち、隣に乗客がおらず2席独占できたこともそこそこあったと記憶している。
またその後のガイドライン制定及び法改正によって運転手が2名体制になったり、乗り降りに必要な停留所やラウンジが整備されたりと利用者側にも見える形で変化があった(そのコスト反映なのか対応できない事業者が減ったからなのか、値段は多少上がった)。ただこのような対策があった上で、2016年のスキーバス転落事故が起こってしまったのは非常に残念に思う。
ここまでとりとめなく書いてきたが、彼女を絡めた記憶を書き留めておきたい。当時の僕は、毎月何時間もかけて会いに行くことが正しいのか疑問に思っていた。それでも交際を続ける努力をしたのが、愛なのかサンクコスト効果の結果なのかは未だにわからない。ただ夜行バスに乗り込むときの高揚感やGoogleマップをみて段々非日常に近づいていく感覚、そして復路の日常に戻る感覚は僕の人生を彩ったと思う。
昨日アマプラ会員向けに配信レンタルが安くなるセールがやっていてその中に『花束みたいな恋をした』が入っていた。
普段ならこの映画の宣伝の仕方とか、ぱっと見の内容を想像するに見ないようなジャンルの映画だなと思っていたんだけど、
以前この映画の感想がはてぶでもホッテントリしてたりして、みたいなと思っていたのでこれ幸いと思い視聴した。
で、まあ、すごく面白かった。終始どこか痛々しさを感じっぱなしで、共感性羞恥?というやつをくすぐられ続けた。
ああ、自分もこうだったなと。主人公の二人の麦くんと絹ちゃんが、所在のなさを、自己の存在の価値をなんとか感じるために、
サブカルチャー(この表現が正しいのかはわからないけれど)で壁を築き、自分を感受性の高い特別な人間でありたいとするが、
同しようもない薄っぺらさが漂う。それは例えば、天竺鼠のライブを好きなはずなのに当日に放り出したり、二人とも作家の固有名詞を羅列する
だけで、内容に関する話がなく、そうではなくてまるでその作家や作品の固有名詞をいかに多く知っているかの知識に価値があるかのような二人の
やり取りの悲しさ。そうすることでなんとか自分たちを特別な人間であろうとし、周囲の人間をある種見下す特権意識の現れ。
じゃんけんに関するエピソードで、グーよりパーのほうが強いのは納得いかないと言った一度は誰でも思うような事をなにか特別なことのようにことさら感じたり、
「電車に揺られる」といったありふれた陳腐な表現なのに、そうした表現を使用することで自分たちは違うんだ、特別なんだと思いたい若さゆえの痛々しさ。
また、終電を逃し居酒屋で二人でいるとき、途中から入ってきた麦くんの同級生に対する絹ちゃんのと拍子のない態度や、麦くんのなんとなくのいけてなさ、
そこはかとなく、周囲から浮いている、居場所のなさを暗示しているように感じる。
麦くんが就職し、働き始め、忙しさから次第に、かつて好きだったものへの興味を失い、頭に入ってこなくなる。パズドラしかできなくなる。
ああ、そうだよなっとついつい共感してしまう。生きていくことだけに目を奪われ、自分の現状への焦りや、未来への焦燥感や不安が募り、かつて大好きだった作品が頭に入ってこなくなる。
いやそもそもそこまで好きではなかったのかもしれない。麦くんの書いていたイラストは所詮イラスト屋で代替可能なレベルのものなのだ。
一方で昔のまま変わらないであろうとする絹ちゃんに麦くんは苛立ちをつのらせすれ違っていく。
麦くんが麦くんなりに「大人」になったように、絹ちゃんは絹ちゃんなりに「大人」になって行くのであって、これはどちらが現実的だとかそういう話ではない。
そうして二人はすれ違っていくわけだが、最後に二人でカフェで別れ話をするシーンには、かつての自分たちを彷彿とさせる若いカップルを見て
涙を流す。ああ、自分たちは特別ではなくどこにでもいる代替可能なbotでしかないんだなと二人はそこでひしひしと感じる。
麦くんの言うように、彼らにも子供を作ってワンボックスカー乗って、ディズニーランドへ行くそういったよくある様な家庭を築けたかも知れない。
しかし絹ちゃんは言う、いや、そうじゃないんだと。そういうのじゃないでしょと。
全編を通して自分自身の若い頃の痛々しさ、未熟さ、滑稽さ、いやらしさを感じさせられ、本当にグサグサきた。
でも、麦くんは絹ちゃんがいただけ良かったなと。自分には何にもなくって、自我を必死に保つための選民意識で壁を作り、
もうどうしようもないぐらい取り返しのつかないとこまで来てしまい、本当に薄っぺらい代替可能なbotでしかないんだなと。
https://anond.hatelabo.jp/20220505163243
確かに、自分ももうどうしたらいいんだろう。仕事に興味もないし、パートナーも家族もいない。
好きだった、小説、映画、マンガも頭になかなか入ってくなくなって、スマホゲームすらすぐに飽きて、twitterやはてぶの記事を眺めるくらい。
本当になんにもないんだよ。
キズナアイさん登場時に夢見ていた「バーチャル上にキャラクターを創造する新しい形」ではなく、絵が動く配信者としてのVtuberが主流になったという話
https://togetter.com/li/1856588
いるよな~「俺の思い描いてたカルチャーじゃない!」って嘆く奴。
地に足が着いてない理想像を語る鼻持ちならない奴が、生々しい現実に押し負けてると「ざまぁw」って思っちゃう。
このまとめに出てる人は悪い人じゃなさそうだけどね。
でさぁ、配信ってラジオ並みにパーソナリティの魅力が物を言う世界じゃん?(動画もだけど、配信は特に)
それをキャラ設定や台本でどうこうしようってのはスゲー大変だし、だったら素で面白い配信者に人は流れるよね。
中途半端に作りこまれたバーチャルな配信者よりも、生身で面白いアバター付き配信者が選ばれて当然だと思うよ。
モーションキャプチャーがどうとか非実在性がどうとか、エンタメを求める人にとっちゃどうでもいいからね。
新しいエンタメつながりで言うなら、eスポーツにもいるんだよねそういう人。
「キャラ差を無くした完全公平なゲームを!」とか、「五輪種目にするなら版権フリーにして、システムを変えないゲームにすべき!」とかね。
頻繁にアップデートが入って混沌としたり、バランスの悪さを実力でカバーしたりが面白いんだからさ。
それでも競技として立派に成立するしね。
RTSみたいなガチガチのPCゲーじゃないと認めねぇとか、「スマホでeスポーツ(笑)」みたいな原理主義者がいるのよ。
そしてバーチャルネットプリーストさやさや16歳が月ノ美兎だった。
元々VNIは『侍魂』や『ろじっくぱらだいす』といったテキストサイトの流れを汲んで生まれた。
ちゆ12歳はその影響を明言しているし、
その後生まれたVNI四天王も同じく「自分たちはテキストサイトである」という矜持を口にしていた。
ちゆ12歳の影響を受け様々なVNIが生まれたがその過程で生まれたのが
彼女は現パズドラ運営でおなじみのガンホーが運営するMMORPGラグナロクオンライン(以降RO)の
そしてバズった。
さやさや16歳はちゆ12歳に影響を受けて始まったVNIだった。
だが、それ以降「さやさや16歳に影響を受けて始めるROVNI」が大量発生した。
彼女(暫定)らは自身が「テキストサイト」を運営するものであるというという意識よりも
「ラグナロクオンラインのプレイ日記」を投稿するものであるという意識が強かった。
つまりここでちゆ12歳から始まった「VNI」の流れが分断されてしまう。
その後、あふれかえるROVNIに対して「こんなものVNIと呼べるのか」などという反発が多く起こったが、
テキストサイトは常に「新しい面白いこと」を自分の中からひねり出す必要があった。
だがROVNIはROをプレイしてそのプレイ日記を投稿するだけでよかった。
その後、ROVNIはROの凋落ととともに勢力が衰え消えていった。
VNI自体はテキストサイトの凋落と共にもっと早く消えていったのだが。
これは「Youtuberから派生したVtuberであるキズナアイ」と
「キズナアイから派生したVtuberである月ノ美兎から派生したVliver」の風景によく似ている。
多くのVliver(ヴァーチャルライバー:Vのガワを被った配信者のこと)は、
多くのVliverは自身の出身であるニコ生やツイキャス、ツイッチなど生配信サイトで行っていた活動を
そのままYoutubeLiveという新たな生配信サイトに持ち込んだ。
Youtuberの定義自体が非常にあいまいあやふやであるのでもしかしたら
「いや、俺らは生放送するYoutuberっしょ」と思っているのかもしれないが。
「Youtuberであるという矜持」を持って活動を続けるVtuberもいる。
別にどちらが優れているとかどうのこうのということではない。
ただ、キズナアイが永久スリープに入った今、Vtuber界隈を見渡してみると
昔どこかで見かけた光景だなと少し懐かしくなっただけだ。
なんだよパズドラの話かと思ったら違ったのか
1.デレステ
担当への思い入れが強い 課金もそこそこしてる 音ゲーが楽しい
忙しい時は営業でさくっとスタミナ使えるのがいい
2.ミリシタ
課金そこそこしてる 音ゲーは普通 イベの最初からスタミナ倍消費が欲しい
3.モバマス
好きな子が来ない限りはラウンド専用消化するくらい 5分で終わるので負担が少ない
4.テニラビ
オートチケット1000枚くらい持ってるのでスタミナ消化自体は楽
イベ報酬を取るのは音ゲー系では随一きつい 溜まるスタミナを消化しているだけでは取れない
5.シャニマス
スタミナ消化がワンタッチで終わる デイリーミッションも2分で終わる
ストーリー(コミュ)が面白いのでちゃんと読みたいが溜めまくっている
6.パズドラ
惰性。正直これに関してはスタミナもわりと漏らしまくってる
今までの積み重ねがあるので毎日ログインと広告視聴だけはちゃんとしてる
7.サイスタ
とりあえず初めてみたけど無制限オート可能で負担少ないので続けてる
8.ツイステ
全オート可で負担少ないので続けてる
ストーリーを全然読んでおらずもはや何のために続けてるのかはよくわからない
担当来た時の為に石貯めてる