はてなキーワード: エコーとは
1 http://anond.hatelabo.jp/20110908032311
2 http://anond.hatelabo.jp/20110909020414
ただし、気付いたのが本当に初期だったらしく、エコーなどで確認も取れなかった為、
昨日黄体ホルモン濃度を調べる為に血液検査をして、金曜日にもう一度診察予定で、
毎回毎回4000円実費とか妊娠出産マジ金かかるわーとかぼやいてたら、
さっき病院から電話があって急遽診察を今日受けて欲しいとのこと。
何それ怖い。血液検査で何が分かったの?超怖いんだけど。
どこに言う事も出来ず、どこかに吐きだしたかったので増田に書いたものの
二時間後には判明するわけで、どうしよう。
本当に死ぬかと思った
水もなくなりそうなのに自宅にいろ
ちなみに50km圏内
家もみしみし言ってた
次余震きたら死ぬの覚悟した
あそこらへんは放射線安全なのに外に出られない
でもみんな政府の発表信じて家で待ってたのに何もしてくれない
ご飯食べるとうんち出るし、水のみたくてものめばおしこもでる
飲み水がなくなる・・・ほんとうにこわかった
今もそういう思いしてる人がいわきにいると思うと本当にこわいしつらいしもう吐きたくなる
弟の親友もいわきにいるし、お父さんの昔馴染みもたくさんのこってる
あたしの友達の親ものこってるひとがいるって
みんな死んじゃうかもしれない
でもわたしは生き残ってしまったので、自分にできることとして、
こどもを産むまでは全部見ません。
逃げてごめんなさい。
わたしはここにこれを残す事しかもうしないけど、
これを誰かが読んでくれて
何かを感じてくれたら幸いです。
逃げる事は悪い事ではないということ
わたしは逃げてしまって安全な場所にいる身なので、あの危険な餓死の恐怖の迫る場所にいる人に直接伝える事はできませんが
いや、伝える事がこわすぎて・・・
おもしろおかしく報道しやがって
逃げれるのに逃げれない人がたくさんいるのに
本当に死んじゃう世界を見てきたわたしには死ねなんてこわくて言えない
でも本当に死ぬかと思った
おなかの赤ちゃんが死んじゃうと思った
でもさっきエコーでみてもらったら元気におっぱいを吸う練習をしてました
カップラーメンをくれたおとなりさん、自分ちのモーターで地下水を出してくれた裏のおじちゃん
井戸水をわけてくれたがんの親戚のおじちゃん
家の鍵もあけてきました
あるものは使えばいいと行ってあります
こんな所に吐き出してごめんなさい
twitterとかで名前を出して吐き出すにはこわすぎる
ほんと、誰かなんとかしてほしいよ
めちゃくちゃに書いててしりめつれつで
本当にごめんなさい。
何度も死ぬ覚悟を決めたけど生きててよかた
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
世間的には、ルンペンとかダンボーラーとか乞食とか言われてて、
最近ではアンダーザブリッジなんていうふうにも言われてますね。
親と仲が悪く、金がなく、
風呂トイレ共同で家賃2万円の所に住みだしたらしいんですけど、
まあ東京行くかという風になったらしく、
池袋にあるゲストハウスみたいな敷礼0家賃3万円のところに住んでおったみたいなんですが、
家賃を払うことが3週間で不可能になったらしく、
その後は、いわいる物乞いをしてたらしいです。
ある時、新宿のサブナードという地下街の階段で寝てるときに金をすられ、
そこで次の日の朝、寝過ごし。
新宿の漫画喫茶から電話があり、お金を払えずに出れなくなったので
代わりにお金を出して「俺」を出してくれのとのこと。
その後は高田馬場にある僕の自宅に連れてかえって、
風呂を貸して、酒を出して、帰るときに煙草を買ってあげました。
どうやら明日かあさってには妹から1万円が振り込まれるようなので、
これは3週間前の話。
どうやら3週間前に妹から振り込んでもらった1万円を気付かぬうちに使ってしまったらしい。
新宿で知らない男に仕事を紹介してもらい、連れて行かれたのが、
山梨のタコ部屋であったこと。
日給8000円で家賃が1日2500円、食事代や休日のことを考えると、殆ど残らない今流行のあれです。
お金がないときの生活。
なに食べてるのか、どこで寝てるのか。
いや、何が、何なら食べやすく、どこで、どこでなら寝やすいのか。
などなど。
彼は寝ても食っても音楽野郎なので、ロック・パンクについても長々と話しました。
ドラゴンズのANARCHY IN THE UK のカバーが最高に本当の意味でパンクだなって。
そんな話しをしながら、うまそうにエコーを吸う。
タイトルに不適切な表現がありますが、あえて使わせてもらいます。不愉快な人はごめんなさい。
3年前の今頃、夫が重度の男性不妊だと分かり、現在まで子供なし。今年中に体外受精をしようと夫婦で決めていたので先週の私の誕生日(土曜で夫の仕事が休み)に不妊専門の病院へ行ってきた。
本当はもう少し早くに不妊外来へ行く予定だったんだけど、婦人検診の乳がん検査にひっかかってしまい、精密検査に時間がかかってしまった。
エコーで腫瘍が左胸に1つと右胸に2つみつかり、そのうち1つは問題なし、残り2つは「異型細胞」で癌ではないが正常でもなく、今後癌化する可能性もあるので半年毎の経過観察ということに。体外受精をする予定だとあらかじめ伝えていたので、主治医は今後はホルモンの影響等も考えて経過観察する予定だと言ってくれた。
エコー、マンモグラフィー、MRI、針生検と、癌の可能性がなければしない検査(針生検)までしたので、結果が出る前に乳がんの覚悟はしていた。30歳になる前1ヶ月間は乳がん検査と結果待ち。まだ20代だし3つの腫瘍が全部癌ならすぐに全身に転移して死ぬのかな・・・と、とても不安だたけど、私を不安がらせないようにか、夫は「絶対癌じゃないよ」と言うだけだった。
3年前、夫の精子検査の日、夫は結果を聞く前に仕事に戻ったので私は一人で結果を聞いた。
先生:「はい、○○さんの奥さんね?えーっと、ご主人とは自然妊娠は無理ね。精子が少なすぎるから。体外受精でも無理だろうね。子供ほしいなら顕微授精以外無理ね。」
私:「え・・・・?」
先生:「顕微授精の説明は看護師から聞いて帰ってください。はい、お疲れ様でした。」
私:「え・・・、先生、無理って絶対に無理なんですか?」
先生:「絶対とは言えないけどこの数字じゃねー、考えても仕方ないよ。」
徐々に自分の体から血の気が引いていくのを感じて、意識がボーっとして、大して何も質問が出来なかった。ただ、先生の言い方が冷たくて冷たくて、平常心を保つのがやっとだった。何で夫は帰ったんだろう、一緒に居てほしかったと強く思った。今考えれば、同情した言い方をすると泣いてしまうかもしれないから、淡々と言ってくれたのかもしれない。
なので、今回は自分の検査だったけど、結果を聞く時は一緒に居てほしかった。癌じゃないと思うけど、もしも癌だと言われた時には、夫に隣に居てほしかったから仕事を休んで一緒にきてとお願いした。有給があまってるので休めたけど、「結果聞くだけなら一人で行けるでしょ?」って言われた。夫は私がお願いしたら嫌でもお願い事を聞いてくれるのでそれはありがたい。だけど、自分の本意じゃないことも口にするので、時々傷つく。
乳がん検査の結果を聞いた帰りの車の中で、「今は癌じゃないけど、来年には癌になってるかもしれないから、早く子供、作らないとね。もし癌になったらしばらく子供作れないもんね。」って私が言ったら、「見つかってないだけで、俺の体のどこかにも癌あるかもしれないし。」って言われた。夫にとってはその程度の事なんだ・・・と思った。
今までは、夫が不妊で子供が出来ないから自分に引け目はなかった。だけど、自分が癌になって夫の子供が産めなくなるのは申し訳ないと思った。だからすぐに体外受精の病院へ行くことにした。
だって、もし妊娠中に発ガンしたら、癌の治療と中絶のどちらかを選択しないといけない。治療をしないで出産する人もいる。それで子供を残して死んでしまう人も居る。考えすぎだろうけど、やっぱり癌化する可能性があるのなら、今後の最悪の状況は頭をよぎる。
誕生日の前日、外食をしてホテルに泊まった。ちなみにホテルは会社の保養所指定先。誕生日、結婚記念日は必ず外食をしてプレゼントとカードを渡すようにお互いしてきたので、今回も夫はそうしてくれた。だけど、その渡し方が悲しかった。渡し方くらいでって男の人は思うだろうけど・・・。
今までは食事の時にバースデーソングが流れてプレゼントを渡されるとか、日付が変わった瞬間に渡されるとか、そういう演出をしてくれる人だった。
今回はホテルについてベッドに転がったら、「はいこれ」ってプレゼントとカードをベッドに置かれた。午後10時くらいで、まだ誕生日じゃなかった。
私:「え?もう?まだ誕生日きてないよw」
夫:「20代のうちに渡したいから」
私:「え?だって誕生日プレゼントでしょ?誕生日にほしかったな」
夫:「30代とかいやでしょ?20代のお前にあげたかった・・・云々・・・」
夫は同級生で、誕生日は11月。いつも私が先に年をとるけど、自分では今年30歳になるのがそんなに嫌じゃなかったから、夫が20代の私に固執した発言をしたのが悲しかった。
次の日、私の誕生日、日本でも有数の体外受精の権威の病院へ行った。夫の結果はやっぱり悪くて顕微授精以外無理だと言われたけど、私は状態がよかったらしい。
男性側が不妊の場合は、女性は正常でも不妊でもあまり関係なくて、排卵誘発剤を使ってできるだけ沢山の卵子を作って、薬で全部を一気に排卵させて、卵巣から直接卵子を採取する。自己注射になったので、誘発剤は自分で注射器で毎日打つことになった。看護士が別室で注射の打ち方を教えてくれたけど、自分のお腹に注射器を90度の角度で針の根元まで刺すなんて、グロいし怖い。いきなり練習でやってみてと言われたけど、緊張してうまく出来なくて、痛かった。針がお腹に刺さっていかなくて、「痛い、これ以上針が入らないんですけど」と私が看護士に言ったら、「大して痛くないくせに」って夫に言われた。人に刺されたら痛くないんだろうけど、自分で自分に刺すのは、うまく出来ないから痛い。どうせなら「頑張れ」とか「大丈夫大丈夫」とか、そういう励ましの言葉がほしかった。
お昼頃に病院についたけど、初診で体外受精の準備が全部整ったので、自分でする薬や注射一式を渡されて、スケジュールも説明されて、あとは自分のタイミングで始めてくださいって言われた。今度病院に行くのは、自分で誘発させた卵子を採取してもらう時。少しづつ治療が始まると思ってたのにいきなりスタートを切らされた感じがあって戸惑った。
たまたま病院が私と夫の母校大学から車で30分くらいの所にあったので、その日は誕生日だし、病院が終わったら、大学まで行って、昔し住んでたマンションを見たりよく一緒に行った居酒屋に行ったり、同級生が働いてるバーによって久しぶりに話がしたいって夫に言っておいた。子供を作る前に、少し昔しを懐かしみたかったから。
病院を出て夫に「大学近辺に行くんだよね?」って言われて「うん」って言った。病院を出た時19時を過ぎていて私は検査が多かったので疲れてたけど、誕生日なので楽しく過ごしたかった。夫は精液検査だけだったので、待ちくたびれてたのかもしれない。何だか二人とも疲れてた。
「あと2回ここくれば、それで終わりだよね?」って夫が言って、私はキレた。
これから家で注射をしたり色々準備して、病院に行くのはあと4回。そのうち2回は私は腹腔鏡手術をしないといけない。夫は1回、オナニーをして精子を出すだけ。
こんなこと思っちゃいけないんだろうけど、夫のせいで私は痛いきつい辛い思いをしてホルモン治療をするのに、夫はアダルトビデオを見てシャーレに射精すればそれで終わり。体外受精は男性と女性の精神的肉体的負担が全然違う。本当は「夫が健康だったらこんなことしなくていいのに」って思ってるけど、精子がなくて辛いのは夫だから、それは言わないようにしてた。だけど、最近の夫の思いやりのない発言に限界だった。
「2回じゃなかったっけ?」って夫がまた言った。かる~く言った。意外と大したことないねって感じで言った。私が口を開いたら醜い言葉しか出ないから、ずっと黙ってた。涙が止まらなかったけど、横を向いて気付かれないようにしてた。これから顕微授精に向けて私がなにをするのか、夫婦で説明を受けたのに、夫は聞いてなかったんだ。だって2回じゃない。
乳がん検査の時、「もしも癌でも、自分のことを第一に考えて、子供は無理して作らなくてもいいよ」って言ってほしかった。
誕生日の日、「30歳おめでと。30代も一緒に楽しく過ごそうね」って言ってほしかった。
注射が痛いって言った時、手を握ってほしかった。
帰りの車で、「体外受精で辛い思いをするかもしれないけど、一緒に頑張ろう」って言ってほしかった。
きっと私がこうしてほしいって言ったら、そうしてくれる。夫は優しい人だ。だけど、自発的に思ってるわけじゃないのがわかって辛い。
「何で心配してくれないの?」って言った後「大丈夫?」なんて言われても嬉しくない。
体外受精までして子供を作っていいのかも不安だし、答えが出ない。もしかしたら子供は作らないほうがいいのかなって時々思う。
ありのままの出来事を人に言うと、単なる夫への愚痴・悪口になるので友達にも言えない。
最近こんなことが続いてたけど、本当は夫は優しい人だし大事にしてくれてると思う。夫のことが大好きだし夫も好きだと言ってくれる。
毎日一緒に夕食を食べてくれるし、週末も一緒にいてくれる。いつもパソコンばかりしてるけど、外でも手をつないでくれるし、夫を知ってる人はみんな「愛妻家だよね」って言ってくれる。
ただ、すごく鈍くて察することをしないだけ。私が普通の声のトーンで怒ったら気付かない鈍い人。
自分たちの事は客観的に見れないけど、客観的には幸せな夫婦です。自分でも幸せだと思ってる。
今回、色々とヘビーなことが短期間に集中したので誰かに愚痴りたくて増田に思いを綴ったけど、こういうことを乗り越えて他人が夫婦になっていくんだと思う。
そう思いたい。だから頑張ろう。
横からだが、使っている人の話を聞くとという前提付きで
おさいぶ携帯などがないので、不便
女性には電話中に画面に化粧がつきそうという理由で、注意が必要
という感じ。正直、人気先行ではあるので、2台目として使うというのが良いかと思う。あと、Bankなので地方では電波入りにくい。
いまAUなら1月までは待つべきでは?CDMA版iPhoneが発売になるのでAUからCDMA iPhoneが出るのか出ないのか。情勢を見極めてから買ったほうが良い。
というか、AU組がその可否を待たずに乗り換えるのは早計ということで(AUの方が電波入りやすいので)待ってのはAUの基本すたんすだとおもうが
なんでiPhoneのことは知ってるのに CDMA(AUと同じ規格)版のiPhoneがアメリカで1月に出る予定という事を知らんの?もうちょっと調べたほうがいいよ。
新型ipod touchの発表も近いし。
最近は、エコー・ノイズキャンセラーも付いたらしく、音質もマシになってきたが。初代のiPhoneとかは、駅とかのうるさい場所で、iPhoneから電話されると、騒音をもろに拾ってひどかった。持ってる本人は気がつかないが、電話されたほうが迷惑とかそういう状況。(当然日本の携帯には そういう音質向上機能が付いているものが多い。)
37 : AV女優(鹿児島県) :sage :2010/08/14(土) 16:24:26.20 俺の父ちゃんもクビの骨を折って、最初に担ぎ込まれた病院で、 全身麻痺です、寝たきりになります、車椅子もムリですって言われて 母ちゃん号泣。 その後大きな救急病院に搬送したら腕のいい医者がいて、そこで直して もらって全快だった。 医者でぜんぜん違うな。 628 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:37:40.74 >37 そうそう俺もむかし腹が痛くて痛くて病院に駆け込んだときに、 最初の病院の医者はいきなり悪性って診断しやがってマジ泣いた 次の病院はエコー見てもわからないから痛み止め処方w 次の病院もエコーに4人掛かりでわからず、 最後の医者は持ち込んだレントゲン見て一発で膿瘍と診断、即入院手術で回復 医者でぜんっぜん違うから注意だわ 702 : 柔道整復師(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 22:52:22.74 >37 知り合いがバイクで事故って救急車で運ばれたんだけど 医者が「足を切らないと死んでしまう」って それ聞いたそいつのカーチャンが「そんなの絶対駄目」って、急いで違う病院に運んだんだけど 今では普通に歩いたり走ったりしてる 怖すぎ 751 : 爽健美茶(大阪府) :2010/08/15(日) 00:46:05.67 >37 6年ぐらい前に頭がフラフラするし身体に力が入らない、おまけに 野良猫に噛まれて足が腫れて来た。 近所の緊急行ったらベビーカー押した爺さんが出てきて症状を説明しても 「わからんなぁ」で傷だけ消毒されて終わり。 翌日症状が治まらないから別の個人病院行ったら、医者が俺の顔見るなり 緊急手術とか言い出した。 出血性胃潰瘍で失血死寸前、よく一人で医者まで来れたなと言われたお。 貧血で顔真っ青、見た瞬間判ったって言われたよ。 634 : AV女優(東京都) :sage :2010/08/14(土) 20:40:17.23 >628 どういう病院がおすすめ?大きい病院? 637 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:45:12.90 大学病院>634 640 : グラウンドキーパー(大阪府) :2010/08/14(土) 20:48:21.16 >634 最後の当たりの病院は国立だけど担当した医者は何年かで移動しちゃうし、 3番目の4人掛かりダメ病院も箱自体は日本赤十字のでかい病院だし 結局いい医者に当たるかどうかは運のような 649 : 指揮者(大阪府) :sage :2010/08/14(土) 20:56:41.16 >645 ああ、確かにコネは重要だよな。 ウチの母ちゃんの場合は俺の勤めてる会社の社長が手を尽くしてくれて 取引先の某大企業の部長さんの紹介で直ぐに見て貰えたからな。 797 : ノブ姉(山形県) :2010/08/15(日) 03:14:59.01 >37 >702 これマジかよw 洒落で済まないぞ 807 : まりもっこり(中部地方) :2010/08/15(日) 03:35:30.29 >797 指チョンパして、「もうくっつきません」って言われた指他に持ってったらひっついたとか けっこうその手の話よく聞くぞ
俺は最近早稲田を卒業したんだけどこの「せんぱい」のモデルに心当たりがある。
イニシャルで言うとAさんじゃないかな。
二年遅れで再入学、たかり癖、ロースクールに行く後輩に金を貸した(正確には保証人になったんだが)
ロングピースが好きだけどエコーを吸ってる、四年の夏に突然内定を獲る、
三畳間に住んでて本まみれ、布団の上にコンロを置いてるあたりの描写は完全にピッタリ。
実際と違うのはAさんが就職した先は民間企業ではなく某機関。夏採用なのは合ってる。
一文から?ってことで一時ちょっと話題になった。仕事もまだ辞めていないはず。M君はローでまだ頑張ってるし。
宗教勧誘と不動産屋が好きな早大OBが二人いるとは思えないので、もしかすると
元増田は俺の知り合いじゃないかな。
先輩は、目も眩むような職に就いた。
紆余曲折あったが、「なかなかすごいね」と言われる僕らの大学の中でも圧倒的なところへ就職していった。
政治経済学部や法学部をブチ抜いて、彼はたった一人そこに到達し、あっという間に辞めた。
先輩は、一言で言えばへんな人だった。
二年遅れで大学に入って来た彼は最初の大学を「教授とケンカして」辞めたそうだ。
必修単位を取るために頭を下げるくらいなら、潔く大学を辞めるべきと考えたらしい。
そんなわけで、彼はウチに大学に来た。昔いた大学は教えてくれなかったが、
就職実績と反比例する形で偏差値の高止まりを続けるこの学部にあっさり入ってくるくらいだから
それなりのところから来たんだろうと思う。昔は法学をやっていたらしい。
先輩は大体喫煙所か、喫茶店か、本屋かあるいは酒のあるところにいた。
ロングピースが好きなのだが、予算の都合でエコーばかり吸っていた。でも、彼には煙草を恵んでくれる
先輩、後輩、友人がたくさんいたので、いつも楽しそうだった。高田馬場のロータリーで、たかれる相手を探す
先輩に気づくと、ぼくはよく逃げ出したものだ。あの人と話しているうちにいつの間にか僕は酒を奢ってしまうし、
なんとなくいい気分になって家に帰ってしまうのだ。そして、財布を見れば大体空だった。
あの人と喋っていると、あらゆる夢は実現可能に思えたし、実際に実現可能だった。
先輩は人をよく褒めた。今思えば、彼の才能で一番凄かったのはそこだろうと思う。
先輩と話していると、自分が本当に優れた人間のような気がしてくるのだ。彼は本能的になのか、それとも経験のなせる業なのか
とにかく「ここを認めて欲しい」と人が思う場所を的確に探り当ててつつくことが出来た。
そして、それを伸ばすことが出来た。大学時代、彼の周囲には夢追い人がたくさんいて、
彼らの夢はおおよそ叶った。司法試験に受かった人、国家一種に受かった人、うちの大学でもそうはいない人たちが彼の周りにはいた。
この二人はぼくの友人でもあるのだけれど、未だに先輩への尊敬を口にする。特に司法試験に受かった彼は、ロースクールの学費を先輩に工面して貰ったのだ。「足を向けて寝られない」そうだ。
先輩はたかり癖を持つ一方惜しみなく与える人だった。
車をぶつけて困ってる後輩がいれば走り回って金を工面し、不動産屋ともめている友人がいればニコニコしながらやってきて
マシンガントークで交渉した。そういえば、先輩は「俺は不動産屋と宗教勧誘が好きなんだ」と公言していた。
「エホバの証人」の勧誘がついに来なくなってしまったと落ち込む先輩を見た時は、こんな人間もこの世にいるのかと驚いた覚えがある。日曜日の最高の楽しみだったらしい。そのために先輩は缶コーヒーを箱で買っていた。彼なりの歓待だったのだろう。
実は、車をぶつけて困っていた後輩とは僕である。
情けない話であるが、保険まで切らしていてにっちもさっちもいかなくなった。
先輩はどうやったのかわからないが、ポンと(当時の僕としては)大金を貸してくれた。
「アルバイトするくらいなら飯を食わない」「奨学金以外の収入は汚れている」と主張してやまなかった人が
必要な時にはすぐにお金を工面できるのは本当に謎だった。
先輩は親に仕送りをストップされており、奨学金の一種と二種と給付を併用して三畳間に暮らしていた。
彼の部屋は隙間無く本に埋もれており、留守か、と思ったら本の山が崩れて先輩の足が飛び出すといった感じだった。
その中に敷いた煎餅布団の上にガスコンロを一つ置いて、先輩はよくラーメンを煮ていた。よく火事にならなかったものだ。
そして、先輩は日々をなにをするというわけでもなく暮らしていた。たまに小説を書いているようなそぶりがあったり、あるいはふと何か実用的な勉強をしていることもあったが、およそすることと言えば酒をたかる、喫煙所で煙草を吸う、授業で教授をおちょくる、本を読む、ラーメンを食う、マージャンをする、といったものだった。その大体に僕はついて回っていた。楽しかったのである。
先輩は四年生の夏、ふと僕に「スーツを買うから金を貸してくれ」と言い、一番安いツルシのスーツを一つ買って
某企業の夏採用に突貫していった。あれは大体留学生枠の上先輩は二浪なので、どう転んでも無理だろうと思っていたら
彼はあっさりと内定、その後就職していった。その信頼を利用して金を引っ張り後輩に貸付けたのがその後のことである。
会社名を言うと先輩を特定されてしまうだろうと思うので、ちょっといえないのだが
今はかなり上手く言っているようで、一部では時々名前を見かけるようになった。
僕はと言えば、やはりある程度夢も叶って働いている。でも、理想と現実は全然違う。
ところで、当時の仲間たちが、「せんぱい」を中心に未だに人間関係を持っていて、しかもその多くが収入をそこから得ているという事実に驚く。
未だに思うけれど、彼みたいになりたかった。
彼と居れば、世界は意のままになるような気がしたし、実際先輩はなにもかもそうしているような気がする。
水面下での苦労はきっとあるんだろうけれど。あれほど大きかった夢が今しぼんで、先輩のことばかり考えている。
そりゃあ、やりたい仕事ではあったけれど。労働環境なんてそれはそれはひどいものだ、収入だってかなり悲惨だ。
でも、こんなことを言ったら先輩は怒るだろうと思う、だから電話出来ない。
先輩と話したい、彼と話せれば何もかも上手くいく気がする。でも、こんな有様ではとてもそんなこと出来ない。
学生時代に戻りたい、仕事が、辛い。でも、望んで就いた仕事なんだし、背中を押してもらって得たものなのだから
誰にも不満なんかいえない。先輩の話を聞くたびに、辛い。あんな風になりたかった。
正確には去年の8月11日だったと思う。8月の初頭が誕生日で、去年の誕生日に20歳になった。
だから、親に何も知らせる事無く一人で同意書を書いて、出した。
相手の欄に書いてくれる人は居なかった。もう捕まらないんだろうなあ、と諦めている。
五週目の赤ん坊だった。検査薬を買ってみたら2本の線が出てたので、「妊娠したな」と思って病院行った。
「妊娠されてらっしゃるのは確実なんですけども」と言われたけれど、ああ、としか思わなかった。
「多分、今、五週目だと思うんですけど」と言うと、丸い円盤のようなものを取り出して確認した後(あれで周期を判断するのかな?)
「詳しいですね」と驚いたように言われた。それくらい知ってる。ググった。
赤ん坊が出来ても別に驚かなかった。覚悟はしていたので、慌てなかった。
でも毎日のように本を読んだり、Webで情報収集したりしてた事に、その時初めて気づいた。
それから膣に棒のようなものを突っ込まれて(結構痛い)、エコー検診。どこに胎児が居るか全然分からなかった。
「堕胎します」と言うと、「分かりました」と言って簡単な手術の説明をされた。
とりあえずその日に同意書を貰って、銀行で貯金を下ろした。一人で上京して仕事してるので、お金はあった。
初診料、検査費用も含めて15万円だった。高いのか安いのか分からない!
だってそうでしょう。人間一人分(二人分か三人分かも)の命が掛かっているんだから。
でも、全然実感が沸かなかった。体の具合が悪かったので病院へ行って、「処置」をする。それだけ。
望まぬ子どもが出来たら泣き喚いて、絶望するものだと思ってた。
でも、全然泣かなかった。悲しいとすら思わなかった。子供が居るという事実は把握したけど、愛情も沸かなかった。
折角出来た大切な子供なのに殺すなんて! とも思わなかったし、
誰とも分からない、名前も知らない奴の子なんて憎い、死んでしまえ!とも思わなかった。
不思議で、静かな気分だった。怖いくらいに淡々としてたと思う。
ただ、何の感情も湧いてこないのを見て、「私は母親にはなれないな」と思った。
だから私はまだ、母親にはなれないんだ、と思った。(成人しておいて"まだ"もクソもないけれど)
一生なれないのかもしれない。
数日寝たら、堕胎手術の日だった。
堕胎手術は日帰りだったけど、前日は何も食べないように、と言われていた。
その頃には悪阻が始まっていた。甘い香りだけで吐き気がした。男性の加齢臭だけで吐いた。
当日の朝も、何も食べていないのに、死ぬほど具合が悪かった。
途中の駅で降りて、トイレに駆けこんで吐いた。
何も食べてないから気分が悪いだけだと思っていたけれど、黄色い胃液が沢山出た。凄まじい味がした。
病院に着いて、同意書を渡して、着替えた。看護婦さんに下着と生理用ナプキンを渡した。
看護婦さんが同意書を見て、「先日成人されたんですね」と言った。「ええ、つい先日です。だから、よかった」と答えた。
相変わらず何とも思わなかった。
分娩台に両足をかけて、腕に点滴をされた。先生に「宜しくお願いします」と言ったら、点滴の管に注射を打たれた。
起きたら病院のベッドに寝ていた。ナースコールで看護婦さんが来て、処置をした。
膣の中にガーゼが詰められていたので、それを抜かれて、少し背中をさすって貰って、数時間眠った。
途中で飛び起きた。痛い!生理痛なんて笑える位の激痛だった。
看護婦さんが「痛い?うん、痛いね…」と言いながら背中をさすってくれた。ベッドの上で転げまわっていた。
「エコー写真、頂けますか?」と尋ねたら「出来ますよ、後で渡しますね」と言われた。
水子供養にはエコー写真を使うと、どこかで読んだことがあった。する気は特に無かったのだけど、言ってしまった。
その後1時間ほど休んだら落ち着いたので、受付で代金を支払って、外に出た。受領書と一緒にエコー写真を渡された。
家に帰って、Yahooの記事で、赤ちゃんのエコー写真を見た。妊娠初期から臨月まで、沢山の写真があった。
何となく貰ったエコー写真を取り出して、同じ時期のものと比べてみた。いた。分かった。本当にちっこい、白ゴマみたいなの。
じわりと画面がぼやけた。悲しくないと思っていた。馬鹿らしいと思っていた。
子供に執着出来ない自分なんて、母親になるのは無理なんだと思っていた。これでいいと思っていた。
何も間違った事はしていないはずだった。私には関係ないと思っていた。母親なんて、自分とは遠く離れた存在なんだと思っていた。
けど、もう、駄目だった。
ぼろりと涙が出た。一晩中泣き続けた。翌日になっても、ずっと泣いていた。
結局その後1年経って、私は何がしたかったのか、何であの時泣いたのか、もう分からないくらいのボンヤリに戻った。
未だに不思議だと思う。何で泣いたんだろう。
ただ、悔しかっただけかもしれない。何で私ばっかりが。何でこんな目に。何でこんな痛い思いを。
それとも、やっぱり悲しかったのかもしれない。自分の子供だから。自分も母親になりかけていたのかもしれない。
でも、今でもやっぱり、分からない。もうどっちでもいいと思う。
結局あのエコー写真は、ケースの裏側にしまいっこみぱなしだ。たまに取り出して、眺める。
やっぱり、分からない。
最近久し振りに実家に戻り、自分の母親を間近で見て、無性に泣きたくなった。
ごめんなさい。
ごめんなさい。でも、死ぬまで言わずにおく。
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2011.09.13 追記
今年の8月で22歳になった。何も感じないと思っていたけれど、違った。
最近は他人の出産や育児経験、子供の話をとても聞きたくなった。
出産経験をまとめたサイトを読んでいると、心から「おめでとう」という気持ちになる。
そして同時に涙が止まらなくなる。
堕胎した時、本当に何とも思わなかった。
そしてインターネットで病院を調べて、電車に乗って、手術して、そして帰ってきた。
今になって、それがじわじわと効いてきているのが分かる。
なら私も、ああしてあの子を育ててあげられたんだろうか。
10ヶ月も大事に大事に腹の中で可愛がって、愛して、育児教室に通ったりして、
あの日、手術を待っている時、待合室に若い夫婦が居た。
奥さんの隣に旦那さんがいて、旦那さんは奥さんにずっと話しかけていた。とても幸せそうだった。
でも、その時は何とも思わなかった。
今年になって子宮の病気になり、また産婦人科に行く機会があった。
待合室に座っていると、また数人の妊婦の方を見かけた。
一年前と同じだった。あの時のように、旦那さんが付き添っている夫婦も見かけた。
その瞬間、一気に目が覚めた。
これが、普通なんだ。
妊娠をしたら病院に来て(心配して旦那さんが付いてきてくれる人もいるだろう)、先生から説明を受けて
両親にも報告して(そして喜んでくれるんだろう)、そして幸せで、笑って、おめでとう、おめでとう。
そういうのが普通なんだ。
その時初めて理解した。これが普通なんだ。妊娠するというのは普通、とても幸せな事なんだ。
じゃあ、あの時の自分は何だったんだろう?
隣に夫となる男もおらず、誰にもおめでとうと言われず、笑えない、全てを一人で済ませたあの時の自分は。
そしてそんな私におめでとうとも言われず、ありがとうとも言われなかった、あの子は?
あの時の自分の判断が間違っていた、とは思っていない。
当時未成年、親の後ろ盾も、夫になる奴もいない、仕事はどうなるか分からない、経済的にも精神的にも問題だらけだ。
罪悪感は無かった。無かった筈だった。今でも正しい判断だとは思っている。
でも、涙が止まらなかった。
分からなかった。ただ申し訳なかった。それと同時に、とても羨ましかった。
当時は産めるはずもない、育てるのも無理だ、経済的にもどうしようもない、親にも言えないと思っていた。
だから一人で調べて、全て一人で済ませた。誰にも言わない、なんてこと無い、ちゃんと出来る。だから大丈夫。そう思っていた。
こんなの、少しも大丈夫じゃなかった。
結局、あの後私は見事に検査で引っかかり、どうも不妊に近いものになってしまったので
恐らくあんな思いは二度としないだろうと思う。
不幸になる機会も、幸せになる機会も失った…と思えば、案外こんなものかもしれない。
男に関しては警察に届けようとした。努力はした。でも、思い出すだけで吐き気と震えが止まらなくなる。なので諦めた。
願わくば、これ以上被害を出す前に死んでいて欲しいと思う。
親には堕胎した事も、不妊になるらしい事も、結局話していない。
これでいい、余計な心配なんて掛ける必要はない。そう思っている。
当時も色々と頼りなかった私だが、去年から本格的に仕事を始め、何とか軌道に乗ってきた。
何人かに告白された。全て断った。
全てを話す気力も、そんな勇気も無い。一生一人でいい。
かわりに在宅の仕事なので、しばしば姉の子供の面倒を見ている。とても可愛い。
けれど、新しい保険証にはそれを挟む所が無い。
つい先日帰郷した時、お寺でエコー写真を渡し、水子供養をして貰った。
もう3年。やっと、やっと供養してあげられた。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
ここまで聞いて下さって有難う御座いました。
ちょっと違う観点から。
自分は婦人がん検診のお年頃なんだけれども、最初に受診するときにアドバイスがあったよ。
もちろん併用がいちばんいいんだけど、というエクスキューズはしておくとして。
若いうちは胸の状態がマンモに向かないので、エコー(超音波)でいいって。
マンモではうまく写らないことがあるといわれたですよ。
エコーでもうまく見えないこともあるけど、マンモと同じくらいの確率なので、
痛い思いと被爆をする危ないほうを選ぶ必要はありませんって。
なので、TBSのキャンペーンが「乳がん検診を受けましょう」だけならいいけれども、
「マンモグラフィーを受けましょう」だったらちょっと疑問に思う。
どうにもわからないニュース。
http://www.asahi.com/national/update/0610/TKY201006090607.html
乳がんのため24歳で亡くなった女性を取材した番組「余命1カ月の花嫁」をきっかけに、TBSが展開している20~30代女性を対象にした乳がん検診を中止するよう求める要望書を、医師や患者ら38人が9日、同社に提出した。20~30代への乳がん検診の有効性に科学的根拠はなく、不必要な検査につながるなど不利益が大きいと指摘している。
要望書を提出したのは、中村清吾・昭和大教授や上野直人・米MDアンダーソンがんセンター教授ら、乳がん治療の第一線で活躍する医師のほか、がん経験者、患者支援団体のメンバーら。
「科学的根拠のない検診を、正しい情報を発信すべきテレビ局が行うことは倫理的に問題が大きい」として、検診の中止を含め活動の見直しを求めた。また検診を20~30代女性に限定している理由などを問う公開質問状も内容証明郵便で送った。
国は指針で、乳がん検診は40歳以上を対象に、マンモグラフィー(乳房X線撮影)検査と、医師が胸の状態を診る視触診の併用を推奨している。要望書は、20~30代女性への検診は、放射線被曝(ひばく)やストレスを増やし、がんを見逃す場合もあると指摘。メディアの役割は、異常を感じたら医療機関へ行くべきと呼びかけることだとした。
TBSは2008年から検診を実施。これまでに約7千人がマンモ検診を受けた。今年も、15日から舞台で上演されるのと連動し、東京や大阪などでエコー(超音波)検診を実施している。(岡崎明子)
◇
TBSのコメント 要望書で指摘されている点は、現在の医学界の基準的な考え方で、反論するところはない。ただ、40歳未満の乳がん罹患(りかん)者は年々増えており、あくまでも自己責任・自己負担で検査を受けることは意味があると考えている。
~~~~
はてブでは、TBS非難のブコメばかりだが、私見だが、TBSの主張にも一理あるのでは?
これは憶測だが、医学界でも「20代30代のマンモグラフィーは有用」という派と
「不用、むしろデメリット大」とする派に二分されていて、
「デメリット大派」が先走って抗議行動に走ってしまった、ということではないのか?
学会で意見が分かれている事案について、一方に肩入れしてしまったTBSも「ワキが甘い」が、
他方、朝日新聞を「味方」につけて、自説を正当だと権威付けようとする「デメリット大派」の
行動も感心できたものではないのでは?
推測だが、放射線科は「有用派」になっていて、それ以外(内科・外科)は
「不用派」になっていたりしていないか?
妻が妊娠した。
といっても、もう4ヶ月になる。
今回は順調そうだった。
去年立て続けに二回流産している。
原因は染色体異常だそうな。
心臓が出来ていないうちに卵は死んで行ったらしい。
二回とも、親になったという実感もなければ、我が子がなくなったと言う実感もない。
しかし二回とも中絶と同じ処置をしなければならなかったので、妻は辛そうだった。
で今回3回目だ。
心臓が出来てて鼓動を確認した。
順調そうだと思った。父親としての実感はまだないけど。
エコー写真でなにか水脹れがあってなかなか消えないので、大学病院を紹介された。
染色体異常の確率が大変高いので、絨毛検査というのをおこなって遺伝子検査をした。
検査の結果速報は遺伝子に異常がある確率は、とりあえず、かなり低いとのことだった。
だけど、水脹れは、前より広がってるらしい。
検査の詳しい話を来週聞きにいく。
5歳と7歳の声で音声読み上げ 「VOICEROID 月読アイ」「ショウタ」
5歳の少女と7歳の少年の声でテキストを読み上げる音声合成ソフト「月読アイ」「月読ショウタ」をAHSが発売する。
[photo] 「VOICEROID 月読ショウタ」(左)と「VOICEROID 月読アイ」
ソフトウェアの開発などを行うAHS(東京都台東区)は、5歳の少女の声でテキストを読み上げる音声合成ソフト「VOICEROID 月読アイ」と、7歳の少年の声の「VOICEROID 月読ショウタ」を12月4日に発売する。各9800円。2本セットの「VOICEROID 月読ショウタ 妹パック(アイちゃん付き)」は1万7800円。
[photo] 月読ショウタと月読アイは兄妹という設定。自己アピールは「ぼくの仕事は妹のアイを守ることです。アイはぼくがお話してあげると喜ぶから、いっぱいお話をしてあげたいです」、「アイのおしごとは、えほんをろうどくすることです。いつもやさしいおにいちゃんがだいすきです」
エーアイが開発した音声合成エンジン「AI Talk」を活用。子どもの声をベースにした合成音声で「驚くほど自然に話す」という。
テキストボックスにしゃべらせたいテキストを入力し、再生ボタンをクリックすると音声を合成、WAVE形式で保存する。発音に違和感がある場合は単語や文章のイントネーションを細かく編集することが可能。ボリュームやしゃべるスピード、声の高さ、エコーなどを細かく調整できる。
月読ショウタは7歳の少年という設定で、ハキハキとした話し方が特徴。ショウタの妹という月読アイは5歳の少女で、優しく一生懸命さが伝わる話し方が特徴としている。
対応OSはWindows XP/Vista/7。
同社は、ヤマハの「VOCALOID 2」を使った歌声合成ソフト3種類も同日に発表している。
5歳と7歳の声で音声読み上げ 「VOICEROID 月読アイ」「ショウタ」
なにこれヤバい。今まで真面目な声の読み上げしか存在しなかった領域にこういうので踏み込んでくるとか。そんなに俺らの自作の小説を読ませたいのか? よかろう。セットで購入してニコニコを賑わせてやらぁ!
エコーがボイスになってしばらく経ったね(^ε^)-☆Chu!!
ボイスになってから全員強制参加みたいになったよね(^ε^)-☆Chu!!
エコーもそうだったんだけどさ、最初の方はみんな物珍しさもあって色んな人がさぐりさぐり色んな使い方してたよね(^ε^)-☆Chu!!
まぁ、書き込む内容はつまらないことなんだけど、いろんな人のつぶやきを見れるっていうのは意外と面白くて、そういう楽しみ方が出来る人で楽しんでたよね(^ε^)-☆Chu!!
”ケーキ食べた!おいしい!”
とかさ、
”仕事オワタ\(^o^)/今夜は飲むぞー^^”
とか
”ょぅι゙ょょぅι゙ょ”
とかね(^ε^)-☆Chu!!
でも、そのうち飽きてきて、みんなあんまりやらなくなってきた期に、つぶやきというか、ボヤきみたいなアレばっかり残ったんだよね(^ε^)-☆Chu!!
ネット上だけじゃなくて、オフラインの現実の世界でもそうなんだけどさ、ひたすら自分語りする人の事どう思うかな?(^ε^)-☆Chu!!
そうだよね!そう思うよね(^ε^)-☆Chu!!
でね、そういうアレなつぶやきに対して、今みんなが思った気分になった人たちがエコー使わなくなっちゃって、エコー自体がアレな空間になっちゃったんだよね、エコーって辞められたから(^ε^)-☆Chu!!
エコー末期とかそんな空気だったよね?(^ε^)-☆Chu!!
でさ、さっきの話に戻ると、ボイスも、みんな飽きてきた期に入りつつあると思うんだよね(^ε^)-☆Chu!!
でね、やっぱり見てみると同じことの繰り返しになりそうな感じがしているのね(^ε^)-☆Chu!!
確かにさ、そういうアレなのを書き込める場所って、便所の壁かネットくらいなんだよね(^ε^)-☆Chu!!
だからさ、そういう人の気持ちも分かるんだよ(^ε^)-☆Chu!!
だけどさ、みんなに言いたいのはさ、
「ネット上じゃなくて、オフラインの現実の世界」ってさっき言ったんだけどさ、ネット上もオンラインの現実世界なんだよ(^ε^)-☆Chu!!
それに気付いて欲しいな(^ε^)-☆Chu!!
ケータイからログインしたら何か別の世界に飛び込んじゃってるような気分になっちゃってる人が多いと思うんだよね(^ε^)-☆Chu!!
でもさ、ネットってもう来ないようなどこかのトイレじゃないんだよね(^ε^)-☆Chu!!
それがわかってる人はいいんだよ(^ε^)-☆Chu!!
けどさ、それに気付かないでやってて、「あ、自分がしてることはそういうことだったんだ」って気付いてくれる人がいいなと思って書いたよ(^ε^)-☆Chu!!
というわけでさ、ボイスの使い方って今アレな方向ばっかりになっちゃってうからさ(^ε^)-☆Chu!!
いいの思いついたんだよね(^ε^)-☆Chu!!
チューしようよ(^ε^)-☆Chu!!
見てる人が笑えるようなことしようよ(^ε^)-☆Chu!!
Webなんちゃらの末席を汚していたことのあるおっさんからのアレでした(^ε^)-☆Chu!!
mixiボイスで苦情を貰った方について検索しておりましたらこの様な意見を発見致しました。
mixiエコーではtwitterみたいに書き込みしまくんな、と怒る人 :: [コエカタマリン MX 2007]
http://taichistereo.sblo.jp/article/30312196.html
上の方の物言いもいかがな物かとは思いますが、趣旨に関しては同意致します。自分も同じ様な経験を致しました。
きっかけは「他のマイミクさんのが見えない」という自分宛の発言をいただいた所から始まります…
と申されましても、Webサービスには色々な使い方がある訳ですし、つまりミクシィボイスはそれだけ使われてないサービスなのですから、ちょっと発言頻度の高い人物が一時的にタイムラインを独占してしまう事があっても致し方ないと思うのであります。ただ、あくまでmixiが提供するサービスのひとつですから、外部からアクセスできるAPIが供給されていない現在ですと、あそこで発言したり発言を見たりするためには、通常mixiにアクセスしてボイスに移動するという手間がかかりますので、twitterを模倣しておきながらtwitterが提供する気軽さを構造的に再現しきれていない所が最大のネックになっておりますね…といった様な趣旨の意見を思いっきり要約して申上げましたら「mixiを使う人とtwitterを使う人は違うから別の使い方もある」という意見を頂戴致しまして、しかしmixiもtwitterも両方使ってるおります私は、その意見に同意できずそのままにしておりましたら「ボイスをやめるかマイミクを外してくれ、あんたの発言が画面を独占するのが五月蠅い!」と言われてしまいました (´・ω・`)
最初は色々と理屈がおかしいなと思う所に首をかしげていたのですが、今一度mixiボイスのタイムラインを見て気が付いたのであります。こちらのサービスは、過去ログが3ページしかないのでした。ただいま確認してみましたら、発言数にして66件しか表示しておりません。私はだいたい日に20件程度twitterに発言しているのですが、その日はプチ実況的な事をしておりまして、1時間に1回程度の更新を行うtwit2mixiが起動したタイミングで恐らく突然画面が私の発言一色になったのでしょう。と申しましても普段よりも発言数が10件程度多いだけだったのですけれども。
しかしこの一件で、普段twitterをお使いでないmixiユーザーの一部の方が、mixiボイスをtwitter的に気軽に発言する場に使ったり、私のようにtwitterをマルチポストする使い方に嫌悪感を示される理由の一つが何となく解りました。フィルタリングの問題等とあわせて、過去ログの表示件数が少なすぎるのでございます。これでは全体的に発言頻度が上がるとすぐに過去ログは見えなくなってしまうではありませんか。
つまりmixiボイスというサービスはtwitterを模倣してはおりますが、
実は全然違う、もっとmixiらしい使い方をしなければいけないサービスだったのでございます。
当初私はtwitterとの連携に新しい可能性を感じておりますので今まで通りtwitterと連動させ、先方様がマイミクを外したければ自分でやって下さいまし。と思っていたのですが、mixiが意図した現実を見て何だか急に気分が萎えてしまいました。マイミク各位の皆様にはお詫びを申上げると共に、本日ただいまtwit2mixiとの連携を切らせていただきたいと思います。
mixiがボイスをリリース・当面はボイスを使わないのが紳士淑女のたしなみ: 異常感想注意報
http://teo.cocolog-nifty.com/column/2009/09/mixi-941d.html
つまりこちらのエントリーにある通りでした。
慧眼でございます。お見事。