はてなキーワード: さいことは
現役医師ですけど、まずその電話は仕事用ということでいいと思います。
ただ、その番号を患者さんに直接渡すというのは通常業務ではちょっと考えにくい
何も思ってない患者に直接つながる電話番号渡すとか、めんどくさいことになるリスクしかない(時間外に鬼電してくるとか)
一般的には何かあったら看護師さんを通じて連絡してもらうんじゃないかと
ということで、自分の予想は元増田さんにちょっと気があるのではと思います
ただ、いきなり本携帯の連絡先を渡すのはハードルが高いのでとりあえず業務用を渡して様子を見てるんじゃないかと
チャンスがあったら「どういうときに連絡したらいいんですかー?」って聞いて反応を見てみては?
「症状が悪化した時です」みたいな業務的な返事が返ってきたら本当に業務、「暇なときとかしてもいいよ」とか言ってきたらちょっと脈ありみたいな。
ただ、気を付けてほしいのがその年代の外科医ってチャラいの多いです。
最悪、本携帯の連絡先を渡さなかったのは既婚だからという可能性もある。
あまりのめりこまずに慎重に経過をうかがいましょう。
だって一番面倒くさくないじゃん?
死んで終わらせるのって。
その面倒くさいを乗り越えたいって欲求しか自分にはないのかも知れん。
ちなみに俺はプログラマーは向いてないよ。
俺は本当の面倒くさがりなんだよ。
とにかく今は全てが面倒くさいんだ。
テレビを見ないのはテレビのペースに合わせるのが面倒くさいからだし、スマホゲーをやらないのはスタミナを管理したくないから。
人付き合いは当然やりたくないけど、職場で人に嫌われると面倒くさいから飲み会にはたまに顔を出してる。
面倒臭さがより減る方向を目指す以外の指向性が人生に存在しないんだよ。
新しい趣味が欲しいけど面倒くさいから手慣れで出来るインターネットばかりしてる。
でも誰かを推すとかネッ友を作るとかは面倒くさいからやってない。
ただこうやって匿名のサイトに出入りして好きな時に好きなように書き散らして終わらせる。
やりたいことを我慢するのは面倒くさいし、やりたくないことをやるのは面倒くさい、だから面倒くさくなく出来ることをやりたいことだって思い込んで延々と暇つぶしみたいなことをして人生を過ごしてる。
とにかく全部が面倒くさい。
蓄えについて考えるのが面倒くさいから、ちょっと面倒くさいことが多いけどそこそこの金が貰える仕事を続けてるし、ホウレンソウは面倒くさいことが増えそうならや無くて減らせそうならやってる。
とにかくあらゆる行動が面倒くさいかどうかで決まってる。
仲良くなると面倒くさそうな人には嫌われるように努力するし、嫌われたら面倒くさそうな人に嫌われないように努力する、面倒くさいことを回避するための努力はできるけど、長期的には頑張れないからその場しのぎで性格がコロコロ変わる異常者になってる。
面倒くさいことを減らせるから部屋の整理整頓は好きだけど、整理整頓が面倒くさいから整理整頓は嫌い。
基準がシンプルすぎるからプラマイゼロのポイントに辿り着くともうどこにもいけない矛盾存在となる。
生きるのは面倒くさいけど、死ぬために乗り越えなきゃいけない精神的な壁を超えるのが面倒くさいから生きることを選択し続けてる。
でも生きることの面倒臭さに耐えられないからいつも死にたいと思ってるし、死ぬことを考えることの面倒臭さに耐えられないから生きようと考えてる。
シンプルすぎる価値観の辿り着く果ては優柔不断の自己矛盾ループ躁鬱だよ。
精神構造が単純すぎるせいで一見すると複雑に見えるけど、ほじくり返しみてるとビックリするぐらい単純なゼンマイ仕掛けの昔の玩具みてーだな
今まで文章書いてた人はクビになったのかな。
まだなってないとしても半年以内には確実に仕事なくなるだろうな。
自分の仕事はまだギリギリAIが追いついてない領域なので金を貰えてるけど、このままいくとあと1年持つかどうか。
嫌だ。
めんどくさいことしたくなくて、誰にでもはできない技術習得したんやで…
別にやろうと思えば誰でもできるとは思うが…多少の適性はいるくらいの技術。
とにかく楽に最低限稼げればそれでいいのに。
今、生活の軸は2本あって、
②まぁまぁ頭使けど、その分技術は上がる。しかしやりがい搾取で金は低めの仕事。仕事量も安定はしてない。
あとはまぁお小遣い稼ぎ程度のやつもチラホラやってる。
①は1年くらいでなくなりそう。
②を主軸にするとストレスがかかるから嫌なんだよな。楽しいっちゃ楽しいけど、2週間に1回くらいでいい。
そんなわけでダラダラいいとこどりしつつ暮らしてきたがAIのおかげで先が見えね〜
そういう意欲ないんですが…
どうしたらいいんだろな〜
労働者側でいるからこういうクソダル問題に振り回されるのは百も承知。
何か新しいビジネス考えないとまずそう。
行動力ないことでお馴染みなのに…
趣味に邁進してて、仕事マジでやる気なくて、普通の正社員みたいな生き方は絶対できないタイプの人間この世にいっぱいいると思うけど今後どうしてくよ?
「若い頃は子持ちの人の話はつまんないと思っていた」
「それは「話題が子供の事しかないから」じゃなくて、「今を心から楽しんでる若い子達の話に水を差す」から」
「そうすると、聞いてるこっちは“呑気に遊んでてすみません”という気持ちになる」
「どう話題を広げても、子供いない人には分からない、となってしまう」
「さらに”今のうちに楽しいことしておきな〜”等と続けてくる」
という内容のものだった。
(@komugi_baby77様 記事URL https://twitter.com/komugi_baby77/status/1673683552716865537?s=46)
……分かる。
めっっっっちゃ分かるし、
超超超超気をつけたいと思った。
子持ちの会話つまらない、と感じたことがある人、まじで結構多いんじゃなかろうか。
私もそうだった。
つい先々月まで子なしだった身として、心からハッとさせられる内容だった。
まじでこのツイートを読めてよかった。
子育てって大変そう……という概念を日々こういうところから蓄積させられて、子供いない方がいいとなってる人、じつは多いんじゃなかろうか。
聞いてもないのに、子育てがいかに大変で生活を制限されるものかを語られても、そりゃ会話が広がるわけないのよな。本当にそう。
この問題って、年々子供を持たない選択をする人が増えてることにもどこかで結びついてるんじゃないかと思った。
ちょっと前に、「経済的には満たされてるけど子供を産もうとは思えない」という赤裸々な匿名記事を読んだ。
自分の時間を取られるし、ママ(パパ)になった人たちは、なんかとにかく大変そうだし。自由がなくなるのがとにかく嫌。お金も時間も自分に使いたい。
この記事についても、分かる、と思った。
独身の頃。友達がママになると、あー、”そっち側”に行っちゃったのね〜となんか寂しくなった。
“そっち側”って遠い国のように表現したのは、
本当に体験しないと分からない世界だってことを、分かってるから。
自由じゃない世界に行っちゃってかわいそう〜〜まであったかもしれない。
いやそれは言い過ぎか。でも近い感情はあった。
しかし。
いざ結婚して30歳近くになると、私にも子供が欲しいと思う時期が突然やってきた。
自分の人生に20年後も30年後もそんなに興味持てる自信がないな、という理由で。
子供の人生に勝手ながら途中まで参加させてもらうことで、子に起きた出来事を、本当に自分のことのように悩んだり喜んだり悲しんだりしたいと思った。
自分にとって大切な映画に、主人公が『人生は他者だ』と気づくシーンがある。
夫とは親友みたいに仲良しだし、
多趣味でやりたいことは常にあった。
それでも“そっち側”(自由じゃなさそうな世界)に行ってみたいと思ったのは、『人生は他者だ』ということを噛み締めたかったから。
で、いざ親になってみて。
今まで聞いてきた「子育て大変よ〜」という話はまあ、本当だった。
自分を優先することがなくなるし、
1日の予定なんて立てたって思い通りにならない。
目を離したら死ぬかもしれないか弱い生き物と過ごすことは、仕事で感じる責任とは全く違うものだった。
そういった毎日の中で、若い人に「今だけできる経験を大事にして欲しい」っていうお節介心でなんか言いたくなってしまう。
そうすると、「わあ大変そうですね〜〜〜」って感じで、余計に子育ての世界は分断されてしまう。
まじで不毛すぎる。よくない。
あと多分ちょっと子育て側が話盛ってる。そこまで余裕なくない。わりと今まで通りにいける部分もある。(※個人の感想)
その2つが出産してすぐにわりとバズっていて、どちらも分かる〜〜となったけど、あの時とくに答えは出なかった。共感で終わった。
でも、「子持ちの人の話つまらない」という投稿を読んで、初めて全部が腑に落ちた。
日常の中で子育て側が、非子育て側に、軽い冗談でも“楽しい今”に水を刺してはいけないということ。
小さいことを意識するだけで、分断は少しずつ無くしていけるのではないかと思った。
そもそも、「子供いない人で人様の子供の話に興味ある人なんてほとんどいない」ってことを胸に刻み、
相手から聞かれるまでは子供の話題出さないっていう配慮、結構大事だと思う。相手との仲良し度によるけれど。
そうした上で、子を持つ持たないの自由が広がっていくといい。
私は、友人や後輩の思いつき弾丸旅行の話とか、朝まで飲んでやらかした話とか、推し活に全て捧げてる話とか、ダメンズと別れられない話とか、いつまでも聞きたいから、そういうことを気軽に話してもらえる子持ちババアになりたい。
そのために、
子持ちの会話つまらない、と思っていた過去の自分を、今後の人生も心のどっかに住まわせておきたいと思う。
終わり
最後に。
「だから低学歴なんだよ」って石投げて終わりたい外野は黙ってろよ。
どうせお前も同じように何も思いつかないからそうやってマウント取ってるだけなんだから。
本当に分かってたらアドバイス欲を満たそうとするはずなんだ。
他人とのコミュニケーションを正しく相互利益によるものではなく、お互いが他者に対してマウントすることでしか得られない快楽を得る機会を共有するために実施する文化の中で暮らしてる奴らはこういうことをするんだ。
俺はこれがもういい加減無理だ。
インターネットはな、なんだかんだいって低学歴社会だったんだよ。
参入障壁として求められる知性・知能・努力が低い社会ほど低学歴になる。
長期的な展望を目指して努力することが出来ないから、短期的な気持ちよさや楽さに流れる奴らで溢れる。
そういう界隈における他者交流はマウントか、それを回避するための拒絶で溢れる。
でもそんな小さいことじゃ段々と刺激が足りなくなるが、そこで実行されるのが集団によるイジメだ。
ターゲットを決めてソイツを攻撃することで一人じゃ出来ない巨大なマウントという偉業をチームで達成したという快感に浸ろうとする。
くだらねー。
それで満たされるのは死ぬまで価値観を中学生のままにし続ける必要がある。
俺はもう無理だった。
いい加減大人になりたくなった。
偏差値45前後の高校・大学・会社でずーっと価値観中学生で生きて、ネットに還っても同じレベルの集団とガキみたいなネットリンチに無自覚なまま加担してた。
でもそれじゃ先がねえんだよ。
そういうときは子供を作れば嫌でも大人になってどうにかなるっていうけどさ、ありゃ嘘だよ。
子供がいた所で変わらん。
ガキみたいなオッサンが小さな子分に餌やって先輩風を吹かせてるだけで終わるんだ。
でも今更どうやればいいんだ。
ガキみたいな中高年に囲まれた暮らしから脱するためのルートが日本にはねえ。
転げ落ちることは出来ても這い上がることは出来ねえ。
人生の方針を早めにちゃんと決めて、淡々とそこに向けて積み上げた人間にしか入れねえ世界がある。
そこは別に椅子取りゲームはしてないけど、変わりに入門審査が底辺に対してはやたら厳しいんだ。
そりゃそうだよ。
一人の不純物が一人で「ねえねえコイツいじめない?いじめない?」と騒いでそれに愛想笑いを周りが浮かべさせられるだけで如何に職場の空気がゴミになるのかなんて俺もよく分かってる。
奇跡的に偏差値55ぐらいの民度になってた職場が、たった一人の無能クソガキが無能ゆえに仕事をろくに振られずそれ故に暇を持て余して「退屈だし誰かイジメよっかな~~~」とかニタニタした顔でマウントしやすそうな相手を探して全員にちょっかいをかけだすと、それでもう民度偏差値は45ぐらいまで下がっていく。
たった一人のゴミを、どう扱ったらいいのかも分からないゴミを、偶然職場に引き込んだだけでそれまでマシだった空気が終わるんだ。
クズが一番クズになるのは、振れる仕事がないから勉強しとけと言ったはずなのにフラフラと遊び始めてる時だからな。
会社に入ってヒマになることはありませんよと証明出来るのは実務経験ぐらいだ。
じゃあやっぱ25までに進む道を固めないと駄目なんだな。
ドイツは日本と違って10歳で進む道が決まるなんて聞くけど、実際どうなんだろうな。
まあ25まで時間あったのに「ひとまず低偏差値社会でも生きていけるだろ」ってテレビドラマの不良みたいな価値観で暮らしてた俺が間違ってたよ。
ここは辛い。
先がないよ。
成長が12歳で止まったままで生きるには80年は長いよ。
息子が土曜の朝に友達を5人連れてきた。泊まりで勉強会をするとのこと。
土曜の昼食〜日曜の昼食まで全て作ってくれと事前にお願いされ、勘弁してくれよクソガキがと思いつつ息子の交友関係のためにしぶしぶ引き受けた。
2日間のメニューは以下の通り。
日曜昼 焼きそば
普段なら育ち盛りの息子のためにと考えていた栄養バランスなども完全に無視して、
とにかく「安い」&「一度に大量に作れる」ことに特化した料理にした。
面倒くさいことさせやがってと息子にキレ気味だったんだけど、いざ来てみると、息子の友達五人衆がめちゃくちゃいい子たちだった。
初日の昼飯は
「素麺にこんなに具が入ってるの初めて!めちゃくちゃ豪華で美味しい!」って喜んでくれたり、(薄焼き卵とハムと大葉と青ネギと刻み海苔とチューブ生姜を出していただけ)
夕飯は
「こんな美味しい唐揚げ初めて食べた!」とか「家のカレーもこれだったらいいのに!毎日食べたい!」とか「キャベツがふわふわで無限に食べれる!」とか言ってくれるし、(キャベツはサラダクラブのやつ)
翌朝は
「アメリカの朝食みたいでテンション上がる!」とか無理やり褒めるとこ探してくれるし、
昼は
「この焼きそば、お店出した方がいいですよ!僕毎週通いますよ!」とかめちゃくちゃおだててくれた。
5人全員、ちゃんとしたお菓子を持ってきてくれたし、中には親御さんの手紙付きで封筒に三千円入れて渡してくれた子もいた。
それを見た他の子たちが「え!俺持ってきてない!今持ち合わせないから今度渡します!」とか言ってくれてさ。いいよいいよって最初の子のも断ったんだけど、結局全員から二千円ずつ受け取ることになったよ。まさかの黒字とはね。
いやーー、本当にいい子たちだった。きっと親御さんもちゃんとした人なんだろうな。
蛇足だけど。
大学入学直後という友達づくりのボーナスステージでうまく行かなかったなら、
今、急いで友達を作って維持しようとしても、この3か月をまた繰り返して消耗するだけに終わる可能性が高いと思う。
しばらくは無理をせず、生きたいように生きていけば大丈夫だよ。
世の中、「友達さいこー」みたいに謳うやつらが幅を利かせているように見えるけど、
大抵の大学生の大抵の友人関係は卒業でリセットされるし、その後も転職や結婚・出産等でライフステージが変わるたびにかなりの部分がリセットされる。
「友達を作らなきゃ」みたいな漠然とした不安感につきあっていると、実はたいして価値のないことに消耗し続けてしまうよ。(実際、そう思うからこそ、一度はできた友人とも縁が切れたのでしょう。)
ペンブラ、ド世代だしふまけん黒白のペンブラしぬほど見たいしペンブラがすきだけどなんでペンブラがすきかって一色宵威エンドだからなんすよ…西崎でも哲太でもきょうちゃんでもなくて一色くんなの。それがーーーさいこう…(結末を知ってしまったが故にフルバ最後まで読めてない)
出来事なのかわからないけど、唯一あった変化としては、おそれていた寂しいおっさんに自分がなってたってことくらいか
なんだかぼーっと生きていたら時間だけ過ぎて、前はまだ20代だったが今は30超えておっさんになってた
最近、いよいよ人生がどうにもいかなくなったというか好転しないんだなということをひしひしと感じる
このまま今抱えてる寂しさをずっと抱えて生きていくと思うと将来が不安だなあ
楽しみでもあればいいけど特にはないし、無理に楽しもうとしても冷めちゃうし
これをしていれば楽しいってことがない
多分、こんなかんじで年をとっていくんだろうけど、この先の人生は辛いのかな~
辛いならどうやって対処すればいいんだろうか
原因はなにか継続的に努力して作り出すことをしてこなかったからかな
これだと抽象的すぎるか
学生時代は何も学ばず、仕事はいくつかやったもののどれも長続きせず、結局フリーターに落ち着く
人間関係もめんどくさいことを避けて自分だけの考えに閉じこもるだけで人と関係性を作ろうなんてしてなかった
思い出してみるとそりゃなんにもないよな、居場所も、自分自身も
今、こんな風にガス抜きしてこのまんまなんだろうな
今よりももっと悪くなっていつかはどうにもならなくなるのかな