はてなキーワード: Metooとは
#MeTooされるのがしむけん
瀧本 梨絵
@takimotorie
①私がAV業界と関わる前に保守系の活動に関わっていたのは事実ですが
この問題を表面化させていかれたことは大きな意味があると思っています
瀧本 梨絵
@takimotorie
②私は桜井誠さんのファンではありますが直接的な関わりはありません
AV強要問題にも興味を持って発言してもらいたいと思っていますが
2017/01/08 11:40:36
SOD専属・瀧本梨絵「AV強要問題に右も左も関係ない。私は日本第一党桜井誠のファンだが、AV問題を表面化させたHRN伊藤和子先生の功績は大きい。保守もAV問題について発言してほしい」 : AVメモ http://yap00s.blog.jp/archives/8781322.html
【感動】愛国少女として有名なネトウヨの姫、AV女優だった「AV女優の経験を活かし日本女性として発信していきたい」[175186365] https://hitomi.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1483919878/
女性を女体・モノとしてしか扱わない非人道的な番組
こういう企画には大体有名なAV女優が起用される
どんなにAVで人気が出てもゴールデンタイムでは精々こういう扱いなのだ、これに怒るどころかAV女優も社会的に受け入れられてると喜んでいる業界関係者やAVオタクがいて怖い https://t.co/OH8wRbjgDD— 告発者・瀧本 (@TAErupture1) 2020年3月22日
@TAErupture1
小心者のコミュ障ですが頑張って少しずつ話します。 主にAV強要問題など人権問題を中心に、頭悪いので足りない部分は補足してくだると嬉しいです。 グラビアやAV女優としての私が好きな人は面白くないと思うのでフォローしないでください。
ポール・ハギンズ監督による映画『クラッシュ』という秀逸な映画がある。アカデミー賞を取っている。
人種の坩堝であるアメリカにおいては、日常様々なところで人種差別があるのは当たり前の日常になっていて、差別する方もしたくない方も疲れ果てている。しかし一旦大変なことが起こると、人種の壁など一瞬で超えることが私たちは出来るじゃないか。という主張の映画である。もう私はこの映画に感動しまくって、涙が止まらなかった記憶がある。批判もあった。そうはいっても差別をなくさなければならないのだから、この映画のように差別なんかどうでもいいじゃないか、という主張なのでは問題解決にもならない、など。
どちらの意見も整合的ではあるとは思った。が、どっしにしろ、私たち人間は協力しないとこの世界では生きてはいけないという、赤裸々な真実はあって、目をそらしていいわけではないのである。どちらの意味においても、である。
さて、フェミニズムの話題として、最近はあの石川優実さんによる#KuToo が話題をかっさらっている感がある。華やかな表舞台では#KuTooは石川優実さんとともに世界的に評価されつつも、その裏側では石川優実氏のあまりに矛盾した態度とそれをよく表した#KuToo本(靴から考える本気のフェミニズム)に対する猛烈な批判である。
私が気になったのは、どちらが正しいかなのではなく、どうしてそんなに極端に矛盾した状態になっているのか? であった。これは一旦はいってみる価値があるのではないかと、フェミニスト側の立場の仮面を被ってTwitter上で観測を始めた。
こうした問題は、双方の目を持たないと、実はその真相が見えてこないのである。実はこれ、全くの単純な考え方であり、例えば子供二人が喧嘩していた時、仲裁に入る人はどちらの目線にも立つはずであろう。別に仲裁したかったわけではないが、一方の側にばかり視点を偏重させると結局、人はため息か悪態をつく以外になくなってしまうのである。その視点を私に与えたのが、昔見た映画の冒頭の「クラッシュ」だった。
で、どうだったか。
結論を言おう。
#KuTooはそんなこと無関係に大いに役に立っている、それは間違い無いという単純な事実が一つある。石川優実さんがいう通り、少しずつ労働現場では強制がなくっていているなどということの他に、安倍首相と共産党小池氏が、日々国会で厳しく論戦を繰り広げていたのに、#KuTooの話で、小池氏が安倍首相の言質をとって、一時予算委員会が拍手と笑いに包まれたという名シーンである。あんな和やかなシーンはあまり見たことがない。
だが、一方で、KuToo本は最悪の駄本である。あんな酷い本もない。たとえ敵側の人たちをクソリプする人達と罵ろうとも、やってはいけないことのオンパレードで、現代書館までその人たちをなんの根拠もなく犯罪者呼ばわりするのである。やってはいけない改竄・捏造・酷い引用の仕方、到底倫理観のかけらもない行為としか思えないものである。裁判になりそうなので、そうなったらコテンパンにやられて欲しい。
そして、石川優実氏は相変わらずで、クソリプ攻撃応酬に疲れ果てたのか、とうとう「死にたい」とまでTwitter上で公言する有様。それをみる味方側も誰も批判しないという異常な光景、私はもはやこれはただ事ではないとしか思えなかった。
死にたい、と公言したのは、いわゆる死ぬ死ぬ詐欺である。あのねぇ、石川さん、それ女の弱さを利用する、フェミニズムに最も反する行為じゃないか。信じがたい暴挙である。
そして彼女はすぐさま、ハングルで韓国に応援要請(これは彼女が心を落ち着ける以外の目的はないと推測)、英語で同様にTweet拡散。あまりにもこれは自己本位であり、あんなのを許す味方も含め、頭おかしいとしか思えない様相。
私はその時点ではまだよくわかっていなかったが、何れにせよ、#KuTooを崩壊させかねない、愚行そのものであった。
どうしてそこまでに至ったのかについては、理由は簡単である。「怒り」に任せたからである。KuToo本ではっきりそう言っている。彼女の原体験は、彼氏にブチ切れて彼氏に女の苦労を認めさせた、そこにあるからだ。
だから怒りは一番正当であり、怒ってさえいたらなんとかなる、と。しかしそれは、あまりにも無知であり、彼女が受けたMeToo被害だって、失礼だけど有り体に言って無知だったからに他ならない。もちろん男が悪いのではあるが。
宇崎ちゃん騒動や、ラブライブ騒動も実は全てそれで、あまりに「怒り」に任せすぎるのである。
何故なのか。
それはもう、はっきりしている、女性差別が現に存在するからである。彼女は無知ながらも自分一人で「女性だけがどうしてハイヒールを履かねばならないのか」を発見できたのも、女性差別が現に存在するからである。そうした認知がなければ彼女は静々「ルールだから仕方がない」と大人風に冷淡にただ納得していただけであろう。
結局は、怒りに任せないと、理解させる方法がないのだ。少年ブレンダさんも、怒る以外に方法がない。どうしてもわかってもらえない。
ーーー追記
他にも女性差別に関し様々な怒りの声が世界で沸き起こっている。真っ先に思いつくのは前述した#MeTooでもある。
あるいは視点を変えて女性教育の重要性を主張するマララさんであったり、アメリカで女性もトップレスでも良いじゃないかと主張して上半身露出でデモを行う人たちもそうであろう。多くの女性差別への怒りに対する声はもう止められない。
それでもなかなかそれら勢力と反対側にいる人たちは理解しないのだ。
もちろん現実には共感して支持する人もいるにはいるが、それらは彼女達女性が「怒る」のは差別の大きな枠組みとして「女性差別」があると言うことをどうにか認めてほしいと言う切なる願いに他ならないとしか思えないのである。
本当に理解の壁というのは高過ぎて絶句するほどに思えることすらあった。
ーーーー
彼女たちに怒る理由は十分すぎるほどある。それは決して「あなたたちそんなに怒るな」なんて到底言えるレベルの話ではない。差別とは何か、もう一度原点に戻って考えるべきではあるが、冷めた目で事態をを見つめるのは、例えばブコメなどで、適当な意見をいう程度で済ませるのは、関心を持つのであれば、できたらやめて欲しい。
言論の自由はある。
私だって、そうした問題を見つけられたのははてブコメントやTwitterなどで、騒ぎになって可視化されたからそれは否定しない。
だけど、そうした悲しいフェミニズムの持つ現実、女性差別があるというのを少しでもいいから、どうしてもわかって欲しい。
最近、Twitter(の一部)で、自称オタク達と自称フェミニスト達の対立が激化している
昨年の秋に赤十字の献血ポスターの事で大きな騒動になっていたのを存じている方は多いだろう
この騒動でフェミニスト側の首魁の一人となっているのが、石川優実という人物だ
この、石川優実という人物は、Twitterで一時期世界的に話題になっていた
#metooという運動のタグに便乗して#Kutooという運動を立ち上げた
そして、#Kutooに賛同する人の署名を2万人分集めた事で、2019年にBBC(英国国営放送)の「100人の女性」という
BBCが独断と偏見で選ぶ、その年に世界で話題となった100名の女性に選ばれた
その後、この石川優実という人物は「100人の女性」に選ばれる知名度のある自分と、
その自分の運動についてくるフェミニスト達は自称オタク達を相手にする必要が無い
という主張をしながら活動している
だが、これについて、イギリスに住んでいるある人物に話を聞いてみた
Q「石川優実は「100人の女性」に選ばれた事を武器に使っているが、イギリスでは石川優実はそんなに有名なのか?」
A「BBCはイギリス国内でそんなに視聴率の高くないテレビ局であり、100人の女性」にはリベラル(左派)枠が存在している
おそらく、石川優実は左派枠でねじ込まれたのだろう、イギリスでは知名度は全く無い
2019年の100人の女性にグレタ・トゥンベリも選ばれているが、グレタ・トゥンベリの腰巾着としてねじ込まれたのだろう」
との事だ
石川優実は、BBCの100人の女性に選ばれた事が武器になると思っている様だが
実態はこうでしかない
「日本では知名度が低くても外国では知名度が高い」等と言う主張には耳を貸すべきではない
増田主:マン光太郎
俺男。妻がMeToo以来、フェミニズム的な開眼があったらしく、最近は酔っぱらうと女がいかに虐げられてきたのか、男がいかにして既得権益を守ろうとしているのかばかり。過去の理不尽な男女差別の経験の中で押し殺していた感情が爆発したみたい。男を憎んでいるかの如く。
俺は仕事も子育てもそれなりにがんばっている方だと思う。妻の話もできるだけ聞いている。聞くだけじゃなくてときには意見もする。すこく気をつけて慎重に。思うことや感じることは素直に正直に言う。信頼したい相手にはそれを伝えようと努力する。何度か反論もしてみたけど、なんか論点が合わない。
妻のことは愛してる。だからひたすら男がダメと言われるのがつらい。前向きに明るい未来について話したいだけなんだけど、何をどうしたら彼女の損なわれた気持ちを埋められるのかをずっと考えてる。今は話を聞き続けることしかできない。男女にとって明るい未来への手がかりが欲しい。
14歳のころに50歳の男性作家と性的関係にあり、ミューズみたいにされていた少女が大人になってから自分の視点で一連の出来事を語り直した小説を書いて出版したという、フランスで今とても話題になっている #MeToo 案件について記事を書きました。
検察も動き出しています。https://t.co/JefvJwPGTp— Chihiro King Kong (@Chichisoze) 2020年1月24日
予想通り突っ込み入っていて草。
これで思い出したけど、確かにピカソとかもだけど、芸術家に限らず、みんな大好きルーデルも15歳の嫁貰っていたんだよな。
何にしろこいつら退廃芸術まで足を突っ込みだしたから以下に綺麗事言っていても順調にフェミ自身が嫌われ出しているのが皮肉。
それこそフェミに対して、日本に限らず、逆風吹き始めたのに今だこうして図に乗りまくっているから、この辺もそれ以前より退行するかもね。
しかし今や古臭いと他人に言いまくっていた連中の戯言であるフェミニズムやグローバル化とやらが今では逆に世間では古臭いものと化しているのだから面白いね。
「#MeToo」はクリアできない:歴史的大物5人のセクハラその他
https://jp.rbth.com/arts/82951-metoo-ha-kuria-dekinai-rekishiteki-oomono-gonin-no-sekuhara-sono-ta
ハンス・ルーデル
http://gikoheiki.web.fc2.com/hito/001.html
自分は割と女遊びが激しいほうで、友達にもそういう人間が多いのだけど、昨今のMeTooに象徴されるセクハラや性犯罪への厳しい世間の風潮にはかなりビビってる。
今や一部の界隈では「嫌よ嫌よも好きのうち」なんていう感情自体が存在しないことにされかけてるわけだが、ナンパをしてその日のうちに行きずりで肉体関係を持つ、という行為を過去に何度も繰り返してきた経験からすると、「嫌よ嫌よ」からスタートするのが大前提となる。
そして会話やスキンシップを取って少しずつ相手と距離を詰めていく中で、結果として肉体関係を持つ場合もあれば、そこまでには至らずに終わる場合もある。
で、肉体関係まで至る場合に、100%女性がセックスに同意してるかどうかなんて、女性本人にだって分かっていない場合がある。
相手の理性を崩さなければ出会ったその日にセックスするなんていう事故は起こらないわけで、あの手この手で女性をその気にさせて、気付いたらセックスしてた、っていう状態に持っていくことを試みる。
その手段として泥酔するまで酒を飲ませる、という行為が卑劣であることに異論は無いが、酒に限らず行きずりの肉体関係が成立する時には少なからず「普通ではない意識の状態」になっているケースが多い。理屈ではstopをかけているが、感情はgoサインを出している状態。
この時に「言葉で同意を取れば問題無い」なんてのは「冷静ではない状態でハンコを押させる」のと同じ意味にしかならない。
その時は良いと思っていても後から後悔する場合だって多々あるだろうし、後から「あれは不本意だった」と言われてしまったら終わりである。
という感じで過去を振り返ってみると、あれがレイプではないとは言い切れない経験がいくつか思い浮かぶ。
それが法的にレイプかどうかは置いておいて、そう思わせてしまうこと自体が本質的に良くないことであると思うようにはなったが、女性に後悔させないように"遊ぶ"には経験やら人間的な熟成やらが必要で、それでも完全にはコントロール出来るわけでも無く、そうなると世間から"女遊び"と解釈され得る関係はすべからく一掃されなくてはいけないのかもしれない。
女性スポーツ選手の活躍レベルと、女性の権利・社会進出のレベルは比例すると言われている。
アメリカではサッカーなど女性スポーツではトップクラスの競技が多いし、スウェーデンなどの北欧国もサッカー、バレー、バスケなど女性スポーツが強い。
逆に南米やアフリカ諸国は女性スポーツがことごとく弱い。中東もしかり。
逆に、日本人の女性スポーツ選手が活躍すればするほど「日本の女性の権利は弱い」というフェミニスト言説の根拠が薄くなる。
日本のフェミニストはそれに気づいてるので、女性スポーツ選手をあまり応援していない。MetooやKutooの先導者が女性スポーツ選手を応援する言葉も見たことがない。