はてなキーワード: 若者たちとは
オフィス街で働いている
真新しいスーツに身を包んで硬い顔つきをしていた若者たちも、GWが明けた今は少し慣れてきたように見える
夕方5時を過ぎて外に出ると、同期同士なのか仲睦まじく帰宅する姿が見える
微笑ましい
増田も数年前はあんな姿だったかな、いや同期1人も居ないし今も昔もぼっち帰宅だわ、とか思いつつ駅に向かう
だがたまにイライラする事がある
仕事も少しずつこなせるようになり、同期とも仲良くなり、おしゃべりするの楽しいよな
最近、この横一列フレッシャーズも、男女で傾向があると思うようになった
・女集団
一般的に群れることが多くて、増田では「周り見てない」「ぶつかってくる」と言われる女の集団。
まあ男よりは周り見えてないよなって思う。狭い道で自分たちが邪魔してたと気づくとビクッとされるし、そのままペコリと会釈されたりシュンとされればまだいい子だねって感じ。
たまに「怖いんですけど!」って感じでこっち見てくる奴もいる。歩いてるだけじゃん…声掛けてもないじゃん…詰めてくれや…
ただ、女集団の場合はどんな年齢やタイプでも「おしゃべりに夢中で周り見えてない」パターンに思える。
悪意とかは多分ない。自己中さは感じるが、数ヵ月後にはオフィス街の歩き方にも慣れるだろって感じ。慣れてくれ。
まあ数ヵ月後にはさらに細かな部署分けやグループ変更が起きて、大人数で帰宅するのは難しいかもしれんが、慣れてほしい。
・男集団
問題はこっち。
横一列フレッシャーズは圧倒的に女の方が多い気がするが、数少ない男集団はなんかえぐい。
肩で風切って歩いてるというか、こちらを値踏みして避ける必要ないと感じれば避けない。
端っこのお前とかわざと横に膨らんでるだろってぐらい道幅広げてる。
なんなら通行の邪魔になってることに気がついてるにも関わらず、すれ違う人間を選んで避けたり避けなかったりする。
男集団の群れってなんなんだろうか。
例えば狭い歩道を2人組が横並びで歩いてる時、女2人組は避けない。すぐ真後ろを歩いているこちらにそもそも気づいてないパターンが多い。
男2人組の場合は、そもそも周囲に気を使ってる歩いてるのか、すれ違う結構前から邪魔になってるのに気づくと黙って片方が身を引く。
カップルの場合は、彼氏側が彼女を引っ張ったりして道を譲ってくれる。
つまり男は気づけるんだよ。
周りみて歩いてるから、通行の邪魔になってることにも気づいてるんだよ。
なんなんだよ横一列フレッシャーズの男集団はよ。
男は3人組以上になるとなんで道譲らなくなるんだよ。
就職氷河期は仕方ないと思うけど…
それこそ、当時の窓際どもが自分たちの雇用を守るために団結して若者たちを締め出したわけで
彼らと、当時の年功序列と終身雇用を守った会社のせいなんだよね。
そしてそれが何を意味するかといえば、氷河期世代の"経験"と"コネ"を奪ったことに他ならない。
今は、まともでありさえすればどこでも働けるわけで
5chとか、増田とか、30過ぎた人間が匿名で便所の落書きとして冗談で書いてる分にはいいんだが、
その言葉自体が、若者の間で〇〇だから仕方ない、という免罪符になっていることが恐ろしい
ADHDでも、HSPでも、これまでだって一定数はいて、その人達なりに折り合いを付けてうまく付き合って生きてきた人がいる中で
それを免罪符に、頑張らなくていいよね、まともじゃなくてもいいよね、人とずれていてもいいよね、
ハードは変えられないにしろ、親ガチャとかいって騒いでいる奴らの妬み、僻みの対象となっていることなんてソフトでどうとでもなるだろ
ただ、一点現代の若者がかわいそうなのは、それを教えてくれるのが両親しかいなくなってしまったこと。
核家族化が進み、祖父母や兄弟姉妹、従兄妹との付き合いも薄くなり、
地域社会も義務教育も、ホワイト化した中で通り一遍でうわべだけの責任感のない教育に留まる。
そうなると、両親がまともでないのなら、自分で自分をきつく律して、自学自習し続けるしか無い。
けれど、それに気づく頃、二十代の中頃には、肉体的、知能的には人間の成長は止まる。
もちろん、そこから色々な出会いで精神的にアップデートされることはあるものの、それこそ運でしかない。
お前を救えるのはお前だけだ。
三島由紀夫は日本を代表する文豪・憂国の士といわれるが、過大評価され過ぎだと思い、所感を書いておく。
三島由紀夫はかなり多作な作家で、小説・戯曲だけでおそらく200作を超える。
新潮社の三島由紀夫全集はバカデカサイズの全42巻からなり、通読した人間は三島の専門家くらいだろう…専門家すら怪しいが。
三島由紀夫といえば金閣寺。少し落ちるものとしては仮面の告白、潮騒、美徳のよろめき、鏡子の家、憂国、豊饒の海がある。
私は三島由紀夫が好きで、小説だけでなく戯曲を含めて結構読んでいる方だと自認しているが、若者がつまらぬ観念を語るだけの作品、あまりに紋切り型の恋愛作品が多すぎて、読むのが時間の無駄・苦痛だ。
2021年に『三島由紀夫vs東大全共闘』という映画が公開された。三島由紀夫 = 憂国の士という共通認識を前提とした筋書きのようだ。
しかし当時(1969年)の共通認識は「ややこしい人がクビを突っ込んだな」である。
当時の三島由紀夫はボディービルディングに熱中したり、鍛えた裸を披露するために自分の映画や写真集を作ってみたりと、脇道にそれる活動が多く、作家としての存在感が薄らいでいた。
それどころかいい年したおじさんなのにUFO・超能力の探求にハマったり、ハタチそこそこの若者を誘って私兵部隊を結成したり(後に市ヶ谷駐屯地に突入した楯の会である)と、お騒がせキャラクターを確立していた。
つまりUFO・超能力に興味があり、自分の映画・写真集をつくり、若者を集めて軍事訓練を積ませている40過ぎのおじさんが、ソ連・マルクス主義の嵐が吹きすさぶ東大に入って論戦しようというのである。いくらなんでもツッコミどころが多すぎるよ。
当時は同性愛・天皇礼賛主義への偏見が強かったこともマイナスイメージを形成しており、三島由紀夫は"へんなおじさん"であった。
散々語られていることだが計画性がなさすぎる。拡声器すら用意していなかったとは…。
偉い人を人質にとって吠えれば自衛隊が動くと思ったのだろうか。組織とはそのような属人的なものではない。
ずさんな計画のわりに、割腹自殺の準備だけはキッチリしていたらしいが。
派手に割腹したかっただけでしょ。割と当たっていると思う。三島由紀夫がエッセイや映像インタビューで度々語っているお気に入りのエピソードに、終戦の日に夏の静かな日差しを見ていると自分は"生き残ってしまった、後に残されてしまった"という強い感覚を持ち、それ以来死に場所を探しているという話があり、その"死に場所"を選んだということなのだろう。
三島由紀夫はエッセイストとして優秀だとおもう。"高貴なる野蛮人たれ"という言葉を残した。上品で、教養があり、裕福な人間は一見洗練されているようではあるが、実は個性がなく退屈で、柔順で、脆弱な人間なのである種の誇り高き野蛮さを備えておくべきだという三島由紀夫の主張。この主張は私の人生の指針にもなってきた。
ただ文豪・憂国の士というのは過大評価であり、観念に引きこもるあまり最期は周りに迷惑をかけて死んだへんてこ作家、くらいが妥当な評価だと思う。
「もう、選挙では何も変わらないんだよー」
外山恒一じゃないけど、人口比を理解しているからそれはもうわかってる...
https://www.soumu.go.jp/main_content/000341053.pdf を見る限り、40歳未満が束になっても65歳以上には勝てない。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b27ee53336578ecc28b0bffddae1afdaea03c901
でも言っている通り、それに加えて若者の投票率の低さなんだろうな。
数では勝てない若い世代が数で勝てるようにするワークアラウンドが0歳児投票権なんだろうなというのはみんなわかっていることだと思う。
あとは核家族化が進んで年寄りと若者はタダでさえ話す機会がないからなぁみたいなのも思うね。
よく知らない人が多少の不利益を被っても知ったことではないし、実際のところ政策がその人たちにプラスだったのかマイナスだったのかなんて知る由もないし。
やってますよ感を出す政策によって、その世代と家計を同一にしない65歳以上は若者優遇みたいに見えているだろうなというのはわかるし、
収蔵物が博物館のキャパシティを超えて保存され、その扱いに困っているという新聞社のWeb記事を見ていて、改めてそう思った。
昔、「正しい日本語」という概念が流行り、それが何なのかという議論が多数交わされたが、それらは結局のところ、世代対立に過ぎなかった。
そして、この収蔵物もそうなのだと思う。
若者でない世代が、自分たちが大事だと感じる資料を、「歴史的」というあたかも価値のありそうな形容詞で装飾して、
キャパシティを無視してでも、それに親しむものよりは若者だろう管理者に、たくさん押しつけようとした結果に見える。
どちらかいえば老人世代に近い自分だが、個人的には、キャパシティを超えた分はすっぱりと処分すべきに思う。
若者もきっと、歴史的と呼称した老人世代の未練に興味はないのだ。私たちの世代のものは私たちの世代で諦めるしかない。
そもそも、収蔵物の保存にはコストがかかるので、若者文化の発展はその分遅れてしまうし、
歴史的事物の保存という行為自体も、若者文化の発展には抑圧的に働くので、収蔵物の保存というのは若者たちに本質的に好まれない。
そして、誰も明言しないが、歴史的な資料は「古いものは尊ぶべきだ」という価値観を無言で内包している。
歴史的な資料は「文化『財』」という名称で、あたかも自然に財産然としているが、その実は若者にとってコストというか、若者文化を発露する際の重荷でしかない。
そして、歴史的な資料は「歴史」という教科となって、あたかも覚えるべき知識であるかのように振る舞い、若者のキャパシティまで削ってしまう。
個人的には、若者の認知は未来に向かって注がれるべきと思われ、合理的でも道徳的でもない偶然の連なりである「歴史」などに充てられるべきではないように感じる。
そもそもなんで、偶然でしかない、未来に決して通用することもない老人たちの教訓を、若者たちに記憶させないといけないのか。
そういった保守的な歴史のがんじがらめが、地元に流れる人間関係の重さと相まって、若者たちを都心部に押し出す格好になっている気がする。
すると文化財は、その費用からもその思想からも、若者たちを都市部に押し出すのを助けてしまっているとさえ思えてしまう。
掘れば遺跡が出てしまい、その保存で開発が全く進まない「文化財」だらけの地方自治体に、どんな若者が残り続けたいと思うのか。
思春期の子供が両親に反抗するように、若者たちはきっと、古い文化の象徴である歴史的な資料など捨てたい、
その保存コストを、古い文化の代わりに自分たちが享受したいと思っているはずなのだ。
つまりは、歴史的な資料は非明示的ながら、そしておそらく無意図的ながら、古い者たちの権力となってしまっていると思うのだ。
だから、一部の人たちにとっては無意識的に、歴史的な資料はコストをかけてでも博物館を占有していないといけないのだろう。
でも、歴史的な資料をとるか、若者主体の文化としていくかは択一であり、どちらが本当に重要かってことを、今一度考えてほしいと、この老いぼれはひそかに思う。
偉い学者が、日本の人口回復のためには、面倒みるべき親を早く捨てろと言ったらしく、それは耳が痛いことでもあるが、
この日が何を意味するのか、インターネットの暗部や特定の文化に精通している増田ならお分かりだろう。
そう、それは「大麻の日」である。しかし、現大日本帝国においては大麻は厳しく禁じられており、THCを含む製品は法の壁に阻まれている。
一方で、若者たちの間での認知度は高まっており、それにも関わらず、社会は変わりゆくペースに追いつけていない。
一方で毎日散々とCMがやられているビールという他の「ドラッグ」は、クリーンなイメージで大々的に広告され、広く社会に受け入れられている。
アルコールによる健康への害は広く知られており、私の友人二人もその犠牲になった。彼らは過労と飲酒により肝臓を痛め、苦しんでいる。
な~んてことを書くと「大麻カス解禁したすぎて必死だな」「大麻で脳をやられた下戸の依存症が僻みで書いている」
「アルコールと大麻を同一扱いする馬鹿」「大麻を使うとこうなります(笑)」
とか色々言われそうな気もするが、まあ今日はそういう日なのでそれくらいは書かせてほしい。
私自身の経験からも、大麻がもたらす影響はアルコールのそれとはまったく異なる。
ここで有能な効能を書くとろくなことにならないのは知っているので詳しくは書かないが、
私はその安全性とポジティブな効果に驚かされた。なぜなら、それは心を開き、新たな認識を促すものだったからだ。
この二面性には明らかな矛盾があり、私はこの認知の破壊を促したい。
アルコールが「無害」として受け入れられ、いや、「有害」であるのにも関わらずそれは当然と黙認され、
飲み会というなのドラッグパーティーが平然と行われる中で大麻での娯楽は一切許されず、
アルコールの広告が出される一方で、より安全である可能性のある大麻がなお禁じられている現状には、根本的な見直しが必要だと感じている。
そんなことを書きながらテレビに目をやるとキンキンに冷えたビールの滴がグラスの外側に流れる様子が強調された
若々しく活動的な人々が友人や家族との楽しいひとときを自然や開放感のある場所で飲酒する広告が否応なしに流れる。
では大麻はどうだ。ラッパーやニット帽を被った子供が路地裏でモクモク吸ってるイメージだろう。
そう一人で悪態をつきながら私は安倍晋三のおかげで安くなった発泡酒の蓋を開けた。
もう終わりだよこの国
この日が何を意味するのか、インターネットの暗部や特定の文化に精通している増田ならお分かりだろう。
そう、それは「大麻の日」である。しかし、現大日本帝国においては大麻は厳しく禁じられており、THCを含む製品は法の壁に阻まれている。
一方で、若者たちの間での認知度は高まっており、それにも関わらず、社会は変わりゆくペースに追いつけていない。
一方で毎日散々とCMがやられているビールという他の「ドラッグ」は、クリーンなイメージで大々的に広告され、広く社会に受け入れられている。
アルコールによる健康への害は広く知られており、私の友人二人もその犠牲になった。彼らは過労と飲酒により肝臓を痛め、苦しんでいる。
な~んてことを書くと「大麻カス解禁したすぎて必死だな」「大麻で脳をやられた下戸の依存症が僻みで書いている」
「アルコールと大麻を同一扱いする馬鹿」「大麻を使うとこうなります(笑)」
とか色々言われそうな気もするが、まあ今日はそういう日なのでそれくらいは書かせてほしい。
私自身の経験からも、大麻がもたらす影響はアルコールのそれとはまったく異なる。
ここで有能な効能を書くとろくなことにならないのは知っているので詳しくは書かないが、
私はその安全性とポジティブな効果に驚かされた。なぜなら、それは心を開き、新たな認識を促すものだったからだ。
この二面性には明らかな矛盾があり、私はこの認知の破壊を促したい。
アルコールが「無害」として受け入れられ、いや、「有害」であるのにも関わらずそれは当然と黙認され、
飲み会というなのドラッグパーティーが平然と行われる中で大麻での娯楽は一切許されず、
アルコールの広告が出される一方で、より安全である可能性のある大麻がなお禁じられている現状には、根本的な見直しが必要だと感じている。
そんなことを書きながらテレビに目をやるとキンキンに冷えたビールの滴がグラスの外側に流れる様子が強調された
若々しく活動的な人々が友人や家族との楽しいひとときを自然や開放感のある場所で飲酒する広告が否応なしに流れる。
では大麻はどうだ。ラッパーやニット帽を被った子供が路地裏でモクモク吸ってるイメージだろう。
もう終わりだよこの国
中学生に性的暴行したクルド人は難民申請中だった 地元市議は「実態を正しく直視するべき」 | デイリー新潮
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2024/04050558/
「12歳の女子小学生に性的暴行したアメリカ人は米海軍と海兵隊だった」こちらの方も「実態を正しく直視するべき」ですよね。https://www.tokyo-np.co.jp/article/174853
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751630356195896512/comment/donovantree
今回の埼玉の事件とは直接の関係こそ何もないけど、確かにひどいな。
難民の男性はまだ社会的に弱い立場かもしれないけど、その難民男性の事件のコメントで書かれた沖縄の米兵の事件の方は、擁護すべきところがまったくない。
また、被告人となった海兵隊員の家族は「人種差別によるでっち上げだ」「若者たちが日本に連れ去られようとしている」と主張し来日した。来日後も「沖縄だと陪審員に良く思われないから裁判が我々に不利になる。だから裁判の場を九州に移せ」などと被告人の妻らが主張する様子が日米双方のメディアに流された[注釈 3]。被告人家族は泣きながら失神する姿まで披露したものの、そもそも裁判員制度が始まったのが2009年であり当時は導入されておらず、日本では的外れで空回りに終わった。また文化的にも白人・黒人が絡む人種差別問題になじみが無いため全く同情の声は挙がらず、むしろ反感を煽る結果となり、世論からも相手にされなかった[16]。
沖縄でも一番弱い立場の人を襲った被告の家族が、あろうことか、自分たちの方が人種的に差別された弱者を僭称して大騒ぎしたらしい。
反人種差別運動の主張に乗っかれば、自分達の身内の男も難民男性みたいな社会的弱者を装えると考えたんだろうか。
原著 "Irreversible Damage" の内容について "科学的に否定されている" などの攻撃がしきりに行われるのですが、これは主に 米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療を推進している主に米 "業界医師" や活動家の人々がそのように主張しているだけです(代表はハフポスト日本語版のサイトに書評が翻訳されている医師のジャック・ターバン氏です)。
実際には精神医学専門家M.Grossman が証言しているように、この主題は専門家の間で立場によって完全に見解が異なり、数年来大きな論争の対象となっています。
すでに英国や欧州・北欧各国(最初に始めたのはスウェーデンです)の当局や専門家は、先日の英国NHSの正式な "思春期ブロッカーの停止発表" のように、未成年者への思春期ブロッカーやホルモン投与を当然のものとする "ジェンダー肯定モデル" についてはその多くが基本的な見直しを開始しており、そのプロセスの途上にあります。
米国の "ジェンダー肯定モデル" 推進派として有名な医師であるジャック・ターバン氏らの同原著に対する主張は、すでについ先日の英国NHSの公式な正式決定(医学的な大規模系統レビューの結果を受けた "ジェンダー肯定モデル" の見直しと "思春期ブロッカー" の処方停止の発表)で、その主張の根幹となる前提(未成年 "肯定モデル"の医学的エビデンスレベルの評価)が否定されているため、主張の正当な根拠をほぼ失っています。
同原著出版時から数年が経ち、政治・医学的論争・世論・メディアの状況は少しずつ動いています。
米国リベラル派代表紙であるニューヨークタイムズ紙(NYT)にもすでに、デトランスの若者たちを取材した同書とほぼ同趣旨・同主題の記事が昨月掲載される状況になっています。
同原著の内容を間違っていると否定されるならば、NYT紙までも出版されるべきでない "科学的に間違った新聞" や "ヘイト新聞" というようなことになってしまい、論理が破綻してしまいます。
原著 "Irreversible Damage" の内容について "科学的に否定されている" などの攻撃がしきりに行われるのですが、これは主に 米国 "ジェンダー肯定モデル" の医療を推進している主に米 "業界医師" や活動家の人々がそのように主張しているだけです(代表はハフポスト日本語版のサイトに書評が翻訳されている医師のジャック・ターバン氏です)。
実際には精神医学専門家M.Grossman が証言しているように、この主題は専門家の間で立場によって完全に見解が異なり、数年来大きな論争の対象となっています。
すでに英国や欧州・北欧各国(最初に始めたのはスウェーデンです)の当局や専門家は、先日の英国NHSの正式な "思春期ブロッカーの停止発表" のように、未成年者への思春期ブロッカーやホルモン投与を当然のものとする "ジェンダー肯定モデル" についてはその多くが基本的な見直しを開始しており、そのプロセスの途上にあります。
米国の "ジェンダー肯定モデル" 推進派として有名な医師であるジャック・ターバン氏らの同原著に対する主張は、すでについ先日の英国NHSの公式な正式決定(医学的な大規模系統レビューの結果を受けた "ジェンダー肯定モデル" の見直しと "思春期ブロッカー" の処方停止の発表)で、その主張の根幹となる前提(未成年 "肯定モデル"の医学的エビデンスレベルの評価)が否定されているため、主張の正当な根拠をほぼ失っています。
同原著出版時から数年が経ち、政治・医学的論争・世論・メディアの状況は少しずつ動いています。
米国リベラル派代表紙であるニューヨークタイムズ紙(NYT)にもすでに、ディトランスの若者たちを取材した同書とほぼ同趣旨・同主題の記事が昨月掲載される状況になっています。
同原著の内容を間違っていると否定されるならば、NYT紙(ニューヨーク・タイムズ紙)までも出版されるべきでない "科学的に間違った新聞" や "ヘイト新聞" というようなことになってしまい、論理が破綻してしまいます。
1982年に結成された日本のパンクバンド、増田 and the Kindergartensは、その斬新なアプローチとエネルギッシュなスタイルで、国内外のファンを魅了してきた。彼らのディスコグラフィーは、数々のヒット曲と記念碑的なアルバムで満たされている。
- デビューアルバムであり、増田 and the Kindergartensのキャリアを確立した作品。シングル「幼稚園ロック」は、彼らの代表曲の1つとして広く知られている。
- バンドの初のシングルリリース。その独特なサウンドと衝撃的な歌詞で、若者たちの心を掴んだ。ライブパフォーマンスでは必ず演奏される定番曲の一つ。
- 政治的なテーマを取り入れたアルバムで、時代の不満や抗議の声を反映している。「都市の炎」という曲は、その時代の政治的な状況を象徴する曲として評価されている。
- バンドの成長と進化を示すシングル。メロディックな要素とダイナミックなリフが特徴で、バンドの多様性と音楽的な深さを示した。
- 80年代後半の文化的変化を反映したアルバム。テクノロジーの進化や社会の不安をテーマにした楽曲が多数含まれている。
- バンドの活動の中でも特に躍動感溢れるシングル。モッシュピットやサークルピットで盛り上がること必至の楽曲として、ライブでの定番となった。
- バンドのライブパフォーマンスのエネルギーと熱狂を捉えたライブアルバム。ファンにとっては、バンドの生の魅力を味わえる貴重な一枚となっている。
- バンドの音楽性の変化と成長を示した作品。より実験的なアプローチや新たなサウンドが試みられ、彼らのファンベースをさらに拡大した。
Wikipediaにはブランディングされライト化、大衆化、陳腐化してきた経緯もちゃんと書いてあるじゃん
世間からの「個性的でなければいけない」という外圧により、「無理して個性を作らなければいけない」と焦る若者が増えているとして、その理由を「カルチャーシーンから“メジャー”が消えてしまったから」だと分析し[26]、「属するだけで安心できていたメジャーが消えてしまった今、彼らが探しているのは、要は“拠りどころ”なんだと思います。自分が属しているだけで、楽しいと思える場所。それが、オタクという属性です。(中略)推し活動をしているオタクはすごく輝いているから、自分もああなりたいと切望する。もしそうなれて、オタクという属性を手に入れられれば、結果的に自分は“個性的”にもなれる、と捉えている。だから正確に言えば、“オタクになりたい”んじゃなくて、“拠りどころになりうる、好きなものが欲しい”だし、それは“個性的な自分でありたい”だし、一番正直に言うなら“
原田曜平は、非常に多くの若者たちが、自分のことを「オタク」と自称するようになっていることを挙げ、本来であれば、サブカルチャー好きを指す言葉である「オタク」というワードが、メジャーなカルチャーにまで使われるようになってきていることに驚いたと述べている。また、話題になった作品だけをチェックしており、オタク知識は総じてそう深くない「エセオタク」が増えており、濃度の高いオタク(ガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄されることもある[28]。
また、日本政府が観光資源の一環として、国策で「クールジャパン」戦略を行うようになったのも2010年代からであり、迫害から一転し、おたく文化は政府お墨付きの“体制側”の文化になったとも言える。
ていうかもう、テレビ番組全体がにぎやかすぎてついていけなくなりましたわ。
歳だと思う。
いつも誰かがわめいてたり、大笑いしてたり、騒いでたり。
そういうのが神経にこたえる、そんな年齢になってしまった。
BSとかの地味なテレビ局でよく昭和の古いアニメを再放送してるけど、全体的なトーンが今よりずっと落ち着いてて、穏やかに見ていられる。
YouTubeに勝手にアップされてるレトロお笑い番組とかも同じ。今の演出編集過多のバラエティ番組に比べると、ひょうきん族とかごっつとかのほうがずっとおとなしい。
というのもWeiboでバズったイギリスのガーデニング特集やスウェーデンのライフスタイルを特集した記事がいつの間にか消されていた。
ガーデニングやライフスタイル特集の何が中国共産党の気に障ったのか分からなかったけど、友人によると共産党はどうやら「非物質的な自己実現」や「精神的幸福」というものを警戒しており、若者たちがそれらの文化や言葉に汚染されないように神経を尖らせているそうだ。
寝そべり族や大卒ニートが激増していることから最近は特に警戒がすごいらしい。
在英中国大使館員はインタビューで「英国にかつての栄光と繁栄を見ることはできず、英国の国民は老いも若きも、金持ちも貧民も、貴族も庶民も、知人や友人と手作りの夕食を食べ、安いお茶を飲み、休日には自宅のガーデニングをして過ごしている。こうなってしまっては英国も虚しいものだ」と答えていたそうだ。
中国共産党にとっては立身出世を夢見て、がむしゃらに勉強してがむしゃらに仕事をしてがむしゃらに金を稼ぎ、その金を消費や投資に注ぎ込み、余暇には大金を使ってレジャー、旅行、買い物をし高価な宝石や贅沢品を買い豪勢な食事を食べる国民こそが「理想的な中国の国民」であり、自宅でガーデニングをして森林を散歩して友人とお茶をして家族と手作りの夕食を食べて過ごし「非物質的な自己実現」や「精神的幸福」を得ようとする生き方を「堕落した人間」と見做しているらしい。
日本人に刺さりまくるな。
婚活の参考になれば幸いだ
俺は二十歳から交際した女と22歳で結婚し子無しのまま24歳で離婚。
時期ははっきり覚えてないが30代後半、口内射精したら「甘っ」と驚かれた
体はむくみ腹は突き出る、体力も低下、品も知性もドブに捨てた
毎晩飲んではいたが深酒は少なくなった
仕事は海外出張が多い、専門卒のアホだが日常英会話を習得した。適応力は高い。
会社は忙しいがプロジェクト端境期に二週間程度の休暇が取れるので溜まったマイルで海外旅行するようになった
醜男はフィリピンが気に入った。気候、人間、飯、雑さ、心地よかった
明らかに胡散臭い旅行者狙いのペテン師だろうが、俺は怖いもの見たさで乗ってみることにした。
そういう冒険も悪くない、殺されることは無かろう。いや最悪殺さてもそれはそれで楽しい。自殺願望など一ミリもないが、かといって長寿の執着も無い、それよりも人生を楽しみたい。
約束の時間と場所に明らか素人の若い女を連れてきた。可愛い子だった。
彼はコミッションを要求しなかったが俺はマニラ平均賃金1週間の金を渡した
彼は貧民が肩を寄せうドミトリーの住人だった、そこには地方から職を求めて上京(上マニラ)してきた若者たちが大勢いる。
彼女もそこの住人だった。
彼女をショッピングモールに連れて行き上質な服と靴と下着やバッグとピアス、時計、装身具、ナショナルブランドの化粧品を買い揃え、髪を切り、ネイルを施した。
彼女と観光地にショートトリップ、三つ星ホテルに部屋を取り、観光してプールでイチャラブして、沢山セックスをして、数週間生活に困らない金を渡してバイバイして帰国した。
同じような旅行を4,5回した。
置屋の彼からは今度いつ来るのか催促のショートメッセージが毎月届くようになった
毎回いい女を連れて来るが、一度ハズレが居た
彼にクレームしたらバスで5時間かけてチェンジの女を三人連れてきた
どれでもいいから好きなのを選べだと。
まぁ金払いの良い上客だからな、
彼からの連絡が途絶えた、死んだんだろう。しらんけど
それでも俺はフィリピンに行った
GoGoの作法は分かっている、俺は世界中で遊んでいる、ルールもマナーも大体同じ。
それにも飽きると町でナンパするようになった。
ショッピングモールのレストランで「仕事の後にデートしない?」
9割釣れる。
そうして妻と知り合った。出会った時にビビビと来た、他のフィリピン人とオーラが違った
デートしていろいろ話をした、高等教育を受けていないが地頭の良さ、正義感、機転、気遣い、品と知性と人生に対する達観を持ち合わせていた。素敵な女性だと思った。
当然知り合ったその日にセックスもした、こちらも相性が良かった
とはいえ最初は他の娘たちと同じ束の間の逢瀬、遊びのつもりだった
彼女たちからは帰国後テキスト(ショートメール)が来ることはあるが、こちらが返さないと諦めも早い、そこに愛は無いんだ、すまんな。
俺はマニラの平均月給二ヶ月半の金を毎月送金してやった。
その頃には日本での飲み歩き、夜遊びも完全に飽きていたので金はあった。
こいつもかよ、とは思ったが、応じられる範囲で応じてやった、そういうのも面白いと思った
結婚してくれと言うので応じた。なんだか人生が楽しくなりそうな予感がした。
まぁ何人でもいいんだけどね
しかし結婚の書類を書いている時にdivorce(離婚歴)にチェックをつけたのを見て
「え?離婚したことあるの?」と驚かれ、私は初婚だと勝ち誇られた、これは納得できん
恋はするが結婚は大切な人と決めていたらしい、俺なんだってさ。うへ
ともかく俺は再婚した。在留ビザを取り日本で一緒に暮らし始めた。
連れ子たちはフィリピンの義両親に見てもらい不自由ない金を送った
子どもたちは概ね10歳を超えており今更日本で教育を受ける必要もなかろうと判断した。経済成長率0%の国よりも6%の国でキャリアを積んだほうが未来は明るい。
当時は航空券が安かった。往復で1万円を切っていた
とはいえ金を持って帰らなきゃならないのでそちらのほうがデカい。
俺の貯金はどんどん減っていく
しかし相変わらず金をジャブジャブ使う、
俺の貯金は底をついた
しかしこれは俺が悪い、フィリピンの文化を理解していなかっただけ
しばらくしたら一番上の娘が成人した、ようやく独り立ちして送金が減ると期待していたら
ソッコーで結婚し子供を産みやがった、旦那も一応は働いているようだが一家を支えるほどの収入は無い。ならば結婚するなとフィリピン人に説教しても無駄だ
だーかーらー働けよ、せめて計画的にさ、ゴムを使えゴムをとフィリピン人に説教しても無駄だ
この次女はガチ可愛い、アイドル級、妻と交際中に紹介されたとき「できればこっちで」と喉まで出そうになったが
今は毎日食っちゃ寝で子育てしてるから猛烈な勢いでデブ化、セフセフ
現在俺は4人の孫も扶養している(正確には今はしていない後述)
父の経営していた会社は父の引退で事業譲渡され妻も継続雇用されていたが、2年持たずに倒産し妻も整理解雇。
俺は半年前に転勤辞令を蹴って退職、イマイチ労働意欲がわかず、失業手当も貰えるし貯金はあるので日々ネットで時間を浪費。
俺が働いているときは毎月妻にまとまった金を渡していたがそれもストップしているが妻はなにも言わない
早く働けとか、家でダラダラしてるなら掃除でもしろ、なんてことも言わない
これまで頑張って働いてくれてたから今はちょっと休憩ね、みたいな事らしい
コロナ禍前、出張で家を開けることも多く帰宅も遅い俺は育児を妻に任せきっていた、まだ乳幼児でよく熱も出した、異国の地で大変だっただろう、それを愚痴られたことも無かった。
コロナから三年間は在宅勤務で時間が取れるようになり今は息子のハートを独り占め。
無職の現在は毎日幼稚園に迎えに行ってポケGO巡り、今日も息子と二人でラブトロスをゲット
こんな結婚もある、参考にしてくれ
氷河期世代の負け組を救う大河ドラマとは、1990年代後半から2000年代前半にかけて就職難に苦しんだ若者たちの人生を描く物語である。主人公は、大学卒業後に何度も就職活動を繰り返したが、なかなか採用されないでいた男性である。彼は、友人や恋人との関係もうまくいかず、孤独と不安に苛まれる日々を送っていた。しかし、ある日、彼は偶然にも自分の才能を発揮できる仕事に出会う。それは、歴史上の人物や出来事を再現する大河ドラマの脚本家としての仕事であった。彼は、自分の想像力と知識を駆使して、感動的なストーリーを作り上げる。やがて、彼の書いた大河ドラマは視聴者から絶賛され、彼は一躍有名になる。彼は、自分の夢を叶えたことで自信と幸せを取り戻し、周囲の人々とも和解する。氷河期世代の負け組だった彼は、大河ドラマを通して勝ち組になったのである。