はてなキーワード: 絶滅とは
hesopennです。仰ることはその通りで、私は指摘されるまでBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)は指摘されて追記したのであり、最初は無かったことに気付いていませんでした。さすがに発表されてからこんな短時間で批判と修正が入るとはちょっと想像していなかったのもあります。元増田のほうの冒頭に追記しますね。ご指摘ありがとうございます。
とはいえ、手嶋氏に論文を読み、それを説明する資格はない、という意見に変わりはありません。無査読の論文を大々的に紹介し、それの結果に反するトップジャーナルに掲載された論文を提示されたにもかかわらず、あたかもそれが重要でないような(その論文が元の論文と食い違うことも述べず)扱いをすることは研究を自分の目的のために恣意的に歪めて紹介する行為だからです。修正したといっても、最後に「実際のところ、社会統計から「ポルノが性犯罪を引き起こす!」と主張する研究者は、もうほぼ絶滅しているわ。」という文章は残っています。これは明らかに間違いであり、Bhuller et. al. (2013)の結果を(経済学の研究の蓄積において明らかに重要であると判断されているにも関わらず)無視する行為です。
hesopennです。私はある誤解をしていたので、それを説明しておきます。私は指摘されるまでBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)は指摘されて追記したのであり、最初は無かったことに気付いていませんでした。さすがに発表されてからこんな短時間で批判と修正が入っているとはちょっと想像していませんでした。申し訳ありません。この誤解をしていた旨を堂々とここに追記しておくべきでした。またそのような誤解を読者に与えていたのであれば(与えていたと思います)申し訳ないです。
とはいえ、手嶋氏に論文を読み、それを説明する資格はない、という意見に変わりません。無査読の論文を大々的に紹介し、それの結果に反するトップジャーナルに掲載された論文を提示されたにもかかわらず、あたかもそれが重要でないような(その論文が元の論文と食い違うことも述べず)扱いをすることは研究を自分の目的のために恣意的に歪めて紹介する行為だからです。修正したといっても、最後に「実際のところ、社会統計から「ポルノが性犯罪を引き起こす!」と主張する研究者は、もうほぼ絶滅しているわ。」という文章は残っています。これは明らかに間違いであり、Bhuller et. al. (2013)の結果を(経済学の研究の蓄積において明らかに重要であると判断されているにも関わらず)無視する行為です。経済学という学問の正しい理解を妨げ、学問を政治化する人間に論文を扱う資格はないという意見に変わりはありません。
手嶋海嶺氏の 「性的表現と性犯罪/性的攻撃性」の関係~最先端の科学的知見に迫る~ (https://note.com/teshima_kairei/n/nb86567d83298) を読みました。この文章では私は手嶋氏は完全に知的誠実を欠いていることを説明します。手嶋氏は自分の結論に合う論文のみを子細に説明し、それに反する論文を軽視しています。
手嶋氏の論考では二つの論文を軸に性的表現と性犯罪/性的攻撃性の関係について考察をしており、前半はKendall (2007)の解説に紙幅を割く構成になっています。Kendall (2007)は学術的にそこまで重要な論文なのでしょうか?手嶋氏も述べていますが、この論文はUnpublished Manuscriptです。いわゆる査読されていない論文で、2007年に発表されたものが最新のものです。経済学においてはまだ査読されていない論文をWorking Paperという体裁で発表することはよくありますが、2007年の論文が2022年まで査読されず残っているということは、一般的には著者の個人的な事情(アカデミアを辞めるなど)か、その論文に問題があるということを表しています。
このKendall (2007)を詳細に紹介した後、手嶋氏は手短に、その手法に問題点が指摘されていることをBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)を引用して述べています。この四人の著者からなる論文はReview of Economics Studiesという、経済学のいわゆるTop 5の雑誌に掲載された論文です。Unpublishedのまま2007年から更新されていないKendallの論文と、RESに掲載された2011年の彼らの論文、どちらがより信用に足るかと言われれば、事前情報なしでは経済学者の100人中100人が後者と述べるでしょう。では、なぜ手嶋氏はKendall (2007)の中身だけを扱って、Bhullerらの論文の内容を紹介しなかったのでしょうか?
それはBhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)がポルノの消費の増加によって性犯罪が増加したことを示唆する論文だからです。この論文ではノルウェーにおいて、インターネットが普及した地域においてレイプ、およびその他の性犯罪が増加したことが述べられています。そしてAbstractの最後では、”Our findings suggest that the direct effect on sex crime propensity is positive and non-negligible, possibly as a result of increased consumption of pornography.”、つまりインターネットによって性犯罪は増加したことが示唆され、おそらくそれはポルノ消費の増加によるものだろう、とまで述べられているわけです。
追記:ここではPossiblyという表現をおそらく、と訳すのは不正確でした。もしかすると、という表現の方が適切だったと思います。ただこのこと自体は私の主張を崩すものだとは思っていません。詳しくは(https://anond.hatelabo.jp/20220607234113)を見て頂ければ幸いです。
このように、手嶋氏はなぜかKendall (2007)という査読されずに15年も経っている論文を子細に扱いつつ、Bhuller, Havnes, Leuven and Mogstad (2013)という経済学のトップジャーナルに掲載された論文を無視しています。百歩譲ってKendall (2007)が重要な論文で、説明する価値があるにしても、それと相反する結果が出たBhullerらの論文の結論を述べず、手法に問題点が…と曖昧に引用するのは全く理解できないことです。これこそ手嶋氏が誘導したい結論に合致する論文のみをとりあげる、知的誠実さを欠いた行いです。
追記:一番上の追記で述べたように、私は手嶋氏が初稿で両者の論文を把握していると誤解していました。実際には指摘を受けて追加した、ということのようです。しかし本稿の趣旨、意見に変わりはありません。その点については一番上の追記を見て頂ければ幸いです。
本来であれば、なぜこの二つの論文の結果が食い違うのかを考察し、そのうえで自分の主張を説得力がある形で述べるべきです。手嶋氏はあたかも科学的、中立的であるような風を装いながら、自分の意に沿う、決して評価が高いとは言えない論文のみを詳細に取り上げ、学術的に評価が高い論文を軽視(無視)しています。またそれにより、あたかもこのテーマについて学問的なコンセンサスがあるような、間違った印象を読者に与えています。このような行為は学問への冒涜であり、科学と対極に位置するものです。
手嶋氏には論文を読む、ましてやそれを基に文章を書く資格などありません。
Kendall (2007) : http://pirate.shu.edu/~rotthoku/Liberty/internet%20crime.pdf
Bhuller et. al. (2013) : https://doi.org/10.1093/restud/rdt013
追記:
「手嶋氏は指摘を受けて修正した。だから誠実ではないか」という意見があります。これは大きな間違いです。Kendall (2007)は未査読のまま15年経った論文であり、Bhuller et. al. (2013)は査読を受け、一流の雑誌に載った論文です。この二つの論文の信頼性には雲泥の差があります。この二つの論文を対等に扱うことすらおかしいのです。ましてや手嶋氏のようにKendall (2007)のみを子細に取り上げることなど、常識的な研究倫理を持つ人間ならまずありえないことです。
そして修正された文章を見ても、そもそもBhuller et. al. (2013)がKendall (2007)と異なる結論を導き出していることは読み取れません。私は最初、おそらく多くの読者と同じように、Bhuller et. al. (2013)はより洗練された手法でKendall (2007)と同じ結論を導いたものだと理解していました。手嶋氏は明らかにBhuller et. al. (2013)の結果を隠し、間違った印象を読者に与えることに固執しています。この追記はあくまでお茶を濁し、読者の誤解を誘うように書かれています。
繰り返しますが、手嶋氏が真に知的に誠実な行いをしたいのであれば、Bhullerらの論文を吟味したうえで、それでも自分の主張が正しい、もしくはKendal (2007)のほうが説得的な論文であることを議論すべきです。そうでないなら、経済学という学問の価値規範に沿って、未査読のKendall (2007)ではなく、Bhuller et. al. (2013)のほうを重点的に解説すべきでしょう。失礼ながら、手嶋氏は経済学の専門的な教育を受けていないようなので、これらの論文を理解し、その信ぴょう性を比較する能力があるとは思えませんが…。
ちょっと細かい論点(および追加的な説明)について追記しました。ごちゃごちゃしてすいません。
https://anond.hatelabo.jp/20220607234113
追伸:
はてなブックマークを見たところ、この問題点を指摘しているのは私だけのようです。研究者としての訓練を(修士にしろ、博士にしろ)受けたものであれば、Unpublished Manuscriptを子細に取り上げ、トップジャーナルに掲載された論文を軽視するやり方に一目で違和感を抱くはずだと思います。このような初歩的な問題点を無視することもまた、知的怠慢であり、知的誠実さの欠如でしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20220518232547
きららアニメに関する増田がバズってるけど、アニメ業界の空気読めてないよな。
はっきり言って、きららアニメはオワコンなんだよね。間違いなく、アニメ業界の人間はみんなそう思っているだろう。
まあ、俺はアニメ業界の人間ではないけどね、ネットの記事を見ていると、そういう風潮をひしひしと感じる。
実際、きららアニメは減ってきているではないか。2019年には『まちカドまぞく』しか放送していないし、2021年は『ゆるキャン△』の2期だけで新作のきららアニメは1本も放送されなかった。
こんなに少なくなっているのに、低俗なまとめサイトですらオワコン呼ばわりする記事がない点で本当に終わっているよな。
アニメの話題できららアニメを出すのは恥だと言われる時代は確実にやってくる。きららアニメを知る人はほとんどいない。その上、布教しようとして作品を見せると「キモい」と言われる。なぜなら、終わっているから。
では、なぜきららアニメはオワコンなのか――それは、海外人気がないからだ。
今日のアニメ業界にとって海外人気は、成功を考えるのに最も重要なものさしである。これは、数土直志氏をはじめとしたアニメビジネスのジャーナリストが口を酸っぱくして言っていることだ。(アニメ系ブロガー、アニメ系YouTuberも)
これまで成功のものさしだった円盤の売上は減少していき、配信の時代だと言われるようになった。
その一方、日本アニメの海外市場は急成長を遂げた。「アニメ産業レポート」によると、海外の売上は2014年で3,266億円だったのが、2020年になると1兆2,394億円と急成長した。
割合的に見ても、海外の売上は2014年までは3割に満たなかったが、2020年には国内の売上を上回った。つまり、日本アニメの国内市場は相対的に縮小した。
今覇権を握っているコンテンツプラットフォームは週刊少年ジャンプと小説家になろうであろう。特に、ジャンプは、少年ジャンプ+の作品が出てくるたびにはてなブックマークでバズる。
そして、今の時代における花形ジャンルは 異世界モノ と ラブコメ だ。
こういったジャンルの共通点は、日本国内だけでなく海外でも絶大な人気があることだ。
今の時代、最も数が多いのは異世界モノであろう。特になろう発のなろうアニメが顕著だ。その情勢の中でラブコメが追い上げている。
なぜ、異世界モノやなろうアニメがあんなに多いかというと海外人気が高いからだ。
中国の大手動画配信サイトbilibili(ビリビリ)での再生数は他のジャンルを圧倒していて、覇権の基準といえる1億回再生を達成した作品は多い。「スマホ太郎」と散々揶揄された『異世界はスマートフォンとともに』ですら1億再生を突破している。
また、英語圏のアニメレビューサイトMyAnimeListの点数を競うMALスコアランキングも比較的高順位。
さらに、国内においてもdアニメやAbemaTVを中心に再生数が高い。
そのおかげで、数が多いだけでなく2期決定率が極めて高い。放送終了直後に発表するんだから、それだけ結果が出せているということだ。
異世界モノでなくても『政宗くんのリベンジ』『デート・ア・ライブ』『ようこそ実力至上主義の教室へ』のように、海外人気のおかげで続編が決定したケースが後を絶たない。
そりゃあ、海外のアニメファンからすれば、きららアニメにありがちな極端にデフォルメされたキャラデザはチープな作画に見えるし、恋愛をせず男に媚びようとしない女は幼稚だもんな。
そう、女子高生にもなって男に媚びない女は年不相応に未熟。海外は日本以上の恋愛至上主義で、恋人を持とうとしない人間に厳しい。
そんなまんがタイムきららはアニメ業界からそっぽを向かれている。
その世相が最も露骨に現れているのは制作会社のWHITE FOXであろう。『はたらく魔王様!!』や『シュタインズゲート』などで知られるヒットメーカーである。
この会社は、最も有名なきららアニメ『ご注文はうさぎですか?』を捨ててなろうアニメに傾倒していった。
主な作品として『Re:ゼロから始める異世界生活』や『ありふれた職業で世界最強』とかが挙げられるが、その極致と言えるのが『無職転生』であろう。何せ、アニメを制作するためにわざわざスタジオバインドという新しい会社を設立するぐらいだ。その凄まじいクオリティは他のアニメを圧倒した。
異世界モノのように人気が出ることが確実視される花形ジャンルであれば、企画はいくらでも通る。しかし、人気のないジャンルはやがてアニメ業界からやがて絶滅する。
それにしてもカドカワはきららアニメを割と多く製作してるよね。どうせ、なろうとかラブコメとか本命の自社出版原作アニメを引き立てる噛ませ犬だろ。
それ以外に何の理由があるのかね。
Abemaにあった夏野剛社長のあの発言からしてそうじゃないか。
グラビアより過激な漫画が日本はあふれている。
よくグーグルとかAppleの審査に通らないんですよ。
それも含めて、どこまでは公共でいいけど、どこからはダメというのを、もう1回このネット時代にふさわしく、基準作り直さないといけないのかなとすごく感じますが、僕がいる出版業界は自由派ばっかりなんだけど
海外市場が急成長しているのだから、日本のアニメや漫画は海外で通用しなければならない。
そのためには、海外の表現規制に適合するべきであり、その中で最も代表的ものの1つがGAFAの基準だということだ。
そして、それ以上に重要なのは作品が海外で人気が出ることだ。つまり、海外で通用しない作品は穀潰しだと唾棄される。
例の発言の後にカドカワは何をやったか――中国の大手IT企業テンセントとの資本提携だ。中国の表現規制に適合したいとのことだ。
それに関連して話題になったのは『小林さんちのメイドラゴン』だ。トールたちの大きな胸を小さく書かざる負えなくなったのだ。
これを言い換えれば、中国の表現規制を突破さえできればめちゃくちゃ儲かる。そこまでして作画を直すのは、中国でのビジネスはそれだけ大きな利益が期待できるということだ。
まんがタイムきららは時代に取り残されてしまった。はっきりいって、かなり詰んでいるんだよね。
前述の通り、花形ジャンルは異世界モノとラブコメである。しかし、きららはそういうジャンルに力を入れることが出来ない雑誌だ。
みんなが予想ができる通り、ラブコメを推そうとすると百合厨がギャーギャー喚き散らす。
異世界モノだって一応手を出してるけど、RPG不動産がたまたまお声がかかっただけでやる気がない。ついでにいうと、読者もあまり評価しない。
売れる花形ジャンルに手が出せないのは成長の見込みがないということだ。
すでに、損切りの時が差し迫っているようだな。2年以内できらら系列の雑誌は1つ廃刊になるだろう。そして、5年以内でまんがタイムきららの歴史は幕を閉じる。
せーのっ
数年前、かなり偏った人選でアセクシャル系のツイッタラーをフォローしてた時期がある。
アセクシャルは恋愛感情はあるけど性行為はちょっと……な人を指すらしい。
だから、その界隈ではアセクシャル系の話題が出ると色んな意味で盛り上がる。
誤解しないで欲しい、という意味の主張なのだろうけど、個人的には喧嘩売ってるようにしか見えない。
増田はチキンなこともあり、そんなカッカしないでよ……穏便に行こうよ……とか思ったりして、結局その方々とはアカウント削除により関わりが無くなり申した。
もともと一方的なフォローだったから親密な間柄でもなかったけど、ずっとそんな世界に身を投じられる彼らは強メンタルなのかもしれない。
正しくないことを指摘するのをやめろ、というわけではなく、指摘するのであれば、誤解されるような言い方をやめたほうがよいのではないかという話だ。
恋人いない=年齢な時点で、容姿も中身も不相応だという大前提はある。
が、恋愛って外から見る分にはキラキラしてるけど、己もその道を歩きたいかと問われると、特に希望はないと答えざるを得ない。
これは年齢によるものかもしれないけど、でも小学生のときからアラサーになるまで「恋人ほしー」とか思ったことない。
生物としての末期だ!
というか、そもそも人と交流を持つのって自分が他者に興味があるから始まるわけで、会話してても人の顔を見ずに、背後にある戸棚に目線を向けて相槌をうつような人間が人に興味を持てるわけが無い。
最近知ったけど、人の顔が認識しづらい相貌失認というものがあるらしい。
自分が人の顔を覚えられないのは視力悪いとか他人に興味関心がないとかだと思ってたけど、こういう可能性も考えられるのかと心底驚いた。
点数がひどすぎるからADHDなんじゃない?と話してる方がいた。
今どきはネットが発達したおかげで、あらゆる「普通じゃない」方々がにょきにょき生えていらっしゃる。
それを見てると、普通っていうのはある種の特別なんだなあと思ってしまうのだ。
話を戻すが、増田はアセクシャルかなあと思ってる反面、それは非モテ言い訳の十八番だろとも思ってる。
知り合いたちの結婚ラッシュを見て、早めに死にたいなあと思うくらいには、自分は生物としての責務も果たせないゴミだという自覚はある。
会社の歯車となって働くという点では大なり小なり社会に貢献出来ているのかもしれないけれど、フルリモートでもない環境だとふとした世間話に場違いだなという思いを抱いてしまう。
とは言え、結婚してても愚痴吐きマシーンと化してる主婦らがいるのを目の当たりにすると、このモヤモヤって何なんだろうと更に沼る。