はてなキーワード: サッカー場とは
いま話題になっている南青山の児童相談所。その学区である青南小に通っていたので経験を書きたい。もう20年以上前になる。我が家は、私が小学校にあがる時期に合わせて南青山(5丁目)に引っ越した。卒業後は、他県の私立中に入ったので、引っ越したし、私は今は別の区に住んでいるので、最近の南青山事情は知らない。この話は、表参道の駅が綺麗になる前のことだ。(いまは本当に綺麗な駅だよね)
だいぶ昔なので、いまは少々事情が異なるかもしれない。はじめに結論を書くと、“貧乏な子”たちは児相云々以前に青南小に存在していたし、家庭に事情を抱えている子もある程度いた。そして、私はそういった子たちを受け入れられるような教育を受けた。
児相が出来てもし青南に通うことがあったら、恐らく学校の中で受容されて社会になじめるようになるだろうし、“金持ち”の子たちも多様性を理解できるようになると思う。特に、中学校受験をして私立に通えばそういうバックグラウンドを持った人たちと関わることはほぼ無くなるので教育上プラスに働くのではないか。私はプラスになったと、いま感じている。
さて、青南小学校に通っていた頃、私の学年には100人弱の生徒がいた。その内、4割が越境(近場はガーデンヒルズ。あとは世田谷が多かった)、2割が地元に元々住んでいた人、4割が私のように小学校に合わせて南青山に引っ越してきたり公務員住宅に住んでいた人だったと思う(引越民)。越境の割合はほぼ間違いないが、地元民と引越民の割合はすこし違うかもしれない。
そう、越境が意外と多い。そして越境はだいたい金持ちだ。緊急時の下校班みたいのがあって、帰る路線別に班になっていたので、学校の先生たちも越境前提だったと思う。いまは越境のハードルが下がったと聞くので、もっと多いかもしれない。
また、校舎の目の前とフロムファーストの裏の2箇所に官舎が有り(当時)、財務省が外務省などの役人の子息が多かったように思う。彼らも金持ちだったし、親がプライド高いのか、本人らもプライドが高い子が多かった。とは言え、根は優しいので少なくとも表向きは皆と仲良くしていた。
地元民は意外と質素な暮らしをしていた。彼らは北青山の団地や、根津美術館の脇から西麻布に抜けるエリアに住んでいた。家に遊びに行くと築40以上の一軒家に住んでおり、車も持ってなかったり、持っていても国産車だったりした。家の中も取り立てて豪華でもない。共働きも多かった。団地の子たちは片親だったり、何かしら事情がある子だった。そう、児相に駆け込まざるを得ない子たちと同じ背景を持った子たちである。
そうした子達が問題を抱えていることは教師が生徒たちに説明することもあり、ある子が不登校になった時は(いじめはなかった)、皆で解決策を考えて受け入れられるように環境を変えたこともあった。
私は“金持ち”の部類だったと思う。だが、“貧乏な子”たちも遊んだ。小さい公園が西麻布の手前にあるのだが、その公園でなわとびをしたりしてよく遊んだ。赤坂の米軍基地の裏のサッカー場でみんなでボールを持って行って遊んだりもした。こどもの城のラウンジでカードゲームをして1日中過ごしたりした。子供の間では親の所得や職業などは知っているが特に意識せず、それによって階層が出来たり、仲間はずれができたりしたことはなかった。
過半数の“金持ち”の子は育ちの良いので素直だ。まだ自意識などが固まらないうちに、多様な背景を持つ子と生活することで、損得や利己的な感情ではなく、人と人として向き合えるようになると思う。
いま児相建設に反対している親は他人の子が「かわいそう」などと思わず、自分の子が将来心の広い人物になれるように、児相建設に賛成するようになってほしい。
ベタに、サクラダファミリアとかグエル公園とかを回っていて、ほぼ電車で移動をしていた。
とある場所で電車にのり、次の目的地に向かおうと思ったら、電車がめっちゃ混んでいて、みんな旗を持っている。
「サッカーのチームの旗かな?サッカーの試合でもあるのかなー?」と思っていたくらいのノリだった。
ある駅で大半の人が降りていったので、興味本位でついていった。
地上に出ると、都内の花火大会くらいの混みっぷりで、みんなが同じ方向に向かって歩いている。
「やっぱり本場のサッカーの人気って凄いなー」くらいでしか思っていなかったのだが、
10分ほど一緒に歩いてみても、サッカー場が見えるわけでもなく、パブリックビューイングの様相もない。
周りでは「イ!イナ!イナビカチオ!」と、叫びながら老若男女問わず歩いている。
サッカーの雰囲気でも無いような気がしてきたので、隣で歩いていた人に片言の英語で聞いてみた。
すると、彼も片言の英語でこう答えてくれた。
「カタルーニャ地方は、昔から独立をしたいんだ。今日は独立のデモなんだ。」
「イナビカチオってのは、英語でいうとインディペンデントの意味なんだよ。」
衝撃が走った。
彼と話したあと周りをみた。
孫と一緒に参加している老人や、家族連れの人たちも皆「イ!イナ!イナビカチオ!」と独立を叫んでいた。
サッカーの旗だと思っていたものは、カタルーニャ地方の旗印らしい。
住民が一丸となってスペインからの独立を願っているのは、日本だと見ない光景だなと。
日本だと一部が騒ぐだけだと思っていて、冷静に見ている自分がいる。なさけない。
そのようなことを考えていたら、何故か自然と涙が出てきた。
というか、号泣していた。
感動・熱量・落胆・反省、色々な感情が一気に出てしまったのだと思う。
カタランに囲まれたアジア人が1人で号泣しているのは、不思議な光景だったろう。
後ほど調べたら「2010年カタルーニャ自治抗議」というらしい。100万人近く集まったとのこと。
後日談だが、
その勢いもあり、日本に帰って某政治塾に応募した。ある程度の倍率のなか受かった。
入塾式で周りを見渡すと、初対面同士だがチラホラ会話が聞こえる。
大半は男女の会話で、女性の周りにいる男性が声をかけた感じだろう。
入塾式での男性同士の会話はほぼなかった。
それを見て、なにか落胆したものを感じてしまい、塾を途中で辞めてしまった。
だが、今もその政治塾の人とは交流はあるので、行ってよかったとは思っている。
たまにこの経験を思い出し、自分にはなにが出来るんだろうと思うときもある。
経済的に、この国を盛り上げていく方が向いているんだろうなとか思ったので、
今はそれに近いような会社をやっている。起業支援・成長支援等が生業だ。
自分へのリマインドを兼ねたメモとして、この経験を増田に投下しておこうと思う。
カタルーニャがんばれ!
イーガン音頭(あるいはイーガン節)っていう、オリジナルの音頭なんだ。
イーガンってのは外国のSF作家らしい。俺は読んだことないんだけど、町内会によく顔を出してる妻は忖度的ノルマで本を読まされるらしい。
妻は楽しそうに読んでいるのだが、他人に押しつけられたモノを楽しく読んでいる姿をみて夫としては内心穏やかではない。
妻がいきなり、ワンの絨毯で構成される巨大な生物がもつハードディスクのなかで計算される宇宙に意識のある生物がいる! とかヤチマやっちまったな! とか
スプリンターの可愛い虫たちがほとんど一代でアインシュタインを超える! とか。
妻が語るようなイーガン作品をバックグラウンドに、数年前に町内会副会長はオリジナルのイーガン音頭を作成。会長の承認を経て正式な音頭になった。
きょうも祭りの準備。集会所前の公園から囃子の音が聞こえてくる。子供達はバーチャル空間のサッカー場がうんこやゲロやヒツジにまみれる「くだり」を何の疑問もなく当たり前のこととして、楽しんでいる。