はてなキーワード: サザエさんとは
最近、頭使うようなストーリーとかドキドキハラハラするアニメを見る体力がなくて、録画した学園ベビーシッターズを一日一回見てる。
のはいいのだが、疑問なのは、先日放送された動物園のエピソード。
この学園ベビーシッターズという作品、キャラクターの名前に動物が入っている(?)。
で、動物園に行くにあたり(たぶんそれ以外も原作ではおそらくその手のエピソードがあると思うのだが無料キャンペーンで二巻まで読んだだけなので悪しからず)、「自分の名前の動物」イジりみたいな、イジりではないが、とにかく名前とそれに含まれる動物に言及する場面がある。
これは、いいのか!?
確かに、多数いるキャラクターの内で一人だけ「月野うさぎ」みたいな名付けをされてるならうさぎアピールすることもあると思うが、ほぼほぼ名前に動物が含まれるキャラしかいない中で、あえてその動物について言及するという、トリッキーでリスキーな行為……。
かといって、自分の名前の動物だねえみたいな流れが毎回あるわけではなく、とくに言及されないこともありつつ、当たり前のようにモチーフ動物(?)が割り振られ、時にイジりイジられ……。
この手の、あえて自分の子どもたちに名付けたとかでない、他人のキャラで名前に共通点があるタイプの作品では、それには触れない……みたいなのが暗黙の了解(薔薇十字館殺人事件とかはまた別だが)だと思っていたので、とにかく、戸惑っている。
例えば、サザエさんで突然ワカメが「今日は私のみそ汁か~」とか、黒子のバスケで黒子が「ボクらみんな名前に色入ってますよね」とか言い出したら、エッ!?ってなるような、そんな感じである(サザエさんはほぼ親族だが)。
別にイチャモンつけたいわけではなく、ただ、いいのか!?という、この戸惑い。
とりあえず原作買うか……。
日本アニメではなぜ徹底的に電線が描かれるのか?を海外メディアが推察
https://gigazine.net/news/20171225-why-anime-power-lines/
アニメにおいて背景・風景として電線が描写されることはエヴァ以前からもちろんあった。
そういった時代の記憶を引き写した風景の中であくまで添え物として、
あるいは便利なオブジェクトとして最低限の作画で描かれていたのが、電柱と電線。
鳥が電線にとまっている、ゲイラカイトが電線にひっかかった、犬が電柱に小便、電柱に隠れて尾行。
エヴァとは何か。
エヴァの深夜再放送の高視聴率が深夜アニメのパイロット版として働いた。
その後、エルフを狩る者たちから深夜アニメ放送の歴史が幕開ける。
異様なこだわり作画と作画崩壊との背中合わせも既にしてその内に秘めていながら自身は夕方アニメ。
一人のユダヤ教徒でありながら死して新しく宗教を作ったイエス!福音だね。
そのこだわりの一つに電線がある。
電線、無くてもいいですよね、そこ描く手間と映す時間をキャラに割きますよね普通。
そうじゃないのが、庵野。
ただの背景以上の電線。
2015年第3新東京市のツイッタラーは、揺れたら「電線」ってツイートするから。
そう、1995年に描かれた20年先の近未来、2015年の日本を描いてあの電線。
エヴァより先を生きている私達は知っている。
まだ相当に電線してる。
怪獣とスケールが合うのは高圧送電線の鉄塔、架線に接して火花散るインスタ映え。
なんて、俺が語るより本人がいろいろ語ってるし。
「庵野秀明の世界」トークショーレポート2回目 「電柱は積極的に残すべきだ」「特撮もやりたい」
http://neweva.blog103.fc2.com/blog-entry-3368.html
庵野「同じ電柱はないんですよね CGでコピペしても違和感がある ナナメになっているのもいい」
氷川「エヴァ以降、電柱を描くアニメ作品も増えているが 垂直な電柱が多いですね」
庵野「電柱に対して愛情が足りない 表層だけ真似ても魂が入らない」
冒頭の無人漂流船内に残されていた本は、宮沢賢治の『春と修羅』。
「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」
『注文の多い料理店』所収の「月夜のでんしんばしら」も電柱モノのハシリである。
文明開化で産まれた、すき焼きやカレーライス、あんパンが現代日本の食文化であると言えるならば
日本最後に電気が来たのは宮沢賢治の故郷岩手の「タイマグラ」。
なんとなく未来の予想
これからの時代、仕事のAI化やロボット化によって職業の奪い合いが起こると思うんだけど、営業職はそこで男女のパワーバランスが逆転する職業だと思う。
昔の価値観だと「辛く、苦しく、かつ会社にとって最も重要な役割に当たる営業職は男がやるもの」って感じだったと思うんだけど、この価値観が変わるんじゃないかなって。
理由は下記の2点
・技術の発展による営業ツールやマーケティング手法の向上によって無茶苦茶な飛び込み営業や土下座営業みたいな肉体や精神を削る事がなくなる。(少なくなっていく)
・「男で正社員登用=長期雇用確実」という考えから優位性を見出せるが(裏側→すぐ辞める可能性がある女は使いにくい)、雇用に対する価値観が変わり正社員最高時代が終わりつつある。
そんなこんなで性別によるアドバンテージがなくなった。そうすると性別関係ない頭の良さ勝負になる。
そして競争が激しくなるにつれ、結果として営業職を志望する男性はかなり減ると思う。
かなり減る、と言う理由は男性は男性にしか出来ない仕事=体力を使うブルーカラーの仕事の方に自分の価値を見出し、企業側からも歓迎されそちらに流れるからだ。
営業、事務職=ホワイトカラー労働は女性がメインとなれば都心のオフィスビルには女性で埋め尽くされるようになるかもしれない。
国民的アニメのサザエさんもクレヨンしんちゃんもドラえもんもお父さんはホワイトカラー労働者であり
これを見ている一般家庭の人々はこの父親像が日本のスタンダードであるかのように思うが、いつかはお父さん役はブルーカラー労働者として作業着や私服で通勤する姿に変わるかもしれない。
もちろんこれによりブルーカラーの社会的地位はこれから上がっていくので、いつかの未来ホワイトカラーと立場が逆転する事も考えられる。
今ではまったく信じられない事だが、今、時代の流れは本当に早い。
十分あり得ると思う。
映画でもゲームでも小説でも何でも良いのだけど、名作の条件とは何かというと、私は老若男女が楽しめる作品だと考えている。
アニメで言えば、サザエさんなどが挙げられると思う。もちろん、サザエさんは面白くないという人も当然いると思うが、老若男女が楽しみやすい作品ではあると思う。
一方で老若男女が楽しめるというわけではない・・・人を選ぶ作品はどうか。
龍が如くゼロは非常に面白かったし、私は最後まで攻略した後も暫く遊んでいた。しかし、暴力表現などがありマフィアが登場する以上は、老若男女が楽しめる作品では無い。
従って、私にとって龍が如くゼロは非常に面白かったし気に入っているが、老若男女が楽しめないという意味では名作とは言えないと考える。
大体、表現的に人を選ぶ作品だったり、マニアックな作品は、いくらファンが面白かったと言っても、名作たり得ないのでは無いか?私自身、人を選ぶような作品は、わざわざ人に勧めない。
ところがアンパンマンもドラえもんもサザエさんもクレヨンしんちゃんも時代に合わせてマイナーチェンジはしてるんだよね
内容もビジュアルも
特にマスコットキャラクターは時流にそって変化してきたのが生き延びてるし大きくなっている
でも高橋留美子の最新作の境界のrinneは売上順調に落ちて行ってるし
全盛期の犬夜叉も超えられない
サンデー読者の若い子に言わせたら古いという感想が真っ先にくるし
長年追いかけてきたファンでさえ苦しくなってきたという感想もチラホラみる
変化をやめたオタクだけに受け入れられたとしても商業的な成功とも芸術的な成功とも言えない
変わるべき
逆説的に言えば連載が続いてるからこそまだ受け入れられる余地があって
連載やめたら古い絵柄というだけで誰も読まなくなる
そういう可能性がある奴には「乗るなら呑むな」と言っているわけだから、そこに疑問を覚えない条件では論理的には問題ない。
https://anond.hatelabo.jp/20171201141124
ズレててごめん。今はガラケーなんで確認できないけど修正できる環境になったら直すから。おわびにおまけを置いておく。
追記:田河、長谷川、虫コミ、カッパ、色々抜けがありました。のらくろは通巻、サザエさんは最初期の姉妹社版、鉄腕アトムはカッパコミックス版。
第10巻
第20巻
第30巻
第40巻
書誌情報に50冊目であることが確認できる作品(よって超人ロックは該当しない,石ノ森の文庫版マンガ日本の歴史は一応該当とする),サブタイトルは割愛,同一作品でも合算はしない(ドラえもんプラス,ダイヤのAact2等)
サザエさんを追加,クレヨンしんちゃんを追加,絶対可憐チルドレンを追加,キングダムを追加,(試験的に)文庫版のマンガ日本の歴史を追加,劇画人間革命を追加