はてなキーワード: カサンドラ症候群とは
女性はお金をもってて礼儀正しく穏やかで思いやりのあるセックスをしてくれる男性のことはたいてい好きになってしまうんだよ、そのセックスによって。
まあセックスで違和感あるなら腕枕とかハグでもいい、一緒にいて抱卵のように体温をつたえてもらう暑苦しい行為が愛情表現だとうけとるんだよ女性の体ってのは。
だからこそベッドに至るまえの段階でダメそうなやつを完璧に振り落としてしまわないといけないんだ女性は。
男性は逆だったりするので、アスペでわからんというのなら恋愛などというものに至る前に結婚して普通の人のふりしてもなんとなくうまくいくんじゃないかなーとは思う。ただアスペだとカサンドラ症候群とかあるって説明しておいたほうが一応親切かもしれんけど。
先週のことだ。
知り合ったのは3年ほど前。
趣味で通っていたライブハウスでわたしたちは出会い、半年ほどの彼からの猛烈なアプローチにわたしが半ば折れるような形で交際を始めた。
現在もう20代も半ばのわたし自身が中学生の頃に不登校を経験してからずっと心療内科にかかっていることもあって、人を信じるということに対するハードルが上がっていた。そして自分に恋愛なんて向いていないと思っていて今まで避けてきていたし、ましてや趣味で知り合った人を異性として見るなんて以ての外だと思っていた。
それでも半年もわたしがまともに相手をしなかったのに熱心にアプローチを続けてきたこと、忙しいはずなのに時間や労力を割いてでもわたしのような存在に費やしてくれたことを考えたら、この人のことは信じたいと思うようになった。
気がついたら2日に1回は会うようになっていたし、結婚を前提に同棲をしたいと頻繁に迫られるようになった。育った環境から結婚というものにあまりいいイメージがないだけに、「それは将来的に実現させられるといいね」と流していたけれど。
別れの原因になったのは他でもないモラハラだった。
彼はわたしより4歳年上で、どこか自分に自信がない様子を醸す人だった。
そのため自分以外の人間を必要以上に見下し、必死に優位に立つことでプライドを保っていたのだと思う。そのため共通の知人のことはもちろん、自分の思い通りにならなかった際はわたしのことをも必要以上にこき下ろしてきた。わたしが軽度の自閉症スペクトラムであることを説明した際に「幸せにしたい」と言ったのなんて真っ赤な嘘だったんじゃないかと思うぐらい、障害者蔑視とみられる発言も多かった。
自分の思い通りにいかないようならすぐに日本語が通じない、理解能力がないと言われる。確かにわたしはIQに偏りがあるし定型発達の人たちと比較すると頭の回転が早くはないと思う。しかし自慢ではないが論理力だけは平均値を大幅に上回っているし、幼少期から友達が少なかったこともあって活字が友達だと言っても過言ではない。それでも、彼が書いた文章がどんなに読みにくくて分かりにくい表現をしていても思っていることが伝わらないのはわたしの理解能力がないだけだという見解をされる日々が続いていた。そんなこと人生で一度も言われたことのない言葉であっただけに、それをどんどん気にするようになった。
そして隙があれば重箱の隅をつつくような感じで粗捜しされ、自分が取った行動であろうがわたしを責める。直接話していても、LINEでも、乾いた笑いが何度出たことかわからない。彼は必死に自分を正当化し、わたしに責任転嫁をすることでしか自分自身を認められなかった人なのだろうとすら思うまでである。ちなみに、この逆の行動をわたしが取ると激怒するのは言うまでもない。
おかげでどこかへ行こうと言っても心の底から楽しめなくなったし、気がついたら彼と一緒にいる時に大量の蕁麻疹が出るようになっていた。
しかしながら二度としないと言った約束は何度も何度も同じ形で繰り返された。それもすべて、わたしが知ったら傷つくような形で。三度目の正直、仏の顔も三度まで、と伝えてももちろん4度目があった。何なら2度目以降は持病の喘息の発作を引き起こすようになっていた。
そこまで約束をするほどに嫌がっていたことは、わたしが知らないと思って複数の女の子(しかもそのうちひとりは共通の知人である)にSNSで口説くことだった。この人にとっての「好き」の気持ちは、こんなにも薄っぺらくて誰にでも言えるものなんだ。そう思うと嫉妬なんていう気持ちは一切なくて、気がついたらバカバカしくなったことも正直数え切れない。どんどん自分への自信を喪失していったし、自分が彼を満足させられるような相手ではないからだろうと完全な自己嫌悪に陥った。今になって改めて思えば、カサンドラ症候群の気があったようにも感じる。
口説かれていた相手の女の子(先述の共通の知り合い)が彼の言動を嫌がっていた様子を含め証拠のスクショをもらい、それを突きつけても言い訳しか返ってこない。そして挙句の果てには「お前の言い方が悪い」「日本語の理解能力がない」「お前が嫉妬してくれないから遊び半分でやった」と感情的に何度も繰り返される。それでも彼にとっては冷静さを保っているつもりだったようで「感情的になって声を荒らげられるのは苦手だ」と何度伝えても続いた。
思えば揉めごとが起きる度に気がついたらなぜかわたしが泣いていたし、気がついたらなぜか彼に諭されていた。冷静に考えるとわけがわからない。時に彼の言葉はナイフのようで、身体的な危害を加えられないDVか何かのようだと感じた。
最終的にわたしが別れを告げた先週までは、前回揉めたことが共通の知り合いへの浮気だったというのもありまさに関係を修復している段階であった。
さすがに100%、とは言い切れなかったが、少しずつでも着実に前に進めていると思っていた。でもそう思っていたのは自分だけで、彼に一方的に期待をしていただけだったことに気がついた。
自分自身が心療内科に通っていることもあり精神疾患について勉強する機会も多々あったために彼はきっと自己愛性人格障害なのだから仕方ないと妥協していたが、それでも我慢の限界は来ていた。
前回喧嘩をした時に関係を戻したい、どうしても他の相手ではだめだと言って許しを乞うた人が関係を修復している真っ最中に同じことを繰り返せるのか、どんな理由があっても行動として出ている以上は簡単に欲に負けてしまえる程度の約束と相手だったということが示されたようなものである。幸せにしたい、大切にするという言葉は何だったのだろうか。
それでいて感情的に逆上される。喘息の発作が出るほどのトラウマがあってもう会いたくないとまで言っても、なぜかわたしの意見はわがままとして捉えられ1日でも早く話がしたいと執拗に責められる。挙句の果てには過去の自分の行動を恩を着せるかのように言われた。取った行動が約束を守っていない以上どこにも説得力なんてないし、何ならすべてが思い出話でしかないというのに。
そしてわたしは、別れを切り出した。
もう会いたいと思えない旨とさようならを告げ、LINEもTwitterもブロックした。
趣味がきっかけで知り合ったこともあり、共通の知人が多かったために特に親しい人たちやわたしたちの関係を知っている人たちにはすべて事情を説明し、わたしについて何か聞かれても何も答えないようにしてほしいと連絡して回った。
それでも彼はTwitterで捨て垢を作って執拗に連絡を続けてきた。それも何度も。
中にはリベンジポルノを仄めかすような脅しの文章もあった。晒されても困るような写真は幸い撮っていないが、プライバシーの侵害や脅迫という概念が抜け落ちている人なんだなと思った。まあそうでもなければモラハラなんて日常的に起こらないわけだが。
あまりにも何度も何度もブロックしても連絡が来るため、「何度も二度と会いたくないと伝えているし、これ以上関わるなら然るべき措置を取ります」と返した。ここで一段落ついた。
と思ったのが、間違いだった。
唯一フレンドになっていたソシャゲの公開チャットに、その返信が送られてきていた。頭が真っ白になった。時間を置くとは言っていてもこの期に及んでまだ執拗に会って話がしたいという文章にも、ソシャゲの公開チャットなんて不特定多数が閲覧できるのにそんなことが書かれていたことにも、理解にしばらくの時間を費やしたことは言うまでもない。
その後、案の定共通の知人のもとには彼がわたしについて聞く内容の連絡が次々と来ていた。事情は知っているからもう諦めるべきだとアドバイスする人、返信を送らない人。ありがたいことに、わたしはその人たちに守られた。
そのうちのひとりが事情を知らない前提で話を聞き出したところ、「どうしても会って話をして、何とかして説得したい。それで直接話をしても駄目なら諦める」と返信が来たそうだ。何度ももう会いたくないと伝えているはずなのに。
理解能力がない、日本語が通じないなどと散々罵っていた相手であるわたしの書いた文章を理解できていないのは他でもない彼だった。わたしは自分が書いた文章がアラビア語やタイ語などの専門的な知識がないと読めない言語や何かだったのか確認したが、デフォルトの日本語を使っていた。
彼と会わなくなって1週間。
日々の悩みだった蕁麻疹が出なくなった。
そして、自分自身が無意識に心身をすり減らしながらも生きることを自分なりに、必死に頑張っていたと気がついた。
彼はというと共通の知人いわくSNSで失恋ソングの歌詞や病んでいることを匂わせる投稿を連日しているようだが、わたしの知ったこっちゃない。
別れても寂しくない恋が存在するんだと思った。
既に前を向けている。
そして、少しでもわたしと同じ境遇に立っている人が、少しでもいなくなってほしいという気持ちがいちばんに強くなった。
きっと、モラハラを受けていた時よりもちょっとだけ強くなれたんだと思う。
この件で連日眠れない夜を過ごしたり、物理的な胸の痛みを感じたり、拒食気味になってきたりもしているので、そろそろ警察へ相談に行くか悩んでいる。しかし幸いにもこちらの住所(実家暮らしで友達を容易に呼べる環境ではないことにこれほど安堵したことはない)や自宅の電話番号、仕事先といったものは知られていないために、警察へ相談するのも次に何かしらのアクションが起きてからでないとさすがに彼の今後の人生に影響が出てしまうのではないかと思う。さすがにわたしのせいで彼の将来が暗いものとなっても、わたしには責任が取れるものではない。それに何より、別に人生をめちゃくちゃにしてやろうとは思わない。気力がもうない。
それほどまでに、もう関わりたくないのだ。
お前はカサンドラ症候群だなって言ってやれ
私は障害児を産みました。
発達障害児です。
小学校のほぼ全ての教科書に掲載されております「これからの日本を担うみなさんに期待を込め、税金で無償配布しています。」とありますが、私の子どもは、将来お国のお役に立てそうにありません。
我が子は自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠如・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)の全てを持ち合わせております。
発達障害は遺伝しやすいため、お国の為に子孫を残すことはできません。子どもを作ったが最後、重大犯罪者となります。
我が子には頃合を見て避妊手術を実施いたしますので、不良子孫の防止を徹底いたします。
我が子は将来の働き口もないため、税金で暮らすことになります。働けても、低収入職であると予想できるため、補助金頼りになるでしょう。
障害者に関わる健常者は、支援疲れやカサンドラ症候群となり、健康を害います。
健常者を使い物にならない状態まで追い込む、これが発達障害者の特徴であります。
こんな不良品を産んで、大変申し訳ございません。これは、親の責任です。
障害児を産んだ場合の法的心中支援を、ぜひ作っていただきたいと強く望みます。
毎日毎日謝り倒し、生活制限、親の仕事制限と、心身共に疲弊しております。
そもそも、この子を産まなければ、こんなことにはなりませんでした。
男性の発達障害はモテず、女性の発達障害はモテるからじゃないでしょうか。
いわゆる本当に「天然」と言われている人達の中には発達障害の人がそこそこいると思っています。
発達障害には大きく
ASDとADHDがあり、(LDは詳しくないので一旦置いておく)
大体片方ある人はもう片方も併発はしているものの、濃度には差がある。
それぞれの特徴に関しては色々あるので調べてみてほしい。
女性の発達障害は自己認識率も込みで、ASDよりもADHDの方が多い。
ADHDの要素というのは割とダメっぽさが分かりやすい。色々な事ができない、という感じ。
一方で男性の場合は「できない」は社会的にも性的にも良しとはされず、モテない。
女性よりも男性が多いとされるASDの要素は攻撃的な部分が多い。
そういう人と付き合うとカサンドラ症候群という状態になり、パートナー側が参ってしまう事もある。
このカサンドラ症候群は男性もなるのだけどカサンドラで検索すると出てくるのは女性が多い。
女性のASDは社会的生活が比較的上手く、本人にも周りにも気づかれない場合が多い。
そもそも現在のASDの定義自体が、男性的なものではないかという指摘が近年あるらしい。
と本で読んだ。確かにそう感じる。
一つ例を挙げると、
まとめると
ADHDは比較的女性もいて、「できない」が魅力に見えるからモテる。
詳しい人、どうでしょうか。
別居に至るまでは色々あって、
一つ一つはどの家庭にもあるようなことで
でも、やめてほしいと言っても嘘をつかれてやめてもらえない、
やってほしいと言ったことは嫌な顔をされてやってもらえない、
家事も育児も仕事もしながら、自分の気持ちに向き合える余裕などなくて、
ただ毎日なんでこんな人と結婚してしまったんだろう、なんでこんな人と子供を作ってしまったんだろう、
と毎日毎分思いながら、その相手の食事も作って片付けて洗濯もして、一緒に生活するのは本当につらかった。
別居後、子供が保育園に行っている間に夫と二人で話をする時間を作って、
想像していたよりも長期間、結婚前からずっと嘘をつかれていたことを自白されて、
やっとこの10年近くの間に自分がされてきたことの全体像が分かった。
(まだ隠してることがあるんじゃないかとも思うけど。)
混乱した状態で毎日のようにLINEで親しい友人に話を聞いてもらって、
(この友人には感謝してもしきれない。)
自分の状態を検索して最初にたどり着いたのは、「カサンドラ症候群」という言葉で、
wikipediaの記述を読んで、自分のことが書いてある…と衝撃だった。
アスペルガー症候群の項目も読んだけど、夫に当てはまるような、当てはまらないようなで、よく分からなかった。
それからカサンドラ症候群を自称している方のブログやtwitterなどを読んで、書かれている旦那さんのこと、気持ち悪いくらいうちの夫と一緒だ…と思って、
本当にどの人の行動も言動も似すぎていて気持ち悪くて、それからはあまり調べたりしていない。
別居前から食欲不振や動悸などの身体症状もあり、仕事に支障も出ていたので
カウンセリングと心療内科を調べて、まず近くの臨床心理士さんのいるカウンセリングへ、泣きながら予約の電話をした。
そこで夫との関係のこと、夫の行動、自分の気持ちなどをカウンセリングの先生に聞いてもらい、
自分はカサンドラ症候群なのではと思っているというのも話した。
カウンセリングの先生も「僕も話を聞いていて旦那さんは発達障害の傾向があるのではと思った」と言って、夫に受診を勧めるように助言してくださったのだけれど、
そこから実際に夫が発達障害の検査を受けるまで、3か月以上かかった。
その間に私はカウンセリングですすめられた心療内科にも行き(適応障害と診断、安定剤を処方してもらったけど効果はよく分からず)、カウンセリングも月2回のペースで通っている。
これまでのカウンセリングでは私自分のことよりも、夫の問題(発達障害疑いと風俗依存)へのアプローチが中心だった。
紆余曲折あって、結局夫も私と同じカウンセリングに通うことにしたようで、検査もそこで受けて、検査結果は数日前に夫に伝えられたようなのだけど、
「○日に結果を聞いたら連絡する」と自分で言った夫から私に報告はなく、結局私から夫に催促して聞いた。
IQテストのような検査で、結果、ASDの傾向は低いとのことだった。
それじゃあ私のこの状態はなんなのだろう、やっぱり夫が思っているように私が完璧主義のモラハラ妻なのか。
夫のことが憎くて仕方がなくて発狂したように責めてしまう私が人格障害なのか。
風俗通いとアスペルガー的行動は別問題としても、夫のことは本当に理解できなくて気持ち悪いし、
カウンセリングの先生からは、「旦那さんに何かしらのコンプレックスがあって風俗通いやセックスレスはそれが原因だろう」「あなたに対しての態度や言動もコンプレックスの裏返しでしょう」とのことで
これからは夫婦カウンセリングで、夫婦として夫の性の問題に向き合っていきましょうという感じなのだけど、正直もう自信がない。
息子と二人の生活を4か月近く続けて、
それは仕事しながらのワンオペ育児は大変だし落ち込むこともあるけれど、
保育園も頼りにさせてもらえているし、話ができる友人もママ友もいてくれるし、
何より何もしない、不機嫌な顔でただそこにいるだけの大人が家にいないというだけで
こんなに楽しく軽い気持ちで過ごせるのだ、子供との生活はこんなに毎日充実しているのに、
これがもし、夫が戻ってきたら、また夫と暮らしていた頃の自分に戻ってしまうのか、とこわいし、
そうならないために、冷静に冷静にと自分を押し殺して我慢して、そうしてまで夫婦でいる必要はあるのかな…子供のためにもよくないよな…
あーもう全部投げ出して消えちゃいたい。
前半は夫が増田の分まで食べる件、後半はち○ち○について。
まず、夫はいくら稼いでも自分で追加を頼むことはない。夫は「人のもの」を半分以上食べて支配欲を満たしている。それを仕事と今の家庭両方で満たせてないから食卓で発散している。
普段の生活でも、増田の気づかないところでしている。物や体で増田のスペース占拠したり、言葉や行動量で増田の負担になる場面まで圧倒したり。
それはデリカシーが無いんじゃなくて、増田がストレスのはけ口なだけ。増田の領域を知りながら侵すことで彼は満たしている。
それは夫自身も無意識で悪気は全くない。夫にとっては、自分が多くて人が少ないのが自然。無意識なので、増田が出来ることはあまり無い。
できることは、夫の前で笑うこと、夫の「食事」を知ること、他人に話すこと。食事は、増田以外との食事情を聞くといい。増田がいない場面との比較が出来れば、溜飲は多少下がる。
友達や仕事の付き合いとの食事でも半分以上シェア奪うのか。結婚前(特に幼少期)は、家族とはどんな食卓を囲んでたのか。その頃から当たり前に人のものを半分以上食ってたのか。どんな食事形態で、どれくらい食べてたのか、どんな会話してたのか。
「なんで私がそこまでしなきゃ」は当然。無理せず気になったときになんとなく、ゆっくり。
カサンドラ症候群を調べて。
以下、ち○ち○について。
気持ち良さには二種類ある。感情的と物理的。「大きくて気持ちいい」は物理的な快感。増田が「書いた通り」だと、夫のその大きさを何度も指摘していることから、増田の快感=物理的>>>感情的となる。
しかしそこには大きな矛盾点が見られる。それは、本文でち○ち○についての記述が一切なかったにも関わらず、返信でそれを何度も記述した点。
増田は、返信欄でち○ち○のサイズを配偶者の選別指標、主たる理由と書いたにも関わらず、本文にそれを書かなかった。このことから増田が夫を選んだ際、それだけが理由ではなかったことが分かる。
また本文で「最初のデートから半分以上食べていた」「えびフライのしっぽも言い方次第で許す」とある。ことから増田は、普段から物理的な公平性以上に相手の感情を尊重しており、感情優位であることが分かる。決して生粋のち○ち○好きなどではない。
増田は過大なそれが好きだが、夫を好きになったからこそ、その大きさを愛している。
文字数全体の意義素からも、増田が人に対して最も価値を感じているのは感情であり、あれのサイズは付帯価値であることが分かる。
にも関わらず、返信欄で「サイズが大きかったから選んだ」と何度も断言した。そうしてこの考えに固執して幾重にも本心を覆い、さらに問題を深化させている。
今まで夫を愛し、満たされていた。
それが感情という水で満たされていた池が枯渇していく過程で、杭というち○ち○が表出した状態だと考えられる。
つまり、増田の快感=感情的>>>物理的が適切と考えられる。この増田は、全く異なる2つの考え方を抱えて生きている。
今後、愛情がマイナス値になると、その過大性(物理)までも嫌疑する可能性が極めて高い。
そして増田文章から、それがまさに現在進行形であることが危惧される。
「それが半分以上欲しいんじゃなくて、夫が半分以上欲しい。」そう聞こえた。
それで人間。
頑張るな増田^^