しっかりしなさい
(1)車両内に監視カメラを設置する→アリだと思います!問題は、鉄道会社が一方的にコストかかるんだろうね。
(2)男性専用車両もつくる→アリだと思います!痴漢冤罪が怖い男性用に。一番可能性ありそう。
(3)乗車ルール設ける→これは難しそう。いつも乗る人はいいけど、たまにしか乗らない人にはわかり難い事になりそう。
(4)悲鳴アプリを作る→アプリとしてはあっていいと思う。ただ、満員電車の痴漢抑止にはならない気がする。被害受けてからの対策になるし、防犯ブザーなどすでにあるけど、女性が現在利用していない事を考えると、使い辛いものなんだと思うから。ていうか自分がそう思う。
(5)そもそもの満員状態を解消する→個人的にはコレが一番の解決法だと思っている。鉄道会社にのみコストをかけるわけでもないので、是非これを社会的に導入してほしい。
乗車率100%以上の乗客を乗せると、エレベーターのようにブザーが鳴るなどして、乗せれないようにする。
社会的にも、乗車率オーバーで電車に乗れなかった遅刻に対しては、許容する文化になればいいと思う。
会社や学校も、もっと積極的にフレックス制を取り入れればいい。
そもそも学校の開始時刻をもっと遅くして、社会人とかぶらないようにするなど、できそうな気もするのだが。
(6)個人の対策を積み重ねる→大事ですね。ただ、個人の対策をしなかった人が痴漢や痴漢冤罪に合うわけではない、という認識はなくさないでほしい。
痴漢した人が相手を選んだ理由「たまたま近くにいたから」がたしか多かったので。
個人的には、社会が、特に男性がこういう問題についてこうして考えてくれるだけで、それだけでも痴漢を減らす一因になると思います。
無関心が一番、犯罪をしやすくさせると思うのです。割れ窓理論というやつですね。今ぐぐりました。
「建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。」
残念ながら痴漢冤罪の方については詳しくないので、はっきり意見を持ってはいませんが、痴漢同様軽く見てはいけない犯罪の一つだと思っています。冤罪そのものが、人の人生に取り返しのつかない傷をつけてしまうものだから。
いい加減、満員電車問題は解決の方向に向かうべきですよね。一体あと何年、あのぎゅうぎゅうに詰め込まれるのが当たり前の電車が、日本を走るんだろう。
東方の最新作が爆死した。
「東方紺珠伝」「東方深秘録」と一挙に2作品を揃え、満を持しての発表だったにも関わらず、「艦これ」正式サービス開始2周年とそれに続くゲーム内イベント発表の影に埋もれ、世間の口に上ることすらなく盛大に轟沈した。
東方の新作が爆死するなど艦これが登場するまでは考えられなかった現象だが、これこそまさに東方には最早オタクを惹きつけるだけの魅力がないことの証左なのだ。
起こるべくして起きた、東方の衰退を象徴する現象であると言えよう。
これは揺るぎない事実であり、数々の事象がそれを証明している。
同じ「ゲーム」というプラットフォームにあり、いずれもキャラカタログ性を備える東方と艦これにおいて、何故艦これだけが右肩上がりで成長し続け、東方だけが飽きられ廃れ続けていっているのか。
それはキャラクターボイスの実装やアニメ化など、東方がことごとく拒否してきた要素を艦これが備え、それがオタクに受けているからに他ならない。
これは、インターネット上であれだけ叩かれ、貶められた艦これのアニメが、Blu-ray Disc販売数2万枚という空前の大ヒットを記録したことからも伺い知ることができる。
しかしながら不幸なことに、東方の製作者である太田順也ことZUNはこの事実を理解していなかった。
信じたい情報だけを信用し、東方信者によるインターネット上での過剰な艦これアニメ叩きと東方擁護をそのまま鵜呑みにした結果、東方の最新作は前例のない大爆死を迎えたのである。
所詮インターネットにはノイジーマイノリティしか存在していなかったのだ。
良識ある艦これファンは、インターネット上の情報に踊らされることなく艦これのアニメを正しく評価していたのである。
その一方で、東方の新作が発表されたことを、一体どのくらいの人間が知っていただろうか?
ZUNの強気の姿勢は、わざわざ新作発表の日を4/23 ― すなわち艦これ2周年の記念日に選んだことからも伺えるが、その根拠のない自信が結果的に東方を一段と破滅へと向かわせてしまったのである。
当の本人は
「東方の世界は良くなった。何かと言わないけれど面倒くさい人が出て行ってくれた。」
などと戯言をほざいているようだが、ここまでストレートで典型的な負け犬の遠吠えは、今後の人生の中でもまず滅多にお目にかかれない代物であろう。
また、製作者のこのような醜態を諌めるでもなく妄信している東方信者どもも断罪されるべきである。
東方信者は自らの行いが東方の寿命を縮めていることを自覚すべきだ。
「今年の例大祭(註:東方最大の同人イベント)は艦これから戻ってきたサークルが多い」
という話を見たことがあるが、なんということはない、単に不良在庫化必至の東方既刊本をどうにか捌き切るために参加しているだけの話である。(既刊本がある程度捌けているなら、新刊は一切出さずに総集編で儲けるという手段もある)
艦これを叩いている暇があったら、自ジャンルの心配の一つでもしてみてはいかがだろうか。
アニメの売り上げがアニメの評価を決定するように、作品の評価は、もっと言えば作品を作ったクリエイターの能力は、その作品のファンの絶対数の多さで決定する。
つまり、現状の艦これと東方のファン数に鑑みれば、東方の製作者である太田順也は、艦これの立案者である田中謙介よりも、クリエイターとしての能力が劣っているということである。
現状のまま夏コミを迎えれば、恐らく「上海アリス」「黄昏フロンティア」には待機列すら形成されず、いわゆる「モーゼ状態」になることは想像に難くない。
付き合ってた頃には気にならなかったのだけど、結婚して一緒に暮らしてみたら、
実は夫の箸の持ち方が一見分からない程度におかしいことに気づいた。
親指と人差し指のみで上の箸を動かし、中指と薬指で下の箸を固定している。
中指が上の箸から離れてしまっているので、二本の箸が十分に開かない。
私は実家が水産業で日常的に魚を食べていたから、きちんと箸を使うように躾けられたけど、
彼は内陸の出身で、大皿料理をが多い食卓で育ったらしく、しかも一見おかしくない程度の持ち方だから
親から矯正されることも、周囲から指摘されることもなく30歳近くまできてしまったらしい。
私の実家から送られてきた魚を焼いたら、身をほぐしさず、かぶりついて食べ始めて箸の使い方がおかしいことに気づいた。
それからというもの食事の度に、箸の持ち方が〜と言ってきたけど大人になってしまった人間を他人が躾け直すなんて、
基本的には無理なことで、言っても言ってもなおらなかった。
彼は基本的には素直な人だし、なおす意思もあるのに、それでもやっぱり染み付いた癖ってなおらない。
お互いになんとなく食事が楽しくなくなってきた頃、大人用の矯正橋というのを見つけた。
リングが付いてたりするようなのではなくて、シンプルな漆塗りのお箸で指を置くべき場所が凹んでいるもの。
使ってみてもらったら、ほんの数日できれいにお箸が持てるようになった。
ふたりしてあんなにイライラしていたのに、ほんとうにあっけなく。
これでやっとストレスなく魚が食べられる。
夫が自慢げな顔でちゃんと使えることをアピールしてくる。
コミュニケーション能力だとか言ってる人こそ、コミュニケーションが取れていない、取ろうとしていないのではないかと思う。
話しかけると、怒る、不機嫌な態度を示すも、そういうやつに限ってほうれん草を唱えている。
「相手が不機嫌であろうと話しかけにくいと報告や連絡は、しろ」などと言っている、確かにその通りだが、話しかけにくい雰囲気を醸し出している
その態度は、問題ないのかと問いたい。
■相手の話を最後まで聞かない。
相手が話している途中で勝手に解釈を終わらせしまい、反論しようとする。
そのため、相手の言い分を正しく理解していない。
相手が少しでも間違ったことを発言しようものなら、鬼の首を取ったかのように否定し出す。
これも相手の話を最後まで聞かないためだと言える。
その場合、社会の常識や正論を盾に使うため、こちらから反論することを許さない。
言っていることは、間違ってはいないが、それが相手を傷つけていることは、理解していない。
仮に理解していたとしても、それは、相手が悪い、自分は、間違っていないと思い込んでいる。
1つでも当てはまる人こそ、コミュ障なのではなかろうか。
という惹句にひかれてよく前を通るけど利用したことは一度もないカフェへ入ったら、薄暗い店内に客が僕一人だったのはまあ時間帯的に仕方ないことだとはいえスタッフが店長という風情でもない若けぇアンちゃんオンリーでさすがにカウンターだけだよなまさかこいつが調理するわけねえよなと不安半分で注文したら、まさしくそいつが器に米をよそいはじめて、そこでもう、うわ地獄かなってなるじゃないですか、ところが当の麻婆豆腐は予想に反してけっこう美味くて、費用対分量でいうコスパは悪いけれどもこの味は余店をもって代えがたいし定期的に通うのも悪くないなあ店員はやたら挙動不審だけどそれぐらい広い心で許してやろうじゃないか神様なお客様だものと、うすらぼんやりとした頭でお昼ごはんのローテーションを組み直していたらカウンターでたえまない不審な挙動を見せていたアンちゃんが唐突に手でカメラアイを作りながら「写真取っていいスか?」と聞いてきて、は? となるとアンちゃん壁の方を指さして「壁にはらしていただきたい」とか抜かすんで振り向いてみればなるほどいままで気づかんかったがカフェ飯をついばみながら半笑いを浮かべる客たち(彼らもどうしたらいいかわからなかったんだと思う)のモザイクアートが一面にドン引きするほど蝟集しておりなんていうかアットホーム感というよりホラーハウス感だろサイコパス殺人鬼の部屋じゃないんだから、としばらく言葉を失ってしまったせいで断るタイミングを逸して結局フレームにおさまり、目出度く被害者リストの一員に名をつらねたわけだけれど、まあそれだけで気分は事後ですよね強姦されたようですよね、そんな半ば放心したような気持ちで「お会計……」と告げるとアンちゃんはハツラツした笑顔で「ありがとうございましたー」と金を受領していき、のみならず「ところでお客さん、◯◯大学(カフェから最寄りの大学)の学生ですか?」と個人情報まで徴収しようと目論んできやがるので一点の曇りもない悪意でもって国立死ねよ大学死ねよ学部死ねよ学科所属で専攻はお前であると言い放って逃げようかとも思ったが、相手の無知と無私と無神経を併せ持ったものだけが使える天真爛漫なスマイルをみるに『オールド・ボーイ』(パク・チャヌク版)
のリファレンスを有しているか微妙だったので「まあ、◯◯大学ですけど……」と臆病なオオアリクイのように震えながら答えると「そうなんですか! 俺もなんですよ!」と返してきていよいよ知るかだからどうしたクソがという乙女のような気持ちで胸いっぱいになったのですがそこはオオアリクイなので「そうなんですか〜ごちそうさま〜」と無難だかコミュ障だかなんだかわからないお別れを残して店から出、胃袋のあたりでうずまく麻婆豆腐特有のあのぎゅるぎゅるを聞きつつ、もう二度と来ない、来るもんか、と誓い、明日へと向かって力強く踏み出して七歩目あたりで結局あのアンちゃんはバイトだったのか店長だったのか、そんなことが妙に気になりだして眠れなくなった。
自分の専門はストレートな政治学ではなかったけど、周辺領域をやっているという理由で、一般教養レベルの政治学の講義を持たされたことがある大学教員です。
ぼくは「政治」に関する知識が全く無い。どうやって勉強すればいいんだろうか。
上記のエントリが示すのは、いまの日本的な政治をめぐって、若い人が感じてもおかしくない自然で興味深い疑問だと思うし、私がかつて担当してた講義の問題意識と重複するので、少しまとめてみたい。
当該エントリに対する多くのレスが知識について言及し、またエントリ主(元増田)のあるべき問題意識が、知識的な側面に集約されている事が、一つの根本的な問題を象徴していると感じた。それは、「政治とは難しい存在で、その背景や構造を知っているものこそが言及すべき」という、いさささか排除的な認識の影響ではないかと私は疑っている。
本来の広義の政治とは、権力をめぐる闘争にすぎない。たとえば、夕食の準備が家族の必須のタスクとして認識されている複数人の家族間で、誰がその面倒な作業を担うべきか?という問題に答えを出すのが「政治」が本来持つ大きな役割のはずである。仮に「自分は(夕食の準備を)やりたくない」「私もやりたくない」という意見が対立する環境で、「後片付けは自分がやるから、準備はお願い」とかそういう様々な取引によって、集団が円満に運営されるようであれば、その問題は、何らかの政治的な取引によって解決されたことになると考えて良い。政治的技術というと拒否する人もいるかもしれないけど、言いなりにせずちゃんと交渉したり妥協するための話し合いをすることが大事だと思ってもらいたい。
本来、家族ばかりでなく様々な職場や学校あるいはPTAといった様々な組織や環境で、複数人が顔を合わせれば必ず発生する方針の違いや負担の押し付け合いは、みな本来政治の領域の問題である。もちろん、ある程度本気で、負担を押し付け合い、権利を獲得するためには、司直の手に委ねるとか、いわゆる政治的運動を通じた公的政策形成として行われる必要があるが、そこまでする程でもない権力配分をめぐる闘争は、日常的な少しの配慮と知識でかなり得することもおおい。ぜひそういう意味での政治に関心を持って学んでおいてもらえると嬉しい。
つまり、本来政治というのは実に身近で現実的で実用性のある概念である。しかし、輸入された民主主義という歴史のこの国で、政治の成熟は遠く、永田町で行われている汚らしいものという認識をもたれている。その政治に言及するには、知識が重要である、あるいは「事情通」でなければいけない、といった排除的な雰囲気はまったく受け入れられない。
繰り返すが、政治というのは実に身近な概念であって、仮に元増田が、組織をリードするポジションにあるようであれば、分断統治とかすぐ日常的に使える便利な概念になるはずだ。また、政治的なリーダーとなるべき人の条件を学び、それっぽい素質を普段から発揮することによって、自分に有利な組織的決定を得ることなども比較的簡単である。(もちろん属人的な特質は否定できないが。)
ここまでは、少しスレ違いな気もするが、そういうレスが出てくる背景について、あえて指摘させてもらった。せっかくなので、元増田の発言の趣旨にそって、政治をなるべく単純な現象として理解してみる。
まず、「人々の能力は様々である」という前提には同意してもらえるはずだ。次に、その個人的な能力に応じて、物質的に豊かで文化的な生活をおくれる人と、そうでない人がいる。そして、どっちかといえば、(というより現実的には圧倒的に)、豊かな人が少なく、貧乏な人が多い。そういう貧富の差こそが社会の最も基本的な分かれ目である。そして、豊かな人はその豊かさに基づいて貧しい人を抑圧してきてきたというのが大雑把な人類の歴史だ。
その後、農業革命や産業革命などに代表される幾つかのイノベーションによって、人類の生産性が飛躍的に向上してから、一部の相対的に豊かな国や地域では、貧富の差が問題となり、それを解消するための基本的人権やら所得の再分配やらの様々な社会的制度を構築してきたのが近代の歴史である。
しかし、貧富の差を解消する制度や政策は、しばしば豊かな人にとって増税/負担増となり、つまり相対的に自分が幾分貧しくなることを示していたので、必ずしも皆が賛成したわけではなかった。一方、貧しい人は依然として貧しい人も多く、もっと社会的制度を充実させるべきだという主張を持って公的な政治(いわゆる永田町的な)に参加するようになる。
それが今の社会を取り巻く分断のもっとも簡単な理解だと思う。つまり、世の中は金持ちと貧乏人の対立であり、金持ちに有利な主張=右派、貧乏人に有利な主張=左派、程度に理解しておけば良い。金持ちは豊かで優秀な人こそが社会を豊かにする源泉だから、優秀な人のやる気を出させるために、平等より自由(規制の少なさ)を主張するし、貧乏人は自己の生存のためにその逆を主張する(平等を実現しようとすれば規制が増える(自由が減る)のが世の常なので。)
ただ、上記の話の説得力が残念ながら乏しいのは、日本の永田町政治が、必ずしもその構図で理解できないからだ(まあ先進国はどこも似たようなものだが)。ここでその詳細は書ききれないが、それでも、この世の政治的な争いの大半は、金持ちと貧乏人の主張の違いに基づく、自由と平等をめぐるたたかいに落ち付くという理解でだいたい間違ってないと思う。
最後に少しまとめよう。自分がある政治的価値観の判断に困ったときは、その判断によって誰が助かり、誰が損するのか?ということをよく考え、自分が支持できそうな人が助かる政策だったら支持すればいい。そんな簡単な原理で判断してもらって良いと思う。大事なことは、自分の知識が乏しいからと言って政治から距離を取らないこと。よくわからないことは自覚しつつ、その上で自分はこうだとおもう。と何かしら一言述べて、政治に参加して欲しい。
その後の現実的政治に対しても、なるべくなら穏健的な立場の政治的関心を持って、この国の大切な思想的なインフラである民主主義を一緒に守ろう。急進的だったり、自分の職業的な利益ばかりを重視した、バランスの悪い政治というものは、高い確率で我々の社会に不幸な結果をもたらす気がするから。もっともそう考えるかどうかも含めて、君には考える自由と権利があるし、それこそが民主主義のありがたみなのだから。
雑文失礼。
転生した鍵垢からリスト見たり検索を見たりするようにしただけだが、
Twitterの楽しみといえばそのアイドルとファンの人達の呟きを見ることだった。
…のだが、最近はそうでない。
最近ライブが始まって、ライブの感想などを見ることが多くなった。
今まではライブに行けていて感想もまた楽しみの一つであったのだが、
やはり凄いんだなというアイドルへの憧れと、
そして自分の情けなさが募っていった。
ファンの人達が悪いんじゃない。
むしろこうあってほしいという望み通りだったし、
ツイ禁に留めず削除を決行した。
転生した後もファンの人達の呟きを覗いてみるのだが、
やはり見るのが辛く、
あの人達の視界にいなくて良かったと安堵する。
今はもう覗いていない。
またいつか、あの場所に帰れるだろうか。
帰れるといいなと願ってる。
はべんはべんにしてやる!
数万人の書き込み履歴、クレカ番号含めた個人情報が流出したが運営からは謝罪も賠償も無し
ひろゆきは旧運営と2ch.sc設立、2ch.netは反アフィ・無断転載禁止となるが、scはnetのレスから「無断転載禁止」を消し自動転載。アフィブログはscからレス転載
東京産業新聞社(ドワンゴ)傘下のガジェット通信、アフィブログがこぞってnetsage、scage
集団訴訟を計画していた唐澤貴洋弁護士の事務所にひろゆき傘下のドワンゴから阿部通子弁護士が移籍、集団訴訟は有耶無耶に(その後阿部通子弁護士は便護士事務所を離れ独立)
本人だったらもっとこうまわりくどい表現とだらだらした長文でやるでしょ
「低能」「ゴミクズ」「ゴキブリ」しか語彙がなく、訴訟だ告発だとほのめかすよりも「殺してやりたい」という衝動が先に口に出る高能様とは明らかにタイプが違う